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共異体=共移体としての都市 | 若林幹夫 On the Totalization of the City (Part 2): A Polymorphic = Polydynamic City | Wakabayashi Mikio 1 都市の〈起源〉 ピレンヌがそれを「解放」と呼んだように、ヨーロッパ中世の都市は、当時のヨーロッパを覆っていた封建的な社会関係から解放された「自由」の空間として存在していた。土地を媒介とする保護と臣従を関係の原理とする封建社会において、土地への帰属はそのまま封建的な支配関係への帰属を意味する。そこでは土地とは、臣従と忠誠、保護と支配のメディアとして思考され、形象化されていた。それに対して都市は、そのような関係の「外部」として、市民的な自由と共同性のメディアとして思考され、形象化されたのだ★一。 提唱者であるピレンヌとハンス・プラーニッツの名を取って「ピレンヌ=
ジャック・デリダ『コーラ──プラトンの場』 「場」のおののきを聞く | 廣瀬浩司 Jaques Derrida, "Khoa": Recognize Baeven on Ortes | Hirose Koji 「コーラ」とは、プラトンの宇宙創世論『ティマイオス』の用語で、場所のこと、それもたんなる空虚な場ではなく、そのなかに何かがあったり、誰かが割り当てられて住んでいるような場所のことである。製作者であるデミウルゴスは、範型となる形相を眺めながら、それをモデルとして感覚的な似像を作り出すのだが、そうした似像がかたち作られたり、刻み込まれたりする「場」、それがコーラと呼ばれるのである。 プラトンのこの用語にデリダは初期から注目していた。一九六八年初出の「プラトンのパルマケイアー」(『散種』所収)で、この語は「痕跡」や「間隔化」などのデリダ的な概念と密接に結びついていた。コーラとは、いっぽうで
未来の化石──J=G・バラードと都市のアクシデント | 田中純 Fossils of the Future: J. G. Ballard and Urban Accidents | Tanaka Jun 1 都市から非都市へ すでに百年以上にわたって、〈社会〉に関する学は〈都市〉に憑かれてきた。いやむしろ、それは都市の分析を通じてこそ、おのれの固有の問題領域である社会を発見したのだった。そして、そのような社会とはあくまで近代の社会である。社会学にとって都市とは、近代という時代の本質が露呈される場だった。マックス・ウェーバー、ゲオルク・ジンメル、ヴェルナー・ゾンバルトといった社会学者たちは、大都市の分析をとおして近代社会を自らの学の対象として構成したのである。『都市の類型学』においてさまざまな時代、さまざまな土地の都市の差異を探査しながら、都市的なるものの本質のまわりを旋回し続けるウェーバー
掲載『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960, 2008年03月30日発行) pp.37-39 すべてがリアクションであるようなダンス これまで「タスク」「ゲーム」と、一般にひとがダンスなるものについて抱くイメージからはほど遠いキーワードをとりあげて、今日的な「もうひとつのダンス」の在処を探ってきた。言い換えればそれは、米国のジャドソン教会派を中心とする一九六〇年代のアヴァンギャルドなダンスのムーブメントへと立ち戻り、さらにそこに示されたアイディアを現在のさまざまな身体表現と照らし合わせてみる、という試みだった。振り付けとは、一般にそう思われているように観客に美的なイリュージョンを提供するための理念型であるだけではなく、むしろイリュージョンを最少にし、その代わり、いまここで生きて働く身体の状態へ観客の注意を喚起するための
「桂」/タウト──重層的なテクストとしての | 磯崎新+日埜直彦 聞き手 KATSURA/ Taut: As a Multilayered Text | Isozaki Arata, Hino Naohiko Electa社版『KATSURA』の成立と構成 日埜直彦──前回は岸田日出刀を中心として日本におけるモダニズム受容の最初期の状況について話していただいたのですが、当時と今では日本の意味合いはずいぶん違います。 今回はその点も踏まえ、とりわけ《桂》、そして《桂》と切っても切れない関係にあるブルーノ・タウトについてお話しいただければと思っています。既に磯崎さんの『建築における「日本的なもの」』でも《桂》論とでも言うべきものを書かれていますね。例えば井上章一の『つくられた桂離宮神話』(弘文堂、一九八六)にあるように、イデオロギー的バイアスのかかったさまざまな視点から桂離宮は捉えられてきた歴
