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神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人を殺害し、殺人などの罪に問われた植松聖被告(30)の裁判員裁判が1月8日に始まりました。公判は16回、既に結審し、判決は3月16日に言い渡される予定です。植松聖被告が繰り返す「障害者なんていなくなればいい」という発言は、日本社会に様々な波紋を広げてきました。被害者のほとんどが匿名で審議されていることを含め、この事件が社会に投げかけたものは何か。脳性まひの障害を持ち、障害者と社会のかかわりについて研究を重ねてきた、東京大学先端科学技術センター准教授、熊谷晋一郎さんと考えます。 他者が発信しているメッセージを、どのくらい拾ってきたか 安田:まずこの事件を最初に報道で知った時、熊谷さん自身はどう受け止めたのでしょうか? 熊谷:報道で知った直後は、自分の感情を自覚できなかったのですが、そのあと数日間、体調不良が続いていました。身体が重いよ
2023年5月に刊行した書籍『国籍と遺書、兄への手紙―ルーツを巡る旅の先に』に収録されている「第3章 ルーツをたどって」から、一部を抜粋して掲載します。 2020年6月、東京では都知事選が目前に迫っていた。といっても、駅前の街頭演説に人だかりを作れるような状況ではない。テレビ討論会も開かれず、かろうじて報じられることといえば、各候補のコロナ対策が主だった。 そんな中、投開票日直前のネット番組に出演した現職の小池百合子氏は、「追悼文」の問題について司会者から問われた。毎年9月、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者を追悼する式典が墨田区横網町公園で開かれている。それに際し、歴代の知事は追悼文を寄せてきた。マイノリティへの差別発言を繰り返してきた、あの石原慎太郎知事でさえ、だ。 ところが小池知事は、2017年からその送付を取りやめている。加えて式典のために必要な横網町公園の使用許可申請の受理を、都
2023年6月、人道上の問題が指摘されながらも、出入国管理及び難民認定法(入管法)の改定案が可決されました。さらに今国会で審議中の法案には「永住権の取消」が盛り込まれ、様々な形で日本に滞在する人々から不安の声があがっています。 6月から施行される「監理措置制度」や3回目の難民申請中の強制送還、そして司法の介在なく無期限収容が可能となってしまう体制は放置されたままである点など、入管法を取り巻く問題は山積みです。 本来あるべき法制度は何か、先日、控訴審判決が出た、カメルーン人男性の収容中死亡事件や、ウィシュマ・サンダマリさん死亡事件などで弁護団を務める、弁護士の高橋済さんと一緒に考えていきます。 高橋済さん(本人提供) 公園の川を越えられない?仮放免の子どもたち ――高橋さんには新刊書籍『それはわたしが外国人だから?―日本の入管で起こっていること』(著 安田菜津紀 絵・文 金井真紀)で法監修を
この対応が違法でなければ、いったいこの社会で何が「違法行為」に該当するのだろうか。母子不当聴取裁判の一審判決では、原告の訴えが退けられた。 東京地方裁判所。(安田菜津紀撮影) 3歳の娘を警官ら複数人で聴取 事件を改めて振り返る。訴状や代理人弁護士らによると、2021年6月、都内に住む南アジア出身のムスリム女性、Aさんが近所の公園で3歳の長女を遊ばせていたところ、突然園内にいた男性B氏が大声を出して長女に近づき突き飛ばしたうえ、「(Aさんの長女に)息子が蹴られた」などと抗議してきたという。 Aさんは「長女は蹴っていない」と一貫して主張したものの、B氏から「ガイジン」「在留カード出せ」などと詰め寄られた。たまたま通りかかって英語で通訳をした別の男性Cさんによると、B氏は遠くからも分かるほどの大声で、Aさんたちに対し「ガイジン生きている価値がない」「ゴミ」「クズ」等、差別発言を繰り返し、「年収3
