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大谷翔平
rumir.hatenablog.com
これは風邪をひく直前のはなし。ルノワールとモネに会いに京都市立美術館にいきました。小さいころから父の影響で美術館に行くのが好きで、画集を眺めるのが大好きな私はすごい画家も、まるでどこか友だちのおじさんのような気がする。 「5月になったらモネが帰っちゃうから、それまでにいかなくちゃ。しかもルノワールと一緒にいるんだもの」 同じ美術館でふたりの展示なんて、とっても贅沢だなと思う。しかも桜の時期に!!こんなときにかぶせなくてもいいのになあ。あまり人が多いとくたびれちゃうな。先週末に行く機会があったのだけど、あまりの道の混雑と人の多さに悲しくなって途中まで行って諦めて帰ってきたの。 だから、雨上がりの平日お昼にいくことにした。桜はだいぶ散っていた。でもやっぱり、すごい人だった。 京都市立美術館では、入って左右に異なる展示を開催している。左の方が大きいから、メイン会場になることが多い気がするの。今回
この季節、少し遠回りして秋桜の道を通って駅に向かう。小川沿いいっぱいに、私の背を超える高さに伸びた秋桜が、夕陽を浴びて柔かに揺れている。輪郭がきらきら金色に光るさまが綺麗で見とれてしまう。 私には定期的に読書の波がある。小さいころから本は大好きなのだけど、先月はまた「いい出会い」が重なって、凄い勢いで読破していた。朝も昼も夜も、空いた時間にはずっと本を読んでいた。そうしたら月に一度、奈良の鍼のお医者様に診て頂いているのだけど、 「からだの血がかなり減ってるよ。絵、沢山描いたの?」 と先生に言われた。 「絵は、いつも通り。お仕事の行事が10月沢山あるのと…あと、本たくさん読んだけど。」 「それだね。筋がかたくなってるから、読書もちょっと減らしてね」 「はーい。。」 怪我をしてはややこしいので、それから少し本を控えている。でも、読んだあと頭がぐらぐらするほど集中する毎日が続いていたので、どうや
昼になって、雨の勢いが強くなった。フォン、と鋭い音がして、カーテンが翻る。窓のほんの少しの隙間から、あんなにめくれるなんて凄い、と着替えの途中でぼうっと見ていたら アラームが鳴った。もう出なくては間に合わない。慌ててジャケットを羽織る。 「ながぐつ、ながぐつ」 使うのが久しぶりだったから、戸棚に仕舞っていた長靴を出して、透明の傘を持つ。 「気を付けてね」 「うん、いってきます」 5分後の電車に乗らないと間に合わなかった。今日は革の手帳を作りにいく。東寺で知り合った、素敵な器をつくる友人と一緒に予約をいれてから、ずっと楽しみでワクワクしていた。台風で中止になるかなと心配だったけれど、開催されるようでホッとしていた。ところが朝から、台風のせいで仕事のお電話が沢山かかってきたせいで、そしてゆっくり朝ご飯を食べたりしていたせいで、遅刻しそうだった。 雨はどんどん大粒になってきていたし、一生懸命に足
少し生温かい風が吹いていた。砂埃が舞う中で、私と友人は分厚い布を頭からすっぽりかぶっている。周到に準備は出来ていた。隙をみて足早に柵へと向かい、飛び越える。そこには約束通り、おんぼろのバスが待っていた。主人と友人が既に乗っている。「私はあっちのバンに乗るね、あとでね!」小声でささやいて、友人の背中はみるみる遠ざかった。少しだけ見送って、急いで乗り込む。見張りが来ないうちに、遠くまで行かなくてはいけないもの。 「それから、一人ぼっちになった色鉛筆たちが反乱を起こしたり、ぬいぐるみの町があって、見かけはすっごく可愛いしフワフワなのだけど、でも中身は綿じゃなくて鉱石だから、ぎゅっとすると硬いのよね。」 「・・・もう、いい?」 「ううん。それから、バスとレンタルビデオ屋さんが提携を結んで、バスの中に本やビデオの棚がずらりと出来てるのね。でも満員のときには人をよけて見なくちゃいけないから選びにくいし
