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テキストサイトに関するaozora21のブックマーク (8)

  • 真性引き篭もりの活躍をテキストサイト時代の話にしないで! - ARTIFACT@はてブロ

    ※「真性引き篭もり」の表記を間違えていたのを訂正。hankakueisuuさん、大変失礼いたしました かつて、俺たちはインターネットだった - G.A.W. この記事には人が反論しているのだが、自分としても気になったので。 真性引き篭もり: 誰がブログを殺すのか。 G.A.W.のmk2さんが懐かしがっているのは10年前の2000年頃のインターネットで、おそらくテキストサイト界隈の空気を懐かしがっていると思うのだが、真性引き篭もりのhankakueisuさん(人が半角英数という表記をした記憶はないのでローマ字で)がネットにデビューしたのはブログ時代になってからだ。正確には2005年である。 そんな別の時代を一緒に語るなんてひどい!というのがオッサンとしての感想で、どうも、ブログ時代になった時にテキストサイトを回顧していたのと一緒に見えるんだよなあ。これがTwitterやFacebook、

    真性引き篭もりの活躍をテキストサイト時代の話にしないで! - ARTIFACT@はてブロ
    aozora21
    aozora21 2011/11/30
    コメント欄に近い感じ方かなあ…テキストサイト全盛過ぎてから読みだしたのではっきり境界が分からないけど、2005年、6年ごろって濃密で魑魅魍魎としていた。以降は時間が滝になっているような感じ。
  • 「テキストサイト界隈の衰退」という表現は正しいのか - テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書

    06年後半だったろうか。「Flash板(を中心とした界隈)の衰退」的な文章がよく上がってきていた。その一年前の05年はFLA板にとって波乱の年であった。のまネコ問題により板が荒らされたこと。そしてMUZO結成。商業路線への挑戦は価値のあるものであったとは思うが、同時にFlash紅白の分裂(闇鍋とslashupとnaname up)を招いてしまった。そしてyoutubeの登場。「Flash板(を中心とした界隈)の衰退」にははっきりとした原因がある。 それに比べてテキストサイト界隈の場合は「衰退した」とよく言われるが、その原因がFLA板の時と違って、はっきりしない。「侍魂とちゆの更新頻度激減」「テキストサイトの2chにおける拠点であったネットウォッチ板がネトゲ勢力に乗っ取られた」など、無理やりひねりだせば他にも色々出てくるが、どれも決定打とはいえない。テキストサイト界隈の場合は「気が付いたら話

    「テキストサイト界隈の衰退」という表現は正しいのか - テキストサイトブーム関連まとめページ制作作業の進捗報告書
  • テキストサイトが輝いていたあの時代・・・:アルファルファモザイク

    編集元:ニュース速報板より「テキストサイトが輝いていたあの時代・・・ろじぱらの中の人に訊くテキストサイトの可能性」 1 すずめちゃん(東京都) :2009/01/12(月) 19:42:09.22 ID:RK6/dfud ?PLT(12030) ポイント特典 ろじぱらのワタナベさんに聞く、テキストサイトの可能性 2000年前後のインターネットブームは、楽天amazon、また2ちゃんねるなどのマンモス系サイトだけではなく、個人運営による「テキストサイト」文化が主翼を担っていた。 こうした人気サイトは、笑えるネタやシニカルな評論などを毎日のようにアップし、「インターネット時代のエッセイスト」として多くの読者を集めた。そして、HTMLページを編集し、テイストを似せた「同人的テキストサイト」が作られるほどの一大ブームになったのだ。「どこにでもいる個人の、リアルで笑えるエッセイ」という楽し

    aozora21
    aozora21 2009/01/12
    これ読んでいて思い出した。個人的にインターネット開始十周年の年だ<2009年 十年かあ…しみじみ。
  • 古き良きテキストサイト時代 - 明日は明日の風が吹く

    『日記才人』閉鎖から1年 - 琥珀色の戯言 古き良きテキストサイト時代……あれを馴れ合いとは言いたくないなぁ。自分が作ったサイトを、そして書いた文章を誰かに読んで貰いたくて、そしてそんな場所を提供してくれたのが、ReadMe!であったり雑文速報であったり日記速報であったり日記才人であったり……それらがあって良かったって思ってる。 それは私のサイトを見て貰えたという事もあるけれど、私も良いサイトを幾つも見つける事が出来たから。そのサイトを知って良かったと思えたから。みんなは信じてくれないかもしれないけれど、「ネットにサイトを持っている者同士」というだけで、「仲間意識」を感じていた時代があったんだよ。 私は信じられる。感じていたからね。それにその頃はネットにサイトがあって、そこで活動しているという感覚、「ネットに住んでいる」感覚があった。そこに「生きている」感覚があった。ネット住人としての意識

    aozora21
    aozora21 2008/07/17
    『あれを馴れ合いとは言いたくないなあ』日記才人は微妙な距離感が好きでしたね…私は2004年ごろ、もう隆盛期を過ぎてから登録したからでしょう。
  • 『日記才人』閉鎖から1年 - 琥珀色の戯言

