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ブックマーク / www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa (4)

  • 小熊英二『1968』読書ノート

    著者、小熊英二は、これまでにも一連の力作((『単一民族神話の起源』、『〈日人〉の境界』、『〈民主〉と〈愛国〉』)など)で、その力量を遺憾なく発揮しており、私の注目を引いていた。私はややもすると他人の著作を読んでその欠点に目が向いてしまうという、教育者にあるまじき困った性格の持ち主なのだが、彼の仕事に関しては、多少の部分的批判がないわけではないにしても、概して非常に高く評価してきた(1)。その彼が、一九六八年前後の日の若者たちの叛乱を主題とするを書いた。これはちょっとした事件である。ちょうどあれから四〇年を経たということもあり、刊行の時点で、世間全般でもこの主題への関心が高まりつつあった。あの時代に若かった世代の人間にとってと、当時のことを直接知らない今日の若い世代とでは、関心の持ち方も大きく異なるだろうが、とにかく四〇年前の出来事を振り返り、なにがしかのことを考えてみたいという欲求は

  • 立岩真也『私的所有論』書評(塩川伸明)

    数年前に書が出て間もない時期に、はじめて書を手にしたとき、「おわりに」にある次の文章が目に入った。 「このを書く作業の大部分は単独行としてなされた。(中略)。約二年間、ほとんど何も読まなかったと思う」(四四三頁)。 「特に誰かのアイデアをもとにするのでない、手作業によって考察の多くの部分は進められた。書かれることは特に何かの『思想』に依拠していない。ひとまず必要がなかったからだ。それに何かを引合いに出せば、それとの異同を確かめる必要がある。そのためには相手の言っていることを知らなくてはならない。注釈が増えてしまうだろう。かえって面倒なことになる。そういう作業はきっと必要なのだろうし、それを行うことによってきっと私も得るものがあるのだろうとは思うが、相手から何かを受け取るためにも、まずは私が考えられることを詰めておこうと思った」(iv頁)。 それでいながら、すぐに書を読んだわけではな

  • 丸山眞男論 (塩川伸明 読書ノート)

    丸山眞男への私の関心は、時期によってかなりの濃淡があり、ずいぶんと折れ曲がっている。最初の出会いは、高等学校に入って間もない頃、雑誌『中央公論』一九六四年一〇月号が「戦後日を創った代表論文」という特集を組んでいたなかに「超国家主義の論理と心理」が再録されていたのを読んだ経験である。いまから思えばずいぶんと無茶な背伸びをしたものだが、ともかく、何か自分がひどく偉くなったような気がしたことをよく覚えている。なお、この特集には、丸山論文の他、坂口安吾、川島武宜、竹内好、桑原武夫、福田恆存、吉隆明、梅棹忠夫、鶴見俊輔などの論文が収録されていた。高等学校に入ったばかりの私にそれらの意味がきちんと理解できたわけではもちろんないが、生まれてはじめて社会科学的文章に触れたということで、強い興奮を覚えた。これらの人の名前も、多くはそのときはじめて知ったものだが、その後長らく、私の脳裏に焼き付くことになっ

  • http://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/benedict.htm

    このあまりにも有名な著作を、私は若い時期には読まなかった。もちろん、その存在は早い時期から知っていたが、当時は既に書に対する諸種の批判が出ており、それを耳学問で聞きかじった私は、読むまでもなく分かっているし、その限界も露わだという先入観をいだいてしまったのである。にもかかわらず、「あれほど長い期間批判され続けつつ、それでも一種の古典としての地位を占めているのは何かあるのかもしれない」という気のすることも時折あった。そんなわけで、私の中で文化人類学への関心が高まったときに、とりあえず一応読んでみようという気を起こしたわけである。 先ず何よりも強い印象を受けたのは、第一章で述べられている方法論が私の先入観とは相当違うものだったという点である。書を読む前にいだいていた先入観をいうと、西欧にとっての異文化としての日文化への内在的理解を欠き、日文化と西欧文化を「恥の文化」と「罪の文化」という

    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/02/27
    ルース・ベネディクト「菊と刀」
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