独身者の部屋宇宙──高円寺スタイル | 三浦展 The Universe of the Single Person's Room: Koenji Style | Atsushi Miura TOKYO STYLE 本誌No.5にも登場されたことのある編集者の都築響一氏の写真集「TOKYO STYLE」は、一九九三年に刊行されたものであるが、現在も版を重ね、書店でもいまだに平積みとなっている。本書をご存じない方のために簡単に説明すると、東京で暮らす人々の部屋の内部を撮影したものであり、CDで埋め尽くされた部屋、キャラクター商品が溢れる部屋、漫画が占領する部屋などなど、その部屋の住人が自分の好きなものに囲まれながら暮らしている様子が映し出されている。彼らの部屋は、インテリア雑誌に出てくるような小ぎれいな部屋ではない。むしろ雑然としており、趣味が良いとも言えない。しかし彼らは皆、東京という世界一
腐敗する湿原都市──〈昭和〉の死と東京 | 田中純 Decomposing "Swamp City": The Death of "Showa" and Tokyo | Tanaka Jun 1 路上という〈驚異の部屋(ヴンダカンマー)〉 松山巖は著書『群衆 機械のなかの難民』の最終章で、丹下健三が一九八三年に篠原一男との対談で情報化社会における建築のイメージとして語った、〈ノリのような建築〉という言葉に注目している。丹下はそこで、情報化社会を意識し始めた一九六〇年ごろから、それまでさらっとしていた空間が非常にねばっこくて、ノリのような感じに見えてきたと述べている。空間は物を引き裂くものだと考えていたのに、この時期からノリのように粘着させるものだという実感が強くなってきた、と丹下はいう。空間はもはや空虚な場ではなく、ねばねばした実体であり、物がそれにくっついているかのような感覚が生じたと
神話とモダニズム──バウハウス・プロジェクト一九一九―一九九九 | 大口晃央 Myth and Modernism: Bauhaus Project 1919-1999 | Okuchi Akio バウハウス設立八〇周年記念祭行事──バウハウス・デッサウ財団 一九一九年四月のグロピウスによる「ワイマール国立バウハウス」開校八〇周年を記念し、本年ワイマール市と同市のバウハウス大学ワイマール及びバウハウス美術館、デッサウ市のバウハウス・デッサウ財団、ベルリン市のベルリン・バウハウス資料館では、数々の記念行事が盛大に開催される。特に旧東ドイツ唯一のエキスポ2000(ドイツ初の万国博「ハノーファー万博〈環境──人間・自然・技術〉」)モデル地区で、一九九六年一二月、グロピウス設計によるバウハウス校舎とマイスター・ハウスが、ユネスコの世界文化遺産に指定されたデッサウ市のバウハウス・デッサウ財団では、六
文化財になったアメリカの未来住宅 | 松村秀一 The American Future House Registered as Cultural Properties | Matsumura Shuichi はじめに 今日は二〇世紀の「建築生産の工業化」という文脈の中で語られることの多い四つの住宅についてお話したいと思います。個人的な背景として、私自身の研究の主たる関心のひとつが工業化住宅で、これは二〇年ぐらい前から研究してきました。石山修武先生から「脱工業化の時代になんで工業化なんてやっているのか?」なんて言われながら研究してきたわけですね。 二〇世紀の工業化の流れの中で、新しい技術や材料を使って作られた住宅は、脱工業化の時代の現在、歴史的事物として保存対象になったり再建されたりしています。私自身は、それらの文化財として保存されたり再建されたりした建築を、できるだけ見るようにしています。
〈無人〉の風景──建築が見る〈不眠の夢〉 | 田中純 An "Unpopulated" Landscape : The Architect's "Insomniac Dream" | Tanaka Jun 1ベルリン──〈零年〉の都市 「場所の諸問題」をテーマとした一九九四年のAnyコンファレンス〈Anyplace〉において、イグナシ・デ・ソラ=モラレス・ルビオーは「テラン・ヴァーグ」という発表を行なっている★一。〈テラン・ヴァーグ〉とは都市内部における、空虚で占有されていない、不安定で曖昧な性格をもつ場所をさす。ソラ=モラレスはこのテラン・ヴァーグへの関心を、一九七〇年代以降の写真による都市表象のなかに徴候として読み取り、それをジュリア・クリスティヴァの考察と関係づけて、共同体に対する他者(外国人)の存在がもつ〈未知性〉のイメージと解釈している。すでに本誌上で論じた通り★二、このテラン・