「見て。空がぽこぽこしているよ」 帰ってくるなり主人が言って、私のうしろの窓を大きく開けた。ぽこぽこ・・・?と思いながら描きかけの絵筆をおいて、後に続く。 「ほんとうだ」 「ね。ぽこぽこしているでしょ」 しばらくポカン、と眺めていた。キャンディみたいに、口にいれたら一粒一粒しゅわっと甘い味がしそうだ、と思った。数日前のことだ。 あっという間に10月の2週目になっていて、これはどうしたことかしら、と思う。まだ6月くらいの気持ちもするのに、来年の予定が早速入ってきて、慌てて手帳を選んだりした。絵の仕事がたくさん増えたので、お仕事とふたつの予定を分けて書ける手帳にしたのだけど、どうしても表紙のさわり心地が気に入らない。それで、表紙を変えてみようかなと破ったらびりびりになってしまった。早くカバーをつけたいけれど、どんなものにしようか「これ!」というアイディアがまだ見つからない。そういうわけで、ちょ
先日、幼なじみと、幼なじみのご主人さまと3人で夜ご飯を食べました。彼女は3歳からの仲良しで、いまはドイツのオーケストラでヴァイオリンを弾いているの。私たちはそれぞれ、生まれたところから遠く離れた憧れの町に住んでいて、早いうちに好きなことに出会って、それがそのまま職業になっている。それはまるで途中を駆けぬけているようで、気がついたらこんなところまで来てしまった、という気持ちになるときがあります。ふたりとも幼稚園のときと同じ顔をしているし、お互いの家族もとてもよく知っている。学校の先生や行事はもちろん、なんと見ていた大好きなテレビ番組も一緒だったということが判明して、とてもとても嬉しくなりました。 「メイプルタウン物語って、知ってる?大好きだったの。」 「!!!」 彼女の目がまんまるになって、 「もちろん!唯一好きで、ずーっと見ていたわ!!」 と言ったのでとても驚きました。なぜか、同学年の友人
「わあ!」 真夜中に、台所のほうで主人が小さく叫んだ。 「どうしたの・・?」 何かただならない様子だけど、寝ていた私は眠くて目がひらかない。 「カエルが、部屋に入ってきた」 「え!!」 一気に目がさめた。おそるおそる台所に近づく。 「すごく小さいよ。どうやって入ってきたんだろう。窓、開いてるのかな」 突然、視界に跳ねたものがあって息をのんだ。よく見たら、シンクのところに親指の先くらいの小さな小さな緑色のカエルが、ぴょーん、ぴょーんと跳びはねている。 「ほんとうだ」 「かわいいね。でもこれ、どうしよう」 私は寝ぼけていた。 「ざるで囲ったらどうかしら。それで、朝になったら離してあげようよ。」 寝ているあいだに、顔の上を跳ねたら嫌だ、と思ったの。そうしよう、と戸棚をあける主人をなんとなく見ながら、夢遊病のようにフラフラ、寝床にもどった。それからぐっすり、眠ってしまった。 コーヒーがポコポコ鳴る
東京に行った日は大雨でした。電車が遅れたり、うんと久しぶりの満員電車でとってもくたびれたりした。でも、親族の行事があったり、沢山の友人と会えたり、美味しいものを食べたりして、それはそれで楽しい時間を過ごしたの。でも実は、そのあいだずーっと、歯が痛かった。 出発の前日、ミルクセーキを見つけて嬉しくて3袋も買った。あれは実に美味しい。それをパリパリ食べていたら、嫌な音がして詰め物がとれてしまった。悔しくてそのあと全部食べたけれど、痛くて痛くて、主人に教えてもらった「歯が痛くなくなるツボ」をぎゅうぎゅう押しながら出掛けたのでした。 帰ってきてからもご用事が続いて、きのう奈良に鍼治療に行った。1ヶ月に一度、主人と友人の車に乗せてもらって向かう。主人と先生は同級生で幼なじみだし、私のことも学生のころから可愛がってくれている。それに痛いところも必ず一緒に治してくれると知っているから、怖がりの私も何にも
