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猫
kireinasekai.hatenablog.com
はじめて麻雀を覚えたのは中学生の頃のことだった。といっても家にあったパソコンにたまたま父親がいれていた麻雀ゲームをやってみたくらい、それがわたしと麻雀との初めての出会いだった。でも相手はパソコンのAIで、わたしがルールをあまり分かっていなくても勝手に『リーチ』ボタンが点灯したり、『鳴く』ボタンが点灯してそれを押してみたりしたらあがろうと思っても役がなくてあがれなくなり何であがれないのか分からないとか、そんな感じで決して麻雀が上手くなることはなく、そして麻雀の楽しさを知ることもなく、その頃ほんのたまに暇つぶし程度にしたくらいで、大学生になる頃には麻雀のことは忘れてしまっていた。 大学生になると、浪人上がりや男子校出身の男の子たちが中心となって同級生が徹マンをしたりし始めて、そういえば昔ちょっとやったことがあったな、くらいのことを言ったらそのままメンツ探しのときに誘われるようになって、そうこう
小さな旅が必要だった。ただ何をするでもない、時間が必要だった。 いま電通の女性社員の自殺がニュースになっているが、様々な意見がネットに出回っていて、多くの人が賛同している意見にわたしも概ね賛同している。長時間労働以上に重要だった問題は、数値化されるものではなかったのだろうなと思う。多くの人がいうように、このような状況では『仕事を休む』という冷静な判断はできなかったのだと思う。ただ個人的に、彼女が仕事から離れることができていれば、状況はよくなっていたかもしれないと思う。これは自分が1か月仕事から完全に離れてみて、それがどれだけ自分に正の効力を与えてくれるかを実感したからだ。彼女を直接知っている訳ではないので何とも言えないけれど、わたしが1か月前に仕事を休むことが出来たのは、オーバードーズという目に見える行動を起こしてしまったからだった。逆に言えば、このようなきっかけでもなければ、たぶん、仕事
はじめて親知らずを抜いたのは、たぶん、4年前のことだったと思う。右上に生えた親知らずが虫歯になりかかっていた。その時には最初にかかった開業医の先生がそのまま抜いてくれて、しかもほとんど痛みもなかったのを覚えている。親知らずを抜くことになったという話をしたとき、たいていの友人は『麻酔の注射がすごく痛い』『次の日に顔の形が変わる』『1週間うどんしか食べられなかったから痩せた』と親知らずを抜いたあとの悲惨なエピソードについて語り、わたしを脅した。なので、かなり覚悟を持って臨んだのだが、歯茎に打つ局所注射も、ペンチのようなもので歯を抜くときも全く痛くなかったし、その後腫れることもなかった。 そういうこともあり、今回左下の親知らずが虫歯になりかかったときにも、はっきりいってかなりなめていた。今回は以前とは別の歯科にかかり、抜歯するにあたり一度歯全体のレントゲン写真を撮ったのだが、その時先生に『左上の
ジェンガをほぐしてゆく。 崩さないようにジェンガをほぐしてゆく。 どこを抜けばジェンガは倒れずに立っていられるのか。ひとつの腐食したジェンガのかけら。かけら。ピース。それを抜いても、そのジェンガは立っていられますか。 どれだけ抜いてもジェンガはジェンガである、いや、そういうわけではない。どこかで倒れるときがくる。崩れるときがある。信じられない程簡単に。崩れたジェンガはもはやジェンガではない。かけらたちの集まり。ただの塊。そうしたらそのゲームは失敗。終わり。 ひとつかけらを外したところで、倒れるときは倒れるもので。崩れるときは崩れるもので。けれどもただ立ってさえいられれば、どこまで抜いてしまってもかまわない。かまわないの。そういうルールでいまは進んでいる。ジェンガはそういうものというルールでわたしたちはかけらを外していく。大胆に、大胆に。倒れることさえしなければ、それはジェンガだと言える。そ
