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大阪入管で、常勤医が酒に酔った状態で診療にあたっていたことが指摘されている。当該医師は昨年(2022年)7月、施設内の「医療体制の強化」のため採用されたが、今年(2023年)1月20日、足取りがおぼつかない状態で出勤し、呼気検査でアルコールが検出されたという。この日以降、診療には携わってはいないものの、常勤医師は他におらず、現在は非常勤の医師らが対応にあたっているという。6月3日、野党議員らが大阪入管を視察したところ、当該医師は医療業務から外れているものの、継続して雇用されていることも判明した。 仮放免者の会の資料によると、当該医師による暴言や不適切な診療はそれ以前から被収容者から声があがっており、飲酒は「問題の一部」に過ぎないという。 衆院法務委員会で齋藤健法務大臣は、当該医師について報告を受けたのは今年「2月下旬」だとした。ところが、「6月1日に」報道でこの件が明るみになるまで、法務省
「あー!」 ウィシュマ・サンダマリさんが痛みに声を上げると、看護師と職員どちらかから、なぜか笑い声があがる。彼女たちは会話を続ける。 「(外部病院の医師が)かっこいい」 「(別の医師は)ピチピチのギャル系」 2021年3月5日、ウィシュマさんが亡くなる前日のことだった。 人間性を否定する組織体制 2017年6月、ウィシュマさんは「日本の子どもたちに英語を教えたい」と、英語教師を夢見てスリランカから来日したものの、その後、学校に通えなくなり在留資格を失ってしまった。2020年8月に名古屋入管の施設に収容されたが、同居していたパートナーからのDVと、その男性から収容施設に届いた手紙に、《帰国したら罰を与える》など身の危険を感じるような脅しがあったことで、帰国ができないと訴えていた。 真相解明にとって欠かせない「証拠」のひとつが、ウィシュマさんが最後に過ごしていた居室を映した監視カメラ映像295
長年、入管や難民審査の問題を見てきた人々でさえ、連日「驚愕」するような事実が、入管法政府案の審議を通して明らかになってきている。5月25日、参院法務委員会で、難民審査参与員の柳瀬房子氏の、2年分の審査件数が明らかとなった。2021年:全件6741件のうち137... 「2000人と対面でお話ししております」 2021年4月、衆院法務委員会の参考人質疑で、柳瀬氏はそれまでに担当した件数は「2000件以上」「2000人と対面でお話ししております」と発言している。その際に語った「入管として見落としている難民を探して認定したいと思っているのに、ほとんど見つけることができません」等の発言が、入管庁の資料にも引用され、現在審議中の入管法政府案の土台となった。中でも、審査で2度「不認定」となった申請者については、3度目の申請をしても、強制送還の対象にする内容に直結している。 齋藤法務大臣は、4月25日の
長年、入管や難民審査の問題を見てきた人々でさえ、連日「驚愕」するような事実が、入管法政府案の審議を通して明らかになってきている。5月25日、参院法務委員会で、難民審査参与員の柳瀬房子氏の、2年分の審査件数が明らかとなった。 2021年:全件6741件のうち1378件(勤務日数34日) 2022年:全件4740件のうち1231件(勤務日数32日) ※勤務日数のうち一日は、審査をしない協議会 難民審査参与員は、法務大臣に指名され、入管の難民認定審査(一次審査)で不認定とされ、不服を申し立てた外国人の審査(二次審査)を担っている。 参与員が111名いるにも関わらず、柳瀬氏は2022年、全件の4分の1以上を担当している。極端な偏りも問題だが、「丁寧な審査」とは言えない件数がここで露わになった。 単純計算した場合、柳瀬氏は参与員として1日あたり40件もの難民審査をしていたことになり、たとえ1日の勤務
