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衆院選
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20年前の話 昔話になるが、今(2022年10月)から10年前、2002年10月25日の話をしたいと思う。 その日は、晴れていたと記憶している。秋晴れの時期である。何もなければ、そのへんをぶらぶら散歩するのに適した天気であったと思う。その頃、私は東京・世田谷区と目黒区の境目にある高校の3年生だった。朝の授業は、8時半からであった。1限は、確か、古文のS先生の源氏物語の授業だったはずだ。2回に1回、源氏の文章に関する小テストをしていて、その日も朝から小テストだった気がする。この授業は文系の生徒向けのものだった。私の学年は文系の生徒よりも理系の生徒の方が多かったから、文系向けの授業は人数が少なめだった。だから、席には余裕があり、めいめいが好きな席を選んで座ることが出来た。そして、前の方の席に座ると、ヘビースモーカーのS先生の煙草のにおいが気になってしかたないので、私は、教壇から少し離れた席でテ
日本のことを「帝国」と呼んだ戦前の法律 戦前の日本の法令では、日本のことを単に「帝国」と表現することがしばしばあった。例えば、著作権法(明治三十二年法律第三十九号)の第三十一条では、以下のように日本を「帝国」と記していた。 帝国ニ於テ発売頒布スルノ目的ヲ以テ偽作物ヲ輸入スル者ハ偽作者ト看做ス(強調引用者) 著作権法(明治三十二年法律第三十九号)第三十一条 「帝国」という表現の変更 法令中のこうした「帝国」は、戦後の法改正により少しずつ消えていった。例えば、刑法(明治四十年法律第四十五号)ではもともと「帝国内」・「帝国外」などといった表現が用いられていたが、1947年の法改正により「日本国内」・「日本国外」といった表現に改められている。 第一条第一項中「帝国内」を「日本国内」に、同条第二項中「帝国外」を「日本国外」に、「帝国船舶」を「日本船舶」に改める。 刑法の一部を改正する法律(昭和二十二
丸善 丸の内本店 丸善 丸の内本店 東京駅の丸の内北口を出るとすぐに見えるのが丸の内オアゾだ。この建物の1階から4階にあるのが、丸善 丸の内本店である。在庫数は、店舗ウェブサイトの記述によると和書100万冊、洋書12万冊。 1階は場所柄か、ビジネス向けの書籍が豊富である。かと言ってそういった「実用」的な本だけしかないわけではない。この書店は上の階に行くほどアカデミックな香りが濃くなっていく傾向がある。3階には理工・医学・人文などの専門的な和書が、4階にはさまざまな分野の洋書が置かれている。4階の洋書は専門的なものも少なくなく、英語だけでなくフランス語・ドイツ語のものも。 八重洲ブックセンター 本店 八重洲ブックセンター 本店 東京駅の反対側の八重洲口の方には、八重洲ブックセンターの本店がある。人がいつもごった返している丸善の丸の内本店に比べると、かなり静かで時間がゆっくり流れている気がする
はじめに 著作権の保護期間終了によって、2018年1月1日からその作品が自由に使えるようになった人について紹介する。 今のところ、日本の著作権法では、基本的に著作者が死んでから50年経つまでは著作権の保護を受けることになっている。つまり、死後50年間は、勝手に複製したり、配付したりすることができない。しかし、50年経つと、著作権がなくなる。これにより、だれもが自由に作品を使うことができるようになるのだ。そうすると、自由に複製ができるし、インターネット上に勝手に掲載しても文句を言われなくなる。50年の時を経て、著作者本人のものから、「みんなのもの」になるのだ。 なお、死んでから50年というのは、死んだ日からちょうど50年が経ってからという意味ではない。著作権は、死んだ年の50年後の年末まで残り、その翌年の初めから自由に使えるようになる。例えば、1967年に死んだ人の作品は、1月に死のうとも1