傘をさして、おみせにむかいました。久しぶりのお休みだしお家にいたいな、と思ったけれど冷蔵庫には何にもない。ぐずぐずしていたら雨が降ってきた。玄関でちょっと迷ったけれど、帽子をかぶって小走りで階段をおりました。 色んなことが重なる時期はあるもので、家族の行事やお仕事がたてこんで、更には歯医者さんにも通わなくちゃいけなくって、(そのなのに7月に個展をするのに準備が大分遅れていて!!)心がせわしない日が続きました。少し落ち着いたのはきのう。自転車のカゴに乗るだけいっぱい、バッグいっぱいにお花を連れて帰って心ゆくまで植え替えしました。 移動が多いから本をずっと読んでいた。この10日あまりで、「ナルニア王国物語」を全巻、フィリパ・ピアスの短編やバーネットやケストナーの本、といった「読んでいなかった名作といわれる本たち」を十数冊読んでしまった。たくさんの人や物事が実際のことと混ざって、余計に混乱したと
暖かい1日だった。いつもより早く帰れたので嬉しくて、ちゃんと予定通りに花屋さんに寄ってたくさんお花を抱えて帰った。去年はチューリップの球根を植えそびれてしまったので、少しだけ芽が出ているものを3つ選んだ。何色が咲くかは、おたのしみなの! 数日前の「青矢号」がとても良かったから、同じロダーリの「チポリーノの冒険」をゆうべから読み始めて、さっき読み終えた。こんなにすぐに読んでしまって、ちょっと残念。。でもどんどん読みたくなってしまって、しぼりたてのオレンジジュースを飲みほすみたいにページをめくった。 作者のジャン二・ロダーリは1920年生まれのイタリアの作家。国際アンデルセン賞も受賞していて、児童文学の第一人者といわれています。彼は、あまり裕福ではないお家に生まれ育ったそうです。社会のなかの普通の人達の暮らしや、彼らに小さい「いいこと」が起こって幸福になっていく文章が本当に優しくて、素晴らしい
たくさん重ね着をしているし、ちっとも寒くない。重さも感じないくらいの柔らかな雪、こんな景色は京都にくるまで見たことが無かった。視線を近くにしたり遠くにしたりして楽しみながら駅に降りたら、ちょうど電車が着いたところだった。 夕方から読みはじめたロダーリの「青矢号」は、予想以上に面白くて、帰りの電車を降りるまでにとっても集中して読み終えてしまった。しばらく前に古本屋さんで見つけてから、ずっと本棚で眠っていた本だった。 イタリアでは、1月の公現祭の日にベファーナおばあさんが、魔女みたいに箒に乗ってプレゼントを配るという言いつたえがある。でも貧しい子どもはプレゼントをもらえないそう。そんな子どもの一人、フランチェスコを知ったベファーナの玩具屋さんに住んでいるおもちゃ達が、電気列車の「青矢号」に乗り込み、お店を大脱走するおはなしです。おもちゃひとつひとつの物語があって、あまりに綺麗なお話だったから、
少し重たい雲の向こうから、薄く陽がさしたり、冷たそうな風が駆けぬけていくのを見ている。昨日、なんとか年賀状を書き終えて、投函してきました。25日までに大方出したのだけど、間に合わなかった数枚をポストにいれたの。細かな雨が降る静かな夜に、小さな束を差し入れて、蓋がしまるカタンという音を聞いたら嬉しくて飛び跳ねたくなった。これでひとつ終わった! 絵はいくら描いても描いてもくたびれないのに、たくさん字を書くと手のひらの親指の付け根がぱんぱんになる。私は変な持ちかたをするので、中指にもぎゅうぎゅうにペンを押し付けた跡がついて、赤くなってしまった。晩ご飯を食べてから、クリスマスに素敵な贈り物を送って下さった主人のお母様や家族にお礼のお手紙を書こうとしたら、白い紙の上でくるくる字がまとまって踊るようになってしまい、おかしくなった。 「見て!変な字になった。おがくずみたいに、まるまっちゃった」 「ゆっく