入管法政府案の「立法事実」のメッキが剥がれ落ち続けている。かねてから人道上の問題が指摘されている政府案だが、その一つが「送還停止効の例外」を設けることだろう。現行法上、難民申請中は送還されないことになっているが、政府案では審査で2度「不認定」となった申請者が、以後、強制送還の対象になりえてしまう。 この「送還停止効の例外」を法制化する「根拠」となったのが、難民審査参与員を務める柳瀬房子氏の発言だ。 難民審査参与員は、法務大臣に指名され、入管の難民認定審査(一次審査)で不認定とされ、不服を申し立てた外国人の審査(二次審査)を担っている。元検事や元裁判官、元外交官、弁護士やNGO関係者など、幅広い分野から選ばれており、5月16日の時点で111名が名を連ねている。 2021年4月、衆院法務委員会参考人質疑で、柳瀬氏はこう発言している。 「入管として見落としている難民を探して認定したいと思っている
入管法政府案の「土台」となる「立法事実」が揺らぎ続けている。そのうちのひとつが、特定の難民審査参与員の発言だ。難民審査参与員は、法務大臣に指名され、入管の難民認定審査(一次審査)で不認定とされ、不服を申し立てた外国人の審査(二次審査)を担っている... 難民認定審査の特殊性 難民審査参与員は、法務大臣に指名され、入管の難民認定審査(一次審査)で不認定とされ、不服を申し立てた外国人の審査(二次審査)を担っている。その審査の過程で「この申請者は難民として認めるべきだ」という意見書を法務大臣に提出することができるが、最終判断は大臣が担う。 今年5月16日現在、入管庁のサイトには111名の難民審査参与員が掲載されており、通常は3人1組の班となり、審査を行う。リストにある肩書きを見ると、「弁護士」という記載が多いが、こうした「弁護士」の中には元々検察官検事や裁判官だった人物もいる。ほかには研究者や国
さまざまな理由から生活に困窮する人々に対し、憲法が定める健康で文化的な最低限度の生活を保障する生活保護制度。国は2013年、「物価下落」を引き合いに、生活保護の基準額を引き下げました。この引き下げが、生存権を保障する憲法25条や生活保護法に違反するとして、29都道府県で1000人を超える原告が国を提訴しています。 大阪府の受給者らが引き下げ処分の取り消しなどを求めた訴訟で、1審大阪地裁は引き下げを「違法」としたものの、大阪高裁は2023年4月、受給者側の訴えを退け、逆転敗訴となりました。原告側は最高裁に上告しました。生活保護の基準額引き下げの背景や一連の訴訟を通して見えてきた課題などについて、大阪訴訟弁護団副団長の弁護士小久保哲郎さんにお話を伺いました。 社会保障費削減の「突破口」にされた生活保護費引き下げ ――生活扶助基準(生活保護基準のうち生活費部分)、いつごろから、どのくらい引き下げ
入管法政府案の「土台」となる「立法事実」が揺らぎ続けている。そのうちのひとつが、特定の難民審査参与員の発言だ。 難民審査参与員は、法務大臣に指名され、入管の難民認定審査(一次審査)で不認定とされ、不服を申し立てた外国人の審査(二次審査)を担っている。今年5月16日現在、入管庁のサイトには111名が掲載されており、通常は3人1組の班となり、審査を行う。 この制度は2005年5月から始まったものだが、この年から今に至るまで参与員を務める、柳瀬房子氏の「審査件数」が、改めて問題視されている。 柳瀬氏の主張する審査数は、ふたつの時間軸に分けて考える必要がある。 【1】2021年4月~2023年4月の2年間で2000件の審査 【2】2005年5月~2021年4月の16年間で2000人の対面審査(+相当量の書面審査…?) 「年間1000件」の審査は「おかしなこと」ではないのか まず【1】の数字から見て
