サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
画力アップ
rail-to-utopia.net
ターンスタイル改札機のレプリカの記事で春日三球・照代について触れました。 日本最古の自動改札機のレプリカは「聖蹟ターンスタイル」だった! 春日三球・照代は実の夫婦による「夫婦漫才」で、「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの」というフレーズから始まる「地下鉄漫才」で、1970年代に一世を風靡します。地下鉄以外にも国鉄やバス、タクシーから飛行機、果てはエスカレーターからロケットまで様々な「乗りもの」を題材に、国鉄再建や公共交通の運賃値上げ、バスのワンマン化、次々進む地下鉄の新線建設など時事ネタを繰り出していく漫才は、今聞いてもニヤリとしてしまいます。 というわけで、せっかくなので10分くらい見ていってください。僕は最初のバスのネタが皮肉たっぷりで好きです。 左のボケのおっちゃんが春日三球です。右のツッコミのおばちゃんが三球の妻、照代です。二人は1964年に結婚し
横浜地下鉄ブルーラインが壁に衝突 運転士が居眠りか 29日午前8時35分ごろ、横浜市泉区の市営地下鉄ブルーライン踊場駅で、あざみ野発踊場行きの列車(6両編成)がホームに乗客を降ろした後、折り返し運転のため引き込み線に入った際、本来の停止位置を約29メートル通り過ぎて、前方の壁に衝突した。この事故で、男性運転士(42)がすり傷などの軽いけがを負った。 朝日新聞デジタル 2019年8月29日 すっかり忘れられてしまった感のあるブルーライン車止め衝突事故。6月の脱線事故でも車両が損傷しており、予備車が足りなくなって部分的な運休は今も続いているそうです。その時、次のようなツイートをしたのだけど、覚えていますか。 ちなみにかつて丸ノ内線でも新宿の折り返し線に突入する事故が。しかもこの時は、事故発生を営団が公表せず新宿折り返しを中止してたので怒られた(もっと悪い — 小久保せまき (@semakixx
東京の鉄道には踏切が多い 踏切というものは、鉄道にとって鬼門のような存在なのだが、正直なところ、筆者は踏切に疎い。なぜかと言えば、地下鉄には踏切がないからである。 少々、間の抜けた話に聞こえるかもしれないが、案外これは核心に近い問題だ。 国土交通省の資料によると、東京23区の踏切は620か所(2014年度末時点)にものぼる。これは、人口は同規模で面積では倍以上になるニューヨーク(同 48か所)やロンドン(同 13か所)と比較して数十倍であるし、ベルリンやパリと比較しても、東京の踏切は桁違いに多い。 なぜこのような違いがあるかといえば、本来は踏切とは都市高速鉄道にはふさわしくないものであるからだ。誤解を恐れずに言えば、「世界に冠たる」はずの日本の都市高速鉄道網には問題点が多いということになる。 都市高速鉄道の誕生 19世紀後半から20世紀初頭にかけて、都市部の交通機関は馬車鉄道や路面電車が主
相沢正夫の『ニッポン第1号記録100年史』から「ニッポン鉄道第1号」を紹介するシリーズの第6回は、明治31(1898)年2月25日から26日夜にかけて実施された「鉄道スト第1号」である。 シリーズ概要と相沢正夫氏についてはこちらの記事を参照(記事一覧はカテゴリーから)。 【ニッポン鉄道第1号】線路の置き石第1号と一番ヤバいの 1898(明治31)年2月25日「鉄道スト」第1号 職名改正を要求、上野―青森間不通 火夫を機関助手と変えてケリ 日本鉄道会社の宇都宮以北青森にいたる各駅の機関手たちが、明治31年2月25日の始発からストライキに入り、翌26日には、宇都宮―上野間も同調して全線不通となった。東北線がまだ官営になる前の話だが、これがストライキによる鉄道不通の第一号であった。 組織労働者のストライキとしては、明治19年6月14日に始まる甲府の雨宮生糸紡績工場女子工員争議が第一号。過酷な労働