太平洋戦争中に出された警察官向けの教材において、休講を理由としてカフェーにいた大学生が派出所に連れられて警察官から説教を食らうという設定の話がある。 はじめに 太平洋戦争中の1942年に、『説諭の栞』という警察官向けの教材が出された。これは、警察官が説諭――いましめるために言い聞かせること――を行う際に、どのような点に注意すべきかについて、さまざまな事例を通じて説明したものである。 この教材には、盗癖がある不良少年に説諭するなど、現代でもありそうな事例も載っているが、今では想像しにくいようなことにまで説諭している事例がある。その中で私が面白いと思ったのが、「休講なりと称し飲食店を徘徊する私立大学生に対して」の説諭の例である。この例では、休講であることを理由にしてカフェーにいた大学生が、警察官に派出所に連れられて、説諭を受けることになる。 この記事では、この大学生が説諭を受ける設定の話を引き
「千葉市の熊谷市長」のように、日本国内の市長の名字が他の実在する市の名前と同じになっている事例のリスト。 「千葉市の熊谷市長」という困惑 前にニュース記事か何かを読んでいたとき、「千葉市の熊谷市長」という言葉を見て困惑したことがある。これは要するに「千葉市の市長で、熊谷という名字の人」のことを指している。しかし、千葉市とは別に熊谷市という市が実在しているために、「千葉市の熊谷市長」という言葉を見て、千葉市の市長なのか熊谷市の市長なのか、わけが分からなくなったというわけだ [1] 。 「千葉市の熊谷市長」のような例は他にもある。例えば、群馬県高崎市の市長は富岡賢治という。つまり、「高崎市の富岡市長」だ。そして、高崎市に隣接している市として、富岡市という市が実在している。このため、「高崎市の富岡市長」は非常にまぎらわしい組み合わせになってしまっている。 日本人の名字は地名に由来することが多いか
歌人の俵万智氏が詠んだ「サラダ記念日」の短歌は、現実に起きたことをそのまま写し取ったものではない。もともと鶏の唐揚げがうまくできた体験があり、そこから「サラダ記念日」の短歌が創作された。 「サラダ記念日」の短歌 歌人の俵万智氏が詠んだ有名な短歌に次のものがある。 「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日 俵万智.(1987). 『サラダ記念日』河出書房新社.p. 125 この短歌をありのままに読むと、歌人が実際に7月6日にサラダを作って、相手にその味を褒められたシーンが想像できるだろう。しかし、これは現実に起きたことをそのまま写し取ったものではない。「七月六日」と「サラダ」というのは歌人が頭の中で作り上げたものである。 サラダ記念日の元となった経験と作歌の流れ この短歌の元となった経験は、鶏の唐揚げをカレー味にしてボーイフレンドに褒められたことであるらしい。本人が2014年
はじめに 東京大学駒場キャンパス1号館 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』というマンガに、法条正義(後に凄苦残念と改名)というキャラクターがいる。このキャラクターは東京大学出身という設定なのだが、学生の頃は実家のある三重県松阪市から東大まで通学していたらしい [1] 。 松阪から東京までは今でも3時間以上かかる。松阪に住んでいたとしたら、東京での朝一番の授業に最初から参加するのはかなり厳しい。 そこで気になったことが1つある。どのあたりに住んでいれば東大での朝一番の授業に間に合うのだろうか。と言うわけで、東大の1限にぎりぎり間に合う範囲を調べてみた。 調査方法 駒場東大前駅に午前8時25分までに到着する範囲を調査する。 駒場東大前駅は、東京大学駒場キャンパスの最寄り駅。 なぜ本郷キャンパスを選ばなかったかと言うと、本郷キャンパスは近辺にある駅が多くて調べるのが面倒だったため [2] 。 東大
はじめに 著作権の保護期間終了によって、2017年1月1日からその作品が自由に使えるようになった人について紹介する。 日本の著作権法では、基本的に著作者が死んでから50年経つまでは著作権の保護を受けることになっている。つまり、死後50年間は、勝手に複製したり、配付したりすることができない。しかし、50年経つと、著作権がなくなる。これにより、だれもが自由に作品を使うことができるようになるのだ。そうすると、自由に複製ができるし、インターネット上に勝手に掲載しても文句を言われなくなる。50年の時を経て、著作者本人のものから、「みんなのもの」になるのだ [1] 。 なお、死んでから50年というのは、死んだ日からちょうど50年が経ってからという意味ではない。著作権は、死んだ年の50年後の年末まで残り、その翌年の初めから自由に使えるようになる。例えば、1966年に死んだ人の作品は、1月に死のうとも12