一方、原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。 韓国・大邱駅から1時間ほど走り、車は山道を抜け、慶尚南道北部に位置する陜川(ハプチョン)へとたどり着いた。山に囲まれたのどかな街は、中心部近くの商店街でも、人影少なく、静かな時が流れている。 陜川は「韓国のヒロシマ」とも呼ばれている。在韓被爆者の多くが、この陜川出身なのだ。古い統計ではあるが、1978年の「韓国原爆被害者協会」の登録者、つまり被爆者であることを名乗り出た在韓被爆者9362名のうち、陜川支部の登録者数は3570名と、全体の約4割を占めていた。その後、死亡や転居によって人数は変動しているものの、多くの在韓被爆者がこの地の出身であったことが分かる。 韓国原爆被害者協会の推計では、広島と長崎で朝鮮人7万人余りが被爆したとしている。けれ
入管法改定案の審議が続いている。これまでも人道上の問題が多々指摘をされてきているが、その中でも争点となっているのが「送還停止効」に「例外」を設けることだ。 難民申請中は送還されない現行制度を「改定」し、審査で2度、「不認定」となった申請者については、3度目の申請をしても、強制送還の対象にしようというのだ。日本の難民認定率は極めて低く、何度も申請を繰り返さなければならないのが現状であるにも関わらず、だ。 この「送還停止効の例外」は、何を根拠に法案に盛り込まれたのだろうか。 入管庁が公表している「現行入管法の課題」(2023年2月)という資料では、難民審査参与員の柳瀬房子氏の発言が引用されている。 《入管として見落としている難民を探して認定したいと思っているのに、ほとんど見つけることができません」「難民の認定率が低いというのは、分母である申請者の中に難民がほとんどいないということを、皆様、是非
2005年、「マンデート難民」(UNHCR・国連難民高等弁務官事務所の基準によって難民であると認められた人々)のクルド人の父子が、日本で収容された翌日に国籍国のトルコへと強制送還されてしまう事件が起きた。それから20年近くが経った今、第三国に受け入れられた家族は、ニュージーランドの市民権を取得していた。父のアハメット・カザンキランさんは、レストラン経営で多忙な日々を送っている。 2023年5月7日、私用で来日した父のアハメットさんが、当時を振り返り、インタビューに応じてくれた。 「法律を作るもの人間、壊すのも人間――」 そう語るアハメットさんは、日本で審議中の入管法についてどのように感じているのだろうか。 クルド人は「国を持たない最大の民族」として知られ、主にイラン、イラク、トルコ、シリアなどで暮らしている。少数民族として各地で迫害を受けてきたが、日本では、トルコ出身のクルド人が難民認定さ
審査の過程のブラックボックス 2023年4月25日の衆議院法務委員会の質疑では、西山卓爾入国在留管理庁次長が、柳瀬房子氏の対応案件数の多さについて、「特定の難民審査参与員の年間処理件数は集計していないので当方は把握していない」と述べたうえで、あくまでも「一般論」として「常設班に所属し、迅速な審議が可能かつ相当な事件を重点的に配分している臨時班の応援に入る場合などには、書面による審査などで他の難民審査参与員よりも担当する事件処理件数が多くなることがある」と述べた。 同日、齋藤健法務大臣は2021年4月の参考人質疑で柳瀬氏が述べた2000件については、「すべて対面審査まで実施した、いわゆる慎重な審査を行った案件を前提として答弁されたもの」とし、その後の2年間で柳瀬氏が担当したという2000件についての明言はなかった。 しかし先述の通り、西山次長は「特定の難民審査参与員の年間処理件数は集計してい
「私に言わせればこれは拷問です。入管は拷問する教育を行っているのでしょうか? 私たちは拷問をされるために入管に収容されるのでしょうか?」 トルコ国籍のクルド人であるデニズさんは4月20日、記者団にまっすぐこう、投げかけた。 デニズさんは、迫害を逃れ2007年に来日した。これまで複数回難民申請をしており、現在も申請中だ。東日本入国管理センター収容中に職員から暴行を受けたなどとして、デニズさんが損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁はこの日、職員の行為の一部を違法と認め、国に22万円の支払いを命じた。 2019年1月、デニズさんは睡眠薬を求めたものの拒否されたため抗議する。その後、7人前後の入国警備官が入室し、デニズさんに移動を命じた。当時の映像を確認すると、デニズさんは後ろで手錠をされ、抵抗できない状況にさせられた上、ひとりの警備官があご下の「痛点」を押し、「痛いか?!」などと大声で迫ってい