2 線を越えて 〈歴史の力〉は線にあるのか、それともその切断にあるのかという問いをめぐって、第二次世界大戦後、ナチのパラノイア的権力と両義的な関係をもったエルンスト・ユンガーとマルティン・ハイデガーの二人の思想家が、線という形象を主題としたニヒリズム論を交わしている。一九五〇年、ハイデガーの六〇歳記念論文集に寄稿されたユンガーの「線を越えて(Üer die Linie)」は、第二次世界大戦後の社会に過去の価値の全面的な還元過程、すなわちニヒリズムを認め、このニヒリズムは完成の最終局面にいたったと診断している。われわれは〈零度子午線〉という〈臨界線〉を通過しようとしているところであり、すべての価値が溶解するこの〈線〉を越えるとともに、新しい意味と形態がそこに結晶するであろう、とユンガーはいう。彼にとって歴史の力はあくまで線を切断する側にある。 これに対してハイデガーはその五年後、ユンガー六〇
スリバチ観察から東京の何が見えたか? | 皆川典久 What can We See of Tokyo from "Suribachi-kansatsu"? | Minagawa Norihisa 東京のスリバチとは 東京の都心部は武蔵野台地(洪積台地)が東京湾に迫り出した東の端に位置しており、その台地は西から東へ流れる川の浸食作用によって刻まれ、七つの丘が連なる特徴的な地形を形成している。武蔵野台地は透水性の悪い泥岩からなるため、浸食地形は段丘状の谷が密に刻まれるのが特徴である。高低差一〇─二〇メートルの谷は、鹿の角のように枝分かれし、台地の奥へとフラクタル状に入り込んでいる。 東京は坂の町と言われているが、多くの坂は対になっており、台地から眺めた場合、反対側の台地を望む、窪地状の坂が多く確認できる。東京の坂の多くは窪地へと続く坂である。台地に食い込む谷頭は三方向を台地(丘)に囲まれるため
史学・民俗学・解釈学──今和次郎再考 | 黒石いずみ History, Folklore, Critical Studies: Wajiro Kon Reconsidered | Kuroishi Izumi カルロ・ギンズブルグ 一九七三年にジョセフ・リクワートが『アダムの家』を著わしたとき、イギリス建築史学会の重鎮E・H・ゴンブリッチは、その書のタイトルが「天国の家」であるのにかかわらず実際は「地上の家」を扱うものだったことを揶揄した。そして、その論理が推測によって異なる文脈にあるものを連結することで成り立っており、歴史を「客観的」体系として語っていないこと、「人類学」に偏っていることを指摘して、建築史とは認めがたいうえに「論争的」で「学術的」ではないと批判したそうである。しかし、史実を記述する行為・記述する人間の認識自体が、時代と地域とに枠付けられているのは明らかである。だとしたら、
セイレーンの誘惑──ナポリ、カプリ、ポジターノ | 田中純 The Siren's Temptation: Naples, Capri, Positano | Tanaka Jun 1 ナポリ──壊れたもの 一九二〇年代、ナポリ、ポジターノといった南イタリアの町やカプリ島にはドイツの知識人たちが経済的な困窮を逃れて移り住んだ。一九二三年一〇月にレンテンマルクが導入され、経済に安定が回復されたドイツにあっては、むしろ、それ以後にこそ、こうした「知的放浪プロレタリアート」★一の移住が強いられた。そんな経済難民のひとりがアルフレート・ゾーン=レーテルである。彼は妻子とともに一九二四年の三月、カプリ島に向かい、叔父で画家のオットー・ゾーン=レーテルがアナカプリに所有していた屋敷に仮住まいを始めた★二。 このカプリ島のゾーン=レーテルのもとを間もなくヴァルター・ベンヤミンが訪ねている。彼のカプリ島滞
都市の伝記──自伝という死の訓練 | 田中純 Analyses of Urban Representation 16 | Tanaka Jun ヴェネツィアにほど近いパドヴァの街の中心に、転倒した船の船底のような屋根をもつパラッツォ・デッラ・ラジォーネは建つ。「サローネ(大広間)」と呼ばれる巨大なホールを二階に有するこのパラッツォは、一二一八年から翌年にかけて建造され、幾度もの焼失と破壊をくぐり抜けてきた。サローネのほの暗い空間を囲む壁面は四方びっしりと、占星術にまつわる図像を中心とするフレスコ画によって埋め尽くされている。小宇宙をかたちづくろうとするこうした室内装飾のモチーフは、一四世紀初頭にパドヴァ大学で教えた医者・自然科学者ピエトロ・ダーバノの著作に由来するものだという。 この巨大空間の脚下、建物の一階は、八〇〇年以上にわたり、商店が軒を連ねる市場としてにぎわっている。そこは隣接する
