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ブックマーク / pledgecrew.hatenadiary.org (50)

  • 「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100421/Second_Rape 一般的なものであれ、特定の人間に対するものであれ、人間の様々な行為や行動に対する批判的な言及は、人間の意識、つまりはその内面に対する問いかけを伴わざるを得ない。いささか型にはまったものが多いとはいえ、「差別」はいけない、「いじめ」はよくない、というような、よくある一般的な啓蒙だってそう。人間の意識=内面への問いかけを伴わない批判など、なんの現実的な変革ももたらさない、無力な批判にすぎない。 たとえば、アメリカでの黒人差別に反対し抗議した人らの活動は、なによりも、そのような差別を当たり前のもの、自明のこととしていた人らの意識=内面への問いかけを伴うものであったはず。そして、そのような批判を多くの人が正当なものとして受け入れた結果、現在では、少なくとも、公然たる「人種差別」は非難

    「内心の自由」ってなんなんだ? - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/04/22
    id:inukorori どこをどう読んだらそういう話になるのかな?「世界の終わり」氏について言うなら、自分が誘いをかけて振られたもんだから、意図的に曲解してdisってるだけだと思うけど
  • 議論の作法、あるいは「論点ずらし」ということについて - 遠方からの手紙(別館)

    http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51607219.html http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51612134.html http://taraxacum.seesaa.net/article/131535144.html#comment 世界の中の事象というものは、いずれも複雑に構成されており、様々な側面を持っている。だから、ある問題についての論を批判するさいに、そこで抜け落ちている重要な視点や論点を指摘し、そこから相手を批判することは、それ自体として議論の作法に反することではない。そもそも、論点の客観的な軽重ということに限らず、同じ問題でも、人によって、どこに関心をもつか、どこを重視するかが異なるのはよくあることだ。個人の問題意識というものは、みな同じではない。 し

    議論の作法、あるいは「論点ずらし」ということについて - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/02/15
    そもそも最初の議論の場で私やkirikoさんのコメントの真意を認めた時点で、彼の論は終わっていたはず。だからその後の議論はすべて筋の違う別の話。もっともその内容までは否定しませんが
  • ブコメへの補足(大幅に加筆) - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/toled/20100124/p1 PledgeCrew [在特会][支持する] 「非暴力」を旗印にした戦略家気取りのブコメには反吐がでる。問題は逮捕された少年を見捨てるかどうか。司法判断など関係ない。在特会の言うように彼が帰国子弟であるなら、彼にとってこれはただのゲームではない 一定の状況の中で、結果としてある行為をおこした者について、そこに一定の正当性を認め、そちらの側に立つということを表明したからといって、それはただちにそのような行為そのものを礼賛し、他の者にも同様の行為をとるよう呼びかけることを意味するわけではない。上の記事を読む限り、toledさんが言っているのもそういうことではあるまい。 もしも、そのような理屈が成

    ブコメへの補足(大幅に加筆) - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2010/01/27
    逮捕された少年に言われてるような背景があるのなら、行為の是非に関わらず彼を擁護するのは当然ですね。反排外主義とは誰を誰から守ることなのかって話。非暴力を口実に見放すようでは意味がない
  • その話はいくらなんでも無理でしょう - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/finalvent/20091228/1261960641 PledgeCrew 沖縄, 間違い SF講和条約で放棄した領土には沖縄を含む南西諸島は含まれてない。したがって同条約第三条での施政権の米国委託は領有権が日にあることが前提。WWI後の旧独植民地の場合とは違う。安保はただの二国間条約、無関係 2009/12/28 「前提」というのは日側の解釈で、中国(人民共和国)側はこれらの日米合意を「二国間条約」として否定する可能性がある(すでにその見解は一部出している)。また米国側は明示的に領有権については言及しておらず、おそらく日との軍事同盟がなくなった場合、領有権についてさらに沈黙する可能性がある。もともと領有権は基的に日国の問題。竹島的な状況をどう扱うかという問題にやはり帰着する。 まずはサンフランシスコ講和条約から http://w