4月21日、入管法政府案が審議中の法務委員会で、参考人質疑が行われた。 現在の入管法政府案は「収容・送還に関する専門部会」の提言を元にしているが、参考人として出席したのはその部会長を務めた安富潔氏と、元東京入管局長の福山宏氏、元法務省の滝澤三郎氏と、一橋大学大学院社会学研究科准教授の橋本直子氏だ。橋本氏以外の参考人は、この法案に賛成や「歓迎」の立場であり、そもそもの参考人の人選にも疑問が残る。 滝澤氏はかつてUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)ジュネーブ本部の「財務局長」を務めていた(その後駐日代表)。しかし財務自体は重要な役割であるものの、当時の専門は難民保護の実務に関わることではない。難民支援に関わる組織・団体に経歴があるだけで、「識者」として適任とは限らない。それが如実に表れる答弁となった。 国際基準は「曖昧」で守らなくてもいいもの? 滝澤氏は「難民は逃げる国を選ぶ」という。難民を
広島市教育委員会が2023年度、平和教育の小学生向け教材から、漫画『はだしのゲン』を削除する方針を決めたと報じられました。広島市の小学校、中学校、高校では、2013年度に平和教育プログラムがはじまり、それぞれの学年に応じて作られた教材を使用しています。『はだしのゲン』は小学3年生の教材に6ページに渡って掲載されています。関連文書では、削除の理由として《漫画の一部を教材としているため、被爆の実相に迫りにくい》、《ゲンの気持ちを考えることに留まり、教材を通して、自分が平和について考えたことを伝える学習となっていない》などを挙げています。さらに、中学3年生の教材にあった「第五福竜丸」の記述がなくなることも分かりました。 戦争の記憶の継承にはどのような課題があるのか、歴史家の高橋博子さんに伺いました。 ――『はだしのゲン』が広島市の平和教育の教材から削除されると聞いて、高橋さんは率直にどう感じられ
琵琶湖へと流れる愛知川に面した、滋賀県愛荘町。のどかな畑と閑静な住宅地に囲まれた一角から、子どもたちのにぎやかな声が響いてくる。2階建てのプレハブと隣接する住宅の中で運営されているブラジル学校兼保育所「サンタナ学園」には、ブラジル・ルーツの乳幼児から18歳まで、およそ80人が通っている。 滋賀県では産業の約4割を製造業が占めており、工場などで働く外国人労働者やその家族も多く暮らしている。国籍別でみると、ブラジル人が9,281人と、外国人人口の26%近くを占め、最も多い(2022年末時点)。 その一方、外国人乳幼児の保育ニーズを正確に把握している自治体はまれだ。サンタナ学園に通うブラジル人の乳幼児は、在住する市町村の待機児童にカウントされていない。 地域に行き場のなかった子どもたち 「ようこそ!」と満面の笑みで出迎えてくれたのは、このサンタナ学園校長の中田ケンコさんだ。 ケンコさんは、ブラジ
子ども時代のアルバムは、1冊しか残っていない。開いてみると同じ服を着た同じ日の写真が何枚も貼られている。撮影された日数だけを考えると、数日分しかないかもしれない。自分に子どもができてから、ますますこの少なさが気になるようになった、と中川智子さん(崔智子さん)は語る。 以前は「愛されていないから」だと思っていた。けれども父の身に起きたことを知った、今となっては分かる。思い出を重ね、写真を残す余裕は、家族にはなかったのかもしれない、と。父親が「スパイ」に仕立てられたと知ったのは、智子さんが30歳を過ぎてからのことだった。 家族の中に感じていた「空白」 智子さんは1981年、千葉県で生まれ、神奈川県藤沢市の閑静な住宅地で育った。父の崔昌一(ちぇ・ちゃんいる)さんは、1941年に大阪で生まれた在日コリアンの2世だ。 昌一さんが生まれた当時、一家は炭焼きで生計を立てていたものの、父が病に倒れてからは