クリストファー・アレグザンダー再考 | 難波和彦 A Reconsideration of Christopher Alexander | Namba Kazuhiko 最近、若い建築家や建築研究者がクリストファー・アレグザンダーのデザイン理論に注目している。大きな潮流になっているわけではないが、彼らの紹介を通じて、アレグザンダーのデザイン理論は再び見直されるような予感がする。彼らは現時点でのアレグザンダーのデザイン理論に注目しているが、それだけでは彼の理論の可能性を十分にくみ取ることはできない。僕の考えでは、現在の彼の理論よりも一九六〇年代の初期アレグザンダーの理論のほうに学ぶべき可能性がある。初期の理論はデザインのあり方を根本的に問い直しているからである。現在のアレグザンダーの理論は一九六〇年代から紆余曲折を経て辿り着いた、彼なりのひとつの終着点である。僕たちには彼とは異なる展開の選択
批判的地域主義再考──コンテクスチュアリズム・反前衛・リアリズム | 五十嵐太郎 Rethinking Critical Regionalism: Contexturalism/ Antivanguard/ Realism | Igarashi Taro 野蛮ギャルドの住宅 それは大地に「映える」のではなく、大地から「生える」建築だった。数年前、建築史家の藤森照信氏が設計した《神長官守矢史料館》を見に行ったとき、小雨が降りしきる視界のすぐれない天候だったせいか、なんとも幻想的な第一印象を抱いた[図1]。おそらく山村を背景にして建物の正面に並ぶ、原木さながらの四本の柱が想像力をかきたてたのだろう(村に生えるミネヅオウの立木らしい)。妙なたとえであるが、靄に包まれたそれは直感的に「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる目玉オヤジの家を連想させた。ただし、屋根から柱が突き出す初期のスケッチを本人自ら「少々オ
掲載『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?, 2006年07月10日発行) pp.94-103 日本橋と首都高 今年(二〇〇六)の二月、江戸東京博物館を久しぶりに訪れた。水の都市として東京を再考するリサーチとプロジェクトの集大成となる「東京エコシティ──新たなる水の都市へ」展を見るためである。歴史的な資料から建築家による未来的なプロジェクトまで、内容は多岐にわたるが、水辺空間の魅力を再発見し、その可能性を引きだす方法を提示するものだった。実は、この企画に関わった東京キャナル・プロジェクト実行委員会のシンポジウムに司会として参加し、筆者は日本橋の問題を考えるようになった。あるパネラーの発言により、美観を名目として日本橋の上の首都高を撤去することが検討されていることを初めて知ったからである。とはいえ、当時はまだ実現性の低いプロジェクトだと思われた。しかし、二〇〇
魚座の建築家、フランク・ゲーリー──路上から転がり続けること | 五十嵐太郎 Pices Architect, Frank Gehry: From the Road, Still Rolling | Igarashi Taro 地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく、その三週間後に神戸の街を歩く機会を得た。大阪を過ぎ神戸に近づくにつれて、雨漏りを防ぐ青いビニールシートをかけた屋根が増えるのが見え、電車の窓からも被害の様子が伝わってきた[図1]。そして数日間、関西に滞在し、神戸のメリケンパークの近くに来たおり、ある建物のことが気になった。一九八八年にMoMAが開催した《ディコンストラクティヴィスト・アーキテクチャー》展のカタログで、トップバッターを飾った建築家が設計した作
