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展示の入れ替え作業などは、お客さんに見せる仕事じゃない。 できることなら、開館時間外にやりたいのだけど。 開館前は他の作業で手一杯だし、閉館後は早く帰りたいと急かされるし。 「この展示は、館内整理日に」と案を出したものを、なぜ開館中に入れ替えようとするか。この展示を入れ替えるには、エントランスの通路を半分も占拠して、いかにも「作業中です」という状態にしないとならないと言うのに。すぐにでもやらないと時期を逃す展示を、準備ができているにもかかわらず、なぜほったらかすか。わからん。 図書館雑記&日記兼用:サービスはできるだけスマートに。 - livedoor Blog(ブログ) 自分も一時期はそのように考えていたけれど、今はそうでもない。 ルーチン化した事務作業なんかはバックヤードでさっさと処理してしまって構わないんだけど、館内での特別展示などのイベントめいたことは、むしろ事前・事後のあれやこれ
そのうち記事も消えるので全文引用しておきます。 政府・与党は、失業手当の給付期限が切れた失業者に、職業訓練中の生活費を支給する制度の検討を始めた。 昨年から月10万円の貸付制度を始めているが、利用者が少ないため、より使いやすい制度の創設を目指す方針だ。 同制度は長期失業者に対し、国や都道府県が実施する公共職業訓練の受講を条件に、生活費を支援するものだ。不況が長期化する恐れがある中、最長330日の失業手当の給付期間中に仕事が見つからない失業者の生活を、再就職を目指す人に限って支える狙いだ。 職業訓練を条件とした生活支援は、政府が昨年11月に雇用対策の一環として、月10万円の貸付制度を始めている。企業が職業訓練のために支払っている雇用保険の保険料を財源とした3年間の時限措置で、職業訓練を経て就職した場合などは、返還が一部免除される。しかし、「世帯収入200万円以下」など要件が厳しいこともあり、
ワークライフバランスの観点からすると、家庭のために割いてしかるべき時間を、家庭に割かずに自分のキャリアアップのために投入すること自体が、批判の対象となるだろう。もちろんキャリアアップによって当人の収入や待遇が向上する可能性はあるだろうが、それを達成する以前に家庭が不和に陥っては何にもなるまいよ。ま、家事を(ある程度)やっていれば仕事に没入することが許される、という発想を、まず変えたほうがいいんじゃないかな。妻のキャリアアップを妨げておきながら「そんなとき、嫁さんって笑顔で応援してくれるもんじゃないのかなあ。」って、いささか自己中心的に過ぎるのでは。旦那の側は主観的には努力しているつもりなのだろうが、努力する方向が大間違いだね。 とある夫婦の離婚序章
消費マインドの冷え込み方は生半可なものじゃないでしょうね。少なくとも消費税の増税と同じくらいには。 かつてマスメディアにおいて「リストラ」という言葉が賑わっていたころ、いったいどのように人員削減が行われていたか、覚えている人は多いでしょう。身内や友人知人が当事者だった人も少なくないはず。景気が沈滞している今般の時勢にあって、さらに解雇へのハードルを下げたら、多くの労働者は職にしがみつこうとしてノイズ混じりのアッピールを繰り返したり、あるいは同僚を蹴落とそうとする可能性もあります。生き残るためにはなりふり構っちゃいられません。もしかしたら家族も派遣切りや無い内定に遭っているかもしれませんしね。こぞって局所最適に走る姿が容易に想像できます。 前のエントリでも触れましたが、解雇規制を緩和するなら、それと同時に(あるいは先立って)、潤沢な失業保険の給付と手厚い就労支援が必要なはずです。太陽が現れる
はてブで何度も「雇用こそ社会の安定」と叫んでいるんだけど、新年一発目にちょっとキーワード解説的なエントリを書いてみます。素人学問なので全部信じちゃダメだよ。 フレクシキュリティ Flexibility(柔軟性)とSecurity(社会保障)を合わせた造語。1990年代から、オランダやデンマークを中心としてヨーロッパで提唱・実施されてきた政策概念。企業にとっては労働市場がフレキシブルであることが望ましいが、ただ単にフレキシブルであるだけでは個々の労働者に不安定さのリスクを押し付けているだけであり、社会の安定は損なわれる。したがって、きちんと労働者を保護する仕組みを合わせて整備しましょうということ。簡単に言うと、「解雇されないから大丈夫」ではなく、「解雇されても大丈夫」という方向で制度設計を行う。デンマークを例に取ると、緩やかな解雇規制・手厚い失業保険・充実した職業訓練の3つを大きな柱としてい
