サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
kougasetumei.hatenablog.com
1979年*1、第11回コミックマーケット(C11)にて、創作系ロリコン漫画同人誌『シベール』(無気力プロ内シベール編集部)創刊号が頒布された。 同誌は、男性向けエロ同人誌の記念すべき第1号として知られており、終刊直後から今日に至るまで、とにかく方々で神話的に語り継がれている。が、今となっては『シベール』の何が凄いのか、よく分からない人も多いだろう。 簡潔に言うと『シベール』は、手塚の系譜を受け継いだ伝統的・記号的な絵柄で、はじめて性描写を展開したエロマンガ雑誌である。それまでのエロマンガはリアルタッチの三流劇画しかなく、おたく的な青少年たちは、アニメ調のシンプルなラインで描かれた美少女のエロマンガが存在しないことに違和感を覚え始めていた。 そこで、時代の潮流として「かわいいエロ」が求められた。そんな中で出現したのが、同人誌『シベール』である*2。 シベール Vol.0 予告&原稿募集号h
ロリコンファンジンとは何か──その過去・現在・未来 ロリコン同人誌界分布図の試み by 原丸太 所載:『ふゅーじょんぷろだくと』1981年10月号「特集/ロリータ あるいは如何にして私は正常な恋愛を放棄し美少女を愛するに至ったか」pp.92-98 ロリコン誌3つのベクトル キャラクターに魅せられて 「シベール革命」の意味 特別資料室 今、ロリコン・ファンジン(以下「ロリコン誌」と略す)がブームになっているようだ。この春にはせいぜい10誌ほどだったものが、現在では数10誌を算えるに至っている。ロリコン誌とはいったい何であるのか、ロリコン誌にはどのようなものがあるのか、そしてそのブームの引き鉄となった「シベール革命」(一名「シベの発現」)とはいったい何であったのか──そんなことについて、若干の考察を加えてみた。 ロリコン誌3つのベクトル 「残す」というのは、文化の基本である。誰もが焚書坑儒に
隆盛するロリコンブーム(二次元コンプレックス)に警鐘を鳴らす故・米沢嘉博の記事。最下段にそれまでの流れも概説。 ロリコンブームに物もうす by 米沢嘉博 みのり書房『月刊OUT』1982年4月号 美少女キャラはうれしいが 疑似体験を重くするなんて 社会や世界にもう少し目を ロリコンブームの流れと現状 今、世の中はロリコンブームの絶頂期。そして、マスコミはこのロリコンブームに乗じていろいろ考えているらしい。しかし、ちょっと待て、ロリコンが大手を振って歩き始めるなんておかしんじゃないか、と米沢嘉博氏。 世にロリコンと病気を広めた人と言われる米沢氏が今度はゆがんだ方向に走りつつある今のブームの姿勢を問う! 美少女キャラはうれしいが 少女マンガに少女が出てくるのは当たり前だと思うし、少年マンガでも、ほとんど少年が主人公だから、相手役として少女が出てくるのが当然。もちろん、アニメだってほとんどが子供
大塚英志『教養としての〈まんが・アニメ〉』では吾妻ひでおの『夜の魚』という短編について10頁ほど紙幅を割いて取り上げている。 この作品は「吾妻本人の無意識」が非常に顕著に出ており、おそらく吾妻本人も大塚の指摘で、この作品の真価を知ったのかもしれない。 例えば『夜の魚』にある、男たちがリアルな女性に怯みながら「昆虫のような異形の存在とは、かろうじで性交可能」という描写は「記号絵を介してしか女性の身体性と向き合えない男たちの性意識」を冷徹に表現していると大塚は語る。 大塚はこうした1980年代のロリコン文化(おたく)が生んだ現代まで地続きの「不毛」*1を『夜の魚』に見い出だし、やはり、それを「ロリコン漫画の生みの親」である吾妻ひでお以外が描き得なかった事に、真の価値を置いているのだろう。 また吾妻の描くリアルな女性像は、例えばつげ義春作品の「リアリズム調に描かれた醜悪な女性や老女」(ガロ時代の