在留期間や就労分野に制限のない「永住権」を持つ人々は、昨年6月末時点で約88万人いるとされています。ところが、税や社会保険料を納めない場合などに、永住許可を取り消せるようにする法案が、今国会に提出されました。 税や社会保険料の滞納が恣意的に「故意」とみなされ、永住権を奪われてしまうのではと、懸念の声があがっています。この問題について、弁護士の鈴木雅子さんと考えていきます。 鈴木雅子さん(本人提供) 突然浮上した「永住許可取消制度」 ――今国会に提出された入管法改定案に「永住許可取消制度」が盛り込まれたのは、突然のことだったのでしょうか? 技能実習制度の廃止についてはずっと議論がされてきており、それがいよいよ法案化することは、予想されていました。しかし、突然出てきたのが永住許可取消制度の導入です。技能実習制度の廃止と合わせて閣議決定されました。 永住許可の取消については、これまでまったく議論
「I’m dying!」(死にそうだ!) 「みず、みず!」 そう叫びながらのたうちまわるAさんの映像(※)を最初に目にした衝撃は忘れられない。これがまぎれもなく、国が管理する施設で起きたということにも――。 2014年3月、茨城県牛久市にある「東日本入国管理センター」の収容施設で、難民申請中だったカメルーン人男性Aさんが体調不良を訴えるも、7時間あまり放置され亡くなる事件が起きた。床の上で転げまわるほどの苦痛を訴えていたにも関わらず、入管職員は対処するどころか、監視カメラでその様子を観察し、動静日誌に「異常なし」と書き込んでいた。 この事件についての入管側の報告書では、亡くなる前夜に男性が「I’m dying!」と叫び続けていたことに一言も触れられていない。 (※)Aさんの映像:男性が苦しむ様子が映されています。 医師の診療を受けられない Aさんは2013年10月、成田空港に到着後、空港の
本記事は、ドイツ系パレスチナ人のジャーナリスト・映画監督のラシャド・アルヒンディ(RASHAD ALHINDI)氏による記事(2023年4月6日公開)を翻訳したものです。 原文(英語)はこちら。 (※)による注釈は翻訳者追記。 ____ ベルリン地方裁判所において、数人の活動家が「表現と集会の自由」に対する基本的権利を掲げ、「ナクバの日」(※)のデモの新たな禁止を阻止しようと訴えている。 (※)ナクバの日 毎年5月15日「ナクバの日」とは、1948年、イスラエルの建国に伴い約75万人のアラブ・パレスチナの人々が故郷を追われることになった出来事(ナクバ——アラビア語で「大災厄・大破局」を意味する)を嘆き、想起する日。 2022年4月末、ベルリン警察は「ナクバの日」を含め、パレスチナに関連するすべての集会を禁止した。またイスラエルによる、著名なパレスチナ人ジャーナリスト、シーリーン・アブー・ア
「消費」を用いたアクション、「消費アクティビズム」は、国内外、様々な形で展開されてきました。不買運動「ボイコット」や、購買によってその売り手を後押しする「バイコット」など、アクションの形態も多岐に渡ります。 兼ねてからイスラエルによるアパルトヘイト政策に対し、BDS《ボイコット(Boycott)、投資撤収(Divestment)、制裁(Sanctions)》が呼びかけられ、とりわけ昨年10月以降、ガザでの虐殺が続く中、イスラエル関連企業や武器製造企業への投資から手を引くことを求める学生の抗議が米国の大学で広がりました。そして日本国内でも、暴力に加担する企業へのボイコットが広がりを見せています。 こうした消費アクティビズムの意義や難しさ、私たちに身近からできることなどを、文筆家の佐久間裕美子さんと考えました。 ――「消費アクティビズム」はなぜ広がっていったのでしょうか? 私がアメリカに拠点を