ちょっと機嫌が悪かった。今年中にやらなくてはいけない事がいくつも残っているし、なのにやりたいことも沢山ある。更にきのうの仕事の反省点を思い返していたら、いくつも浮かんできて、いらいらした。主人にいいつける。 「あれは、もっとこうしたらいいと思うの。」 「うん」 「それとも、こうかな。どのみち、それじゃいけないの」 「うん」 言いながらますます、むにゃむにゃしてきた。しかも、寒い。コーヒーを淹れようかな、と思うけれど飲みたくない気もする。時計を見ると、1時を回っている。そうだ、お昼を食べていない。そう思っていたら、主人が言った。 「ごはん、食べる?」 「うん」 お鍋に火がついて、ポコポコ柔らかい音が聞こえる。でも私はまだ、かっかしていた。怒るための言葉を頭のなかで組みたてて、口をとんがらしていた。 「まぁ、いいじゃない」 主人の言葉に振り返る。 「今日は、クリスマスイブだよ」 思わず座り直し
気がついたら、私の本棚にはクリスマスの絵本がたくさん揃っていた。クリスマスには絵本をプレゼントすることが多いからか、本屋さんでも美しい画集や絵本のコーナーをよく見かける。端正な仕掛け絵本や、豪華な装丁の本も数多く並んでいるけれど、私はクリスマスの絵本の王様はやっぱりこれだと思うの。 「クリスマスのまえのばん」 クレメント・C・ムーア 作、 ジェシー・W・スミス 絵 ごとう みやこ 訳 新世研(2001/10)*アメリカ版の初版は1912年 「クリスマスのまえのよる」 クレメント・C・ムーア 作、ロジャー・デュポアザン 絵 こみや ゆう 訳 主婦の友社(2011/11)*アメリカ版の初版は1954年 どちらも同じ作者です。このクレメント・クラーク・ムーアさんは、ニューヨークの神学者だったそう。彼は今から約200年前「聖ニコラスの来訪」という題で新聞に詩を投稿しました。内容は、クリスマスの前日
台北の本屋さんで、絵本を見に行きました。誠品書店という名前で大きなデパートのようになっていて、文房具や洋書や、CD売り場やカフェやおもちゃや、工作も楽しめるスペースがあったりして、色々な楽しいものが入った素敵な場所でした。 美術の本や雑誌をわくわく見たあと、最上階の子どもの本のコーナーに急ぎます。お馴染みの本が中国語に翻訳されているのはとても興味深かった。例えば、バージニア・リー・バートンの「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」は、「逃跑的小火車頭」となっている。当たり前だけど開いてみたら漢字がいっぱいだった。北京の簡体字と違って、台湾では繁体字といって筆画が多い旧体漢字を使っている。画面の密度が何だかとても濃く、見た事の無い漢字もいっぱいあった。ピーターラビットも、ミッフィーちゃんも、何だか難しい事を考えていそうで賢く見えた。 とても迷って、数冊台湾の作家さんの絵本を選びました。そのうちの
