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2009年2月27日のブックマーク (3件)

  • 恥を巡って少し - Living, Loving, Thinking, Again

    さだまさと*1「恥の意識がなくなっても特に終わらない」http://d.hatena.ne.jp/sadamasato/20090218/1234933778 曰く、「"「人に迷惑をかけるような事は恥ずかしい事をしない」と言う意識というか道徳規範"は、真の意味での倫理的基盤にはなりえない」。 さて、大村英昭氏(「ネットワーク社会と「文化疲労」in 『文明としてのネットワーク』*2)は、「恥の文化」は「罪の文化」よりも人間にとってより根源的且つ普遍的であるという(pp.200-201)。それは、人間が他者に見られている、他者に晒されている存在であること、さらにはその見られていることを意識する存在であることに関わっている*3。曰く、「見られる意識の深化によって、ひとは、(動物にはない)羞恥心を持つようになり、故に、かの「罪の文化」よりはるかに普遍的な「恥の文化」をも発展させることになったのであ

    恥を巡って少し - Living, Loving, Thinking, Again
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/27
    「個体発生的にも、羞恥心は、「世間」を知る以前に、人見知りとともに、つまり他者を意識し始めるとともに発生する」しごく当然.。そもそもハイデッガーのdas Mannは近代の「大衆」のこと
  • http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/benedict.htm

    このあまりにも有名な著作を、私は若い時期には読まなかった。もちろん、その存在は早い時期から知っていたが、当時は既に書に対する諸種の批判が出ており、それを耳学問で聞きかじった私は、読むまでもなく分かっているし、その限界も露わだという先入観をいだいてしまったのである。にもかかわらず、「あれほど長い期間批判され続けつつ、それでも一種の古典としての地位を占めているのは何かあるのかもしれない」という気のすることも時折あった。そんなわけで、私の中で文化人類学への関心が高まったときに、とりあえず一応読んでみようという気を起こしたわけである。 先ず何よりも強い印象を受けたのは、第一章で述べられている方法論が私の先入観とは相当違うものだったという点である。書を読む前にいだいていた先入観をいうと、西欧にとっての異文化としての日文化への内在的理解を欠き、日文化と西欧文化を「恥の文化」と「罪の文化」という

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/27
    ルース・ベネディクト「菊と刀」
  • 優先順位問題の弱点ぶり - 今日の雑談

    もうあんまり書くことない。ただ、優先順位問題はやっぱり触れておかなきゃならんか。 。。。 菊池先生のコメントを読んでると面白くて、たとえば、 「偉そうなことを言うな」と言いたくなるのはわかるけど、「言わないよりは、言ったほうがましなんじゃないの」という程度の返事しかできません。 kikulog これはよく分かりますよね。そうそうって。こういう穏健さが好ましかったんだよなあ。これが変質したのは菊池先生のせいだけじゃないと思うけど。それはともかく、その直前はこう。 「ネットで言っててもだめ」は正論なのだけど、「だからネットに書いてないで、自分で行動しろ」と言い出すと、その言葉は自分に跳ね返って、「そんな批判を書く暇があったら、行動で示せ」となるわけですよね。それは不毛なんです。 これは、んーー???と首をひねらざるをえない。理屈がねじれている。「その言葉は自分に跳ね返る」って「自分」が同じニセ

    優先順位問題の弱点ぶり - 今日の雑談
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/27
    id:jura03さん、記事で引用してるid:NATROMさんの文は、ただのネタでしょう。もう一度、その前後とか読み返したほうがいいですよ