手短に書く。採用内定が通知され応募者がそれを承諾することによって労働契約は成立するのだから、社会通念上相当と認められるような取り消し自由にあたらない場合の内定取り消しは、解約権の濫用であって無効である、というところまではウィキペディアなりJILPTなりの記事を読めば了解できるだろう。(参考:茨城労働局 採用内定は解約権留保付の労働契約が成立していると解される) もしも内定の取り消しが容易に行えるようになると、企業側は有望そうな学生にはとりあえず内定を出しておいて後から取り消して数を調整する、ということができるようになる。それを見越した学生側は内定を応諾してもそこで就職活動を辞めずに続行して複数の内定を確保しようとし、実際の勤務開始日の直前になって志望順位の低い内定を辞退するようになる。勤務開始の直前に内定を蹴られた企業は、人事計画の混乱を最小限に抑えるため新しい人材を採用するべく急いで募集
なんだか問題点がこんがらがっているような気がするので、整理のために書いておく。 「図書館が管理する本を図書という」。これは「図書」という言葉を大学の会計で使うときの定義。 この定義にしたがうと、研究室で管理する本は大学では図書とは言わないことになる。したがって、実質的に研究室などで管理する本は大学の備品ではないはず。 でも、今は、なんでもかんでも、本を図書として扱っていて、自動的に本を備品としている。 本の備品管理に膨大な人手がかかっている。 なぜ、こうなったのだろう。 何とかならないのかと事務方に検討をお願いしている。 きまぐれ雑記 : 本の備品管理 まず、大学の研究室にある本のすべてが「研究室で管理する本」ではないことには注意が必要だ。どういうことかというと、配架場所が研究室になってはいても、実際はその予算は図書館から出ていたりするものがあるからだ。図書館の予算で購入した資料は当然に図
図書館の主要な業務の一つに、レファレンスサービスというものがある。ものすごく簡単に言うと、ユーザーの疑問や質問に答えることだ。「○○について知りたい」「××について調べたい」というユーザーが来た時に、求めている情報や資料、あるいはその調べ方を提供する役割である。 ということを踏まえたうえで、以下に引用。 分からないものを検索する 技術力が全くない人間であっても、検索エンジンは、正しく問いさえすれば、あらゆる答えを教えてくれる。 問題になってくるのは「問いかた」で、自分が抱えている問題をどう言語化すればいいのか、 分からない人はたいていの場合これが分からないし、分からないものは、検索できない。 「問題」と「検索」との間に、誰か「人」に入ってもらうと、「何が問題なのか分からない」問題は、 しばしば検索可能な、解答可能な問題に置き換わる。 次世代の検索エンジンは、たぶん「ここではないどこか」みた
昨日付けの朝日新聞に、マクドナルドの店長の過労死についての記事が掲載されていた。 日本マクドナルドの横浜市内の店舗の女性店長(当時41)が昨年10月、勤務中にくも膜下出血で倒れ、死亡したのは過重労働が原因だとして、遺族らが5日、横浜南労働基準監督署に労災の申請をした。同社は「名ばかり店長」の長時間労働が指摘されてきたが、支援する労働組合・連合では「過労死が明らかになるのは初めて」という。 連合などによると、女性店長は昨年10月16日夕、別の店舗で行われた新製品に関する講習中に突然、倒れた。救急車で病院に運ばれたが、3日後に亡くなった。亡くなる前の半年間の残業時間は、出勤に使っていた車の駐車記録などから推定すると、過労死ラインとされる1カ月80時間を超える月が3カ月あった。最長の7月には約120時間に及んでいたとみられる。 女性は、昨年1月に店長に昇進。店長を含め正社員2人の体制で、月商1千
現場を脇においたような意見が多くてゲンナリする。今に始まったことでもないが。 生存がかかっているホームレスの対応ってライブラリアンにできるの? できません。ライブラリアンは医療や福祉の専門家ではありません。行政の担当セクションに連絡通報した段階で、するべきことは尽きています。もちろん個人的に勉強して何がしかの知識を持っているスタッフがいる可能性はありますが、組織として期待するのは無理です。ましてや、カウンターパートは派遣などのいわゆる非正規雇用のスタッフが多く、手が回らないでしょう。 ありうる対応策としては、専門家が図書館に常駐もしくは高い頻度で巡回することでホームレスの保護に当たる、というあたりが限度でしょうか。図書館は、情報の案内は出来ても、人生の案内は出来ません。シェルターにもなれません。 図書館の目的外利用って追い出されるの? 館内が非常に混雑していたとき、携帯ゲーム機で遊んでいた