日本オリエント学会の設立の回顧の座談会には、同学会の初代会長が三笠宮崇仁親王であったということもあり、普通の学者の思い出語りとは一風変わった面白さがある。 学者の思い出語り 年配の学者が昔の学会活動を回顧するために、昔の様子をまとめた随筆を学会誌に載せたり、思い出を語る座談会を開いたりするということがある。そして、学術以外の世界と同様に、こうした年配の方々は「おれも昔は無茶をやったなぁ」といったことを書いたり語ったりすることが少なくない 。例えば、日本アフリカ学会の回顧座談会では、アフリカに研究しに行くために、昔は捕鯨船に乗せて連れて行ってもらったといった「武勇伝」が語られていたりする [1] 。 こうしたものを面白い昔話として捉えるのか、単なる年寄りの繰り言として捉えるのかは人によって評価が分かれるところだろうが、ともかく、昔のことを知らせようとする人はそれなりにいる。 日本オリエント学
チューリングのマラソン記録 アラン・チューリング(1927年) アラン・チューリング (Alan Turing, 1912-1954) は、コンピュータ科学の基礎を打ち立てた人物である。実は、彼は長距離走が得意で、マラソンも速かった。 チューリングは、1947年に行われたアマチュア・アスレチック・アソシエーション・チャンピョンシップ (Amateur Athletic Association championships) のマラソン競技で、2時間46分3秒という記録を残している [1] 。 この記録は、現在のマラソン競技のスピードからするとあまり速くないように思われるかもしれないが、当時としてはかなり速い。国際陸上競技連盟の記録 [2] によれば、当時のマラソンの世界記録は、1947年4月に韓国の徐潤福がボストンマラソンで記録した2時間25分39秒である。また、1948年に行われたロンドン
東京大学総長が入学式式辞で、ヘッドラインだけでなく、記事の本文もしっかり読むべきだと述べた。これに関する新聞報道が、皮肉なことにヘッドラインを見ただけでは誤解を招くものになっている。 五神総長の式辞 2016年4月12日、平成28年度東京大学学部入学式が行われた [1] 。その中で、五神真東京大学総長が式辞を述べた。 五神総長の式辞ではさまざまなことに触れているが、後の方でメディアリテラシーに関する話を東大の新入生に伝えている。少し長いが、このメディアリテラシーについて触れた部分を引用しよう。 ところで、皆さんは毎日、新聞を読みますか? 新聞よりもインターネットやテレビでニュースに触れることが多いのではないでしょうか。ヘッドラインだけでなく、記事の本文もきちんと読む習慣を身に着けるべきです。東京大学ではオンラインで新聞記事や学術情報を検索し閲覧できるサービスを学生の皆さんに提供しています。
はじめに 著作権の保護期間終了によって、2016年1月1日からその作品が自由に使えるようになった人について紹介する。 日本の著作権法では、基本的に著作者が死んでから50年経つと著作権がなくなることになっている [1] 。つまり、死んでから50年の間は、著作権の保護を受けるので、勝手にコピーしたり、インターネット上で配付することができない。しかし、50年経つと、著作権がなくなるので、だれもが自由に作品を使うことができるようになる。そうすると、自由にコピーができるし、インターネット上に掲載しても文句を言われないことになる。 なお、死んでから50年というのは、死んだ日からちょうど50年が経ってからという意味ではない。著作権は、死んだ年の50年後の年末まで残り、その翌年の初めから自由に使えるようになる。例えば、1965年に死んだ人の作品は、1月に死のうとも12月に死のうとも、2015年の12月31