今は忘れられた存在だが、相沢正夫というフリーライターがいた。相沢は1924年静岡県に生まれ、法政大学経済学部を卒業。サン写真新聞の取材部記者を経て独立した。「サン写真新聞」とは1946年に創刊された日本初のタブロイドサイズの夕刊紙で、戦時中に発行が制限されていた夕刊の再開にあたって、既存新聞の増ページ扱いでは認可が下りなかったことから新たに設立された毎日新聞系の新聞社であった(『毎日新聞百年史』より。ちなみに1960年廃刊)。 相沢は1970~80年代にかけて、今でいう「雑学本」を多数出版している。 『社名・商品名雑学事典』毎日新聞社 1976年 『数学雑学事典』毎日新聞社 1977年 『はじめはじめ雑学事典』毎日新聞社 1977年 『発祥の地物語』日本書籍 1978年 『ニッポン第1号記録100年史』講談社 1981年 『明治・大正・昭和おもしろ雑学事典』毎日新聞社 1984年 今でも書
読者の方からお便りをいただきました。 いつも池袋駅を利用していますが、変な位置に通路があることに気づきました。実際に行ってみたら人通りは少ないし、通路の先には39番出口があるのですが、中途半端なところで地上に出ています。 西武線の近くにあるので西武がゴリ押しして作らせたのでしょうか。それとも通路の方向にまっすぐ進むとサンシャインがありますが、そっちの方まで伸ばす予定だったのでしょうか。この通路がいつ、何の目的で作られたのか気になるのですが、何か知っていますか。 駅の中にある変な通路、気になりますね! 楽しいですね! ということで、調べてみました。 まず、この通路がどこの事を指しているのか確認しておきましょう。池袋駅の構内図です。 池袋駅の東南側、突き出たように伸びる地下道がその通路です。通路には39~41番出口が設置されています。確かに役割がよく分からない通路ですね。新宿駅のサブナードみた
元いすみ鉄道社長の鳥塚亮氏がyahooに「東京-札幌間の輸送は、いつ鉄道から飛行機へ逆転したのかを検証してみると。」と題した記事を書かれています。 現実問題として、東京から札幌へ行く人のいったいどれだけの割合が「はやぶさ」から「スーパー北斗」に乗り継いで鉄道で行っているかというと、詳しい統計は出ていないようですが、函館ならともかく札幌となると、観光目的の途中下車を楽しみながら行くという需要を除くと、札幌を目的地とする場合はおそらくほぼ100%の皆さんが飛行機を利用しているのではないかと推測できます。 そこで、過去を振り返ってみて、いったいいつごろから人々は鉄道から飛行機へシフトしていったのか、筆者が所蔵する過去約50年分の時刻表の中から該当しそうな部分をひも解いて調べてみました。 って、さすがに双方の「本数」×「定員数」を比べてシェアの転換を論じるのは雑すぎやしませんか!? ってことで、先
読者の方からお便りをいただきました。 いつも池袋駅を利用しています。私の記憶によれば、池袋駅に存在する出口は「43番」までのはずなのに、先日「44番出口」を見つけてしまいました。 しかもドラクエなどでよくある、序盤から見えているけどカギを手に入れないと行けない場所にあったのです。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。 この秘密を知った私は消されてしまうかもしれません。写真を送るので助けて下さい。 「39番出口」のお便りをくれた方でしょうか。今回は深刻なお悩みのようです。 池袋駅39番出口の謎を追え! JR、東武、西武、東京メトロが乗り入れる池袋駅は、各社の地下通路が複雑につながっているため共通かつ連番の「出入口番号」が割り振られて、全ての出入口に番号が記載されています。 丸ノ内線池袋駅の出口案内板を見ると、全ての出入口がずらーっと案内されています。東口の出口は「22番」から「43番」