図書館て「場」でしょ。さまざまな機能、さまざまなシステム、さまざまなワークフローが複合的に組み合わさって成立するしろものでしょ。その「場」に勤務する人材をライブラリアンと呼ぶのであってさ。 だったら、スーパーという形容詞をつけるべきは、人じゃなくて個々の技能なんじゃないの?スーパーなカタロギング、スーパーなレファレンス、資料修理、ILL、利用指導、施設管理、エトセトラ、エトセトラ。各分野においてそれぞれ抜きん出たスキルの持ち主がいて初めて、「スーパー○○」という呼称が成立しうるんだと思うんだけど。 一般的な企業で考えてもさ、営業、広報、企画、開発、経理、人事、法務、在庫管理、等々の各分野においてはスペシャリストが成り立ちうるだろうけど、「スーパー会社員」て言われたら、?マークでしょ。『企業戦士ヤマザキ』じゃあるまいし。単騎で何でもできるなら、チームワークの意味がないじゃない。 次代の「館界
昨日の毎日新聞一面トップでは、秋葉原通り魔事件の加藤容疑者の雇用状態を取り上げていた。以下に引用するが、彼の心が荒んでいく様子がよく伝わってくる。 加藤容疑者は東京都内の人材派遣会社に登録し、自動車組み立て・生産大手の関東自動車工業東富士工場(静岡県裾野市)に派遣され働いていた。工場の職場関係者によると、今年5月中旬から大量解雇のうわさが広まっていたという。そのため、責任者が先月30日、派遣社員十数人を集めて「(当面は)休まず働いてほしいが、派遣社員の中には解雇される人も出る」と説明した。加藤容疑者ら2人はこの説明会に遅れて参加。責任者に「急に言われても何と言っていいか分からない」と返答に困った様子だった。同じ塗装工程で働く同僚にこの後「青森に帰って時給の安い仕事でもみつけようかな」と皮肉っぽく漏らしたという。 ただ、今月3日に一転して雇用継続が伝えられ、加藤容疑者は翌4日「辞めなくてもよ
昨日より図書館系クラスタの一部で話題になっている件について。 http://homepage3.nifty.com/riyosha/ インターネットでの反応(pdf) 簡単に言うと、「練馬区光が丘図書館利用者の会」という団体があって、これはどうも地域住民が図書館の利用についてコミットしていくために結成した組織らしい。で、練馬区立図書館の貸出履歴保存問題については2008年1月頃にブログやそのコメント欄で議論が積み重ねられてきたのだけれど、その「利用者の会」がweb上の議論を全文転載して一つのドキュメントにまとめ、組織のHP上にPDFでアップロードしており、それに気付いたbibliobloggerの不興を買った、というのが事の次第。関心を持たれた方は、はてなブックマーク - 「練馬区立図書館貸し出し履歴保存」報道に関して: 東京の図書館をもっとよくする会(旧ページ)からリンクされているエント
6月4日付クローズアップ現代「ランキング依存が止まらない-出版不況の裏側-」を視た。以下に感想を羅列。 番組中、書店が売りたい本を売ろうとする試みとして「本屋大賞」が紹介されていたが、あれってそういうアプローチなのか。客がランキングで本を選ぶというのなら、そこで供給側が採るべきは新しいランキングを創設することではなく、客の消費行動を変えるやり方ではないのか。実際、本屋大賞とて2位以下は注目されないと番組で語られていた。出版点数が増大しているならなおさら、上位ランキング本ではなく売れ筋の本の関連本を奨めていく方が購入される可能性が高いんじゃないの。リアルな出版物の間にトラックバックは表示されないけれど、書店員やビブリオマニアの頭の中には、おそらく本と本とのつながりが網の目のように浮かび上がっているはず。そういうつながりを消費者に明示していけるなら、書店員の職能をアピールする好機とも言えるわけ
作者不在って考えは面白い。ニコニコみたいに模倣、再生産、再解釈でなりたってるクリエイティブ文化だと、オリジナル作品ってのは一個で完結するものではなく、ムーブメントの基点であり、表現模索の方向性の定義にしか過ぎないのかな。そうなると質どころか、問われるのは情報遺伝子の拡散性ということなんだろうか。このような文化では作品は特定の誰かが作るものではなく、勝手に生えてくるものって認識が強いのかもしれない。だとしたらこの文化の洗礼をうけた世代は、未曾有のアンチ・コピーライト世代になりそうな予感。 fladdict» ブログアーカイブ » 大学の先生とニコニコについて語ったりした これを敷衍すると、ニコニコにおいてコンテンツの良し悪しを判断する時、その基準は「作品単体の完成度」とは別の要素が重視されるのかもしれない。すなわち、より多く引用され、参照され、ムーブメントを形成する作品こそが、リスペクトの対