    その話はいくらなんでも無理でしょう - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/12/28
    結局、あの記事はアメリカにたてついて日米安保廃棄とか言い出すと危ないぞといってるとしか読めませんね。別に沖縄は日本の「固有の領土」だ、などというつもりはありませんが
  • 新しい記事と過去記事の宣伝 - 遠方からの手紙(別館)

    加藤和彦、自殺の報道 http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009101700261 17日午前9時25分ごろ、長野県軽井沢町のホテルの客室で、音楽プロデューサーで「ザ・フォーク・クルセダーズ」メンバーだった加藤和彦さん(62)=東京都港区=が首をつって死亡しているのが見つかった。客室には2通の遺書とみられる文書が残されており、県警軽井沢署は自殺とみている。 同署によると、加藤さんは16日に1人でホテルに宿泊。17日午前8時半ごろ、ホテルから同署に「宿泊客の様子を確認してほしい」と通報があり、署員が駆け付けたところ、浴室内で死亡している加藤さんを発見した。 加藤さんは数日前、知人女性との電話で「死にたい」という趣旨の話をしていたという。その後、加藤さんと連絡が取れなくなり心配になった女性がホテルに問い合わせた。 女性は加藤さんが訪れそうな場所を捜していた

    新しい記事と過去記事の宣伝 - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/10/19
    ↓それは初耳ですが、芸人とかでもありそうな話ですね。黒澤明も映画が撮れなかった時期に自殺未遂を起こしたそうで
  • ほんとにうんざりなのだが - 遠方からの手紙(別館)

    承前*1 意識であれ社会であれ、なんらかの「二次的構成体」について、その基底である「一次的構成体」*2による「規定」という事実を指摘することは(あっ、駄洒落になってる)、当該の「二次的構成体」をその基底である「一次的構成体」によって「基礎付ける」ということを必ずしも意味しているわけではない。 そもそも、十分な観察や経験に基づき、かつ論理的に言っても十分な妥当性を有することを前提とすれば、ある事象に対する「基底」の指摘は基的に「事実」の問題であって(むろん、それが誤謬である可能性はあるかもしれないが)、当該の事象を他の事象によって「基礎付け」しなければならないとか、「基礎付け」すべしとかいうような「当為」命題とは関係のない話である。 実際、意識であれ社会であれ、「二次的構成体」はすでにそれ自身として成立し機能しているのだから、その「二次的構成体」については独立して論じることはできる。だから

    ほんとにうんざりなのだが - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/26
    ↓あなたには関心ないとずっと言ってる。そちらがこちらを批判したいのならそれは自由。しかしその妄想癖は直したら。何と戦ってるの?こっちは書きたいこと書いてるだけ。そのヒントをくれたことには感謝するけど
  • コメントしようと思ったけど長くなったので(蛇足的追記あり) - 遠方からの手紙(別館)

    以下は、地下に眠るMさんのところへのコメントとして書き始めたものの、長くなりすぎたのでこちらに記入することにしたものです。 http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090915/1252950872 http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20090918/1253211612 PledgeCrew [議論][すれちがい] あちらが「サル」という言葉で表してたのは文明や文化でもかわらぬ通時的な人間の基底のことでは。人間が歴史的存在であるとしてもそれがすべてではないしたとえ能が壊れていようと人間は単なるタブララサではない 2009/09/18 先端的な部分はともかくとして、物理や化学のような原理的な意味で単純な自然科学と違って、実験による検証が不可能か、または不可能に近い学問の場合、厳密な「科学」として成立させることはきわめて困難です

    コメントしようと思ったけど長くなったので(蛇足的追記あり) - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/18
    id:letterdust 価値付けの問題ではないし扱いは慎重にすべきだとも言ってる。あなたの論理だと、心理学も生理学も統計学も人類学も人間を対象にするとすべて「優生学」につながるから、研究も成立も認めないって話になる
  • 話の続き - 遠方からの手紙(別館)