最近とある友人とご飯を食べる機会があり、そのお店の予約はわたしがとることになった。どんなお店がいいか友人に聞いたところ、『炭水化物をプッシュしていないお店』との返答であった。どうやら筋力トレーニングにはまっているらしく、肉体維持のため夕食には炭水化物を抜いているらしい。わたし自身は筋トレには全然詳しくないけれど、どうやら良い筋肉のために炭水化物はよくないらしかった。 わたしは焼き鳥屋と京料理屋を提示し、友人に選択してもらうことにした。友人は焼き鳥屋がいいと言った。たぶん、ささみとか、そういった脂身の少ないお肉を欲しているんだろうなと推測された。 いざ友人と焼き鳥屋に行き、メニューを広げ、何を頼もうかと聞いたところ、『この店、きりたんぽがあるやん。きりたんぽは外せないな。』との返事が返ってきた。ん?と思った、少し考えて、きりたんぽのことを思い出してみたけれど、わたしの記憶が正しければ、きりた
夜の病院は恐ろしい。 恐ろしいと言っても、お化けだとか幽霊だとかそういった類のお話ではない。恐ろしいのはいつでも生身の人間だ。病院においてすでに死んでしまった人間(あるいはそれが化けて出たものだとしても)はそう恐ろしいものではなく、本当に恐ろしいには今まさに死のうとしている人間だ。なので『病院はお化けが出そうで怖い』というのはある意味ジョークにすら感じてしまう。生きるか死ぬか、その間でさまよっている瞬間の人間は恐ろしい。血圧が200と40の間を行ったり来たりしている。なんということ。心臓が動いていない。脈拍が30を切った。生きているから怖いのだ。なんとか命をつながなきゃ。・・そんなことを言っている私がある意味怖いのかもしれない。全然可愛らしくない。のである。 それはさておき、夜の病院に言った経験はあるだろうか?夜の病院、あるいは日中の正規の診療時間が終了したあとの病院、つまり救急外来のこと
髪の毛を伸ばし始めたのにはいちおうどうでもいい理由があって、それは働き始めて運動習慣がなくなって少し丸くなってしまったこの顔の輪郭を隠すためで、そういうわけでかれこれ2年半くらい、わたしは髪の毛を伸ばしていることになる。 ほんとうに、どうでもいい理由だった、伸ばし始めたきっかけは。 小さいころからロングヘアよりショートカットの方が好きだった。スカートよりズボンが好きな、おてんばな小学生だった。休み時間は男の子にまじってドッジボールをするような子だった。髪の毛は、いつでもショートカットだった。中学生、高校生の頃は、特に理由もなかったが、セミロングくらいをうろうろしていたように思う。それほど髪型にはこだわりがなかった。大学生になってからは、いつもショートカットだった。嫌なことがあって気持ちが落ちると、髪の毛を切って解消するようなことをしていた。好きだった漫画『ご近所物語』の実果子がそうしていた
こころ、っていうものは、いったい体のどこにあるのだろう、という僕の質問に対して、 『そんなもの、決まっているじゃないか、脳、にあるのさ。脳は、君に起こるすべての事柄を感じ取って、すべての感情が沸き起こる源泉となっている、目、耳、舌、皮膚、はたまた腸管だって、すべては脳へシグナルを伝えるためのパイプ、のような存在に過ぎないのだよ。』 と君は僕の眼をまっすぐ見据えて言った。あの日の事を君は覚えているだろうか、僕はこんなにもはっきりと思い出せるくらい強烈な記憶として覚えているよ、あれはすごく寒い日のことだったんだ。君はダウンジャケットにマフラーを巻いてかなりの重装備だったのだけど、暖房のあまり効いていないあの寒い喫茶店で冷たいレモンスカッシュを頼んでいた。寒いのに冷たい飲み物を飲むんだね、と僕は口には出さなかったけれど思ったんだ。僕たちの座った席の傍の窓からは道路脇に植えられているイチョウの木が
