キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…
キーボードを、持ち歩く。 久しぶりに、スマホ用のキーボードを使ってブログを書いている。 いくつかキーが壊れてしまっているので買い替えないといけないのだが、壊れるくらいには使い込んでいたんだなと思った。 当時は、今のようにPCを普段から持ち歩くことが少なかったので、出先でもブログ…
客観的に見れば明らかに限度を超えた行為が集団によって行われてしまうケース。これはいわゆる「集合知」がなぜかはたらかないケースと言えると思いますが、そういう『集合愚』としか言いようのないことが起きたとき、一体そこにはどういう問題が起きているのでしょうか。 たとえば『いじめ』は明らかにそういうケースでしょう。また、少し前の「高校野球・特待生問題」については、限度を超えた特待生制度を行っていた学校も、またそれに対する高野連の処罰も『集合愚』のごときものでした。総裁選の少し前までやたらと元気な話題だった「政治とカネ」においても、平気でやっていた政治家(後援会や事務所の人々、そして党内の人々)も政治家なら、限度を超えてどうでもいいことまで報道する側もする側…みたいな。そして今日報道されたニュースも、同じ集合愚の典型だったと言えましょう。 真相報道バンキシャ!2007/9/3(@ウェブ魚拓) 杉村太蔵
匿名者は、良いことをしたとしても無名のままで、酷いことをしたとしてもやはり無名のままだ。彼らは第三者から弁別可能な人格も表象も獲得されないので、応報戦略も通じないし、相手を貶め返すことも出来ない。匿名投稿者は何らかの人格・ハンドルネーム表象を纏って捉えられないため、人と人との関係性の蓄積を期待できる存在ではない。この点、コミュニケーションの対象として匿名者は(目の前にいる他者、と比較した場合にだが)不完全な存在として現われる。個々の発言に対して罵倒や釣りや賞賛を行うことはできるけれども、私は匿名者*1個人に対して何らかの人格表象を獲得することが出来ない。 この匿名性のメリットとデメリットに関しては、様々の意見や視点があるだろうし、これまでにも多くの人達によって十分に討議されてきたわけだけれども、この、人格表象を捉えられない・蓄積できないことに関連するであろう、或る危惧について考えてみたい。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く