COMIC1の見本誌が明治大学の新図書館に寄贈される件について、永字八法にてみたびエントリが起こされている。 気に入らない遺され方を拒否する著作権者がいるとは失念していた。 - 永字八法 遺したくない著作権者と未来永劫残したい図書館 - 永字八法 殺されてでも遺したい - 永字八法 (なお見本誌寄贈の件についてはCOMIC1代表によるブログも参照のこと:COMIC1準備会日記: 見本誌) 手短に書く。自分の感覚では、図書館等によるアーカイブはそもそも発行人の意志を斟酌する必要はない。気心の知れた仲間に著者が直接コンテンツを受け渡すような牧歌的な間柄ならばともかく、同人誌といえど不特定多数に頒布しているような代物を発行人がコントロールできると考える方がおかしいのではないか。"publish"と"public"が語源を同じくしていることを思えば、あらゆる出版物は出版された時点で保存されることを
いちいち頷きたくなりますね。 ところで、日本の図書館では読み終わったあとに本を自分で書架にもどすことが推奨されているかのようなところがあるが、あれって一般的なんかね? 米国の図書館では、取った本は自分の手で棚に戻してはいけないとされていた。すくなくとも NYPL ではそうだった。本を書架に戻すのは図書館員の仕事なのだ。図書館の検索性を考えると、素人が間違った場所に戻してしまうことのほうがよくないことなのである。ときどき、新山の実家の近くの公立図書館には書架がえらく荒れている時期があって、そういうときは明らかに分類のちがう本が関係ない棚に置かれていたり、目録にあるはずの (しかも貸出もされてないはずの) 本が見つからなかったりする。こういうときは図書館員に聞いても「じきに蔵書整理をやりますので…」と言われてしまい、実にがっかりするのだが、これは一般人に本を返させるのが原因だと思う。まあ、人手
記事を読むだけで頭に血が昇った。簡単にメモだけ。 障害者自立支援法で障害児施設に導入された「契約」制度は、障害の有無で子どもに対する公的支援が区別されるうえ、保護者負担が必要な契約か、公費負担の措置かの判断に都道府県で大きな差が出るという二重の差別を生んだ。子どもが自治体の「さじ加減」で翻弄(ほんろう)される不公平さは、今月から本格的に始まる自立支援法の見直し論議で焦点の一つになりそうだ。 独自の基準を定める千葉県の障害福祉課は「独自基準で国が定める措置の3要件を補足する。児童相談所(児相)が家庭調査し、少しでも虐待などの恐れがあれば措置と判断している」と説明する。 独自基準は自立支援法施行直前の06年7月に制定。児相の所長が(1)児童虐待防止法の児童虐待に該当(2)保護者が死亡、行方不明で養育不能(3)保護者が精神疾患等で入院・在宅療養中(4)保護者が服役または施設入所中(5)保護者と暮
前のエントリについて、sean97さんから反応していただきました。 またしても「どっちもどっち」…… - deseanの日記 旦⊂(´-` )お茶ドゾー しかしながら、どうも噛み合ってない気がするので、もう一度書いておきましょう。 まず、当方は「スポーツ観戦=消費行動」という図式それ自体は、特に異論はありません。けれども、「消費」という言葉は実に便利なもので、スポーツを観戦する行為を消費という言葉で括ってしまうと、そのスポーツ観戦という行動の内実を見誤ってしまうのではないか、と思っています。言い換えれば、それは「消費」という言葉の意味を拡張させすぎているのではないかと。ゆえに、「消費」の意味をあえて狭く捉え、スポーツ文化におけるサポーター概念は既存の「消費」の射程にとどまらないだろうというのが、当方の意見です。 繰り返しになりますが、フットボールを通じて能動的に文化の形成に関わってゆく
