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都知事選
ameblo.jp/shintomasuzoe
岸田文雄とは、国会議員や閣僚のときに一緒に仕事をした。第一次安倍改造内閣、福田内閣では、彼が内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、科学技術政策)で私が厚労大臣だった。 物腰も柔らかで、そつがなく、論戦を好まず、まさに紳士といった感じであった。政策能力も抜群で優秀であるが、とにかく目立たない。 野人が多い政界では、例外である。閣議の席でも、岸田が重要な発言をしたという記憶がない。野人が多い政界では、例外である。 いま思い出しても、石破や菅とは違って、言い争ったり、喧嘩したこともない。端的に言えば、岸田とは「面白いエピソードがない」のがエピソードである。 岸田の伯父は宮沢喜一元総理である。宮沢首相にはたいへんお世話になり、酒の席もよく一緒にしたことがあるが、岸田の父君、岸田文武元衆議院議員も同席することがあった。宮沢がいつも「文武さん、文武さん」と言って語りかけていたのを思
安倍後継候補の1人である石破茂との思い出話を書いてみる。 石破茂も私も専門が安全保障なので、自民党の外交防衛政策の立案に共同して当たったが、学者的な理論を展開して、仲間の政治家に煙たがらた「嫌われ者」という点でも私に似ている。 自民党の新憲法起草委員会(2005年)では、第9条の改正について、「国防軍」案の石破と「自衛軍」案の私が対立する。石破は、私に対して『あんたは、それでも学者か、論理の整合性がないではないか』と噛みついた。私も負けておれないので、『あんたは、それでも政治家か。9条を一日でも早く改正することが大事ではないのか』と反撃したのである。 私が厚生労働大臣として仕えた福田内閣、麻生内閣では、石破は、それぞれ防衛大臣、農林水産大臣の役職にあり、二人で協力して国政を進めた。予算委員会では、私に質問が集中すると石破が一休みできるし、逆に石破が答弁席に立つと私が息抜きできる。そこで、委
2009年の新型インフルエンザ発生のときも、厚労大臣の私は、感染拡大と経済社会活動の継続のバランスをとることに腐心した。 橋下大阪府知事の懇請に対して、早速手を打つことにした。しかも、5月19日午前零時現在で、国内感染者の数は163人になり、もはや感染源や感染経路の特定は困難になっていった。 それに加えて、専門家が新型インフルエンザの毒性は弱く、通常のインフルエンザ並という評価を下しているので、私は、対策をより柔軟化・弾力化する方針を固めた。 具体的には、強毒性ウイルスを前提にした政府の行動計画では、軽症者も含めて入院治療することになっているが、これだと病院がパンクしてしまう。実際に神戸や大阪の現場では野戦病院のような状況で、医師等の人員不足、医療機関の施設不足など様々な問題が生じていた。 そこで、私は、軽症者は自宅療養に切り替える方針に転換することを考えた。 このような方針転換が正しいの
2013年1月の立候補ファイルでは、新規恒久施設等の整備は1538億円と見積もられていたが、9月に招致が決定してから再検討すると、4584億円と実に3倍にも膨張することが分かった。 そこで、財政の制約、環境との両立、選手にとっての利便性、後利用の採算性などについて、厳しい視点から検討し、すべての建設計画について見直すべきだという結論に達したのである。 大会会場の見直しについては、「見直す」という私の決意が伝わっていたのかどうか分からないが、むしろ森会長のほうから口火を切られたように記憶している。組織委員会は2014年1月24日に正式に発足したが、10日前の14日に森元総理が会長に決定している。そして、その4週間後には私が都知事に就任している。 森会長は、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会の評議会議長ではあったものの、招致ファイルの中身を記したのは都庁の担当職員であり、詳細を