保護費を全額支給せず、ハンコの大量管理、窓口で暴言も 「生活保護費が窓口で1日1000円しか支給されない」「自分がハローワークに行ったことを役所の職員が確認すると支給される」――生活保護利用者のひとりからそんな相談を受けたとき、仲道さん自身も当初は信じられない思いだったと語った。1日1000円の支給ということは、本来支給されるべき額が、満額支給されていないことを意味する。ハローワークに毎日行ったところで、求人が1日で劇的に変わるはずもなく、これを強いていた理由が「嫌がらせ」以外に思い当たるだろうか。 しかし現実は、仲道さんが想像していた以上に杜撰極まりないものだった。満額支給されなかった生活保護費の未支給分は、「会計上は支払ったこと」にした上で、金庫に保管されていたことが分かっている。 信じがたい対応ではあるが、問題はこれに留まらなかった。仲道さんが関わった中だけでも、窓口に来た利用者や家
2017年9月――ポーランド南部、オフィシエンチムに位置する「アウシュビッツ=ビルケナウ博物館」を訪れた。ナチ・ドイツによって行われたホロコーストの記憶の染み付いた敷地は、世界各国から訪れる多様な訪問客の姿と奇妙なコントラストを描いていた。 同地でガイドとして働く中谷剛さんは、「ここにはヒットラーの写真など、1枚も展示されていませんよね?」と、訪問者に語りかける。こうした歴史の惨禍を特定の個人の責任と矮小化してしまっては、社会の空気の中に、そして個々人の中に潜在的に眠る「差別・偏見の意識」や「優生学的思想」といった“危うさ”を見つめ直すことはできない。 加害の歴史と向き合うこと――それは国や民族、社会などという大きな枠組みに一体感を感じれば感じるほど、自身に刃を向けるような苦しさを伴うものかもしれない。けれど、そこから逃げて自己弁護をし続けているだけでは、同じ轍の上に続く悲劇への暴走を止め
ホロコーストという加害の歴史を背負うドイツは、イスラエル支持を強く打ち出してきました。ドイツ国内では、停戦を求めるデモ参加者が「反ユダヤ主義」と見なされ、逮捕・連行されることが相次いでいます。なぜドイツはイスラエルを擁護し続けるのでしょうか。国際政治史、ドイツ政治外交史が専門の東京大学法学部教授、板橋拓己さんと「ドイツとイスラエル」について考えました。 「過去の克服」の出発点 ――ドイツはナチ・ドイツ政権下でのホロコーストの加害者としての歴史を背負い、イスラエルは「ホロコースト犠牲者の国」であるということを打ち出してきました。両国は戦後、どのように関係を構築していったのでしょうか。 ドイツ側から見れば、贖罪意識と国際社会への信用回復が重要であり、イスラエル側から見れば、自国の存続、つまり生まれたての国家をどのように守っていくかという中で、ドイツの支援が必要になったという関係から出発したと言
7年ぶりに再会した少女たちは、見違えるほど大きくなっていた。シリアからドイツに避難することになった知人一家を前回訪ねたのは、2017年のことだった。当時、幼い娘たちと妻はまだ、シリアを離れて数ヵ月という頃だった。 その後、子どもたちは学校で言葉の壁に突き当たり、知人もシリアで身に着けた専門性を活かせる仕事を見つけることはできなかった。異国の新生活で、度々困難に直面したという。それでも子どもたちはドイツ社会に少しずつなじみ、家族全員がすでにドイツ国籍を取得していた。 2015年、ドイツに難民としてたどり着いたのは約90万人だが、彼の家族のように、順当に日常を取り戻す人々ばかりではないだろう。それでも、命の危険から逃れようとする人々を包摂しようとするドイツ政府の姿勢は、同年にたった27人しか難民認定をしなかった日本政府のそれとは天と地ほどの差だった。 難民の受け入れだけではない。ホロコーストと