2021年3月6日に名古屋入管で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの遺族による国賠訴訟が続いている。2023年2月15日、ウィシュマさんの居室の監視カメラ映像が、公開法廷で上映される方針が決まった。 公開法廷でのビデオ上映を渋る国側 ビデオは295時間分残っているとされるが、国は約5時間分のみを2022年12月、裁判所に提出。ところが2023年1月の進行協議で国側は、公開法廷での上映ではなく、非公開の場で取り調べれば十分だと主張してきたのだ。 前年11月の期日やビデオ提出時には、こうした意見は国側から一切出されていない。「なるべく公になることを遅らせたい」という意図がそこに透けて見える。その「目的」は明示されていないが、ビデオが公開されれば、入管法の議論や統一地方選に影響することは必至だろう。 ビデオは居室のドアや鍵の形状が分からないよう処理されており、職員の顔にもモザイクがかけられてい
※本記事では差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 2023年2月1日、岸田首相は衆院予算委員会で「(同性婚は)家族観や価値観、社会が変わってしまう課題。社会全体の雰囲気に思いを巡らせ判断」と発言しました。岸田首相に限らずこれまでも与党側からは「慎重に検討を重ねる」「理解を深めていく」という、事実上の「無回答」が繰り返されてきましたが、これではつまり、「マジョリティが“理解”するまで、マイノリティは不利益をこうむり続けろ」ということになってしまうでしょう。 この岸田首相の言葉に対し、「多くの世論調査では賛成の声が上回っている」「すでに変わってきている」という事実を示すことも大切なことではあります。ただ、人権は本来、「マジョリティの賛成を根拠にしてマイノリティに認める」ものではない、という前提も忘れずにいたいと思っています。人権自体は「多数決」で決めるものではないからです。
2021年2月19日、「出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する法律案」(以下、入管法政府案)が閣議決定されてから2年近くが経とうとしている。法案はその後、国会で審議入りしたものの、多くの反対の声もあがり、事実上の廃案となった。 そもそも、2021年の政府案は何が問題だったのか。入管にまつわる「よくある質問」と共に、ポイントを整理する。 Q.入管施設での「収容」とは何ですか? 例えば「仕事を失ってしまった」「生活に困難を抱えて学校に行けなくなった」「パートナーと離婚した」など、日常生活を送っていれば起こりえる様々な「変化」によって、日本国籍以外の人々は、日本に暮らすための在留資格を失ってしまうことがあります。 「収容」とは本来、在留資格を失うなどの理由で、退去強制令を受けた外国人が、国籍国に送還されるまでの「準
明熙さん自身の子どもは、昨年この学校を巣立っていったが、今でも車で片道2時間近くをかけて来校し、活動を続けている。 初美さんの子どもは現在初級部に通い、すでに卒業した上の子どもたち2人も卒業生だ。私も毎度楽しみにしている、ユッケジャンうどんの仕分けなどを担当している。活動については「やれることをやるしかない、誰かが何かをやるしかない」と、かみしめるように語る。「何かをしないと事態は動かないし、それを子どもたちに見せられるのであれば、“大変”にはならないんです」。 「拉致問題」などを引き合いに止められた補助金 「やるしかない」状況はなぜ生み出されてしまっているのか。 朝鮮学校は法律上、「各種学校」としての認可のため、公的支援が極めて乏しい。現在、幼稚部と合わせて175人の子どもたちが通う埼玉朝鮮学校でも、厳しい経営状況が続いてきた。 ところが埼玉県は、1982 年から支給してきた「私立学校運