調査実施以前の経緯をまとめた前半はこちらです。 オリンピック後に「地下鉄新線」作るって、そもそも何でそんな話になったんだっけ?(前編) 中央区が2014年から2015年にかけて実施した「都心部と臨海部を結ぶ地下鉄新線の整備に向けた検討調査」は次の通り、2つのステップで行われています。2014年は臨海部地下鉄単体の需要予測や建設費、収支採算性について調査し、2015年は臨海部地下鉄の延伸や、さらなる新線を追加して臨海部の交通ネットワークを拡充する可能性を検討した上で、誰が中心となって、どこから財源を調達して進めるかを調査しています。 これまで散々「現在の計画には現実味がない」と書いてきたので、この調査はお手盛りの適当に行われたもというイメージをお持ちかも知れませんが、そんなことはありません。 本調査の実施にあたっては、政策研究大学院大学の森地教授を座長とする「都心部と臨海部を結ぶ地下鉄新線の
4月3日付読売新聞夕刊が報じた「東京都がオリンピック後に地下鉄新線建設」という「スクープ」について、4月5日の知事会見で記者から質問が出て、小池都知事が見解を示しています。 【記者】NHKの成澤です。新しい地下鉄の整備について伺いたいと思います。一部メディアで東京都が銀座から臨海部へ地下鉄を整備して、羽田空港への直結を目指すと報じられているんですが、現時点での調整状況ですね、具体的に実現が見通せている案なのかということと、今後の東京都としての対応をお聞かせください。 【知事】一部報道が出ていたかと思いますが、都心部、臨海地域の地下鉄の構想ですが、この路線は、文字どおり都心部と臨海部とのアクセス強化に資する路線でありまして、その重要性については都といたしましても認識しているところであります。ただ、現在、構想段階ですし、関係者間で十分調整を重ねていく必要がある課題は多々あるわけで、臨海地域での
2019年4月3日読売新聞夕刊の一面に興味深い記事が出ました。東京都が「五輪後に新地下鉄」と! 副都心線で打ち止めじゃなかったのかと思った方も多かったでしょう。一応、複数の関係者の証言を得ているということで、本当ならスクープです。 これマジか やってくれよ pic.twitter.com/ghqfQGKR1f — ばーさん (@Ba3_Mamew) 2019年4月3日 近くのコンビニに駆け込んだのですが、夕刊は無い(売り切れ? 取り扱っていない?)とのこと。仕方ないので、アップされた記事から一部引用させてもらいます。 東京都は、都心の銀座地区と臨海部とを結ぶ新しい地下鉄路線を整備する方針を固めた。大規模再開発を予定している築地市場跡地(中央区)や、高層マンション開発が進む晴海・勝どき地区を経由する。都は今年度中に具体的な整備計画を取りまとめ、10~20年以内の開通を目指す。将来的には茨城、
依然として180~200%近い混雑路線が残る首都圏。誰も好き好んで満員電車に乗っているわけではありませんが、混雑は仕方のないことだと諦めてしまっているのかもしれません。 「利用の分散」を呼びかけても、乗客に丸投げでは「朝早く起きる」くらいしか思いつかないので続くはずがありません。そこで最近になって「いつ」「どこで」「どの車両」が混んでいるのか「混雑の見える化」に向けた取り組みが始まり、東京都が2017年夏から始めた「時差Biz」でも、各鉄道事業者に混雑状況の情報提供を促しています。 これは(遅きに失したとはいえ)良い取組みだと思うのですが、残念ながら非常に使いにくいデータで、ほとんどの人に気づかれておらず、全然活用されていません。なので「見える化」を見える化してみました。新年度の通勤に活用してもらえれば。