精神科のことを書けないでいる。 わたしは何を書きたいんだろう、この心の中にある気持ち、これを言葉にすると何という単語を使って紡ぎだされる文章になるのだろう。 なぜ書くことにたいしてナイーブになってしまうのか、そう、自分の中で上手に咀嚼できていない事柄や、裏付けとなる根拠がはっきりとしていない事柄というのは、えてして伝える相手に誤解を与えてしまいややこしいことになる。そういう気持ちに近い。 わたしが精神科の研修にいった病院は県内で最も大きな精神科病院だった。600床以上の大病院だ。精神科病院、つまり、精神科しか扱っていない、とても専門性の高い病院で、いちおう内科も標榜しているけれど、精神病患者さんが発熱するだとか、おなかが痛くなっただとか、そういったことを主にみていた。 そこはそれだけ大きな病院だけあって、救急治療も行っていた。『精神科救急』を行っているのだ。それは例えば、今まさに自殺しよう
精神科のことについて書かなくてはいけないなと思っている。 12月に1か月、精神科病院で研修をした。そこで見たこと、したこと、感じたこと、書かないといけないなと思っているのに、なかなか文章にできないでいる。 例えばそれをブログに書くことで、それを発信することで、わたしは何を伝えたいのか、未だに自分の中で答えが出ていないというのは、ひとつ、理由としてある。 あとは、どうしてもナイーブになってしまう、精神科という科のこと、精神科の患者さんのこと、正直に感じたことを書くということについて。100%、わたしが実際に感じたことを、ありのまま心の声を文章にすると、正直、それはネット上で発信できるような内容ではない、のだ。ただ、学んだことは確かにあるし、現在進行形で考えていることもある。『精神病患者』、そんな名前をつけることは差別しているようにも感じる、けれど、そうはいうけれど、確かに、精神科はどこか違う
世間ではセンター試験みたいだ。 わたしがセンター試験を受けたのも、かれこれ8年前のことになる。あの頃と問題形式や配点、出題範囲は変わってしまったりしているのだろうか。 わたしが受けたセンター試験の日は、代々言われてきていたように、寒い日だった、雪が降っていたかどうかは覚えていないけれど、ホッカイロを数個カバンに詰め込んでいったのを覚えている。 自分がセンター試験を受けたころは、自分も家族も、学校も、友達も、塾の先生も、みんなそろって\センター試験!!/といっていたから、世間はこぞってみんなセンター試験を話題にしているものかと思ったけれど、それから1年経ってまったくそんな事はないということに気が付いた。成人式のときもそうだった。いつだって人間は、自分を中心に考えがちなのだ。 けれど、こうしてセンター試験のことを書いているだけで、わたしは身体が震えてしまうくらい、今でも思いだすと、緊張するとい
友達、という言葉がある。 そして、親友、という言葉がある。 とも-だち【友達】 互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友(ほうゆう)。友。 しん-ゆう【親友】 互いに心を許し合っている友。特に親しい友。 ーgoo辞書より 正直、辞書を読んでもぜんぜん、ピンとこない。 そもそも『自分なり』にこの言葉の定義を考える際には、辞書という存在はあまり意味をなさないと思われるし、求める答えが書いてあるとは思えないし、辞書での定義では明確な答えが書いていないから、こうやって悩むことのなるのだ。 上の辞書を読むと、『友達』の意味にはまず、『互いに』心を許し合って、と書いてある。ということは、友達と呼ぶには、相手が心を許していることが前提となっている。これを確かめるのは非常に難しいことではないだろうか。自分が心を許していても、相手が心を許してくれているか
