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大谷翔平
n-shikata.hatenablog.com
1. 本稿の課題 従来の「部落史」研究における通史的叙述、あるいは現在の「同和教育」の場で一般的と思われる「部落史」のイメージは、次のようなものだろう。すなわち、徳川幕府の独断的な権力が、当時における人口の九割を占めていた農民の不満をそらす目的で、エタ・カワタと呼ばれる身分を、「士農工商」の身分制度の下に新たに作った。さらに幕府は、農民に対して「上見て暮らすな下見て暮らせ」と教え、より低い身分に置かれたエタ・カワタの人々への苛烈な差別が行われるようになった。そのような差別的状況を打破するために、エタ・カワタ身分の人々は「渋染一揆」などの事件を起こし、権力への「抵抗」を行った。現在では「同和事業」の推進によって、「部落」における人々の生活は改善されているが、結婚や就職などの形で、今でも「差別」を受け続けている。我々は高い人権意識をもって、「同和問題」に取り組むべきであろう――と。
言葉の〈始原〉とコスモロジーー幕末国学言語論の思想的位相.pdf - Google ドライブ 一.問題の所在 今の世に古学と称して、哥道立る徒。蟻の如く多かるに。其先生のたちの伝を物するに。契沖。県居。鈴屋をし。三哲などを称して。此大人の事をば。都に称するなきは。其徒みな哥作者にて。道の本義を知らざる故に。哥学の方より然は思ふにぞ有りける。*1 皇国の古伝説は、天地いまだ成らざりし以前より、天つ御虚空に御坐して天地をさへに鎔造ませる。産霊大神の御口づから、天祝詞もて、皇美麻命の天降坐る時に御伝へ坐ると、其五百座の御子神たちの、裔々の八十氏々に語り継たる、或は世に弘く語り伝たるも有が中に、天祝詞なる伝は、古伝説の本にて正しき由よし〔中略〕日本紀古事記なる伝は、世に弘く伝はりたるを集め記されたる故に、自然に訛れる伝へも交れるを、祝詞の伝へにて正し辨ふべき〔後略〕。*2 平田篤胤(1776-18
〈目次〉 1 はじめに 2 〈回想〉する井上哲次郎―もしくは「詩」の名付け 3 〈長さ〉と〈わかりやすさ 1 はじめに 井上哲次郎(1885~1944) という人物は、いくつもの「問題」を孕んでいたのにも関わらず、「国民道徳論者」として後年の研究者たちから〈断罪〉を受け、ある意味で「近代日本」の負 の側面を一身に背負った人物として紹介ないし説明されることが多い。その故だろうか、実は井上哲次郎をまともに取り上げた研究はそんなに無いという事実に すぐ我々は行き当たる。それは、「井上哲次郎は保守的な国家主義者であり、急進的なイデオローグだったから、ことさら井上の文章を論じて批判し取り上げる 必要は感じない」という研究者側の勝手な暗黙の了解が為されてきたことによるものである。だが第1回 報告で磯前順一氏がかかる研究者の立場は繰り返し批判されるべき視点であることを言っており、これまでの井上哲次郎に対
〈神代文字〉の構想とその論理.pdf 1.はじめに 近年の国学論、とりわけ国学言語論をめぐる議論の基盤には、《音声中心主義批判》とも言うべき一つの流れが ある。それらの先行研究では、一八世紀徳川日本という思想空間内部において、本居宣長が『古事記伝』によって為した〈始原〉としての「ヤマトコトバ」の語り出しが、〈日本〉という共同体の形成を画定させ、そのイデオロギーが内包する意味づけを示した1。その論点 にはいかに国学言語論が、「漢字」という《書記言語》を排除し、《音声言語》としての「ヤマトコトバ」という理念に依拠したイデオロギー的作業であったのか、という問題に帰着することができる。 だが、これから主題とする一九世紀における徳川日本の国学言語論が見せる相貌は、宣長によって惹起される《音声中心主義》と重なり合いながらも《変奏》を奏でる。そして《外部=他者》が介入し、邂逅した瞬 間、「ヤマトコトバ」
表象〈07〉 作者: 表象文化論学会出版社/メーカー: 表象文化論学会発売日: 2013/04メディア: 単行本この商品を含むブログを見る 昨日届いた『表象07』を先ほど拝読しました。 今回の特集は、「アニメーションのマルチ・ユニヴァース」。 本特集が主に対象としているのは、「クールジャパン」に代表されるような、ありがちな「アニメ文化論」を相対化し、むしろ歴史的な「厚み」を持っている視覚芸術としての「アニメーション」をめぐる問題系について、対談・論考・インタビュー・翻訳などから再考を試みており、大変興味深いものでした。 土居伸彰さんによる「イントロダクション」には、本特集の意図が次のように書かれています。 この特集が目指すのは、アニメーションをめぐる「夢」の話を一度リセットして考え直すということだ。そのためにまず、アニメーションの多元宇宙性を描き出し、アニメーションをめぐる自意識の相対化が
