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思考とⅤ保存に関するaozora21のブックマーク (3)

  • みな論理的に話をしている

    1. 自分を論理的だと信じている人達(苦手な女性の共通点)、、(ちゃんみつさん) 以前も書いたのだけれど、感情論はたいてい、論理がしっかりしている。 私は白い壁が好き+あなたは壁にポスターを貼るのが好き+あなたにとってポスターを貼ることより私の気持ちの方が大切なはず→我慢してくれるわね? といった感じ。(大筋で)論理の破綻はない。無論、前提がひっくり返れば結論は変わりますけれども、話者の想定している条件が満たされている限りは、おかしなところはありません。 id:chanm さんがもうひとつ問題視しているのは「屁理屈」ですが、これもたいてい、論理はしっかりしています。 「感情論」や「屁理屈」がなぜ反対者への説得に効果的でないのかというと、論理に誤りがあるからではなくて、前提条件への同意が得られないからです。もっと書けば、「感情論」とか「屁理屈」といった呼称は、(多くの場合)前提条件に同意でき

    aozora21
    aozora21 2006/06/07
    『それを「常識」とみなす「私」の世界観との対立があるだけのこと』
  • あいまいさのもたらす豊かさ - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 病室の中に心電図モニター置かれるようになってから不自由になった。 どうしようもない病気で亡くなる人の病室。 昔は、家族の方が病室に集まって、人が息を引き取るのをずっとみていた。 息が止まってから、実際に心臓が止まるまでの間には、けっこうな時間がある。 医者はみんな、ナースルームでモニターをみていて、 心停止が何分か続いたのを確認してから病室にいく。 死は「見送る」ものだった。 移動可能な心電図モニターが安くなって、 個室にもモニターが入るようになった。 心電図モニターは、生死の境界を可視化する。死は見送るものから、「待つ」ものへと 変貌した。 今は、息を引き取る患者さん自身を見る人なんか誰もいない。 みんな心電図モニターい入るように見つ

  • 隠す戦略と見せる戦略 - レジデント初期研修用資料

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 大学の研究室には何台ものパソコンが並んでいて、なんだかみんな楽しそうだった。 小学生だった当時は、何をしているんだか全く理解できなかったけれど、 遊ばせてもらったゲームソフトの面白さだけは覚えてる。 ご尊を見る不幸 昔は大学が遊び場だった。 子供に親の仕事場を見せるのが流行っていたらしい。工場に行く子供。会社に行く子供。 社会勉強の体験を感想文にして、クラスで自慢する。自分が連れて行ってもらったのは大学の研究室。 父は何だか「音の研究」をしているとか言っていたけれど、小学生にはどうすごいんだか理解不能。 それでは感想文が書けないので、「スーパーコンピューターを見せてあげよう」という話になった。 スーパーコンピューターと聞いて頭に浮かぶのは、

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