丸ノ内線の新型車両「2000系」がいよいよデビューしました。早くも3編成が営業運転に投入されているようなので、ツイッターでも目撃・乗車の報告が相次いでいます。2023年3月までに全53編成を置き換える計画で、これから1カ月に1編成のペースでどんどん増えていきます。 そんな丸ノ内線を歌った曲といえば…? いえ、まぁ、もちろん「丸の内サディスティック」でもいいんですが、今回取り上げたいのは70年代に活躍したフォークバンド「猫」の代表曲である「地下鉄にのって」。作曲は吉田拓郎で、彼自身が歌っているバージョンもあります(動画)。 映画帰りの丸ノ内線車内で、ぎこちない会話から先に踏み出せない男女のもどかしさを歌ったこの曲、丸ノ内線が重要な舞台装置になっています。岡本おさみの作詞した歌詞が、実に巧みに丸ノ内線の走行風景を描写しているのにお気づきでしょうか。 ねえ君 何を話しているの だからさ 聞きとれ
広島市が2028年に予定しているアストラムラインの延伸にあわせて、バスと共通運賃の導入を検討するそうです。 ゾーン運賃? 均一の運賃体系? 運賃プール制? 私なりに調べてみました! 広島市は新交通システム「アストラムライン」の延伸に合わせ、路線バスと共同で新たな運賃体系を検討する。現在は市内中心部に限っていたゾーン均一の運賃体系を市郊外に拡大する。松井一実市長が明らかにした。延伸区間が全線開業する2028年ごろをメドに、ゾーンごとに運賃を均一にした運賃体系を導入する。新交通システムと路線バスにゾーン均一の運賃体系を導入すれば全国初となる。(中略) 市はゾーン内の均一運賃を導入することで、バス会社との価格競争を回避し、バスとアストラムラインが協調する関係を築く。「ゾーンを定め、料金を新たにして、収益を分けるルールを設ける」(松井市長)。アストラムラインを運行する広島高速交通(同市)やバス各社
関西大学は2月1日に行われた文学部、経済学部など4学部の入学試験の地理の問題に、出題ミスがあったと発表しました。 関西大学(大阪府吹田市)は28日、文学部など4学部の一般入試の地理の問題で、広島に地下鉄がないという間違った前提で出題するミスがあったと発表した。 大学によると、2月1日に167人が受験した地理で、誤った記述を選ばせるもの。「北海道、東北、中・四国、九州の各地方中枢都市には、すべて地下鉄路線がみられる」という選択肢を正答としていた。広島に地下鉄がないことを前提としていた。 出典:朝日新聞DIGITAL(2月28日) 広島にお住まいの方でも「広島に地下鉄なんてあったっけ?」と思うでしょう。読み進めてくと次のように書いてあります。 合格発表後の25日、「広島高速交通(アストラムライン)の一部は地下鉄だ」と外部から指摘があり、調べたところ、同路線18・4キロ中0・3キロが、鉄道事業法
HIGUさんからの情報提供を受けて、三連休最終日の銀座駅に走りました!(ありがとうございました!) @semakixxx さま 銀座線銀座駅、装飾パネル剥がされて空爆跡が露出しています! pic.twitter.com/KrFHZ6A6Gr — HIGU (@Seibeh1974) 2019年1月12日 もうすぐでちょうど74年目を迎えようとしている、1945(昭和20)年1月27日。56機のB29爆撃機が白昼の東京都心を襲いました。前年から軍事工場を目標とした爆撃は始まっていたものの、未だ空襲の怖さを知らない都会の人々は曇天の冬空を物珍しそうに見上げていたといいます。この「銀座空襲」では日比谷から有楽町、銀座にかけての都心一帯の建造物が大きな被害を受けました。 被爆箇所のひとつが銀座線の銀座駅です。銀座四丁目交差点の西南側、鳩居堂ビルの前にある現在のA2出口の真横に爆弾が落下し、道路に大
日本の鉄道は遅れない、時間に正確だと言われています。 実際はどうなのか、本当なのかはここでは触れません。列車遅延に関する世界共通の指標はなく、海外と比べてどれだけ正確であるかを数字で比較することは非常に困難だからです。近年は海外の鉄道会社もサービス向上に力を入れており、その目安として「定時運行率90%以上」といった数値目標を掲げていたりもしますが、「定時」の定義が5分だったり10分だったりそれ以上だったりまちまちです。 それでも国鉄百年史に以下のような記述があるように、戦前の時点で「日本の鉄道は正確だ」という語り口があったことは確かなようです。しかしその正確さは「勤勉な日本人」が鉄道を動かした結果自然とそうなったわけではなく、明治時代の列車は相当遅れていたと語られています。 戦前の日本の鉄道は、運転時刻の正確さが世界的に評判であり、誇りであった。日本を旅行するには、鉄道が寸秒も違わず運転さ