生まれて初めて買ったポスターは、マティスの「夢」でした。 もともと私は色々なことに出遅れてしまうたちで、自分のお部屋に好きなポスターを貼っていいなど、夢にも思わずに過ごしていました。早熟な弟は、中学生にしてラッセンのポスターを買ってもらっていた。主人は子どものころ、彼のヒーローだったジャッキーチェンとタイガーマスクのポスターを部屋に貼っていたらしい。それを聞いたとき、そうか、そういうものなのかと初めて気付いたのですが、それでも私は何だか選べずにいました。 いつだったかは忘れたけれど、学生のときにマティス展に足を運んでこの絵を見たとき、ぴたっと足が止まり、すっかり、ぼぅっとなってしまいました。 Henri Matisse ' The Dream ' 1940 かなり大きい作品なのですが、見上げてじっと色をたどっていくとぐるぐる中へ潜って行くような気持ちになります。柔らかくて、温度があ
姫路に行って帰ってきました。主人の実家に一人で数日間お泊まりに行くというと、大抵の人に驚かれます。でも、主人のお母様と私はとても似ているところが多くて、特に趣味がそっくりなので一緒にいるととても楽しい。 お母様は絵を描いて、近所のおばさま方に教えている。オルガンを習っていてお部屋でぶいぶいいわせている。お花をたくさんたくさん育てて、料理が好きで、犬や動物が大好きなの。小柄で細くて、芯がすっと通った綺麗な背中をしている。そしてお家のことが好き。私は彼女からたくさんのことを教わりました。 私の母もとてもとても綺麗でキュートでチャーミングな女の人だと思う。子どものころなど同級生に白雪姫と呼ばれていた。いつか自分もそうなるものだと楽しみに思って大きくなったのに、いつの間にか自分はギズモのままだったということに気付いたところ。。だけど、いまでもお母様も母もとても素敵。 彼女たちをみていると、あんな人
きゅうくつな気がして、寒がりのくせにしょっちゅう裸足になっちゃう。これは子どもの頃からの癖なの。足を冷やしてはよくないと知ってはいるから、レッグウォーマーをしたり、もこもこの靴下を履いたりするけれど、ついついぬいじゃう。。 エネルギーが溜まるとあるだけ使ってしまう私と、夜型の主人。奈良の鍼灸の先生から、ふたりとも毎晩足湯をした方がいいよと教えて頂きました。 普通の病院が怖いから、主人も素直に先生の言うことを聞きます(幼なじみだし!)早速たらいを探しました。バリのヴィラにありそうな贅沢な木のたらいがいいかな、イギリスのお庭にありそうな素敵なブリキのたらいもいいな・・・と色々迷うのを楽しんだけれど、結局使いやすそうで温かそうな、シンプルなホーローのたらいを選びました。 どうしてそうなったか良くわからないけれど、最近まで差し湯をしながら飽きるまで入る、ということを繰り返していました。とても気持ち
京都では、黄色い銀杏の落ち葉よりも真っ赤な紅葉がずっと多い気がする。駅への道を歩くときも、ほうきを動かして美しい赤を道の脇に集めている人を目にしました。私もつい何枚か拾って手帳にはさんでしまうけれど、帰って見てみるとちょっと違う。特に雨上がりの今日のような空気が澄んだ日は、外で見た落ち葉はあんなに鮮やかに見えたのに。。 このあいだ、夜中に主人にごみ出しをお願いしたら、収集場はすぐそこのはずなのになかなか帰ってこない。どうしたのかなと思っていたら、 「星が、すごいよ」 と帰ってきて言った。 「見たい!」 「涼しいから、キルト持って行こう」 「分かった」 そうしてパジャマにキルトを羽織って、ぱたぱた二人で階段を降りて行った。家の裏は少し前まで畑だったのに、家が数軒建つことになって今は大きな空き地になっている。足音を立てないように歩いて、小さなでっぱりに並んで腰かけた。キルトが地面につかないよう