リキッド・モダニティ―液状化する社会 作者: ジークムントバウマン,Zygmunt Bauman,森田典正出版社/メーカー: 大月書店発売日: 2001/06メディア: 単行本購入: 5人 クリック: 79回この商品を含むブログ (37件) を見る レジュメはリンクからダウンロードできます。 1.はじめに 本報告は後半部分の簡潔な要約を適宜しながらも、報告者の考察も加味していきたいと考えている。バウマンが本書において、現代を「流動的近代」と名付けたが、バウマンは、「流動的近代」は、ポスト・パノプティコン時代に入っていると明言している。 パノプティコンとはいうまでもなく、支配/被支配の生産される関係をフーコーが提示した「権力」モデルのことであるが、そこでは、一人の人間が「責任の被拘束性」を負うことになる。そして、パノプティコンという施設自体の「場所の被拘束性」も一人の人間が負う。そのようなモ
日本思想という問題―翻訳と主体 作者: 酒井直樹出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1997/03/14メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (6件) を見る 興味のある方はPDFファイルでダウンロードしてください。 1.要約 一 問いの設定 なぜ改めて「日本」の思想が問われなければならないのか。あるいは日本の「思想」が問われなければならないのか。なぜ日本思想が問題として提出されなければならないのか。歴史学、文学、哲学といった人文科学に包摂される分野だけでなく、社会科学を含めて「思想」が論じられてきたことは言うまでもない。つまり、人文科学そして社会科学が「思想」として考察されることがひんぱんにあった。……、しかし、「思想」なる語が「日本」と結びつき「日本の思想」となるとき、事態は新たな次元を加えると考えた方がよいのではないか。(p35) そこで、「日本の思
興味のある方はPDFファイルでダウンロードして下さい。 1. はじめに ◎ 皆川淇園・富士谷成章・富士谷御杖 →従来の研究を振り返ると、竹岡正夫(1963)・戸川芳郎(1980)・櫻井進(1982・1983)・野口武彦(1993)・浜田秀(2000・2002)・肱岡泰典(1996)などにより、皆川淇園の言語論(「開物学」)をめぐる方法へのアプローチがなされてきた。 →皆川淇園における「開物学」は難解ではあるが、荻生徂徠の「古文辞学」を批判的視座として見据えつつ、〈文〉・〈字〉・〈声〉への根源的解釈を切り拓く。 →皆川淇園の「開物学」は、富士谷成章・富士谷御杖父子も、多大な影響を受けていることを、多くの諸氏が述べている。 →もちろん、「影響」という観点からいえば、かかる指摘は間違いないであろう。しかし問題は、どのようなパースペクティヴで考察すればよいかということ。 →本報告では、間テクスト的
「国文学」の思想―その繁栄と終焉 (学術叢書) 作者: 笹沼俊暁出版社/メーカー: 学術出版会発売日: 2006/02メディア: 単行本 クリック: 20回この商品を含むブログ (4件) を見る 興味のある方はPDFファイルで、ダウンロードしてください。 1 いま書店を見渡すと、サブカルチャーやネット言説を論じる書物が、店頭に並び隆盛期を向かえている。それらは「現代文化」を分析し、またそれに新たな意味を付与することに積極的にみえる。例えば、オタク・ブログ・恋愛・ニート・若者世代・下流社会などであろう。そのような動きのなかで、埋没してしまったのが「文学研究」である。現代において、「文学」を、あるいは「文学研究」を問い直すことにどれほどの意味があるのか。そのようなジレンマに苛まされることがたびたびある。それは書店の光景だけでなく、アカデミズムにおける現在の風景ともパラレルなものだろう。つまり、
“朝鮮”表象の文化誌―近代日本と他者をめぐる知の植民地化 作者: 中根隆行出版社/メーカー: 新曜社発売日: 2004/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 12回この商品を含むブログ (3件) を見る PDFファイルを興味があればダウンロードして下さい。 1 今年9月に公開された、ペ・ヨンジュン(배용준)主演「四月の雪」へのメディア報道の過熱ぶりを見ると、日本中の話題をかっさらった「韓流」ブームは、未だに健在なのだと評者は改めて思った。「ヨン様」と「ジウ姫」は、相変わらずの人気だし、「韓流四天王」という言葉も、記憶に新しいところである。さらに「韓流」俳優のメディア露出度は今年になっても衰えを見せないし、またあれだけ流れた「冬のソナタ」主題歌と挿入歌の数々は、現在でも「定番ソング」として聞く機会がある。日韓共催のW杯と「韓流ブーム」のおかげで、つい最近まで「近くて遠い国」と呼ばれ