文部科学省が作成・公開した『私たちが拓く日本の未来』という高校生向けの有権者教育の副教材に載せられている挿絵で、政治家はすべて男性として描かれている。 2015年6月17日、公職選挙法の改正案が国会で成立 [1] し、2016年夏の参議院選挙から18歳・19歳の男女にも選挙権が与えられるようになった [2] 。この改正により、少なくない数の高校生が選挙権を得ることとなった。 このことを踏まえ、文部科学省は総務省と協力し、政治・選挙に関する高校生向けの副教材として『私たちが拓く日本の未来』という小冊子を作成し、9月29日に公開した [3] 。この副教材は、文科省のウェブサイトの「政治や選挙等に関する高校生向け副教材等について」というページからダウンロードできる。 この副教材では、政治や選挙の仕組みについて高校生にとって分かりやすく書かれており、これから有権者になろうとしている人にとって有用な
ギリシャ・ドイツ・フランス・イギリス・アメリカ・インド・中国・日本の主要な哲学者や思想家で野球チームを作ってみたとしたらどうなるかについて。 注意書き これは単なるネタなので、真面目に信じないように。 ギリシャ 1(右)ピタゴラス 2(遊)アリストテレス 3(一)プラトン 4(二)ソクラテス 5(左)ヘラクレイトス 6(三)キティオンのゼノン 7(中)アナクシマンドロス 8(捕)パルメニデス 9(投)エレアのゼノン 2番アリストテレスから4番ソクラテスまでの三大哲学者は最強の打線。控え選手も豊富だ。ピッチャーのエレアのゼノンは、止まる矢に着想を得た止まるボールという魔球を投げる。6番キティオンのゼノンはストイックな姿勢が特徴。 アテネの学堂に集まったギリシャチームのメンバー。 ドイツ ニーチェ 1(左)マルクス 2(遊)ライプニッツ 3(一)カント 4(二)ヘーゲル 5(中)フッサール 6
このブログを運営している人について このブログを運営している人は西原史暁 (Fumiaki Nishihara) といいます。連絡を取りたい場合はこちらのメールフォームからどうぞ。こまごまとした情報は、Twitterでつぶやいています。良かったら見てください。
キリスト教・イスラーム・ゾロアスター教・ヒンドゥー教・仏教・道教・儒教の7つの宗教について、日本語で手軽に読める聖典をリストにして紹介。 はじめに 本記事では、世界の宗教の聖典を読みたいと考えている人のために、手軽に読むことができる日本語訳の聖典 [1] を紹介する。 「聖典」とは、宗教のよりどころとなる重要な書物のことを指す。キリスト教で言えば『聖書』が聖典となり、イスラームで言えば『コーラン』が聖典になる。なお、聖典の代わりに、「経典」ということばが用いられることがある。 世界の宗教を理解する際には、その聖典を読むことも重要だ。(写真 [2] はユダヤ教の聖典のトーラー) キリスト教 キリスト教は、信徒数が世界で最も多い宗教であり、ヨーロッパ、南北アメリカ、サハラ以南のアフリカ、オセアニアなどに信徒が多い。 キリスト教の根本となる聖典が『聖書』である。聖書の日本語訳には様々なものがある
はじめに 中国は長らく皇帝が統治を行う国家であった。王朝はしばしば代わるものの、皇帝が政治の中心となるということは古来不変であった。しかし、1912年に清朝最後の皇帝である宣統帝(愛新覚羅溥儀)が退位し、中華世界から皇帝はいなくなり [1] 、皇帝による政治は消滅した。 中国での皇帝による政治が終わってから73年後、中国の片田舎である男が皇帝として即位したという。この男の名を曾応竜という。彼は漢の武帝 [2] 、唐の太宗 [3] 、清の乾隆帝 [4] のように広大な範囲を支配したわけではない。彼が支配したのは、片田舎のごくわずかな土地で、それもごくわずかな期間であった。 中国語圏のいくつかのインターネットフォーラムで、この「皇帝」についての話が流布している。曾応竜は1985年に皇帝として即位したという。曾が建てた国の名前は「大有」であり、四川省の片田舎にあったという。県の政府を襲撃したが、
政治家が自分の名前を載せるなと新聞社に圧力をかけたのに対し、新聞社はユーモアにあふれた社説で反撃して言論の自由を守った。 概要 アメリカのメリーランド州の政治家カービー・デローター氏 (Kirby Delauter) が、地元紙フレデリック・ニュース=ポスト (Frederick News-Post) に対し自分の名前を載せるなと圧力をかけた。これに対して、同紙は、カービー・デローターという名前を連呼した社説を書き、圧力を跳ね返した。 「無許可で載せるな」 カービー・デローター氏は共和党で、メリーランド州フレデリック郡の郡会議員である(デローター氏の公式ウェブサイト)。地元紙『フレデリック・ニュース=ポスト』が2015年1月3日付けの“Shreve raises staffing, parking concerns”という記事でデローター氏のことに触れた。これに対し、デローター氏は「無許可
