愛の反対は憎しみではなく無関心、という話題があるが「無関心」より「弱者男性」の方が愛の対極として適切ではないだろうか 弱者男性は誰からも愛されることはなく、また誰かを愛することもない。あるのは身勝手で薄汚い醜い性欲だけである オナニーで性的消費してるだけのキャラクターを「俺の嫁」などと称する異様な気持ち悪さは彼らに特有のものだ 障害者や他の弱者属性は社会的な愛による支援を受けておりこの点で弱者男性とは区別可能である 「弱者男性とはなにか」というテーマは長らくはてな諸賢を悩ませ、また論争となってきた令和の難問だが この考え方によって解決の光を見いだせるのではないだろうか。識者の検証をお待ちしております