国文学の時空―久松潜一と日本文化論 作者: 安田敏朗出版社/メーカー: 三元社発売日: 2002/04メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 7回この商品を含むブログ (3件) を見る PDFファイルで、ダウンロードできます。 1 90年代以降、国民国家論やカルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアルやジェンダー論といった横文字の思想潮流の影響を日本の学界は受け、冷戦構造下における二項対立的な世界秩序の中では、表舞台に上がることがなかった問題が取り上げられるようになり、近代を強固に支えてきた「国民」概念は問い直されるようになった。そして「国民」を構成する役割を担ってきた「近代知」批判を目的とした書物が書店の店頭に並ぶようになって、もう随分たっている。 「日本人の美意識」や「日本人の精神」とは、一体いかなる性質を持つものであるのか。このような問いは、近代以降つねに「問題」として繰り返さ
「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策 作者: 長谷川亮一出版社/メーカー: 白澤社発売日: 2008/01メディア: 単行本購入: 2人 クリック: 20回この商品を含むブログ (7件) を見る PDFのファイルをダウンロードしていたければ、幸いです。 1. まず、本書がテーマとして追究する「皇国史観」をめぐる問題が設定されるという事態が、どのような意味を持つことなのかを考えてみよう。90年代に入り、自らを「中立」に立つことを表明し、これまでの教科書における歴史叙述を「自虐史観」と名づけ、《歴史は物語にしか過ぎない》というテーゼが、歴史修正主義者たちによって打ち出された。その発端は、言うまでもなく、「新しい歴史教科書をつくる会」による挑発から始まったと言える。しかしその内実は、新自由主義と新保守主義とが同居する、ある意味でコインの表裏にしか過ぎないのだ
リンク元→https://ssl.form-mailer.jp/fms/f4072aad141717 この声明に関しては署名活動もしています。 以下転載していただきます。 ハンガリーの窮状と危機にかんする声明 私達は、「体制転換」以後の貴国の状況を希望と憂慮とをもって見つめて参りましたが、昨年4月の政権交代以降、ハンガリー社会に生じている事態、とりわけ「メディア法」の制定と施行には、きわめて強い危惧を抱いています。 特に、ヘラー教授、ヴァイダ教授、ラドノーティ教授等、「メディア法」に対して批判的な意見を表明したハンガリーの哲学者たちが「リベラル=ユダヤ系」と特定され、研究資金の不正使用との嫌疑で告発されています。疑惑は厳正な調査によって究明され、公正に判定されるほかありません。デモクラシー的寛容の精神のもとに、真実が明らかにされるよう希望します。 また、私達は「ルカーチ・アルヒーフ」の将来
私は昨日になり、この問題について知りました。 ドイツ・ヴッターハール大学教授で、主に現象学を専門としているラズロ・テンゲイ(Laszlo Tengelyi)氏は、ハンガリー政府による哲学研究への抑圧を強く抗議し、様々なメディアに呼びかけて、署名活動をしています。 テンゲイ氏は、以下の著書を刊行しています。 Wild Region in Life-History (Studies in Phenomenology and Existential Philosophy) 作者: Laszlo Tengelyi出版社/メーカー: Northwestern Univ Pr発売日: 2003/03/19メディア: ペーパーバック クリック: 1回この商品を含むブログ (1件) を見る テンゲイ氏の公開書簡 この問題の概要は、一橋大学の大河内泰樹先生がまとめておられます。 ハンガリー政府による学術への
郵便区分稼業に、仕事納めも仕事始めもない気がします。 もう元日から仕事なので。。。 一応、今日で仕事納めです。 仕事頑張ります。 Newton(ニュートン) 2018年 02 月号 [雑誌] 出版社/メーカー: ニュートン・プレス 発売日: 2017/12/26 メディア: 雑誌 この商品を含むブログを見る 実はこういう世界も大好きなのです。 体調不良で仕事から早退。 立て直して、心療内科に行ってきます。 今月はあまり芳しくないです。 先ほど、仕事から帰宅しました。 メガネ新調しました。 詳しく聞くと、メガネの耐久年数は3年から4年とのことでした。 視界が暗く感じてきたら、メガネを変えるサインとして考えていいそうです。 明日は通院日です。 といえば、 聖闘士☆聖矢を思いだすとです・・・。 昨夜は薬飲んで安静にしていました。。。 他に特に何も。。
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