しん-せつ【親切/深切】 1.相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。また、そのさま。 2.(深切)心の底からすること。また、そのさま。 ーgoo辞書より抜粋 親切、あるいは、親切にする、という言葉の意味についてここ最近考えるきっかけとなったのは、ある日の仕事の帰り道、渋滞の中トロトロと進む車を運転しているときのことだった。 その道は片側3車線の道路で、一番左側の車線は、その先の交差点で左折専用レーンとなる車線だった。帰宅ラッシュで道路は混んでいた。車は長い列を作り、ずいぶん前から先は見えず、車線変更も難しい状態になっていた。毎日通っているひとなら左折専用レーンに入らないように、前もって右側の2車線のどちらかに並んでおくことができる、実際その日も、一番左側のレーンは、右側の2車線に比べて幾分空いていた。私は真ん中のレーンの列に並び、進まない前の
かれこれ1か月以上ブログを放置してしまっていた。 生存確認ブログすら更新しておらず、あかりクンから生きてる?ってTwitterもらって申し訳ない気持ちになった。 一度書かなくなるとなんとなく書き方を忘れてしまって、どんな気持ちでどんな風に書いていたのか、はてなが好きだったからこそなんとなく戻りづらい気持ちもあったりして、罪悪感のような、そんな気持ちもなかった訳ではないけれど、さっきこちらもしばらく放置していたTwitterを何気なくしてみたらソッコーでズイショさんから返信もらって、背中を押された感じがしたので、気の向くままに書いてみようかなあと思う。 最近は、というと、変わりなく仕事をする毎日なのですけれど、最近は、というと、来年度の就職先の病院が決まったことと、それに伴って自分の専門とする科が決まったことが、ここ1か月のハイライトだったように思います。 就職先の病院が決まった、というのは
あなたのかけらをください 形のある物を 想い出だけで生きてゆくなんて まだ出来そうにない ―『あなたのかけら』 華原朋美 地球、いや、宇宙は、どうやって生まれたのだろうか。 私たちの周りには形のあるものが溢れている。それらのものは細かく細かくしてゆくといずれ原子の集合体になるのだけれど、その原子は何から生まれたのだろうか。 何かを作る時には必ず材料が必要であるはずなのに、宇宙はどうやって生まれたのだろう。0から1を生み出すことがなぜ出来たのだろう。そんなことを考えているといつも思考が停止するので、創造主が『これ以上考えてはいけないのだよ』と私の思考を止めているように感じる。STAFF ONLYの領域に踏み込むことはできない。今現在の人類の知識で宇宙の誕生を説明することは可能なのだろうか。仮に出来たとしても、その説明は私が聞いても理解できないSTAFF ONLYの世界なのだろうけど。 私にも
結婚式に行ってきた. 新郎も新婦も同じ大学で,2人とも私の仲のいい友達だった.そして大学時代の友人が全国各地からたくさん集まって本当に素晴らしい披露宴となった.素敵な2人だったのでさすがの求心力を感じる,同窓会より出席率がいいんじゃないか.おもてなしの心溢れる,2人らしい式,遠方の参加者が多い事を考えてくれたのか余興なし,なのにテーブルは大盛りあがり,運ばれてくる料理,ウエイトレスさんがお皿の蓋を開けるとそこには美味しそうな魚の燻製,なのに私のお皿にだけ好物のブラックサンダーがひとつ.イタズラ好きの新婦からの逆サプライズ,私も大笑い.とにかく笑顔と涙の溢れる会場,あっさり終わった"お母さんへの手紙"に,新婦の飾らない性格をみて,変わってないねとなぜか私たち友人が涙.1年半という月日はあっという間に飛び越せる、その瞬間を味わった. 写真は結婚式の余韻の味がした,チョコレート・パフェ.披露宴の
少し、自分のことについて書いてみようと思う。 たいていブログはある程度読んでくれている人を想定して書くものだと思うし、わたしもある程度読んでくれる人がいる想定で書いてきた。読んでくれる相手に伝えたい事を書くという意味だけでなく、万が一大勢の人の目にさらされることがあっても、恥ずかしいことのないような文章や内容で書く、という意味において、相手がいるという想定で書いてきた。 自分の生い立ちとか、そういったもの、書いてもだれも興味ないと思ってしまう(という割には人のものを読むのは好きなのだけれど)ので躊躇していたけれど、なんとなく書いてみようかな、と思う。完全に自己満足だ。秋の空気感は、独白に向いているとわたしは思う。ついうっかり、余計なことまで喋らせてしまう季節が、秋だと思う。少しだけ、必要かもしれない、これを書き留めておくことは。と、ほんの少しだけ思う。 ★★★ わたしがこのブログをはじめた