※本記事では被害の内容をお伝えするために、差別文言を記載している箇所がありますのでご注意ください。 冷え込む朝、「ふれあい館」の駐輪場では、青空の下、ツバキが鮮やかな花びらを広げていた。在日コリアンはじめ、多様なルーツの人々が共に暮らす神奈川県川崎市・桜本で、多文化共生施設「ふれあい館」は地域の重要な拠点となっている。「差別をなくす」などの目的を掲げ、条例に基づき設置されており、運営も公金によって行われている。1月4日、ふれあい館も仕事始めを迎えたが、この日の朝は職員たちの間に緊張が走る。 ふれあい館を脅かした「年賀状」 2020年1月、ふれあい館宛に「在日韓国朝鮮人をこの世から抹殺しよう」などと書かれた年賀ハガキが届き、その月末には、川崎市の事務所に「ふれあい館を爆破する、在日韓国人をこの世から抹殺しよう」などと書かれたハガキが送られてきた。後に実物のハガキを見せてもらったことがある。鉛
12月に入り、日本写真家協会から弊会宛に一通の封書が届きました。 12月5日付となっているその書面には、2022年第17回名取洋之助写真賞が「該当者なし」で、奨励賞のみ決定したこと、1・2月に行われる受賞作品展を、「賞をアピールする良い機会」ととらえ、歴代受賞者の作品と受賞当時の顔写真、プロフィールも同時に掲載する予定であることが記されていました。私はこれを辞退する意を日本写真家協会側に伝えました。その意を尊重して下さった関係者の皆様に感謝申し上げます。 私は10年前、2012年第八回名取洋之助写真賞を、ウガンダのエイズ孤児たちを取材した写真で受賞しています。写真を始めたばかりのころ、「この賞は登竜門だから、受賞できたら道が拓ける」と多くの方に勧められました。 雑誌社が潤沢に取材費などを出せる時代ではない中で、実際には受賞しただけで「道が拓ける」わけではありませんが、大学を卒業して間もない
今年も年の瀬が迫っている。年末年始は日雇いの仕事も乏しくなり、SOSの届け先の役所の窓口も、一部を除き閉じられてしまう。そのため年越し前後は、生活困窮者がとりわけ路上に追いやられるリスクが高い時期となる。 長引くコロナ禍の疲弊に物価の高騰も重なり、多くの人々が生活苦を抱える中、とりわけ制度上、脆弱な立場に置かれているのが、仮放免中の外国人だ。 つくろい東京ファンドなど複数団体が協力し、2021年5月に都内で開かれた「ゴールデンウィーク大人食堂」。生活相談や物資受け取りに足を運んだ人々の中には、外国籍の人々の姿も見受けられた。 “国に認められていない人間” 「仮放免」とは、在留資格がないなどの事情を抱える外国人を、入管施設に収容するのではなく、その外での生活を認める措置を指す。収容そのものからは解放されるものの、労働は認められず、健康保険に加入することもできない状態だ。つまり、「生きる術」を
各国の人権状況を審査している「国連自由権規約委員会」は11月3日、10月に行われた定期審査を踏まえた日本への勧告を公表し、出入国在留管理庁の収容施設の改善や、国際基準に基く、独立した人権救済機関を創設するよう求めた。 勧告では、2017年から2021年までの5年間で、入管に収容された3人が亡くなったことを受け、「国際基準に沿った改善計画の策定を含む、あらゆる適切な措置をとること」を求めている。3人のうちのひとりが、2021年3月6日、名古屋入管で亡くなった、スリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさんだ。 ウィシュマさんは2017年6月、「日本の子どもたちに英語を教えたい」と、英語教師を夢見てスリランカから来日した。けれどもその後、学校に通えなくなり、在留資格を失ってしまうことになる。2020年8月に名古屋入管の施設に収容されたが、同居していたパートナーからのDVと、その男性から収容施設に届
