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ブックマーク / sarutora.hatenablog.com (4)

  • ジラール/ペルーティエ『ゼネストとは何か?』(1895年) - 猿虎日記

    ──ある労働者による、社会主義の先生方に対する講義── さく:アンリ・ジラール/フェルナン・ペルーティエpar Henri Girard et Fernand Pelloutier ペルーティエとこの文章の背景については『ゼネストとは何か?』についてをお読みください。 原文:http://www.pelloutier.net/dossiers/dossiers.php?id_dossier=44 (consulté le 18-07-2009) 原文掲載サイトの編者まえがき 1902年のその死までゼネスト組織委員会(のちのゼネスト宣伝委員会)のメンバーだったアンリ・ジラールの署名があるとはいえ、おそらく大体においてフェルナン・ペルーティエFernand Pelloutierひとりによって書かれた*1以下のテクストは、著者がこだわり続けた「ゼネスト」〔グレーヴ・ゼネラリスト〕grève-gé

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  • さようならCP - 猿虎日記

    さて、かつて月あんこ氏もよく利用されていると言っていた(最近は知らん)町田ソフマップに、iPodを買いに言ったのですが……。在庫なし。お金はらっとくと入荷次第連絡がくるとか。めんどくさいので帰ってきてしまった。京ポンは取り寄せ注文したのですが、なんか、iPodは「それ下さい」と買いたかった(<特に意味はない)。で、上の階のレコファンに行ったら、ずっと探していた『さようならCP』のDVD(中古)と感動的な出会い!帰ってきて早速みました。 いまごろ観たのか、と思う人もいらっしゃるでしょうが……衝撃的でした。『ゆきゆきて神軍』『全身小説家』の原一男のデビュー作(1972年作品)。ちなみに、マイケル・ムーアはたしか「原一男を尊敬しているがオレにはとてもああいうのは撮れない」というようなことを言っていた。 * * * CPとは、Cerebral Palsy=脳性マヒの頭文字である。70年代、その「

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  • 公共性の名の下に行使されるムラ社会的暴力 - 猿虎日記

    id:raheim氏の「メンタルヘルス系サイトに「無断リンク禁止」が多い件について」という文章を批判する、id:rir6氏の「『リンクは絶対に自由だ』のもとで迫害される人々」を読んだ。これを読む限り、私はrir6氏の意見にほぼ全面的に同意できるように思った。 その後、よんひゃん氏の「視線を分類する方法」を読んだ。こちらは、一読したところ、raheim氏に対して「比較的好意的な意見*1」と見える(必ずしもそうではないと思うのだが)意見。rir6氏からよんひゃん氏へのレスポンスはまだないようだが、rir6氏とよんひゃん氏の二つの文章を読んで少し考えたことを書いてみたい(raheim氏の文章はまだほとんど読んでいないので申し訳ないがさしあたり二人の文章のみを対象としたい)。 視線を分類する方法がない以上、オープンな場所にファイルを置いて、自分の望む人に閲覧してもらいたい、自分の望まない人には閲覧

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  • クソ桶のサル - 猿虎日記

    サルトルが死んだ1980年、『現代思想』誌は「特集=サルトル ある時代の終焉」を発行した(7月号)。この特集には、「特別企画=サルトルの死についてどのようにお考えですか」と題した、吉隆明をはじめとした各界39人によるサルトルの死に寄せた文章が収録されている。なんども読んでいるはずなのだが、今日ちょっと久しぶりに読み始めたら、ちょっといままでスルーしていたところが非常に面白く読めてきて、思わず読みふけってしまった。中でも、内村剛介の「クソ桶のサル」と題された一文は、非常に面白かった。もちろん、初めに読んだ時も、強烈な印象は持ったのだが、その表現に圧倒されて、あまり読み込めていなかった。今読むと、註として引用されている小山俊一氏の文章も含めて、いろいろ考えさせられた。 シベリア抑留を体験したある意味「当事者」である内村剛介氏のサルトル批判は、ソ連のラーゲリ(収容所)に関わるものであるかぎり、

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