昨日はとある試験的な試験のデモ受験者として、試験を受けてきた。 そこで偉い感じの先生から、後輩の指導の仕方について教えてもらったのだけれど、そのスライドのなかで”マズローの欲求階層説”が紹介されていた。 マズローの欲求階層説は聞いたことはあったし、ピラミッドの図は見たことがあったけれど、これをいかに日常生活に活かすことができるかまでは考えたことがなかった。 マズローの唱える欲求には5段階あって、下から、つまり欲求レベルの低さから、生理的欲求→安心の欲求→所属と愛の欲求→承認(尊重)の欲求→自己実現の欲求、となっている。低いレベルの欲求が満たされないと、次の欲求は生まれないとされている。 非常に単純な話なのだけど、承認(尊重)の欲求は自己実現の欲求の下のレベルにあるので、『自己実現したい』という意欲は、承認(尊重)の欲求が満たされないと生まれないということになる。つまり、後輩に自己実現してほ
三人寄れば文殊の知恵、という言葉があります。 わたしのこれまでの経験上この言葉を実感したことってなくって、基本的にことわざや故事のたぐいは『なるほどそうだなあ』と思うことが多いのだけど、やはり後世まで残っている知恵や考え方はそれなりに選別されて良いものが残るのだなあと思うのだけど、三人寄れば文殊の知恵、に関しては自分で実感もしなければ、これって実際どこかの現実世界で起きている事象で、日本のどこかの会議室では『やっぱり三人寄れば文殊の知恵だね』って言われているのかすごく謎で中国3000年の歴史を思わず疑ってしまうような世界三大不思議のひとつとして候補があげられているもののひとつなんですけど、わたしに関して言うと、これまでの浅い26年間の人生経験から言わせてもらうならば、『三人寄れば船、山に登る』という経験しかありません。 それはそれとして、この間の祝日に、同期と後輩と3人で美術館に行きました
バリウム検査ってやっぱりしんどいですか? 『おうつしかえ』のid:banbanさんのこのエントリ。 バリウム飲んで、そのあとを赤裸々に - おうつしかえ 以前にこのエントリを読ませて頂いて、『ああバリウム検査を受ける患者さんはこんなことに困っているんだ』と印象に残っていました。いまちょうど自分自身がバリウム検査を勉強しているので、ふと思い出したのでした。ばんばんさんは、バリウムのせいで便秘っぽくなって大変だったんですね。確かに、同じように言われる方は多いように思います。ばんばんさん、これに懲りずぜひまた健康診断受診されてください笑! バリウム検査、という言葉に反応してしまう こんな風にやっぱり医療関係のエントリにはアンテナがぴこん!と反応してしまいます。みなさんも自分の仕事関係のエントリには敏感にアンテナが反応しませんか?私がワーカホリックだからかな?? 私はバリウム検査を受けたことはあり
わたしはひとのかばんを見るのが大好きです。 雑誌とかで有名人さんの特集されてるのみるのも好きだし、こうやって今週のお題で特集されちゃったりして、こっそりひとのかばんがのぞけちゃうの、すっごいステキと思う。 これ、わたしが今ふだん持ち歩いてるかばん。 これともうひとつ、ひと回り小さい黒と白のベーシックな色合いのハンドバッグを使いまわしてます。 自分なりのかばんのこだわりとしては、まず、色、ですかね。 何にでも合うベーシックな色のかばんと、ちょっと派手なパステルカラーのかばんを選びます。たいていふたつがスタメンでいます。写真はもちろん派手な方のかばん。 ベーシックな色のかばんは、長く使えるように、ちょっと値が張ってもいいものを選びます。派手めの冒険タイプのかばんは、最悪失敗を考えてそんなに高くないものを選びます。ものがいいわけではないので壊れやすいけれど、色んな色試したいし、それでいっかなーと