    承前*1 「論理」にはつねにそれが適用される条件と範囲がある。 形式的な「論理」を、適用対象を含めて、その条件と範囲を超えて適用してしまえば、ただの空理にしかならない。 カントが言ったのは、そういうこと。 こちらが言った「犬はどこまでいっても犬」というのは、犬は人間のように知識や経験を集積して文明を築くことはできない、それは種としてのイヌが持つ生物的条件に規定されているからというだけのこと。 そのことと「女はどこまでいっても女」というのは全然関係ない。*2 こちらが言ったことをちゃんと理解もせず、また正面から反論し否定するわけでもなく、形だけ似せて、関係ない別の問題を持ち出すのはただの話のすりかえ。 だいたい、「女はどこまでいっても女」という言い方こそが、性別としての「女」と社会的に規定されたジェンダーとしての「女」を混同している証拠ではないか。 他人を批判するのはもちろん自由である。だが

    話の続き - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/18
    ↓ こちらの指摘に対して、話をずらすばかりで正面から反論したことなど一度もない人がなに言ってんの/そもそもなんで「フェミ」が関係あるの?それが筋違いなの
  • なんかうんざり - 遠方からの手紙(別館)

    「規定はされるが還元はされない」というのが、そんなに難しいのかいな。 ひとつ例をあげるなら、カント先生だって、人間の認識はその能力によって規定されるが、その内容は対象によって与えられる、と言ってます。 だから、カントによれば、人間による認識は理性と感性を含めたその認識能力に規定はされるが(もし、その能力を超えようとするなら、認識は必然的に誤謬におちいることになる。それが、カントによる「形而上学」批判の意味)、その内容は認識能力に還元できないってことになる。なぜなら、認識の対象は意識の外部に存在するのだから(内観はとりあえず別にして)。 我々の心意識の受容性は、心意識がなんらかの仕方で触発される限りにおいて、表象を受けとる能力である。そこで我々がこの受容性を感性と名づけるならば、これに対してみずから表象を生みだす能力、即ち認識の自発性は悟性である。我々の直感が感性的直感以外のものであり得ない

    なんかうんざり - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/17
    「論理」が分からぬid:Midasは一回死んで来い。論理的に十分に想定されることはそれ自身として成り立つ。還元不可能なのはそれに還元されない独立した条件もあるから。/↑? とにかくまず相手が何を言ってるかよく読む
  • 「野生の思考」から - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090903/1251954911 上で引用されている「西洋文化においては、まるで個人がそれぞれ自分の個性をトーテミズムとしているかのようである。個人の存在を所記とすれば、個性はその能記なのである。」につながる、ちょっと前の部分 このような細かな説明が不可欠だと考えたのは、種の観念や個体の観念が社会学的でかつ相対的な性質のものであることを、誤解される心配なしに強調するためである。生物学的観点から見るならば、同一人種(人種という用語が明確な意味を持つと仮定して)に属する人間たちは、同じ一の木の上に芽ぐみ、開花し、しぼむ個々の花にくらべられる。その花はいずれも一品種の標である。同様に、種ホモサピエンスの成員はすべて、論理的には任意の動植物の種の成員に較べられることになる。ところが、社会生活のために、この体系には

    「野生の思考」から - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/09/05
    ↓それってどういう被害妄想?正直言ってきもい。あれはせいぜい「代替可能性」と「代替不可能性」は様々なレベルで語れるよって話でしょ。もっとも枕としては不要か。あなたのように妙な理解する人もいるからね
  • 思ったこと - 遠方からの手紙(別館)