Jリーグ加盟クラブのサポーターとして看過しがたい発言なので、ちょっと反応。 最近、いろんなところで、消費者の暴走が起こっている、みたいにいわれます。 教育なんかでもね。やや眉唾ながらも、「モンスター・ペアレンツ」なんかはその類でしょう。「オレや子どもは金を払ってサービスを受けている消費者なんだから、学校や教師はオレの言うとおりにするのが当たり前」みたいな意識。 最近思うのが、スポーツの世界。 こんな出来事とか。 浦和の惨敗にサポーター“抗議デモ” これのニュースをテレビで見てましたが、外国では、まず有り得ないシーンだなあと思ったものでした。 僕はアメスポ好きですが、もちろんアメリカにもダメチームはあるし、それに腹を立てるファンもいます。 しかし、だからといって、「責任者出てこい!」ということにはならないし、仮にいわれたとしてもノコノコ出ていってファンの前で頭を垂れて謝罪する社長やGMがいる
現状認識としてはおおむね妥当と言えよう。 図書館の非正規の職員…特に派遣や請負のスタッフは長持ちしない。4年と続かない*1。 パート分の収入で良い、と割り切った主婦や、他に転職のあてがない人だけは結構続く。 長持ちした一部の人はスタッフのリーダーになるなどして若干高い給料を得られるが、一箇所で長持ちする人は少ない。業界を去っていく人も多い。このため、適当に応募してきた人間をとっかえひっかえして回していくのが図書館業界の流れである。そうではない図書館もまだ多いが、今後この傾向は加速するだろう。 しかし図書館業務のアウトソーシングはなくならない。行政にしろ学校にしろ図書館というのは真っ先に予算が削られ、切り詰められていく組織なのだ。経験の浅い人材で適当に業務を回しているだけでも表向きの数字*2は悪化しないから行政や議会で問題視されにくい。しかしこの寒い事情がずっと続くとどうなるか?そこまでは誰
流出だ流出だと騒ぐ声を(たぶん2chまとめサイトあたりで)いくつか見たのだけれど、流出とは「秘匿されることが前提の情報が第三者にも知られてしまうこと」をそのように呼ぶのであって、Amazon側が「ウィッシュリストは公開されることが前提の機能」と考えていた場合、つまり第三者が知ることを想定の範囲内において実装した機能ということであれば、流出とは言えないだろう。この場合、問うべきは「ウィッシュリストが公開されることを利用者に対して十分に周知していなかった点」であり、さらには「そもそも、ほしい物リストは、アメリカの文化で、友人や家族にプレゼントして欲しいものをあらかじめリスト化する習慣に合わせてできた機能。公開して使うことが前提になっている」(asahi.com:アマゾン「ほしい物リスト」、他人に丸見え 本名も表示 - 社会)などという日本にない文化慣行をそのまま持ってきたAmazonの無思慮さ
アカウントを持っていれば誰でも、そして字数制限内であればいくらでもクリップしてコメントを書けるという敷居の低さが、SBMのコメント文化を栄えさせたわけだけど。ネガコメを「見たくない」ではなくて「書いて欲しくない」というニーズがあるのなら、商用サービス提供者の側からすると考えざるを得ないのでしょうし、たぶん考えている。いや、「自分が見たくないようなコメントは書かせない」という考え方がどれほどヤバいものであるかは、わかっている人はわかっているでしょうけど、それはそれとしてね。コメントでの批判に耐性が低い人とか、負荷を受けまくって傷だらけの人に「ストレスにまみれて生きろ」というのも、いささか酷な気はします。個人的には、そういう人は万人に閲覧可能な場所に文章を綴ることはないと思うけれど。 はてな市民何日というがあるけど、ぶくまも、ぶくま日数とぶくま数とでぶくま値を作ってそれで、ぶくまのリストをソー
結局、退職を余儀なくされることになり、転職活動を行っておりますが、これでも僕は「自己責任」なのでしょうか? それとも産まれてきた時代が悪かった。それだけなのでしょうか? 教えて!ダンコーガイ! ロスジェネとか雇用とか(一当事者として) - syncのにっきver3.0 どこで「責任ある選択」をしなかったのか。6年前の部署替えの時か。彼女と別れたときか。職場に勤める前か。生まれる前か。どこかで間違えたのだろう。今も間違え続けているのだろう。だから今こんな不安定な状態なのだろう。ずっと間違え続けるのだろう。 敗残兵から一言 - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) 一月ほど前に、こんなことを書いた。 自分を取り巻いている状況が自分にとって厳しいものであった場合、ミクロ的にはその状況に自分自身を最適化させ、得られる効用が少しでも大きくなるように利益をかき集めることがベスト