九坪ハウスという現象 二〇〇二年一〇月一二日、TNプローブにおいて「九坪ハウスシンポジウム二〇〇二」が開催された。これはBoo-Hoo-Woo.comが仕掛けた住宅事業「九坪ハウス」により、八人の建築家・デザイナーがそれぞれにデザインした九坪ハウスを発表し、同時にそのシンポジウムを行なうイヴェントである。筆者は、このシンポジウムのモデレーターをつとめたが、当日はなかなか興味深い議論が行なわれた。そこで今回は九坪ハウスをめぐって考察したい。九坪ハウスが誕生した経緯は、いささか込み入っている。 話はちょうど五〇年前にさかのぼる。 一九五二年、建築家の増沢洵は最小限住宅の自邸を設計した[図1]。現在、これは戦後の小住宅を代表する作品のひとつとして評価されている。 一九九九年一月、リビングデザインセンターOZONEの「柱展」において、《増沢邸》の軸組が再現された[図2]。会期の終了後、これはスクラ
Renewal of Modernism──谷口吉生論 | 五十嵐太郎 Renewal of Modernism: Yoshio Taniguchi | Igarashi Taro 巨大なスケールと精巧なディテール 谷口吉生は特異な日本人建築家である。経歴を調べると、以下の二点が指摘できる。 第一に、ほとんど住宅作品がない。通常、日本の建築家は、自邸や狭小住宅を手がけてから、公共施設にステップアップしていく。だが、谷口は、アメリカで建築教育を受けた後、丹下事務所において海外の都市的な規模の仕事を担当していた。独立してからの作品も美術館を中心として公共施設ばかりである。商業施設さえ皆無に等しい。 第二に、コンペを好まないこと。驚くべきことに、《MoMA》が初めての設計競技の参加だった。しかも当初は参加の辞退も考えていたらしい。本人によれば、コンペでは相手を負かさないといけないから嫌だという。
白昼の怪物──彼岸と接続されるテレビ<個室<都市<テレビ | 五十嵐太郎 Monster in the Daytime: Connecting with the other World; Television-Private Room- City-Television | Igarashi Taro 奇跡──怪物の出現 おそるべき怪物と遭遇した。 キリンアートアワード二〇〇三の審査において、衝撃的な映像が出現した。今年、一四回目を迎えるアワードは、写真だけでなく、ビデオに記録することができれば、原則的に何でも応募可能である。それゆえ、絵画、彫刻、映像、音楽、演劇、建築、インスタレーションなど、あらゆるタイプの作品が参加し、ノンジャンル的な性格が強い。ある意味では、応募者が登録料を払い、「アート」だと思えばいいわけで、審査では、これも「アート」なのか?としばしば驚かされる。いわばアートの境界
反フラット建築論に抗して | 五十嵐太郎 Agaist Anti-Flat Architecture | Igarashi Taro フラット派批判 昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの世界には外部がないことや、一部の若手の建築家を「フラット派」と呼び、彼らが内向的であることを批判した。ゆえに、スーパーフラット批判の建築論と言えるだろう。このように彼が若手建築家に言及するのは、これが初めてではない。一年半程前にも飯島の論が話題になっており、今回はその続編にあたるものだ。念のために、議論の流れを説明しておこう。 最初の飯島論文「『崩壊』の後で──ユニット派批判」は、ひとりの名前を突出させるのではなく、ゆるやかな組織をつくり、数人で共同設計を行なう若手建築家を「ユニット派」と命名した★二
ファッションと建築の近さについて | 成実弘至 On Fashion and Architecture | Hiroshi Narumi 現代日本の建築とファッションは元来西洋から輸入されたものである。 それぞれ経緯は異なるにせよ、長い間かかって人々が生活や歴史の蓄積のなかで醸成した文化を駆逐する形で、近代以降に性急に根づかせてきたという事情はだいたい同じだろう。もちろんそのなかでさまざまな折衷や異種混交が試みられてきたし、そのような雑婚からしか文化というものは育たないということも事実だ。 しかし「もの」は使用する人々の日常生活の身体性、さらにその場所の気候、風土、文化、政治、産業などの社会的背景と不可分に結びつきながら、均衡のとれた有機的な世界を構成する。それをひとつの合理性によって強引に切断するのがモダンデザインの思想だとするならば、近代日本の日常生活はこの思想をそっくり実現した場所に