2023年11月28日、早稲田大学構内で「イスラエル情勢の現状~日イ・ビジネスのインプリケーション」という催しが開催された。当該イベントは早稲田大学総合研究機構イノベーション・ファイナンス国際研究所が主催し、ミリオン・ステップス株式会社、そして駐日イスラエル大使館経済部が共催として名を連ねていた。サイトを見ると、イスラエルのビジネスやスタートアップをテーマにした内容となっている。 サイト上では事前申込「必須」とは書かれておらず、早稲田大学の学生であるAさんと、友人Bさんは当日受付での参加を試みた。2人はともに外国にルーツを持つ日本育ちのムスリム(イスラム教徒)学生で、イベント内容に興味を持っていた。 Aさんより少し早く受付に行ったBさんは、参加を認められたが、会場に入る際に荷物検査が実施された。一方、少し遅れて受付に行ったAさんは、「事前申し込みをしていない別の友人(Bさん)も参加が認めら
世界各地で繰り返される戦争、2024年元旦に能登半島を襲った地震、2011年の福島第一原子力発電所の事故、そして貧困の拡大など、社会課題は山積しています。ところが、そうした社会課題に声をあげる人を冷笑したり、何か困りごとを訴える人に「自己責任」論を突きつけるような言葉が後を絶ちません。この社会には今、どんな「言葉」が足りていないのでしょうか。作家で、子どもの本の専門店「クレヨンハウス」主宰の落合恵子さんと、「社会をケアする言葉」について考えました。 命、人権に向かって歩く ――クレヨンハウスでは戦争、原発、人権に関わるさまざまなイベントを開いていらっしゃいます。パレスチナやウクライナ、ミャンマーなど、戦争が収まらない現状をどう見つめていらっしゃいますか。 心の半分ではまだ終わっていないという無念さと、力足らずである自分自身も含めて今を生きている全ての大人への無念さがいつもあります。ただし、
本記事は裁判詳細をお伝えするため一部に差別文言を掲載しております。ご注意ください。 Dialogue for People副代表/フォトジャーナリストの安田菜津紀へのインターネット上での差別書き込みについて、2021年12月8日に提訴、その後の控訴審の判決が、2024年2月21日に言い渡されました。結果としては、その投稿は「差別的な表現を用いた侮辱」であるという一審判決を維持、という形にて判決が下されました。被告はついに最後まで法廷に姿を表しませんでした。本記事ではこの訴訟・判決の意義や課題についてご紹介します。 本件のあらまし 2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに、安田の執筆した記事『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載したところ、それに関連してTwitter上で差別コメントが投稿されました。この記事は、朝鮮半島にルーツを持ち、元は韓国籍、後に日本国籍
9月末になっても、岩手にしては珍しく、全身にまとわりつくような湿気が大地を覆い、山道を歩めばすぐに額に汗が噴き出す気候が続いていた。人間の背丈ほどもある雑草を分け入って、そろりそろりと山肌の急斜面を下っていくと、うっそうと茂る草木の合間からトンネルの入り口がのぞく。辺りは日中とは思えないほど薄暗い。飯森トンネルーー岩手と宮城の県境にまたがり、旧国鉄の大船渡線敷設工事の中でも、岩盤や水脈に阻まれ、最も難所と言われた場所だ。 このトンネルがある陸前高田市矢作町出身の伊藤郁夫さん(75)がぽつりと語った。 「過酷な現場となったこのあたりのトンネルでは、朝鮮人を“人柱”にしていたとも言いますね。あの頃の朝鮮の人たちは“人扱い”ではなかったと聞いています」 この“人柱”の話は、伊藤さんに限らず、度々この地域で語られることだ。 大船渡線敷設工事中に起きた「矢作事件」 1923年、関東大震災の発災後、「
日本も共同議長国を務めた「グローバル難民フォーラム」は、難民として故郷を追われた人々の直面する問題や、各国の受け入れ状況などについて話し合う世界最大規模の会合です。先日12月15日、スイス、ジュネーブにて閉会しましたが、問題は山積しています。特に、世界各国と比較しても難民認定率が極端に低い日本は、むしろ難民の「排除」を推し進めているのではないかという懸念の声も、支援の現場からは継続的に発せられています。 今回の記事では、そうした日本の難民受け入れの現状や、出身国やルーツによって処遇に違いが出てくる構造的な問題、そしてタリバン復権によりアフガニスタンから日本に逃れてきた人々の置かれている状況、今後の制度改革の課題などについて、千葉大学社会科学研究院教授の小川玲子さんと考えていきます。 日本の難民受け入れの状況 ――今年は改定入管法が可決成立し、今月12月からは「補完的保護」という仕組みの運用