1923(大正12)年9月1日午前11時58分、相模湾北部を震源とするマグニチュード7.9の大地震が関東地方南部を襲った。 この地震により、死者・行方不明10万人以上、全焼38万世帯、被災者は約340万人、損害額は推定約55億円にのぼった(東京市役所編『東京震災録 前輯』による)。1922年度の一般会計予算が約14億7000万円だから、現在の貨幣価値に換算すると300兆円以上にもなる、文字通り国家存亡の危機と言える大災害であった。 この地震による被害は、地震動による破壊もさることながら、火災による部分が非常に大きかった。折しも日本海に台風が停滞していた影響で風速10m/s以上の強風が吹き荒れていたこと、ちょうど昼食時間帯で調理のために火を使っていた家庭が多かったことなど、いくつもの悪条件が重なり、市内各地で発生した火災は瞬く間に燃え広がって東京市の面積の4割以上を焼き尽くした。実際、当時の
悪い東京人に「池袋から新宿なら丸ノ内線で1本で行けるよ!」なんて騙されかけた人はいませんか。池袋と東京を一直線に結んだかと思えば、ぐるっとカーブして新宿・荻窪方向に向かっていく丸ノ内線って不思議な形をしていますよね。 中途半端な形だなぁ。どうせなら池袋と新宿を繋げて山手線みたいに環状線にすればよかったのに、なんて路線図を見ながら思ったことがある方もいるのではないでしょうか。なぜ丸ノ内線はこんな形になったのか、いえ、この形でなければならなかったのかを、歴史を辿って見ていきたいと思います。 丸ノ内線は戦後初めて開通した、東京で2番目の地下鉄路線です。1954年に池袋・御茶ノ水間で開業すると、東京、銀座(当時は西銀座)、霞ケ関と徐々に延伸開業していき、1957年に池袋・新宿間が全通しました。その頃の山手線周辺の路線図はこんな感じです。 既に私鉄は今の路線網がほぼ出来上がっています。薄緑色の線は都
おことわり 当記事では集英社発行『グランドジャンプ』2018年9号~15号で連載された『東京核撃』の批評をするために、著作権法第32条に基づき、コミックス(2018年8月17日発売 kindle版)から画像を引用しております。 どっかーんと東京都心に核爆弾が落ちたところから始まる漫画「東京核撃」。その展開以上にネット上に大きな衝撃を与えたのは、漫画に記された監修者の名前でした。 その名は高田純。札幌医科大学教授に所属する理学博士です。 東京核撃、グランドジャンプ、好評連載中です。 pic.twitter.com/vm8GEYYxKH — 高田純 理学博士 (@gatapi21) 2018年4月14日 専門分野は「中国・北朝鮮の核武装問題、核災害防護とテロ対策、核エネルギーの平和利用の推進と危機管理、核放射線の医療利用と安全」と書くと核・放射線の専門家のように見えますが、その実体は「日本会議
三越前の「定説」はウソだった? 忘れちゃったの、三越さん! 三越前駅の「定説」はウソだった?【確証度B】 銀座線の豆知識の中で『定番』といえるのが、三越前駅ネタ。「三越前駅は、三越が駅の建設費をすべて負担して造った駅。そのため、駅名に店の名前がつけられた」というものだ。 この事実の真偽を確認するため、三越の社史を編纂する担当者に取材を申し込み、話をうかがったところ「過去に出版された社史や、現在残されている資料を確認したが『駅名を三越前駅とする代わりに建設費をすべて負担した』という資料は出てこなかった。駅の改札口と三越の地下フロアを結ぶ通路は、三越が負担して造ったという資料はありましたが」という定説を覆す事実が出てきた。 これは当時東京地下鉄道と三越が交わした協定の内容に関わる話なので、最終的には協定書そのものを当たるしかない。三越側が内容を把握していないなら東京メトロに聞くしかないのだが、