私はいま26歳だけれど、もう少し幼かった頃の私は、ものすごく必死に『理想の自分』を追い求めていた。 今だって多少なりとも『こうありたい』という目標だったり理想の自己像なんかはあるけれども、それはよく耳にする『承認欲求』という言葉を使うとすれば、今の私が求めているのは『自己承認』で、昔の私が求めていたのは『他者承認』だったんじゃないかな、と思う。 昔の私は執拗に『××(私)じゃなきゃダメなんだ』『どうしても××(私)が必要なんだ』という言葉を求めていた。それは友達、彼氏、先生、家族など回りのあらゆる人、モノ、事柄に対してだ。『承認欲求』という言葉の定義があやふやなので断定的に言及することは避けるけれど、相手に必要とされたいと思うことは、相手からの評価や承認が欲しいということに近いニュアンスだと思うので、これは他者承認を欲していたという言葉に置き換えてもいいと思う。この場合の、相手、というのは
前回のエントリでは、叱咤激励、アドバイスなどたくさんの方々にB※頂き、とても勉強になるとともに元気づけられました。ありがとうございました! 先週の月曜日にひいた風邪みたいなもの、結局熱は4日ほどで下がったのですがしつこい咳が続き、それがおさまるまで療養し、結局昨日から職場復帰となりました。計1週間お休みをいただいたことになり、自分の体調管理の甘さを反省し、今後また体調を崩した時にはしっかりと準備をしておかないとな、と痛感した次第です。 B※の『お大事に』というコメント、とても心に響きました。ひとり39℃の熱でうなされて心細かった心に沁みわたりました・・(´vωv`*) 医療関係者とはおもえないというコメントに布団の中でうぬぬ:;(∩´﹏`∩);:と涙を流しながら(嘘)なんとか回復しました笑‼ B※くださったおひとりおひとりにお礼を言いたいのですが、☆という形でお礼に代えさせてください(*-
2ヶ月前に米ブームがきて、1ヶ月前からパンブームがきて、3日前くらいから食べなくていいブームになってる…— 鈴木あかめ (@akame_me) August 31, 2014 これは8月31日のTweet。なんとなく、予兆はあったみたい。全然気づかなかった。むしろラッキー、って気さえしていた。でもこのときはまだ全然元気、だったのでやっぱりここで気づくのは今考えても難しかったと思う。 @akame_me 食べなくていいブーム、病気なのでお医者さん行きましょう— 人生ってすばらしぃ (@akr7kmr) August 31, 2014 あかりなかむらクン(id:akr7kmr)から、ちゃんと助言されていたのに。言うことを聞かなかった私が悪い。全部、自分のせいだった。 月曜日、9月1日、下半期のはじまり。気持ちを新たに、折り返しのスタートをきる大事な日。 風邪気味で早退〜のどが痛い。。季節の変わ
たぶん誰にでも『心の拠り所』となるモノがあるんじゃないかなと思う。スタートラインに立ったときに『これを心の拠り所にしよう』とするモノがあるのではなくて、その『心の拠り所』は自分の気づかないうちに自分の心の土台に埋め込まれていて、あるいはどんどん上へ上へ突き進んでゆくことをタワーに例えるならそれが倒れそうになったときに無意識にSOSを呼んでいる工事屋さんのようなもので、その工事屋さんはタワーが崩れそうになるのをそっと支えてくれてタワーがまっすぐに上へ上へ伸びてゆけるように右に傾いていたら左へ左に傾いていたら右へというように方向修正をしてくれる。 そんな『心の拠り所』は普段は意識していなくて『心の拠り所』を維持するために自分がSOSを発していることさえ気づいていなくって、『なんとなくあの子とご飯に行きたい』と思ってご飯に誘ったことを後から振り返ってみたら『そういえばあの時私はSOSを発していた
