サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは本日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51607219.html http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51612134.html http://taraxacum.seesaa.net/article/131535144.html#comment 世界の中の事象というものは、いずれも複雑に構成されており、様々な側面を持っている。だから、ある問題についての論を批判するさいに、そこで抜け落ちている重要な視点や論点を指摘し、そこから相手を批判することは、それ自体として議論の作法に反することではない。そもそも、論点の客観的な軽重ということに限らず、同じ問題でも、人によって、どこに関心をもつか、どこを重視するかが異なるのはよくあることだ。個人の問題意識というものは、みな同じではない。 し
§1.言語過程説の方法 時枝誠記氏の言語過程説の方法は、実際に ある場面で伝達のなかだちとなるコトバオンに研究の出発点をおくことを拒否して、「主体的意識」に基礎をおく方法です。わたくしは、この「主体的意識」が、どんな論理にみちびかれて登場したかを、まず しらべてみようとおもいます。 時枝氏は、「国語学原論」で、つぎのように論じています。≪音声は、ただそれだけ取出したのではこれを言語ということが出来ない。(10ぺ)≫ 時枝氏は、こうして音声を「ただそれだけ」とりだし、「それだけについて」みるのです。そのとき音声は≪物理的音波(175ぺ)≫にすぎません。そのため、これを言語とよぶことができません。それを理由に、時枝氏は、この音声をきりすててしまい、完全に黙殺します。同様にして、文字もきりすてられ、黙殺されます。(この文字・かきことばについて、いまは ふかく たちいらないことにします。) こうい
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く