    「これは芸術だ!」と宣言しさえすれば、「アートは政治の外にある」*1などと、政治を含めた現実から自立しうるのなら、そんな楽な話はない。当に自立しうるかどうかは、まさにその表現の質の問題なのではないか。 そもそも表現としての表現の価値が「政治」や「道徳」によってなされるべきではないということは、その作品を政治やイデオロギーを含めた現実との関わりにおいて読むことを排除するものではない。 というか、具体的に設定された一定の状況において、ただのあやつり人形ではない具体的な性格を備えた人物が登場し、そこでなんらかの事件が起きるなら、そこに作者が無意識のうちに帯びている、政治性を含めたイデオロギーが関与し、投影され表現されるのはそれこそ当たり前である。 であれば、そのような読み方もひとつの読み方として成立するだろう。「作品」というものは、それこそいろいろな読み方が可能であり、また許されるのではないか

    思ったこと - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/08/18
    ↓おお、早い。現実問題として、イデオロギー的評価と作品としての評価をごっちゃにする人がままいることまでは否定しませんけどね
  • 新しい記事のお知らせ - 遠方からの手紙(別館)

    マイケルが死んだ 関係ない話だが、70年代には、サルトルもファノンも、左翼学生にとっては必読文献のひとつであった。なにしろ、三上寛はあの野太い声で、「サルトル、マルクス並べても 明日の天気はわからねえ」と歌い、サングラスをかけた野坂昭如は、ウィスキーのテレビCMで、「ニ、ニ、ニーチェか、サルトルか、みーんな悩んで大きくなった」と下手な歌を歌っていた時代でもある。若い人がサルトルを復権させようというのはかまわないが、そのくらいのことは常識として踏まえておくべきだろう。 題はマイケルですが、彼のことには冒頭で触れただけです。 羊頭狗肉、看板に偽りあり、ということで。 追記 関連: http://h.hatena.ne.jp/toled/9236533321110152457

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    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/07/07
    http://h.hatena.ne.jp/toled/9236533321110152457 サルトルだのファノンだのと振り回すのは、あんまし感心しないよというお話 / はい?中途半端な知ったかぶりは感心しないと言ってるのだけど ← むろんこっちの主観的感想ではあるよ
  • 過去記事の発掘 - 遠方からの手紙(別館)

    いちばん「平和ボケ』しているのはいったい誰なのか 報道によれば、田母神前空幕長は自衛隊内部に向けた 『鵬友』 という冊子の中で、「身内の恥は隠すものという意識を持たないと、自衛隊の弱体化が加速することもまた事実ではないか。反日的日人の思うつぼである」 と書いていたそうだ。 これはまた、ずいぶんと呆れた話である。「反日的日人」 とは、いったいどういう意味なのだろう。言うまでもなく、日という国はすべての国民によって構成されているのであり、国民の外部に 「日」 なる国があるわけではない。彼はいったいいかなる根拠に基づき、またいかなる権利によって、国民の一部に対して 「反日的」 などという愚劣な言葉を用い、レッテルを貼っているのだろうか。 この言葉の意味は、明らかに戦前に頻繁に使われた 「非国民」 という言葉と同じである。憲法に従えば、自衛隊もまた 「国家機関」のひとつとして、国民全体に責

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    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/06/25
    同じようなことはいろいろと覚えもあるので、人のことなど言えた義理ではないのだけど
  • 過去記事の発掘 - 「表現」に伴う責任 - 遠方からの手紙(別館)

    public という概念について(2007/12/11) 英語の単語で日語に訳しにくいものに、public という言葉がある。一般には 「公」 とか 「公共」とか訳されるのだが、どうもしっくりしない。辞書をひくと、「社会」 とか 「世間」といった訳語ものっていて、たぶんこっちのほうが来の語感に近いのだろう。 たとえば、public domain という言葉がある。例をあげれば、著作権や特許権で保護されていない、誰もが自由に利用できる技術や情報などを、public domain に属するという。また public knowledge は、普通 「公知」などと訳されているが、これも同じように、特定の個人や団体が独占しているのではない、広く一般に知られた知識のことを意味する。 「表現の自由」とは、たんなる内心の自由や思想・心情の自由とは違う。他人には見せない秘密のノートに「○○のバカ!」とか