(左から少女、四谷永一郎、沖由佳雄、早坂未紀、蛭児神建) (大衆週刊誌におけるロリコンブーム特集に言及した米沢嘉博の記事) 下記の文章は雑誌『GORO』1982年3月11日号に掲載された「ロリコン」についてのルポです。1982年春というと少女写真集やコミケのロリコン同人誌が隆盛していた頃ではあるものの『ヘイ!バディー』はロリータ路線前で『レモンピープル』は創刊間もない頃。そもそも『漫画ブリッコ』に至っては創刊(82年9月創刊/83年4月新装)すらされていません(つまり「おたく」*1という言葉も当時はありませんでした)。この記事は、まだまだ知られざる存在だった「ロリコン」という得体のしれない人種にフィーチャーした、最も初期の記事のひとつになります。 成熟した女を愛せないロリコン・ボーイの世界からキミは本当に脱出しているか────少女の下着に胸をときめかせ、人形遊びに興じる“80年代ビョーキ・
病気の人のためのマンガ考現学/第1回 ロリータコンプレックス 米沢嘉博 所載:みのり書房『月刊OUT』1980年12月号 pp.96-97 さて、連載第一回目なので、このページの目論見を記しておくことにしよう。 同病相憐れむとか言って、病気の人にはなんとなく仲間を見つけだして安心したいという気持ちがある。ましてや、ちょっと変ったそれならなおさらのことだ。だが、そういった人達は孤立していることが多く、そのことがますます病気を進行させていく。そこで、この連載が人民を救うテキストとして役立つわけである。つまり、世の中の同じ病気を持つ人達に安心と勇気を与え、人生の指針を示し、さらには連帯を呼びかけるというありがたいものなのである。また、自らの内に巣食う病気を自己診断する為にも役立つだろう。まあ、世の中には進んで病気になりたい人もいるだろうから、そういった人にはガイドブックとして見てもらいたい。 な
腐っていくテレパシーズは1970年代後半から1980年代前半にかけて活動していた天然サイケデリック・ロックバンド。中心人物は吉祥寺マイナー周辺のライブハウスで活動していたアンダーグラウンドなミュージシャンの角谷美知夫。1959年生まれの山口県出身のアーティストである。裕福な家庭に育つが1974年に中学を退学後、住所不定のヒッピーとなる。1977年に東京に移り住み、1978年から工藤冬里や木村礼子と共に音楽活動を開始。1979年にオット・ジョンを結成し吉祥寺マイナーを中心に活動する、その後、オット・ジョンは自然消滅し、以降は「腐っていくテレパシーズ」として活動するが、この頃から重度の躁鬱と幻覚幻聴に悩まされるようになる。精神分裂病がもたらす幻覚作用や霊的感覚を表現した、どうしようもなく崩れ落ちていく陰鬱なロック音楽は「他に例えようもない、特異な感性から放射される音霊」と評された。その後、ジヒ
エロ雑誌とオナニーと私 今をときめく天才編集者のエロ本原風景 青山正明 3度の飯よりオナニーが好きな私なのに、1日2回のオナニーしかできない寂しさよ…。いきなりダウンな出だしで恐縮だが、小学校5年生の夏の精通から数えて今年で26年、実に四半世紀以上にわたって毎日毎日オナニーし続けてきたこの私も、齢30の半ばを超えたあたりから、1日2回はどうにかイケるが、3回の射精は困難という状態に陥ってきた。ああ、寄る年波とは、げに恐ろしきものである。 オナニーを覚えたての当時は、『11PM』をはじめとする深夜番組には随分お世話になったし、‘80年前後、ビデオのハード&ソフトの普及以降は、いわゆるエロビデオも重要なマス材(ネタ)として数えきれないほど使用させていただいた。が、今日に至るまでなお、私のオナニーおいて欠くことのできない最重要のマテリアルは、ポルノグラフィーの類、いわゆるエロ本である。 ゴミをチ