1948年に成立した優生保護法の下、障害のある命は「不良な子孫」とみなされ、その出生を防止することを目的として、同意のない不妊手術が行われてきた。2018年以降、全国各地でその不妊手術を強いられた人たちが国へ賠償請求を求める裁判を起こしてきた。 「優生保護法問題の全面解決をめざす全国連絡会」は11月、正義・公平の理念に基づく判決を求める3万人分の署名を最高裁判所に提出。最高裁は6件の上告審について、15人の裁判官全員で判断する大法廷での審理を決定している。 「全面解決」に向け、何が求められているのか――。同会共同代表、大橋由香子さんに聞いた。 ――優生保護法はどんな法律だったのでしょうか? 日本が戦争に負け、空襲で各地が焼け野原になり、食べるものも家を建てるための材木もない中、侵略した先々から引揚げてくる人々もたくさんいました。戦争中は兵隊となる人口を増加させるため、「産めよ増やせよ」と中
「今、これを知っているイスラエル人はほとんどいないでしょうね」 そう言いながらダニー・ネフセタイさんが指し示したヘブライ語の新聞記事には、思わぬことが綴られていた。実は1998年9月、パレスチナ・ガザとイスラエル最大の商業都市・テルアビブが、スペイン・マドリードで姉妹都市協定を結んだことがあったのだ。記事に添えられた写真には、市長らがにこやかにおさまっている。 「たった25年前に、これができたんです。今こそ表に出すべきではないでしょうか」 埼玉県皆野町で、妻の吉川かほるさんと共に「木工房ナガリ家」を営むダニーさんは、イスラエル出身。木を用いた物づくりをしながら、社会問題や環境問題について声をあげてきた。 夢だったログハウスを手作りし、自然に囲まれた静かな暮らしを得たものの、2008年、ガザへの大規模な空爆が起き、犠牲になった1300人には、多くの子どもが含まれていた。「自分たちだけが静かに
すぐ隣に暮らしながら、目に見えない分断が物理的な「壁」となり、さらなる分断を引き起こす。イスラエル-パレスチナの間に横たわるこの障壁は、世界各地で分断を引き起こす「恐怖」や「差別」といった感情と結びついてはいないだろうか。イスラエルの人々が、「とても安全な場所とは思えない」というパレスチナには、いったいどのような人々が暮らしているのか。その様子と人々の声から、「壁」を乗り越えていくための方法を探りたい。(前編はこちら) エルサレムからバスに乗りヨルダン川西岸地区へと向かうと、道沿いにコンクリートの壁やフェンスが見えてくる。イスラエルが、「テロ攻撃から自国民を守る」という名目で建設を続けている「分離壁」だ。しかしその壁は、実際にはイスラエル領内のみではなく、パレスチナ自治区内に食い込むようにして建設されている。第三次中東戦争以降、イスラエルはヨルダン川西岸地区内に数多くの「入植地」を築いてき
「虐殺とは、ある日突然起こるものではない」と、ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館でガイドを続ける中谷剛さんは語る。「私たちの社会は、虐殺に至る何歩前にいるのだろうかと、自問することが大切だ」と。それは決して狂気に取りつかれた一部の人間が引き起こすものではなく、僕たちの社会が構造的に抱える闇の一部なのだ。 そこにいる人々を、僕たちとは違う「排除してもいい存在」だと認識した途端、倫理の痛覚は麻痺し、鮮血は色彩を失う。殺した「それ」は人間ではない。私たちとは違う「悪魔」なのだ。私たちを殺しに来る「敵」なのだ。想像力を持つ人間だからこそ、ときに目の前の人間が「リアルな存在」であることを忘れさせる。しかしその溝を埋めるのもまた、人間の想像力ではないだろうか。前後編となる今回の記事では、対話の閉ざされた「壁」の両側に生きる人々の姿を伝えることで、そこにいる生身の人間の存在を感じ取って頂けた