    独酔亭日乗 7月15日 『日記才人』閉鎖から、もう1年も経ってしまったのか、というのと、まだ1年しか経っていないのか、というのと。 1年前はあんなに感傷的になっていたのになあ。 今年の2月には、『Read Me!』も完全に閉鎖され(というか、メッセージだけはまだ残されていますが)、いわゆる「昔ながらの(善くも悪くも「馴れ合い」的な)テキストサイト、日記サイト文化というのは、もう、ほとんど失われてしまったかのように思われますし、いま、新しくブログを書き始めた人たちが、誰かに読んでもらおうと思ったときには、いったい、どういうふうにして「アクセスアップ」(これすらも、もう「死語」に聞こえてきます)を試みているのでしょうか? 地道にトラックバックを送っていくか、一か八か他所にケンカを売ってみるか、あるいは、『mixi』でクローズだけど「誰かが読んでくれること」を保証された空間で書くことを選ぶのか。

    『日記才人』閉鎖から1年 - 琥珀色の戯言
  • id:asianshore氏の文章テクニックに畏怖する - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記

    まず、これを読んでください。 →兄の人生の物語 - ロハスで父が死にました 兄はいつも飛び跳ねていた。羽虫のような低い唸り声を上げながら、顔の前で何度も両手を叩き合わせ、小刻みに飛び跳ねていた。それは私が物心ついたときから目にしていた兄の癖だった。兄は外出先でも同じように飛び跳ねた。そして公衆トイレに異常なまでの執着を見せた。兄は公衆トイレを見かけるたびに、尿意が無いにも関わらず走っていっては、その前での記念写真をせがむのだった。 ふつうに感動します。 つぎに、これ。 →自慰コンドーの日記 - ロハスで父が死にました オナニーをしていて、「ああ、今の自分はオナニーをしすぎだ、もうこれ以上オナニーをしたら体が壊れる」とか思うことって結構あると思うんですけど、実際はそう思ってから少なくとも5回くらいは壁を越えられる気がします。 あまりのくだらなさに涙が出てしまいます。 ちなみにオリジナルはこち

    id:asianshore氏の文章テクニックに畏怖する - 愛・蔵太のすこししらべて書く日記
  • 俺誰 - おれはおまえのパパじゃない

    逆リンク! http://www.suzaku-s.net/2007/03/hatena.html http://d.hatena.ne.jp/Another-Piece/20070310/p1 全然話の流れを無視しますけども、俺も自己評価はやっぱりテキストサイトの人で、だけど誰もテキストサイト時代の俺を知らないのでいつのまにかはてなの人になってて、今やそれすらも忘れ去られて、大多数にとって「誰おまえ」っていう状態なんだと思った。割とそういう状態は心地よかったりしますけども、やっぱり自己同一性を完全に無視された状態で個別エントリにさまざまな感想がつくと、「んー」ってなったりもします。たとえば、手前味噌な話で申し訳ないですけども、「はてな」の巻頭に寄稿させてもらった、黎明期のはてなに対する期待を込めた文章とか、そういったことはブクマ勢の人たちはまるで知らないわけで、「バラエティー番組で好

    俺誰 - おれはおまえのパパじゃない
    aozora21
    aozora21 2007/03/10
    『これからもうろんな昔話を語り続けるしかないな、と思った。』語り続けてくださいね。
  • 九十九式の活動停止と「テキスト系サイト」の現在 - 琥珀色の戯言

    テキストサイト『九十九式』の歴史 ↑を読みながら、かなり感傷的になってしまいました。ああ、活動終了なんだ、『九十九式』。僕にとっての『九十九式』というのは、まさに「ザ・テキストサイト」とでも言うべき存在で、その更新様式とか語り口とかネタとか他のサイトとのつながり方とか、その「テキストサイト的なもの」のすべてにおいて、ひとつのゴールデン・スタンダードだったような気がするのです。 でも、その一方で、『九十九式』のこの「区切り」のエントリを読んでいて、閉鎖の寂しさというよりは、むしろ爽やかな「やり遂げた感」みたいなものが伝わってくるのは、まだこちら側にいる僕としてはちょっとせつなかったりもするんですよね。 ところで、僕がこのエントリを読んで、いちばん印象に残ったのは、この部分でした。 九十九式が事故に巻き込まれて真っ白になっていた空白期間に、「夏の自由研究」と称して、別の場所でブログをやってみた

    九十九式の活動停止と「テキスト系サイト」の現在 - 琥珀色の戯言
    aozora21
    aozora21 2007/01/07
    『「ある程度自分が書きたいことを書いた上で、多くの人に伝わるための公式」みたいなものだと思うのですが、それは、僕にとってはまさに「神の領域」』
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