特集 三流エロ雑誌の黄金時代 月刊漫画ガロ 1993年9月号 鼎談/高杉弾・末井昭・南伸坊「素人はバクハツだ!!」 いきなり編集長? ガロの作家は安かった! 豪快な作家たち。 いい加減も必要ですね。 座談会・根本敬+湯浅学(幻の名盤解放同盟)× 原野国夫(元『EVE』編集部)「自販機本は廃盤歌手みたいなもんだよね」 自販機本のルーツはおつまみだ! レイアウト1ページ200円 やりたい放題だった『EVE』 幻の「廃盤レコードコンサート」 エロ本業界ちょっとイイ話 大いなる勘ちがい―三流エロ劇画―(文・呉智英) 自販機本の頃の神保町(文・渡辺和博) 三流劇画ブーム・抗争は燃え上がった(高取英・元『エロジェニカ』編集長) 「いかがかしい」―あ、名前だけでイッてしまう―(絵と文・友沢ミミヨ) とにかく感謝してます(蛭子能収) 杉作J太郎のレッスルマニア スケベはエネルギーの源だ!(対談・『漫画大快
日本を代表するサブカル雑誌『宝島』が1990年代前半に「単なるヌード雑誌」になってしまった頃、かつての『別冊宝島』編集部が中心になって『宝島30』というサブカル誌を立ち上げた。根本敬の『人生解毒波止場』やオウム事件のルポルタージュなど尖った内容が多かったが、経営上の問題で1996年にあえなく廃刊。休刊後、大塚英志は「執筆者同士が互いにオウムをめぐっての発言で糾弾しあい言論装置としては自壊していった感のあるおたく系論断誌」と片付けている。ちなみに『宝島30』のオウム記事は別冊宝島229『オウムという悪夢』にまとめられているので、オウムネタに興味がある人はそちらを参照されたい。 今回取り上げるのは1994年11月号の特集「ロリータの時代」。『危ない1号』を世に送り出すことになる青山正明主宰の伝説的な編集プロダクション「東京公司」の名前が企画・編集協力としてクレジットされている。この号では「芸能
以下の文章は2018年に『ポピーザぱフォーマー』監督の増田龍治氏インタビューがニュースサイトで公開されて話題になった時、元制作チーフの村井昌平氏*1がTwitter上でひっそりと明かした制作秘話です。大変興味深い内容なので書き起こしてみました。また監督のインタビューを補完する内容にもなっているので増田氏の証言と併せてご覧ください。 トラウマアニメ 『ポピーザぱフォーマー』の真意 https://t.co/qgsboqmUCU @VICEJapanさんから この記事中で倒れたりしたCGデザイナーですが、この記事を見て思う所もあり、まとめてみましたので以下に。 — 村井 昌平 (@murai_shohei) June 20, 2018 省力化について 続篇について 予算について 増田さんの持ち味と制作方針について キツかった話 音楽やタイトルなどについて 制作について 無声で作るという事 残酷
「漫画家のつげ義春さん(現代の肖像)」 東京の川べりの船宿で生まれた父の末期を見て対人恐怖症になった 小学校卒業後、メッキ工場へ貸本マンガを描き始める 初期の作品は難解だと酷評された 水木しげるの助手で生計をたてた 「必殺するめ固め」のつげ義春さん 内なる不条理漫画に託す 水木しげるさんを悼む 葛藤、悩み、本棚には哲学書 つげ義春 日本漫画家協会賞・大賞 つげ義春さん 空想と現実の間に漂う 「なんてつまらない人生なんだ、と思うこともあります」 「ねじ式」「紅い花」から20余年。 三たびブームである。生と死への不安漂う作風が、若い世代の心をとらえる。 (文・佐野眞一) ───今度、映画になった「無能の人」シリーズが雑誌に発表されたのは1985~86年。87年は自伝的要素の強い「海へ」と「別離」の2作だけですから、随分、長い休筆ですね。 「目が悪いんです。ふだんの生活に支障はないんですが、集中
人生(ZIN-SÄY!) “電気グルーヴ”の原点、驚異のダンスバンド登場! (平田順子著『ナゴムの話 トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告』所載/絶版) 1989年4月26日撮影。左から若王子耳夫、石野卓球、ピエール瀧、おばば(EX分度器) 電気グルーヴの前身バンドとして知る人ぞ知る人生。1985年、当時高校2年生だった石野卓球が地元静岡で結成。同年3月25日静岡サーカスタウンでデビューライブを行なう。その後、友人関係からメンバーが増え、流動的にいろいろな人が参加していた。ピエール瀧(当時は畳)もそのひとり。1986年に上京してからはライブパフォーマンスの面白さもあって大ウケ。ナゴムの新しいアイドルとなる。 85年、当時高校2年生だった石野卓球が地元静岡で人生を結成。同年3月25日、静岡サーカスタウンでデビューライブを行なう。この時は石野卓球ひとりでカラオケのライブ*1をやっていたが、その後友