「法の支配」の形骸化に拍車をかけているのが、ネット社会である。 技術の進歩は社会を大きく変える。私たちが大学生の頃は、400字詰め原稿用紙にペンや鉛筆で文章を書いて、それを郵便で送るのが一般的であった。飛脚が郵便に代わったとはいえ、江戸時代とあまり変わらない。 その後は、ファクシミリという通信手段も大いに活用したが、原稿用紙は愛用していた。しかし、ワープロの普及とともに、読みにくい手書き文章は敬遠されるようになっていった。今では、スマホやパソコンを使ってインターネットで世界中に発信するのが当たり前になった。 書籍にしても、紙から電子へと変わっていっている。ITの進歩は、ビジネスモデルや人々の日常生活を一変させるだけのインパクトを持っている。 電子社会、ネット社会は政治にも大きな影響を与える。2013年4月に公職選挙法が改正され、インターネットを利用した選挙運動が可能になり、同年7月の参議院
日産のカルロス・ゴーン会長が逮捕されたが、ルノーは私のフランス留学の思いでの車でもある。第二次大戦後に国有化され、ルノー公団となったにもかかわらず、民間会社よりも優れた成果を上げている。 そのことは、ルノー公団の総裁を20年間にわたって務めたピエール・ドレフュス氏が語っているが、その象徴が大衆車「4CV」の成功である。フランス語でcheval(馬)の複数形がchevauxで、略してCVと書くと馬力を意味し、「4CV」とは4馬力という意味である。 グルノーブル大学で語学研修を始めたときに最初に知り合いになったジャンリュックが乗っていたのが、この「4CV」であった。日本の重厚な車になれていたので、ブリキ板で作った軽くて安っぽい感じで馬鹿にしたくなる気分であった。 しかし、実際に乗ってみると操作しやすいし、燃費も抜群で、自分で修理もできる。とにかくよく走る。それに、大学院生でも購入できる価格の安
韓国の最高裁が、戦前の「徴用工」に関して、日本企業への賠償を命じる判決を下した。1965年6月に締結された日韓請求権協定によって、請求権問題は「完全かつ最終的に解決された」はずである。文在寅大統領仕えた盧武鉉大統領も、そのことを確認している。このような判決は、国際法違反でもあり、日韓関係を悪化させる。 私の父の戦前の選挙ビラにハングルのルビがふってある理由を調査したが、多くの日本人が、そしてほとんどの韓国人が知らない歴史的事実が浮かび上がってきた。それを紹介する。 * * * 私の父、舛添弥次郎が立候補したのは、普通選挙法(1925年)1回目の若松市議会選挙である。この選挙については、火野葦平の小説『花と龍』に詳しいが、父は、若松を支配した吉田磯吉の傘下で、政友会と対立する民政党側から立候補した。 若松港は、日本最大の石炭積み出し港であり、活気にあふれ、多く
西部邁の最初の評論集は『大衆への反逆』(1983年)である。その最後の「反進歩への旅:あとがきにかえて」の中に、「現代における最大のタブー、それは大衆を批判することである。私がなぜこのタブーを侵すようになったか、しかも自分の怯懦と脆弱をよくわかっていながら、なぜそうするようになったか、その経緯は定かではない」という文章がある。 自ら78年の人生に幕を閉じた西部を葬送するのにふさわしいのは、やはりオルテガ・イ・がセットの『大衆の反逆』(1930)から、私が気にとめた言葉を書き出すことであろう。 * * * 「大衆が完全な社会的権力の座に登った。」 「近年の政治的変革は大衆の政治権力化以外の何ものでもない。」 「今日われわれは、残酷な大衆支配のもとに生きている。」 「今や大衆は、完全に無比無敵、絶対的な形で社会的権力を所有している。・・・ところが、それにもかかわらず
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4月28日、衆議院の3つの補欠選挙が行われた。島根1区、東京15区、長崎3区である。昨年秋に、自民党派閥のパーティ券問題が明るみに出て以来、初の国政選挙である。 補欠選挙とは、議会における議員の欠員を補充するための選挙である。9月16日から翌年の3月15日までに欠員が生じた場合には、4月の第四日曜日に補欠選挙を行う。3月16日から9月15日までに欠員が生じた場合は、10月の第四日曜日が補欠選挙日となる。当選者は、前任者の残任期間を在任する。 島根1区は、細田博之前衆議院議長の死去に伴うものである。東京15区は、柿沢未途前法務副大臣が公職選挙法違反の罪に問われ、衆議院議員を辞職したことが理由である。長崎3区は、自民党派閥のパーティ券問題で谷川弥一代議士が辞職したことによる。 島根1区は、自公の推薦候補である錦織功政と立憲民主党元衆議院議員の亀井亜紀子の与野党対決で、野党が勝った。しかし、自民
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