本記事はノンフィクションライターの安田浩一さんによる寄稿記事です。 もはや都市伝説どころか、「神話」の域にまで達しているかと思いきや、一部ではまだ現実社会の“仕組み”として認識されていることに驚いた。 いわゆる「在日特権」のことである。 在日コリアンが日本社会において優越的な権利を有しているというトンデモ説だ。 在日コリアンは公共料金の支払いを免除されている、大企業への就職に際し優先枠が設けられている、といったものから、政界を牛耳っている、はては日本を支配しているといった、荒唐無稽な陰謀論までもが、いまだネット上にあふれている。 ネットで目にするだけではない。少し前にも、ヘイトスピーチをテーマとした行政主催による講演会の終了後、会場参加者の一人から「あなた(※筆者)が言うとおり差別はよくないと思うが、在日の人たちが特権を持っていることについてはどう思うのか」と真顔で訊ねられたことがあった。
靴、ハブラシ、メガネ、それらを入れていただろう鞄――虐殺された人々の遺品が堆く積まれる部屋を、私はただ、沈黙しながら歩いていた。ここで言葉を発すれば、遺品の一つひとつが発する「声」を聴き洩らしてしまうかもしれない。 2017年9月、ポーランドのアウシュビッツ=ビルケナウ博物館(以下、アウシュビッツ博物館)は、晴天ながら秋の肌寒さを宿す空気に覆われていた。強制収容所として作られたアウシュビッツでは、1940年6月から1945年1月までの4年7ヵ月の間に、ナチスドイツによって約110万人の命が奪われたとされる。ユダヤ人だけではなく、多数のポーランド人やソ連人捕虜、ロマ、同性愛者、障害者らがここで殺害されていった。 アウシュビッツ博物館、正面ゲートに掲げられている「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になれる)の文字。「B」の文字が逆さまなのは、これを設置させられた労働者の密かな抵抗
この100年目の地平に立ち、現代社会を見つめたとき、ただ曖昧に「祈る」だけでは不十分であると痛感します。発災後、警察などの公権力までもが、「朝鮮人が井戸に毒を入れている」などのデマに流され、また扇動し、虐殺は起きました。だからこそ公人が、繰り返さないための意思を、何度でも示す必要があるでしょう。各地で災害が繰り返される度、外国人をはじめマイノリティを加害者に仕立てる事実無根の「噂」が流されます。同じ暴力がいつ繰り返されてもおかしくはない危機感を持たず、加害の歴史に背を向ける権力者の姿勢は、奪われた命への冒涜であり、今を生きる命をも軽視しているでしょう。哀悼の意をささげるとともに、東京都をはじめ公権力に、歴史の直視を強く求めます。
1979年10月、独裁体制を敷いた韓国・朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺され、16年に渡る支配が突如、終焉を迎えた。これで時代が変わるだろうと、民主化を求める市民たちは湧き立つ。ところが、ほどなくして全斗煥(チョン・ドゥファン)らがクーデターを起こし、軍部独裁体制は維持された。1980年5月、光州では、抗議の声をあげる市民たちが、軍による激しい弾圧を受けた。この「光州事件」(5.18民主化運動)は往々にして「男性たちの物語」として語られるが、女性たちの役割はただ「後方支援」や「補助」だったのだろうか。軍事政権と家父長制の狭間で光が当てられてこなかったものとは何か? 現地取材を通して探る。 梅雨明け間際の空は昼間でもやや薄暗く、吹き抜ける風はどこか雨の香りを宿していた。ビルの8階まで昇ると、カフェの併設された開放的な空間が広がっている。大きな窓からは、光州の中心地から彼方の山の稜線までが