台風が過ぎ去ったばかりの済州国際空港には、湿った海風が絶えず吹きつけ、時折霧のような小雨が視界を覆った。ここに降り立つ前、飛行機の窓から見下ろした済州は、濃い緑に覆われた漢拏山(ハルラ山)を中心に広がる、紺碧の海に浮かんだ麗しい島だった。 「済州は美しいところではありますが、そうした美しいところは何らかの虐殺が起きた場所でもありました」 そう語るのは、大阪で生まれ、済州で育った玄武岩(ヒョン・ムアン)さんだ。現在は北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院の教授を務めている。 リゾート地としても知られる済州島だが、玄さんが語る通り、ここは過酷な歴史を経てきた地でもある。 「以前は虐殺が起きた現場に案内板などもほとんどなく、最近になってようやく法律も整備され、平和ツアーなどの動きも広がってきました」 済州島で起きた虐殺は、一部島民が武装蜂起した1948年4月3日の日付から「4・3事件
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から4ヵ月が経つ。キーウ郊外はじめ、ロシア軍から解放された地にも破壊の爪痕は色濃く残されている。東部では連日激しい戦闘が続き、犠牲者・避難者は後を絶たない。 この軍事侵攻当初から気がかりだったのは、社会的にマイノリティの立場に置かれている人々の状況だった。これまで取材してきた国や地域でも、日頃から脆弱な立場に置かれた人々が、戦禍によりさらに追い込まれてしまう状況を見てきたからだ。今回取材したのは、ウクライナ、そして避難先となる周辺諸国での、性的マイノリティの人々の人権状況だ。 軍事侵攻による「意識の変化」 「ウクライナでは性教育が十分ではなく、“知らないものへの恐れ”が性的少数者への偏見につながっているように思います。教会がいまだ国会議員など、政治に対して影響力を持っており、メディアも“伝統的家族観”から抜け出し切れていないと感じます」 キーウに拠点を置き
――初めにお伺いしたいのですが、安倍元首相の銃撃事件のことを最初に耳にされた時、高安さんはどのように受け止められたのでしょうか? 戦前の日本では政治家の暗殺というものはしばしば起こっていたわけですね。それが政治の自由な空間を少しずつ圧迫し、最後には窒息させてしまいました。戦後日本で首相経験者が暗殺されるということ、それ自体が驚愕である一方、どのような背景でそういう事態になったのかということが大変心配でした。私たち市民が十分に認識していないところで、日本の政治社会に何か重大なことが起きている現れなんじゃないのか――そういう不安がありました。 戦後これまでにも、国政・地方を問わずに政治家が狙われるということはあり、命を落とす事件も少なくありませんでした。今回の事件を受けて、当初「民主主義に対する挑戦」という言葉が聞かれましたが、それは今回の安倍元首相の場合に限らず、強く非難し否定するということ
「内閣改造」により、杉田水脈氏が総務政務官に起用されました。差別発言などを繰り返してきた人物を政権の要職に起用することは、こうした問題は考慮するに値しない、というメッセージを発することにもなり、さらにいえば、その差別やヘイトの矛先を向けられている人たちの命を「二の次」扱いするようなことでもあります。「杉田氏でなければならない」理由は何なのか。過去の発言を改めて振り返るため、2020年10月に「COMEMO」に寄稿した記事を転載します。 杉田水脈衆議院議員が2020年9月25日、自民党の部会の合同会議で、女性への性暴力などに関して「女性はいくらでもうそをつけますから」と発言し、相談事業へ警察が積極的に関与するよう主張していたことが報じられました。 この報道後、本人はブログや事務所を通し発言自体を否定していましたが、発言時に笑いが起きたというその場の具体的な様子が、TBSラジオ「Session
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