日本がアメリカの東海岸にあったらどれぐらいの大きさに? 東京の山手線に囲まれた範囲は他の都市ではどれぐらいの範囲に相当する? こうした疑問を簡単に調べられるウェブサービスについて。 概要 東京の山手線に囲まれた範囲は、他の都市だとどれぐらいの範囲に相当するのだろうか? 北海道の端から端は、本州で言えばどれぐらい離れているのだろうか? 日本とアメリカの大きさはどれだけ違うだろうか? MAPfrappeというウェブサイトを使えば、こうした疑問に簡単に答えることができる。 2019年9月16日現在、MAPfrappeは使えなくなってしまっている。Google Maps 利用の料金体系が変わって、今までと同じやり方では多額の費用がかかるため、MAPfrappeを使えなくしたとのことである。【2019年9月16日追記】 このMAPfrappeというウェブサイトにアクセスすると、2枚の地図 [1] が
衆議院解散の際に解散詔書の朗読がどのように行われてきたかについて明治期から現代に至るまでの経過を説明する。解散詔書の朗読の慣行は大正期に確立し、戦後も似たような形式で朗読が行われている。ただし、戦後の10年間と、2014年の解散においては、慣行から外れた形式での朗読が見られる。 はじめに 日本では、衆議院が解散される際に、衆議院本会議で衆議院議長が解散詔書(しょうしょ)を朗読し、その後議員が万歳をするのが慣例となっている。しかし、この慣例は昔からあったわけではない。また、慣例と違う取り扱いをした場合もあった。今日は、帝国議会会議録・国会会議録の記録などをもとに、衆議院解散の際に本会議で詔書がどう朗読されてきたかについて見ていきたいと思う。 なお、解散の詔書は、戦前・戦後を問わず、以下の要素で構成されている。 本文:憲法に基づき衆議院を解散する旨を記す。 御名(ぎょめい)御璽(ぎょじ):天皇
清の雍正帝の治世のころに起こった中国とベトナムとの国境争いについて。大国である中国側がベトナムにゆずったという点が特筆される。 はじめに 2014年5月初旬に、中国が西沙群島 [1] で石油掘削を始めたことから、ベトナムと中国との間の対立がはげしくなっている。西沙群島は、中国の実効支配のもとにあるが、ベトナムも領有権を主張しており、ベトナムは中国の行為に大いに反発している。ベトナムでは大規模な反中国デモが発生し、ベトナムに進出する中国企業には大きな被害が出ている。 両国の領土をめぐる争いは今に始まったことではない。問題となっている西沙群島について言えば、1974年に中国と南ベトナム [2] の間に紛争があり、その戦いの結果、西沙群島の全ての島が中国の支配下に置かれることになった。また、中国とベトナムの間には陸上の国境もあるから、そこでも国境紛争が起きている。例えば、1984年には中国軍がベ
前置き 東京大学の中でも人文系の学生は就職に対して不安に思う傾向が強いようである。毎日jpの「東京大:新入生6割が就活不安」 [1] という記事によると、人文系の学科に進むことが想定されている文科三類の学生は7割近くの新入生が就職に不安を感じているそうだ。 同記事によると、2013年4月初めに、東京大学新聞社が東大の新入生に向けてアンケートを実施したそうだ。そのアンケートによると、「就活に不安を感じるか」という質問に対し、「とても不安」か「やや不安」と回答した文科3類の新入生は69%であった。新入生全体で見ると、「とても不安」か「やや不安」と回答したものは58%であったそうだから、人文系の学科に進むことが想定されている文科三類の学生は就職に悲観的である傾向が見受けられる。 このように人文系の学生が不安を持つのはもっともである。というのも、人文系の学問というのは職業生活に直結しない。だから、
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