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    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/06/17
    真理は否定の積み重ねでしか表せぬもの。これが真理だとはなかなか言えぬもの。とりあえずそれは違うよということで我慢してもらいたい。文句があるならあとは自分で考えろってことで/↑こっちはそんな話はしてない
  • 「社会的差別」とはなにか - 遠方からの手紙(別館)

    こことの関連で、「社会的差別」という問題について、ちょっと書きたくなったので書いてみる。結論をあらかじめ述べておくと、種々の「社会的差別」と、たんなる個人的な不利益一般の問題とは、まったく別の問題だということだ。そのへんをごっちゃにしてしまうと、あれも差別、これも差別、ということになって、話がどんどん拡散してしまうよと。 たとえば、先生が特定の生徒をひいきしたり、スケベな社長さんがお気に入りの女性社員を優遇するというようなことは、世間では珍しくもない。それは、たしかに他の生徒や社員からすれば不当ではある。しかし、その理由が、相手が「ゴマすり上手」とか「言うことをよくきく」、「容姿がいい」などといった、その先生や社長さんの個人的な好みや利害から発する限り、それは「社会的差別」の問題ではない(厳密に言えば、そこでもなんらかの「社会的価値観」が働いているということはなくはないが)。 「社会的差別

    「社会的差別」とはなにか - 遠方からの手紙(別館)
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    PledgeCrew 2009/06/03
    ↓ご指摘感謝、訂正しましたです
  • 丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったって? - 遠方からの手紙(別館)

    http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1241019914/553 553 :名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2009/05/16(土) 09:36:04 id:P85aKpOW0 >>551 >「日には市民革命が起こらなかったからフンダララ」 典型的な「反証不可能な議論」だよな。 そもそも、アメリカの独立戦争は「市民革命」で日の明治維新はそうでないってんだから、 最初から基準が恣意的きわまりないわけで。 要は、何が何でも日はダメだとか言いたいumetenみたいな奴の後付けの理屈。 昔のサヨの教祖だった丸山真男とかって所詮その程度でしょ。上野千鶴子と一緒で、 一般向けにはそういう俗耳に入りやすいけど根拠薄弱なことを断定的に言うみたいな。 ヨニウム先生なんかはやっぱりその辺を忠実に見習ったんだろうねw 丸山真男は、かつて共産党系などの理論

    丸山真男が「昔のサヨの教祖」だったって? - 遠方からの手紙(別館)
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    PledgeCrew 2009/05/16
    彼らの「愚かさ」までは面倒見きれませんが、「無知」ぐらいは指摘してあげましょうということで。たしかに秦が「進歩的文化人」ということになれば、丸山が「サヨク」扱いされるのも当然ではありますね
  • hagakurekakugoさんの例の発言をめぐって - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20090503/p1 ここまで来ると思想云々ってより、もはや病気の類ですね。 同じ日人ってーか、同じ人類だとは思いたくないです。 たしかに、こういう言い回しはあまりいいとは思わない。こういう言い方は好みではないし、わたしならこういう言い方はしない。 しかし、この言葉も、たとえば汚い格好をして悪臭を放っているホームレスであるとか、手足が曲がっていたり、発音が不明瞭だったりする障害者だとかに侮蔑的に投げつけられる場合と、そういうことを言う者らに対して投げ返される場合とでは、その意味する内容がまったく違う。早い話、「同じ人類だとは思いたくない」という言葉がさしている内容が、両者では全然違っているのだから、同列に扱えるはずがない。 前者は徹底して非難されるべきだが、後者の場合であれば、基的に支持されるべきだ。それを、た

    hagakurekakugoさんの例の発言をめぐって - 遠方からの手紙(別館)
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    PledgeCrew 2009/05/09
    id:plummet, ひょっとして、それはホームレスや障害者について書いたことを指しているのかな? id:nyoro22, クソをたれてんのは自分だろ。id:aksumi,「病気」という言葉はたしかによくない。ただし言葉の言い換えは無意味では
  • 一般論の正しさと個別の認識の正しさは別の話 - 遠方からの手紙(別館)