どうしましょう。2年の今日から東京オリンピックが始まってしまいます。 記録的な酷暑が続き、大会期間中の選手・観客の熱中症が心配されていますが、2年後の夏が酷暑かどうかは分からないとしても、ひとつだけ確かなことがあります。暑くても暑くなくても大量の人が都心に押し寄せるということです。 暑さ対策と同じかそれ以上に、大会期間中の都心の交通機関の混雑が懸念されています。 東京オリンピック公式サイトによると、大会期間中の観客は780万人と想定されています。 輸送サービスを利用される方 競技に参加する選手や世界中の国や地域から観戦に訪れる観客はもちろんのこと、競技を支える国際競技連盟(IF)や放送・報道機関を含めたメディアなど東京2020大会に携わる多くの関係者に対して東京2020組織委員会は輸送サービスを提供します。例えば、選手・競技役員などは東京2020オリンピック競技大会では約1万8千人、東京2
当ブログのかなり初期の記事で、定期券の割引率の歴史について取りあげました。 定期券と割引率の歴史のはなし 官営鉄道(後の国有鉄道)は1903年に初めて一般利用者向けの普通定期券を発行しています。当初は郊外からの都市部への通勤利用を促進するために設定されたものでしたが、後に社会政策の意味合いが強くなり、普通運賃は値上げしても定期券運賃を据え置くということを繰り返したので、異常に高率な割引率になっていきました。 このことが鉄道事業者の経営を圧迫した一方で、都市の郊外化と電車通勤者の増加をもたらし、鉄道を中心とする日本特有の都市構造を作りあげたとみることもできます。 定期券が普及したのは1920年以降と言われています。1920年に第一次世界大戦による物価高騰を反映した運賃改定が行われた際に、乗車券・回数券が値上げされたのに対して定期券運賃は据え置かれたため相対的に割引率が高くなり、回数券から定期
JR北海道がヤバいです。どれくらいヤバいかというと、まず全営業路線が赤字です。さらにその半分がとんでもなく赤字です。なにが問題かというレベルではなく、問題ではないことを探すのが難しいレベルです。 しかも結構ギリギリまでヤバいってことを言い出せませんでした。いや、みんな薄々気づいていたんですが、大丈夫かな? 何とかなるのかな? と眺めていたら既に致命傷でした。ということで、ヤバい路線がリストアップされてトリアージが始まりました。 鉄道からバスへ転換すべきとした輸送密度500人規模の路線では、100円稼ぐのに必要な経費が594円にもなり、そのうち燃料費や乗務員の人件費など運行に直接必要な経費だけで161円と、全く採算が取れません。「鉄路を残せ」と言いたいところですが、こうした区間では既に1日5~6本しか列車が運行されていなかったりしますので「歴史的使命を終えた」としか言いようがない状況です。
今日で地下鉄副都心線の開業から10年を迎えました。この10年、色々なことがありましたが、あっという間でもありました。プロフィールでも明かしていますが、私は2006年4月から2017年6月まで東京メトロに勤めていました。最初に広報部に配属された私にとって、副都心線は最初の大きな仕事でした。 たぶん、あの時の経験がなければ、こうして会社から離れて活動することもなかったことでしょう。副都心線10周年を記念して、退職後も課されている「守秘義務」に触れない範囲で、あの頃の思い出を振り返ってみたいと思います。 副都心線は2001年6月15日に着工されました。ちょうど7年の工期で開業に至ったわけですが、このうち最初の4年間は本格的な工事を行うための準備の期間です。最近の地下鉄は、駅部分を地上から掘り下げて建設し、駅間のトンネル部分は駅から発信したシールドマシンでくりぬいて作ります。道路下には東京電力、上