そういえば今日クーラーつけてないことに気づいた、これが秋の始まりなのかあ— 鈴木あかめ (@akame_me) 2014, 8月 28 8月ももう終わる。気づいたら夏がもう終わりそうになっていた。 季節の始まりっていうのは何となくぼんやりしている、いつの間にか始まっている。そしてひとつ前の季節は気づかぬうちに終わっている。 虹は7色といわれているけれどその境目は曖昧なように、赤がいつのまにかオレンジになり黄色になっていくように、何となくまたひとつの季節がやってきてまたひとつの季節が終わっていくんだなあと思った。そして、特に、夏から秋への変化はひとを感傷的な気持ちにさせるよなあと思った。湿り気のなくなった乾いた風を浴びながら、わたしは、そんなセンチメンタルな気分になっていた。 いまはグラデーションのなかにいる、そう思った。 小さな変化、それはちいさな変化ひとつひとつの集合体で出来ている。 ク
こんにちは、鈴木あかめです。 昨日のエントリは、多くの方に読んでいただき、また興味深いコメントも頂いて大変感謝しております。本当にありがとうございます。 すごくささっと書いたエントリなので、読みにくかったり、説明が分かりにくかったりしたことと思います。申し訳ありません。それなのに、B!いただいたり☆つけてくださったり、申し訳ないやら嬉しいやら複雑な気持ちです・・ これは私の個人的な話なのですが、わたしは将来頭痛を専門分野にしようと考えております。 なのでとても頭痛には興味があるのです。(だから昨日のコメントは読んでいてとても参考になったし面白かったのです) なので、少しでも頭痛で悩んでいるかたの手助けになればと思い、新しいブログを作ることにしました。しかし、なんせぺーぺーなもので、内容は期待しないでください・・!頭痛に関する話題(もしくは医療関係のお話)をぽつぽつと書いていけたらなあと思い
こちらの id:hapilakiさんの 一時的なギラギラで視野が欠けて目が見えなくなる閃輝暗点、その後に偏頭痛になる症状 - はぴらき合理化幻想 という記事を拝見させて頂きました。突然書かせていただくことをご了承ください。 いくつか気になった点がございましたので、取り急ぎ書かせていただきます。 まず、 簡単に言うと次のとおり。 何らかの原因で脳の視野を司る部分の血流量が減ることによって閃輝暗点が発症する。 血流量を増やすために血管を拡張しようとするので、それにより圧迫された部分が偏頭痛になる。 閃輝暗点に関する引用は次のとおり。 閃輝暗点は視覚を司る大脳に栄養を送る大血管が一過性に収縮することによって起こり、この収縮に引き続いて大血管が急に拡張すると、片頭痛が起こります。従って、発作的な光に引き続いて頭痛が起これば、その光は閃輝暗点である可能性が高いと言えます。 兵庫県西宮市ふじもと眼科-
『おはよう』 『おはよう』 一日の始まりには、あいさつがあります。 あいさつは、ひとりじゃないから好きです。相手がいるからあいさつをする、あいさつをするときはひとりぼっちじゃありません。そこがあいさつの好きなところのひとつ。 小学生の頃は、わけもわからず『あいさつをしなさい』と先生に教えられてきました。わたしは特に何の疑問も持たずに『おはようございます』と先生に言っていました。友達にもおはようのあいさつをしていたかどうかあんまり覚えていないけれど、あまりしていなかったかな。別にあいさつがなくても、友達でいられたからです。 大人になるにつれて、あいさつをする機会が増えてきたように思います。誰かと友達になるにはまずはあいさつから始めるし、友情を維持するにもあいさつは必要なものだったりするんじゃないかなと思います。それがどうって訳じゃないけれど、『なんであいさつをしなきゃいけないの?』という疑問
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