今の漫画には愛すべきクズが少ない 文◎虫塚虫蔵(Twitter @pareorogas) はっきり言って、今の漫画やアニメには人格破綻者やトラブルメーカー(平たく言えば愛すべきクズ)の割合が少ないように思える。 ひと昔前の漫画には、いじわるばあさんとか、イヤミ(おそ松くん)とか、こまわり君(がきデカ)とか、スナミ先生(トイレット博士)とか、バカボンのパパ(天才バカボン)とか、ヒゲゴジラ(ハレンチ学園)とか、目ん玉つながり(天才バカボン)とか、諸星あたる&メガネ(うる星やつら)とか、きんどーさん(マカロニほうれん荘)とか、アラレちゃん(Dr.スランプ)とか、両さん(こちら葛飾区亀有公園前派出所)とか、クレヨンしんちゃんとか、(セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!)マサルさんとか、ハマーさん(ピューと吹く!ジャガー)とか、にゃーことにゃっ太(ねこぢるうどん)とか、稲中の前野と田中と井沢とか…。
1992年に投身自殺した伝説の漫画家・山田花子。 彼女の生涯からは、ある種の“信念”とも“業”とも言える「何か」が見え隠れしてならなかった。彼女の父でトロツキストの高市俊皓(2012年没)の寄稿(山田花子著/高市俊皓編『自殺直前日記』あとがき)から山田花子の抱えていたカルマ(業)の正体について探ってみることにしよう。 高市由美・特殊漫画家 山田花子を偲んで 高市俊皓(父) 一流高校―東京大学―上級国家公務員試験合格―高級官僚に。私の親父は、私を典型的な立身出世型の人間に育て上げようとした。親父は常日頃、私に昔の修身の教科書そのままの道徳を説いた後で必ず「お前の人生の目的は東大を首席で卒業して偉い役人になることだ」と言って聞かせた。 人生のある時期まで、私はそんな親父を尊敬していた。親父の期待に応えたいと思ってきた。しかし、成長するに従って、私は親父の人生観や価値観に疑問を持つようになった。
ねこぢるインタビュー ゲームの世界に生まれたかった (出典元:ガロ1992年6月号) ──本誌で好評連載中の「ねこぢるうどん」。作者である、ねこぢること山野夫人と山野一氏にインタビュー。山野氏の「ねこぢるうどん」への関り方や発想の源、そして山野漫画の基盤を語る。 (青林堂オリジナル版『ねこぢるうどん』表紙) ──『ねこぢるうどん』を始めた切掛というのは。 山野 僕の漫画の手伝いをやりたいと、いつも言ってたんですが、絵のタッチが全然違うんで、絵に合ったストーリーを創ったんです。 ──では、山野一で描いている漫画と『ねこぢるうどん』の原作は、別個の物として考えているんですか。 山野 『ねこぢるうどん』はもう完璧にねこぢるの物だから、気に入らないと言われればネームを書き直したりしています。絵は何とか描けるんですが、漫画の形に体裁を整える作業が出来無いんで、僕が手伝っている様なものです。 ──構成
公開後3日間で45万人を動員したジブリの新作『コクリコ坂なら』(宮崎吾朗監督)。原作を書いた佐山哲郎さん(63)は、現在は寺の住職、かつてはなんとポルノ小説も書いたという、波乱に富んだ経歴の持たち主なのだ。 映画は1980年に『なかよし』に連載された少女マンガのアニメ化。佐山氏が当時を振り返る。 「初回が新年号の巻頭カラーでした。作画の高橋千鶴さんを売り出そうと、編集部が力を入れた作品だったんです」 しかし連載6回目までいったとき、あと2回で打ち切りと決まった。 映画の脚本を手がけた宮崎駿氏は、原作について、〈不発に終った作品〉〈結果的に失敗作に終った〉と厳しい評価を下しているが、佐山さんは、「大長編にするつもりで伏線を張るだけ張って、これから面白くなるところだったのに……」と苦笑する。 佐山さんは1948年、東京に生まれ、67年に都立大人文学部へ進んだ。「学生運動と麻雀ばかりしてました。