2020年、Dialogue for Peopleの公式サイトに、安田の執筆した記事『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載したところ、それに関連してTwitter上で差別コメントが投稿されました。そうした書き込みのうち、発信者情報開示請求の裁判により2件の発信者を特定... 尊厳を芯からえぐる「差別」の言葉 2020年12月、Dialogue for People公式サイトに、父のルーツをたどった記事、『もうひとつの「遺書」、外国人登録原票』を掲載しました。父は、私が中学2年生の時に亡くなっています。その後、家族の戸籍を手にし、父が在日コリアンだったことを初めて知りました。 「なぜ、父は自身の出自を語らなかったのか?」 ――その疑問の答えを探そうと、古い書類をかき集め、父の家族にゆかりのある場所を巡り、在日コリアンの歴史をたどってきました。それは根深い差別構造を前に、ルーツについて
参議院で審議が続いていた入管法政府案について、与党側はいよいよ採決に踏み切ろうとしています。入管法政府案そのものの問題点はここに記した通りです。 法案の内容そのものはもちろん、審議の過程では、連日、立法事実を根底から揺るがす事態が明るみになってきま... 底の抜けたような国会審議と市民社会の息吹 今も、問題提起したいことは山ほどあります。 「こんなザルの審査に苦しめられてきたとは知らず涙が出た」「一生懸命準備していた書面が、ただの紙切れのように扱われていたかもしれないと思うと愕然とした」――難民認定の分厚すぎる壁に突き当たってきた申請者のみならず、伴走してきた支援者や家族からも、「やりきれない」という声が相次ぎました。その壁の内側が実は、一部の難民審査参与員らがベルトコンベアのように命をさばく、大量処理だったことが明るみになったからです。 「日本が難民条約に加わっていることを知り、安心して
2021年2月19日、「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案」(以下、入管法政府案)が閣議決定されてから2年近くが経とうとしている。法案はその後、国会で審議入りし... 法案の内容そのものはもちろん、審議の過程では、連日、立法事実を根底から揺るがす事態が明るみになってきました。この間の審議で何が明らかになり、何が明らかにされていないのか――まともな審議が成り立たない理由を整理しました。 ■1:難民審査参与員の不可解な偏りと杜撰な審査の実態 ■2:不可解な発言「訂正」、立法事実になっている参与員の主張を大臣自ら否定 ■3:「証拠はないが信じろ」状態の審議 ■4:大阪入管での飲酒診療の指摘と実態とかけ離れた資料 ■5:飲酒診療を公表しなかった大臣の責任 ■6:ウィシュマ・サンダマリさんの事件もまだ解明され
※本記事はライターの李彰文氏による寄稿記事となります。 6人がかりであおむけに寝かされ羽交い締めにされた40代のアフリカ系男性は「痛い!」と悲痛な叫び声をあげる。入管職員と見られる男性が正座をするように、アフリカ系男性の膝と腿(もも)にのしかかり「どこ痛いの?」と半笑いの声でしゃべる。アフリカ系男性は激痛に耐えかね大声で泣き叫ぶ。それでも、職員らは力を緩めず「どこが痛い?」と執拗に繰り返した。 【映像の一部】2019年12月23日、難民申請の不認定を告げられたアフリカ系男性が、強制送還執行のために東日本入国管理センター(通称=牛久入管)から成田空港支局に連行された。(※)暴力シーンが映っています、閲覧にはご注意ください。 (映像は「クルド人難民Mさんを支援する会」のYouTubeより) 上記は難民申請が却下され、送還される際の映像だ。東日本入国管理センター(茨城県牛久市)から成田空港に移動
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