サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
iPhone 16
www3.ocn.ne.jp/~y.hirama
近衛上奏文の謎 (掲載文は紙面の関係から短縮されているので、ここに全文を掲載した) 日本を席巻した共産主義と郡部への浸透 コミンテルンから見た近衛文麿と革新官僚と陸軍統制派 近衛文麿は1937年6月に45歳の若さで初めて内閣を組織して以来、1941年12月の太平洋戦争に至る寸前まで、わずか4年5ヵ月の間に3度、2年9ヵ月の長期にわたり首相として国政や対外関係に重大な役割を演じた。国内的には大政翼賛会政治の独裁国家の政治体制や経済の国有化などの総力戦体制を確立し、対外的には1938年1月の第1次近衛声明の「爾後国民政府を対手とせず」で日中戦争の処理を誤り、11月の第二次声明では「東亜新秩序建設」を宣言して世界から孤立化し、40年9月には日独伊三国軍事同盟を締結し、41年7月には南部仏印に進駐し「対英米戦ヲ辞セズ」の国策を決定した。1941年9月には10月上旬に至るも交渉成立の目途なき
(複数回答である、 また人数の少ない項目は削除した)。 最初に「特攻」を命ぜられた関行男大尉は同盟通信社の小野田政記者に「ぼくは天皇陛下のためとか、 日本帝国のためとかで行くのではない。 KA(海軍の隠語で妻のこと)のために行くのだ。命令とあらばやをえない。日本が敗れたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。 ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしだろう(森本忠夫『特攻 外道の統率と人間の条件』文芸春秋社、1992年、 123頁)」と答えたというが、 これも天皇陛下、 国家、 民族、 家族という価値の円と同心円の関係、 すなわち大家族主義の延長線上にあるのではないであろうか。 イ 武士道と忠誠心 「ムラ」社会の家長への忠誠は中世の武士社会では主君への忠誠心として広く国民の中に根付き、 また武士社会では忠誠心を発揮するために死を恐れることが最も恥じるべきこ
しかし、 「四人組」が逮捕され華国鋒が政権を握ると、 「解放前、 帝国主義は何度も海からわが国に侵入した。 現在祖国の神聖な領土台湾を解放し、 南沙群島などの島嶼を取り戻すわれわれの願いはいまだに実現していない。 ソ連覇権主義国は狂気のように砲艦外交を推し進め死にもの狂いになって海上覇権を争っている。 わが国を滅ぼそうとしているソ連修正主義者の野望は消えていない。 これらすべての事態に直面して、 我が海軍は一層発展し強大にならなければならず」と海軍強化が進められた。 そして、 一九八五年には沿岸海軍から外洋海軍への脱皮を示す新ドクトリンが示され、 一九八八年には中国海軍ナンバー二の中国海軍副司令員張序除が、 「世界には海洋に面した国家間の海洋権益、 海洋秩序をめぐる支配と反支配、 略奪と争奪反対の闘争がある」。 これに対して海軍の任務は「国家の主権と海洋権益を守るものである」と、 単に領土
ポーランドの秘められた友情 日露戦争とポーランド ポーランドの親日ぶりに関しては多くのエピソードがあるが、 この日本への好意が生まれるに至った経緯や、 その友情や好意は第二次大戦が終わり、 さらに冷戦構造が崩壊しポーランドが西欧の一国となるまでは、 ポーランドの対ソ配慮などもあり明らかにされることはなかった。 日本とポーランドを強く結び付けたのは、 ポーランドを支配していたロシアに対する日本の挑戦 - 日露戦争であった。 日露の風雲が急を告げると、ポーランド人は日本政府や日本軍の支援によって対ロシア蜂起が可能になると期待し、独立派や革命派の指導者がパリで、ウィーンで、そしてロンドンで日本の在外公館員に接近してきた。ロンドンでは独立派のイワノフ・ヨットコが駐英大使林薫にポーランド人の反ソ感情は本能的なものであり、在外ポーランド人部隊を編成し日本軍に協力したい。 満州に展開されているロシア
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『www3.ocn.ne.jp』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く