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やる気の出し方
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はじめに その発端は大正12年に起こった関東大震災。 9月1日午前11時58分、相模湾沖を震源として発生したマグニチュード7.9の大地震は丁度お昼の支度どきだった為もあり多くの火災を引き起こし、東京一円の街並みを灰燼に帰した。 浅草で区役所勤めをしていた大塚卯十郎は住処も働き場所も無くなり、家族を引き連れ徒歩で丸一日かかる生まれ故郷の由木村鑓水に帰って来た。 卯十郎はシルクロードとして栄えた鑓水商人の家系であったが、家業を疎かにした為に家は没落し、ふる里を捨て浅草へと移住していたのだ。 故郷へ戻った卯十郎は、津久井の川尻村に保有していた土地で旅館経営を始めるが、何せ鑓水から徒歩で4~5時間もかかる場所、行き来が不便で仕方が無い。 昔の仲間と旧交を温めるうち、我が村を豊かにする為にも、東京からこの鑓水、川尻へと結ぶ鉄道の敷設を考えるようになった。 当時は折から私鉄設立ブームの時期で、仲間の松
■2007/11 ~ 軌道掲載地図、発見さる ~ 中島飛行機武蔵製作所と田無町の中島航空金属の間を結んだ簡易鉄道について大分以前に記事にした([簡易鉄道トップ]参照の事)が、それは当時の保谷市有志の方々が行なった貴重な聞き取り調査により浮き彫りとなった推定路線経路を元としたものだった。 というのは、なにぶん戦後の混乱期の事でその軌道がすぐに撤去されてしまった為もあり、この鉄道の掲載されている地図が存在しなかったからに他ならない。 ところが、最近読者の方からその地図を見つけたとの情報を頂き非常に驚いたのだが、教えてもらったサイトへ行ってみると、果たして確かに掲載地図の存在している事がわかった。 それが下記のページである。 http://www.lib.utexas.edu/maps/japan.html 米オースティンのテキサス大学にある Perry-Castañeda 図書館のサイトだが、
その昔、南武線は立川と西国立の間に、東立川という駅があったそうですね。開設が 1929年という事で、南武線といってもまだ南武鉄道の時代ですが、立川まで全通した時に出来た駅の様です。 場所は、南武線が中央線から分かれてカーブをしかかったあたり、日本自動車学校へ行く踏切のすぐ先のあたりです。何故こんな場所に駅が出来たかというと、どうもこの自動車学校の敷地に(軍需関係の?)工場があったためらしいのです。 その後この駅は 15年ほど営業を行いますが、戦時中の 1944年に廃止されます。理由はおそらく、戦局が逼迫した事による統廃合でしょう。 ちなみに資料によると、所在地は当時の住所で 北多摩郡立川町字下古新田、川崎からのキロ程で 34.8 であったとの事です。(立川は 35.5) では、現在このあたりはどんな風になっているのでしょうか。立川駅から延々歩いて立川通りを渡り、クレストホテルの先から斜め左
□■□ 何がどうしてこうなった □■□ 東京西郊の国分寺・多摩湖・所沢のあたりを初めて地図で見た人は、その鉄道路線の煩雑ぶりに唖然とする事だろう。縦横斜めに交錯する線、同じ方向へ向かって一見無意味に延びている支線。鉄道ファンならずとも、その生成過程に興味を抱くのは無理からぬ事だと思う。 現在全て西武鉄道により運行されているこれらの線の歴史を振り返るには、遠く甲武鉄道の時代までさかのぼる必要があるようだ。 現状の路線図詳細については、西武グループの路線案内をご参照下さい。 甲武鉄道と川越鉄道 1889(明治22)年、甲武鉄道(新宿~八王子)が開通。1895(明治28)年、川越鉄道(国分寺~川越)が全通。川越鉄道は、その頃物資の集散地として栄えていた川越と都心を結ぶ鉄道として計画されたものであり、事実上甲武鉄道の支線として位置付けられていた。 川越鉄道が何故川越から東へ向かわずにこの様な迂回ル
南津電鉄 や 京成上野地下線 の記事で使用した重ね合わせ地図についてメールで何件かお問い合わせをいただいたので、この機会に若干解説をしておきます。 これらは Google Maps JavaScript API V3 を使っており、その中のカスタムマップタイプの「オーバーレイマップ」というタイプを使用しています。 既存の Googleマップの上にレイヤーを作り、そこへ自サイトに置いた画像イメージを APIを使って重ねて同時に動かしているわけです。 ちなみに以前は Googleの APIを使用するには登録して自サイト用に APIキーを取得しなくてはなりませんでしたが、現バージョンでは必要ありません。 また 1日のページロード数 25,000以上は課金されますが、一般的な個人サイトではまずこれを超える心配は無いでしょう。 (2018年7月より、再び APIキーが必須となりました。またGoogl
46. 福生駅の遺構(青梅線) 46. グラントハイツ・エクスプレス(東武:啓志線) 45. 男衾の弾薬工場線(東武:男衾) 44. 八王子市街電車の野望(武蔵中央電鉄) 43. 坂戸の砂利線(東武:坂戸) 42. 霞ヶ関のトロッコ軌道(埼玉県営鉄道) 41. 甲武鉄道の砂利線 40. 入間馬車鉄道跡を往く 39-2. 追補:田面沢駅 39. 謎の田面沢駅と入間川橋梁(東武:入間川付近) 38. 廃線跡は基地の中(西武:入間基地近辺) 37. 東上旧線を行く(東武:東松山) 36. ワンダーゾーン秩父(秩父鉄道) 35. 川越線におされて消えた(川越電気鉄道) 34. 見上げれば索道(奥多摩) 33. 米軍第8002化学農場線(西武多摩川線) 32. 富士見信号所から東へ(武蔵野線:北府中) 31. 湖底へ続くトンネル(東京市軽便鉄道) 30. 浅川謎の未成線(中央線:高尾) 29. 東立
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2. Rail Page 自転車で訪れた近在の廃線跡や、その他鉄道関連情報を掲載しています。草軽他、特別遠征レポートも。
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◆ 風雲急の武州鉄道 ◆ - 以前、「夢に終った鉄道たち」でいくつかの未成線をとりあげましたが、今回はその中で武州鉄道にスポットをあててみたいと思います。武州鉄道というとかつて埼玉の蓮田あたりを走っていた鉄道が有名ですが、こちらは多摩地域に走っていたかも知れない鉄道のお話。これはその免許をめぐり、当時の政治家をも巻き込んだ戦後最大の疑獄事件にまで発展したので、ある程度の年代以上の方はご存知かも知れません。 ◆ 敷設計画の概要 そもそもこの免許を申請したのは滝嶋総一郎という人物で、戦後スクラップを転売して財を成した新興実業家。だが、鉄道経営に関してはズブの素人だったそうな。で、申請したのが 三鷹~小金井~小平~大和~箱根ヶ崎~東青梅~名郷(名栗村)~根古谷(横瀬村)~御花畑(秩父市) 間、60.3km という壮大なプラン。これを、総工費わずか 41.5億円で完成させようというのだから傍目にも
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