【解説】「ボクは妻の流産を喜ぶ男を、はじめて見たのだった」以上が再デビューの仕掛人・山崎春美による蛭子能収初期のインタビュー記事である(ちなみに管理人が現在確認している蛭子能収インタビューの中では、これが2番目に古い)。 蛭子能収恐怖伝説のひとつ「女房の流産を喜んだ」というのは、おそらくここが初出であろう*1。 話は飛ぶが、このインタビューが掲載された『Billy』*2が「スーパー変態マガジン」になったのは何の因果か1982年3月号、つまり本号からである。その為か連載1回目の記事がやたらと多い。 山崎春美*3は、漫画家をやめていた蛭子さんを見つけるため『ガロ』編集長の渡辺和博に問い合わせるなどして捜し出し、高杉弾の伝説的自販機本『Jam』で1979年に再デビューさせた張本人のひとりでもあるのだが、結局このインタビュー記事を最後に、タコのCDボックス発売記念イベントで2012年に再会するまで
ロリータ順子インタビュー ロリータ順子(本名・篠崎順子) 1962年(昭和37年)3月11日生まれ。A型。ニューウェーブ雑誌『HEAVEN』『月光』にエッセイ等を執筆した他、バンド「だめなあたし」「タコ」で山崎春美、町田町蔵らと共にボーカルとして活躍し、戸川純とも交友を持っていた。持ち曲にタコの「嘔吐中枢は世界の源」がある。1987年(昭和62年)7月1日、夏風邪をこじらせ、咽喉に嘔吐物を詰まらせて永眠。享年25。 創作活動 ロリータ順子のイメージ ケンカ 愛 男たらし 創作活動 タコの時、私が何で一部で支持されたかっていうと、白痴性とロリータ性とヴァージニティ、その3つだと思うの。自分の中で創作活動をしてる意識って全く無かったから。自分はアーティストではないと…。音に走るよりは活字の人だから、まあそれをやりたいなと。じゃあ何をすべきかっていうと、活字を好きっていうのは単に活字中毒っていう
伝説かガセネタか 浜野純──You are so foolish man,my friend. 文=中山義雄(音楽評論家) (“ガセネタ”たった一度のチラシ) 「伝説とかいっても、ガセネタを実際に観た人は、30人いないんじゃないか」 浜野純というのは、逢った当時から、物事を達観したようでいて、自嘲的な、とにかく独特の物の言い方をする人間だった。 それはいまも変わらない。 「アングラってさ、伝説になりやすいんだよ」 “伝説”はいまも口から口へと木霊(こだま)している。 ラウドで、凶悪なエレクトリック・ギターは都市空間の物怪だろうし、浜野純は、憑かれていたし、走っていたし、血を流していた。彼はいまも鬼っ子として座敷にでも幽閉されていたほうがいいような風情は多分にある。浜野純は違いの解る奇形児であり、大人になれなかった神童として、わたしの青春に登場した。 浜野がギタリストとして在籍した、ガセネタ
これは青山正明(大塚雅美)が慶応義塾大学法学部在学中に編集・執筆していた伝説的な変態ミニコミ誌『突然変異』の創刊号(1981年・慶応大学ジャーナリズム研究会)に掲載されたロリータ記事(女子小学生へのインタビュー)の全貌である。 〈ロリコントリオ、柏に出陣〉 〈大学生、小学生を破る!〉 〈光一平〉 〈突然変異〉 〈不良予備軍〉 〈川島邦夫君、開成落ちる!〉 独占スクープ 六年四組の学級新聞が松田聖子の過去を暴露! 〈考察〉 〈西村ふられる〉 〈車田さんざん〉 〈まとめ〉 解説 ついに実現! 突然変異VSピチピチロリータ 〈ロリコントリオ、柏に出陣〉 我々“突然変異”のスタッフ3人(車田・西村・大塚)は自他共に認める純粋培養のロリコン人間。そもそも、こんな手間と金のかかる雑誌作りなど始めたのは、女の子に声かけたり、写真撮ったりする口実をこしらえるためなのだ。そんな我々は2月9日の朝、カメラと