    http://d.hatena.ne.jp/matsunaga/20090421 まあ、私が違和感を覚えるのが「物事は白か黒かだ」「そして自分は白だ」「自分は白なのだからそうでない奴は黒であり、黒は容赦なく叩いてよい、なぜなら黒は黒だからだ」みたいな人たちだから、しょうがないのか。 こういうあまりに正しすぎる「一般論」というのは、しばしば逆に、自分のほうが相手の言葉に耳を貸さず、理解することを拒否するための便利な道具にもなる。なにしろ、いったん相手がその種の人間だと決め付けてしまえば、そこで話は終わりであり、それ以上、相手の言うことを理解しようと努力する必要もなくなるのだから。 世の中にその手の人がいることは否定しないし(そういえば最近もいたな)、だからそういう「違和感」を覚えるというのもありではある。しかし、「一般論」の正しさと個別の認識の正しさとは別なのだから、天下り的な「一般論」を持

    一般論の正しさと個別の認識の正しさは別の話 - 遠方からの手紙(別館)
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    PledgeCrew 2009/04/24
    アジア主義者の「理想」を称揚する論理は、かつての新左翼の「裏切り史観」と同一だというところにだれか突っ込んでほしかった。「日の下に新しきものなし」とはよくぞ言ったもの/id:Midas, お元気そうでなにより
  • 民族性と民族主義は別の問題(一部修正・追記) - 遠方からの手紙(別館)

    「民族性」というものは、その自覚の有無にかかわらず、おそらく数千年だか数万年だか前から存在する。しかし、「民族主義」はそのような「民族性」の自覚の上に成り立ったものであり、たかだか100年から200年の歴史しかない近代の問題だ。なので、この二つの問題は明確に区別しなければならない(ここまでは当たり前の話)。 実際の話、「民族性」そのものは、誰にも否定できるものではない。たとえ様々な民族の間に生まれ育った場合であっても、いかなる「民族性」も持たない人間は存在しないし、人が母語として話す言葉はすべてどこかの民族語であり、誰もがどこかの民族的文化の中で育つのだから(例外はむろんある)。もっとも、そういう民族性も永遠に不変なわけではない。 ただ、そのことと「民族主義」の問題ははっきりと区別すべきだ。「民族性」を肯定することは、それ自体「民族主義」を肯定することではないし、「民族主義」を批判ないし否

    民族性と民族主義は別の問題(一部修正・追記) - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/04/04
    nationとethnic groupの区別ですか。確かにその問題もありますね。あと離散していたユダヤ人をどこまで「民族」として纏められるかも本当は面倒な話だし、今のイスラエルの寄せ集めユダヤ人についても同じ問題はあるかなと
  • 石原吉郎の言葉 - 遠方からの手紙(別館)

    旧満州に侵攻してきたソビエト軍に「戦犯容疑者」としてシベリアに連行され、25年の重労働の刑を宣告されたのち、スターリンが死去した1953年に、「特赦」によって帰国した詩人、石原吉郎の言葉。ちくま文庫『望郷と海』に収められた「確認されない死の中で」(1969)という文の一節。強調は引用者による。 死は、死の側からだけの一方的な死であって、私たちの側 ― 私たちが私たちである限り、私たちはつねに生の側にいる ― からは、なんの意味もそれにつけ加えることはできない。死はどのような意味もつけ加えられることなしに、それ自身重大であり、しかもその重大さが、おそらく私たちに何のかかわりもないという発見は、私たちの生を必然的に退廃させるだろう。しかしその退廃の中から、無数の死へ、無数の無名の死へ拡散することは、さらに大きな退廃であると私は考えざるを得ない。生においても、死においても、ついに単独であること。

    石原吉郎の言葉 - 遠方からの手紙(別館)
    PledgeCrew
    PledgeCrew 2009/04/04
    ネット上の怪人が登場、本を読んで知識を得るのもいいが、その使い方も分からず、自分が振り回されているだけでは意味なかろう。無駄な知識をひけらかす前にまず常識を身に付けろよ