東京論の断層──「見えない都市」の十有余年 | 中筋直哉 Dislocated Studies of Tokyo: The "Invisible" City in Recent Decades | Naoya Nakasuji 自分には第一の故郷も、第二の故郷も、いやそもそも故郷という意味がわからぬと深く感じたのだ。思い出のないところに故郷はない。確乎たる環境が齎(もたら)す確乎たる印象の数々が、つもりつもって作りあげた強い思い出を持った人でなければ故郷という言葉の孕(はら)む健康な感動はわかないのであろう。そういうものも私の何処を捜してもみつからない。 小林秀雄「故郷を失った文学」一九三三 1 東京論の断層 一九八〇年代から現在までの出版物のなかに都市東京の現在を捉えるのが本論のテーマである、と書いてみて、この十有余年に現われた東京をめぐる出版物の多さを思い、途方に暮れてしまった。その前
過防備都市 2──戦場としてのストリート | 五十嵐太郎 Fortified Cities 2: Street as Battle Area | Igarashi Taro 排除系のオブジェ ある朝のNHKのニュースだった。半年前程だろうか。広島の地下商店街において、通路のベンチにアーティストがオブジェをつけたことを街の話題として報じていた。平らで長方形のベンチのちょうど対角線上に透明な球体状のオブジェを二つ置くというもの。座ることには何ら支障を来さないが、その上で寝ることを拒絶している。明らかに路上生活者を排除するための装置である。ところが、さらに驚いたのは、そのニュースがいわゆるほのぼの系の街の明るい話題として構成されていたことだ。パブリック・アートが街のにぎわいに貢献するという文脈である。もっとも、アーティストへのインタヴューでは、制作を依頼した側に、排除という目的があったことを明か
アレグザンダーが再召還されていますが、なぜですか? | 中谷礼仁 Why Recall Christopher Alexander? | Nakatani Norihito もしアレグザンダーが批判的まなざしを通して再召喚されているのだとしたら有意義でしょう。しかし先ずは忘れ去られた経緯について書いておくべきでしょう。 クリストファー・アレグザンダー(一九三六-)は最もロジカルなデザイン論である『形の合成に関するノート』(一九六四)や、パタン言語を建設行為に導入した『パタン・ランゲージ』(一九七七)によって著名です。また最近では二〇〇〇頁を超えることになると思われる「Nature of Order」シリーズ(本邦未訳)が順次発行され、彼の思想の集大成になりつつあります。 奇妙なことに、彼はこの二〇年ぐらい日本の建築界ではほぼ完全に忘れ去られていました。しかしながら建築以外の分野、特にコンピ
新書という公共圏──桑原武夫編『日本の名著』という企み | 菊地暁 Shinsho as Public Sphere: Compiler Takeo Kuwahara's "Nippon no Meicho" Scheme | Akira Kikuchi 「ジャーナリスト養成所」。かつて、人文研(京都大学人文科学研究所)はそう揶揄されたという★一。世間の喧噪から離れて真理を探求する「象牙の塔」的学者像がまだ幅を利かせていた時代、大衆向けの「新書」を書くことなぞ、およそ真っ当な学者のすることではないと白眼視されたためである。今日、あらゆる大学がバスに乗り遅れるなとばかりに「社会との連携」に突っ走り、マスメディアへの発信を急き立てられる状況からすれば、ほとんど夢のような話である。 事実、人文研は数多の新書ライターを擁していた。例えば岩波新書なら、桑原武夫『文学入門』(一九五〇)、貝塚茂樹『中国
「メタ世界」としての都市──記憶の狩人アルド・ロッシ | 田中純 The Urban as "Meta-World": Memory Hunter "Aldo Rossi" | Tanaka Jun 1 建築の「情念定型」 アルド・ロッシの『学としての自伝』(邦題『アルド・ロッシ自伝』)は、この建築家の記憶のなかの断片化されたイメージが、夢のメカニズムにも似た類推と圧縮をへて、さまざまなプロジェクトに結実するプロセスを内観するように自己分析した著作である。そのプロセスが奇妙なのは、プロジェクトが時間の進行のなかで営まれるにもかかわらず、ロッシ自身にとっては──つねにすでに──時間は停止してしまっているという点だ。この「発展のない体液停止(スタージ)」のもとで、「どの夏という夏も私には最後のものに思われた」★一。 つねに最後であるような停止した季節──それは、しかし、時間の停止というよりも、
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