前回の記事では『自殺されちゃった僕』著者の吉永嘉明と、ねこぢるの元夫で特殊漫画家の山野一の対談をご覧いただいた。 今回は特殊漫画大統領の根本敬を交えた、吉永嘉明×山野一×根本敬の貴重な鼎談(DVD BURST 2005年2月号所載)をご覧いただく(それにしても根本さんがいるだけで鼎談の雰囲気も随分と変わった気がする。この鼎談自体が根本漫画と同じベクトルなのかもしれない…)。 鼎談に入る前にまず3人のプロフィール。 吉永嘉明 1962年東京生まれ。明治大学文学部卒。バブル期に就職を迎え、出版界に入る。以来、ずっとフリーで雑誌・書籍の編集に従事。バブル末期には雑誌編集の傍ら就職情報誌や企業案内パンフレットなどを手がけ、「出版バブル」を体験する。海外取材雑誌『エキセントリック』編集部を経て、サブカルで勢いがあった頃の『別冊宝島』で編集・ライターをするようになる。95年~97年、雑誌形式のムック『
連載[師走の街から](7) 娘が遺した日記と漫画で「教育」見詰め直す 五月の運動会から数日後のことだった。四年生を担当する女性教諭(50)が三十四人の教え子たちに手紙を託した。 〈これからは、子供たちの声にならない声に、もっともっと耳を傾けていきます〉 先生はおかっぱ頭。やせてはいても、東京郊外の小学校で「一番の元気者」を自慢にしていた。ところが、運動会が近づいたころ、長女が飛び降り自殺してしまった。手紙は、この悲しい出来事を静かに見守ってくれた父母たちにあてて書いたものだった。 長女は二十四歳、漫画家だった。「山田花子」のペンネームで、一時、「週刊ヤングマガジン」や月刊「ガロ」などに連載を持ち、単行本も二冊出していた。人間関係の息苦しさや疎外感を強調した漫画だ。内向的で感受性の強い主人公がいじめにあい、傷ついていく。遺(のこ)された十五冊の日記帳は、主人公が作者自身で、描くことで生きるつ
オウム真理教による地下鉄サリン事件があった1995年、太田出版から『ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教』というサブカルチャー系の文化人がオウム真理教を解説しまくる大変珍しいオウム本が出版された。同年デビューした鬼畜系ライターの村崎百郎も「ゲス事件/ゲスメディア/ゲス視聴者」と題したゲスなワイドショーをテーマにした原稿を寄稿している*1。 本書の執筆陣は宇川直宏、根本敬、中原昌也、福田和也、村上隆、岡田斗司夫、村崎百郎、福居ショウジンと何かと豪華であるが、大変残念なことに本書はすでに絶版で現在は入手困難であり、古書価格も5000円~1万円と高騰している。一発検索のワールドワイド時代、紙の文化にアクセスすること自体が容易でなくなってきているということを痛感させられた。 しかし、本書をこのまま歴史の闇に葬り去られて行くには余りに惜しい。さらに今年(2018年)はオウム死刑囚全員の死刑が執行
いじめられっ子漫画家 山田花子の隠蔽された障害 虫塚虫蔵 (追悼号となった『ガロ』1992年8月号) 面識がないのに、過去のどこかで関わった存在。見て見ぬふりして、無理にも顔をそむけたその存在。つまりこの人は、弱者にとって忘れられない存在だ。(文庫版『自殺直前日記 改』西村賢太の帯文より) 1.はじめに 2.山田花子の生涯 2-1.幼少期~小学生時代 2-2.中学入学後~投身自殺 3.隠蔽された障害の正体 4.「表問題児」と「裏問題児」 4-1.差別的感覚と被差別的感覚の同居 4-2.いじめられっ子でいじめっ子 5.本書の問題点 山田花子プロフィール 寄稿/山田花子「自由(ラク)に生きる方法(ヒステリー治療によせて)」 解説/根本敬「マリアの肛門を見た女」 解説/手塚能理子「姿優しく色美しく」 解説/阿部幸弘(精神科医)「ぎゅうぎゅう詰めの空っぽ」 寄稿/蛭子能収「それでは山田花子さん、さ