タイトルで言いたいことが終わってしまった…。念のため書いておくと、自動販売機にコインを投入後、ありがとうの気持ちを込めてボタンを押すと缶コーヒーがうまくなる、という話ではない。 本石町日記にて、感情労働について書かれている。 日経新聞23日付の一面特集に「感情労働」という見慣れぬ用語があった。労働関係の方々には知られていた概念なのだろうが、私が目にしたのは初めて。勉強になりました。労働環境は厳しくなっているが、「肉体労働」、「頭脳労働」、「感情労働」のうち、もっとも負担が大きいのは、最後の労働であろう。精神的負担が大きく、ストレスが増大しますから。 記事にもあったように、「お客様は誰でも神様」という風潮が強い場合、Emotional Labour Costはほとんどゼロに張り付く。記事では「スマイルはゼロ円」から脱却すべく、笑顔に対価を与える試みも紹介されていたが、これが可能なのは非常に限
生存報告代わりに。先週から今週にかけて無意味な忙しさが続いていて、心が奮い立つような刺激に飢えていたので、アンパンマンのMADばかり見ていました。マイリスト代わりに放出。 再生数・マイリスト登録数ともに大きいので、ご存じの方も多いでしょう。JAMProject『GONG』を用いたMAD 。美味しいところばかりなのでこれだけでも楽しめる。 こちらは最近の作品。見たらきっと、ばいきんまんが好きになる。 2006年の映画『いのちの星のドーリィ』をフィーチャーしたMAD。BGMはゲッターでお馴染みの『HEATS』。 TWO-MIX関連を検索して見つけました。アンパンマンワールドの大ヒロイン、ロールパンナに光を当てた作品。 パン三銃士が好きな方はこちらを。アンパンマン抜きのダブルパンチとか結構珍しいかも。 こちらもJAMProjectの『未来への咆哮』を用いたMAD。GONGと重複する画が多いけど、
http://d.hatena.ne.jp/mique/20080204/1202162078 U.T.図書館喫茶は図書館離れ対策なのか? - かたつむりは電子図書館の夢をみるか(はてなブログ版) そもそも図書館離れなる現象はどういう代物なんだろう? 上記のリンク2件の前段として、筑波大図書館にスターバックスが設置されるという話があり、その目的は図書館離れを防止するためであると毎日新聞で報道された(参考リンク)という経緯。さて、「図書館離れを防ぐためにスタバを誘致する」という理屈は、前提として「図書館における滞在型サービス機能が劣悪なために集客が不十分」という判断があり、そのサービスを向上させることで不満は解消され集客できるという理屈だと思う。 けれども、自分の学生時代を振り返ってみると、図書館が最も混雑するのは試験期間であり、長期休暇に入ると実に閑散としたものであった。自分はクイズ屋だっ
この辺りの彼我の違いって、結局バブルとともに「メセナ」という言葉が死語になったのだけれど、要するに日本の企業がある程度文化投資を当然のものとするようにモデルチェンジする前にバブルが潰れて時代が変わっちゃったのかなと感じなくはない。ところで、よく「品格」とかを語る本が昨今売れたりするけれども、実は「品格」って、格差の上位にいる人の鏡なんだよな、ってことは思う。で、そういう「品格」を語る中で、文化とか趣味とかって結構大事。例えば金持ちがある程度「趣味が金儲け」みたいな状況では、社会全体の「品格」も生まれてこないのではないかと。その意味で、今の世間的に有名な経営者なり政治家なりで「大旦那的」な趣味人という風体を漂わせる人がもうちょっといれば、世の中の空気全体が良くなるのかな、みたいな思いはあるんだけれどもね。 コンテンツのフリーライドに関する雑駁な放言。 - 殿下執務室2.0 β1 個人的には、
自分を取り巻いている状況が自分にとって厳しいものであった場合、ミクロ的にはその状況に自分自身を最適化させ、得られる効用が少しでも大きくなるように利益をかき集めることがベストである。一方で、マクロ的には自分を取り巻いている状況そのものを変化させ、積極的にアクションを起こさずとも効用が得られる、あるいは不利益を被らないような構造を作り出すことが望ましい。 もしくは両者の中間の選択肢として、周囲の状況を少しだけ変化させ、不利益の矛先を他人に押し付けて自分だけ逃れる、という手段もありうるか。ライフハックとしてはいささか悪辣にも思えるが、実社会じゃ爆弾の押し付け合いもまま見られることではある。 いずれにせよ、どのような境遇におかれたとしても、その境遇自体を自分のアクションによって変化させることは可能だが、状況の可変性に気づかなければプレイヤーが取る手段は状況への最適化しかなくなるし、他のプレイヤーを
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