先日の土日にて読了。 やれやれ、この作品は実にメタ的な作品である。 いや、メタ的というより、メタそのものが作品の主題といったほうが正確だろうか。 読者を小説の中に引き込み、文字通り「参加させる」という構造を持つ『朝のガスパール』は、筒井康隆が80年代に書き上げた、いわば小説そのものの定義に挑んだ挑発的な一冊であった。 あらすじ、といってもこの作品に「あらすじ」を語るのは難しい。 冒頭から読者は「読者」として物語に巻き込まれる。 物語というよりも、筒井康隆が直接話しかけてくるような感覚だ。 そして、そこには作者と読者の境界が曖昧になる仕掛けが満載されている。 章ごとに視点が切り替わり、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが虚構なのかが次第に崩れていく。 その結果、「これは読者が読む小説ではなく、読者が小説を構成する存在である」という、今で言うメタフィクションの極北にたどり着く。 感想とし