何人?高杉弾 数々の伝説を生み出した、あの80年代ニューウェーブ雑誌『Jam』『HEAVEN』の編集長にインタビュー 高杉 弾氏、現在、青林工藝舎 アックス編集長 手塚能理子氏。 高杉氏、元気なの❓フォローぐっと来たよ。 pic.twitter.com/5XwjyD1TBV — 滝本淳助 (@takimotos1) 2015年5月20日 追体験は無益なことだろうか? 理解への一歩は追体験ナシにははじまらない。だから過去にこだわりたい。自販機雑誌『HEAVEN』は過去の遺物だ。しかしそれを振り返らなければならない現実は今、ここにある。テーマは自らを追体験することにある。そして今現在の自分をいかに理解するかだ。『HEAVEN』の1コラムにそのヒントを見つけたいと思うのである。 いつのまにか新しい雑誌がはじまってしまって、また細かい雑文を書きとばしたり、わけのわからない企画に頭をおかしくしたりと
高杉弾(自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長)インタビュー 所収『Quick Japan』Vol.19(構成:竹熊健太郎) 高杉弾とは はじめに 高杉弾というペンネーム ミニコミ時代 日芸で出会った仲間 『Xマガジン』と『Jam』 山崎春美 鈴木いづみ マンガの話 明石「太っ腹」伝説 編集長交代劇 もう雑誌は作らない 山崎春美/WHO'S WHO 人命事典 第3回 高杉弾/倶楽部イレギュラーズ 第4回「寝ててお金が儲かりたい」 高杉弾の単行本 リンク 高杉弾とは 「メディアマン」を自称する編集者、ライター、AV監督、評論家、作文家、ステレオ写真家、旅行家、企画家、観光家、臨済禅研究家、蓮の花愛好家、ラリ公、廃人、天才詐欺師、天災カルト仙人。一九五四年、東京生まれ。日本大学芸術学部中退。伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長として数多の伝説を築く。 一九七八年秋、道端で拾
自動販売機雑誌 JAM 佐内順一郎 わしらのフリークランド 『Jam』って雑誌知ってる? 百恵ちゃんゴミあさり事件で有名になった自販機雑誌の帝王!とまではいかないけれど熱狂的なファンを持つ雑誌のニュー・ウェイヴ。その若き編集長(25)が公開する『Jam』のすべて! 百恵ちゃんありがとう! 『Jam』を始めるまで オーナーと会社のことなど これがジャムの主力メンバーだ! 企画をどーやってたてるか 盗難事件 股間にジャムをぬるのはいーです 工作舎のこと X-LAND まわりのイカレた人たち Jamに関する噂 第八号制作過程 今後の秘密計画 読者いろいろ あなたにもできる簡単な『Jam』の作り方 X−LAND 天皇より宝島読者へ求愛のメッセージ 広告──吉祥寺マイナー 解説──パンクマガジン『Jam』の神話 百恵ちゃんありがとう! 『微笑』の記者がジャム出版(エルシー企画という出版社内に『Jam
吉永嘉明『自殺されちゃった僕』 解説──掟破り、ということ 春日武彦 自分にとって大切な人が、しかも妻を含めて、次々にこの世を去って行ったとしたら、これはかなりのダメージを心に受けることだろう。おまけにその死が若過ぎ、自殺であったとなると。 そんな事態になったら、おそらく自分が何か不吉なものや禍々しいものを発散しているかのように感じるのではないだろうか。死の縁をわざわざ歩きたがるような人を、向こう側へ突き落としてしまうような邪(よこしま)な要素を自分が備えていると感じるのではないだろうか。あるいは、自分が不幸を招き寄せる体質なのではないか、と。普通、こんな目に遭う人物なんて、滅多にいないのだから。 実は不幸の理由をわたしは知っている。本文を読み進めるうちに、すぐに思い当たった。簡単な話である。著者(以下、Yと略す)がこんな運命に陥ることになったのは、わたしのせいなのである。わたしはYと一面
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Underground Magazine Archives』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く