私の妄想でも、ライトノベルの話でもありません。沢和哉『日本の鉄道ことはじめ』によれば、日本初の女性駅長は1915年に高野鉄道(現南海高野線)芦原町駅長に就任した衣川春野さんと言われています。 衣川さんは当時22歳、黒い事務服にエプロン姿で勤務していたそうですが、現在流行りの猫駅長やら一日駅長の類のお飾りではありません。きっぷの発売も改札業務も全部ひとりでこなし、列車に発車合図も行うれっきとした鉄道員で、さらに乗客にも親切丁寧であると駅利用者のみならず沿線でも評判の存在だったそうです。 女性駅長誕生の背景には、当時の神戸鉄道管理局長の「私鉄の小駅は家族単位で管理する」という方針があったというのですが、夫は駅長で妻は出改札係というアイデアが、なぜ全て一人でこなす女性駅長として実現したのかはよく分かりません(ちなみに衣川さんは近所の会社で働く夫がいたそうです)。 近年、JR・私鉄とも女性の採用が
1945年(昭和20年)1月20日、第21爆撃集団の司令官に就任したカーチス・ルメイ少将は日本本土空襲の爆撃手法を大きく転換した。従来高度8000メートル以上から行っていた昼間爆撃を低高度からの夜間爆撃とし、焼夷弾を中心とした攻撃で大火災を発生させる方針に改めたのである。 この新戦術が本格的に導入されたのが3月10日の東京大空襲であった。3時間ほどの間に300機以上のB-29から38万発計1700トン以上の焼夷弾が投下され、10万人以上の死者と41平方kmを焼失する大きな被害をもたらした。 ルメイの新戦術の効果が確認されたことで、他の地域にも同様の攻撃が行われていく。4月13日深夜から翌14日にかけて300機以上のB-29が城北地域を爆撃し、2500人近くが死亡、17万戸以上が焼失した。さらに翌4月15日深夜から16日にかけて城南地域に対する大規模な空襲が行われている。 5月24日、25日
2011年3月11日、東日本を襲ったマグニチュード9.0の巨大地震は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。 震源から遠く離れた東京でも建物の崩落などにより7名が死亡し、鉄道をはじめとする各種交通機関は全面的にストップしました。首都圏の輸送の多くを担うJRが当日中の運転再開を断念したことで多くの帰宅困難者が発生し、徒歩で帰宅しようとする人々で道路は埋め尽くされました。内閣府の調査によると、500万人以上が当日中に自宅に帰れなかったと推計されています。 (関連記事) 江戸川に橋を3本新設するらしい―江戸と東京と災害と橋のはなし そんな中、いち早く動き始めたのが地下鉄でした。当日の深夜22時過ぎに銀座線から順次運転を再開し、そのまま終夜運転を実施したのです。大晦日から元日かけて行われる終夜運転は事前の準備があってこそ可能なものであり、ましてや非常時に急遽機材と人員の態勢を整えることは簡単
運営会社のBRTは被害者への損害賠償の影響もあって債務超過に陥り経営破綻、BMTに改組された(最終的にはニューヨーク市に買収されている)。また現場となったバルボーン・ストリートは事故のイメージを嫌って、エンパイア・ブールバードに改称されるなど、ブルックリンの市民にも大きな衝撃と影響を与えた事故であった。 なぜ列車は速度超過でトンネルに突入したのか この列車を運転していたエドワード・ルチアーノ(29歳)は、事故現場から姿を消した後、自宅で茫然自失としているところを逮捕された。 彼はBRTの職員であったが、その仕事は配車係であって運転士ではなかったのである。なぜ運転士ではない人間が電車を操縦していたのか。実はBRTではこの日から運転士組合がストライキを実施しており、会社側は運転経験のある非組合員を集めて列車の運行を継続しようとしていたのだった。エドワード・ルチアーノはたった2日間練習をしただけ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『Rail to Utopia』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く