ふと、いいにおいがして目が覚めました。 しばらく目を閉じたまま考えていたけれど、はっと気付いて声を出した。 「もしかして、カレー?」 「そうだよ」 薄目を開けて見てみると、時計は朝の4時半をさしている。主人がコトコト、何かを切ったりいろいろ出して入れたりしている。美味しそうな気配がする。 「ちょっと、食べたいな」 半分寝ぼけながら、口が勝手に言いました。(ここからは、あんまり覚えていないので後で聞いたはなしです) 「コブタになるよ。明日食べたらいいじゃない」 「じゃあ小さい茶碗にいっぱいだけ、食べようかな」 「まだ煮込めていないし、いま作っているんだから明日のお昼にしなよ」 「・・・そうかあ。。」 そうしてまた眠りにおちました。 「夢じゃなかった!」 起きて、お湯を沸かしにキッチンに入ってすぐ、大きな鍋を見て一瞬で目が覚めました。そうだ。炊飯器の中身を確認する。だめだ、足りない。お米をとい
私は我慢ができないたちだけど、主人はたいへん、辛抱強い。その様子は、よーく訓練されたシェパードのよう。待て、と言われたらずっと待っていられる。私はそう言われたら余計に待ちたくなくなるから、主人のペイシェントな様子に頭が下がる。 でも、そんなことが出来なくて、思ったらすぐ体が動いてしまう人は、是非この本を読んでほしい。弟がいるお姉さんだと、なおよろしい。 「こねこのチョコレート」 B・K ウィルソン 作 小林 いづみ 訳 大社 玲子 絵 こぐま社(2004/11) ジェニーは4歳。明日にせまった大好きな弟の誕生日プレゼントに、沢山迷って自分のおこづかいでこねこのチョコレートを買いました。ところがその晩、おいしそうなチョコレートのことが気になって気になって眠れなくなります。とうとうジェニーはベッドを抜け出して箱を取り出して、、!!・・というおはなしです。 弟へのプレゼントをそっとクローゼット
以前にどこかの美術展で「私の部屋〈目覚まし時計のある生物〉」を見て、それから「藤田嗣治 手仕事の家」(集英社新書、林洋子著)を読んで、ちょっと怖い絵を描く画家、と思っていたフジタの印象が大きく変わりました。東京での滞在中、見たかった展示の一つがこれ、Bunkamura ザ・ミュージアムの「レオナール・フジタ展」です。 1920年代、各地からパリへ集まり、ボヘミアン的な生活をしていた芸術家たちの一人、フジタはエコール・ド・パリの画家として大変な人気だったそうです。フジタの絵の特徴は、特に人物に現れると思う。乳白色の陶器のような肌や、髪一本より細いような繊細な線、人形のような表情、どこか不気味で、は虫類のように肌がしっとり冷たいような気がするの。当時のフランスの画家たちはエチゾチックなことや見知らぬ国の美しいものにとても興味を示したというから、フジタのこの陰があるアジア人特有の色気にみんな、ぞ
最愛の主人が突然、亡くなりました。6月の美しい夕方のことでした。私がご用事で3時間出掛けて帰ってきたら倒れていて、救急車を呼んで救急隊の皆さまや病院の先生方が一生懸命して下さったけど、もう目を開けてはくれませんでした。 3、4年前から体調を崩していたけれど、ずっと変わらずうんと優しくしてくれ毎日を過ごしてきました。主人は色々自分で工夫して、治そうと一生懸命過ごしてきました。昨年からは病院が大きらいなのに頑張って毎回ふたりで通いました。(レントゲンにも、どのお部屋にもお医者さまに笑われながらついていきました)それで特にこの春は久しぶりに元気で、快方に向かっているんだと思っていました。前日まで一緒にお仕事にでかけたくらい。一昨日は将棋もエアトランプもしました。主人が元気なのがとてもとても嬉しくて、ささやかなこのブログをまた書きはじめたりしました。 ちょっとだけ、主人のはなし。 主人は私の習い事
全然覚えはないのに、よく小さな怪我をします。気がついたら、右手の甲に3ヶ所、左手に1ヶ所、小さな傷があった。いつの間にか、すったりぶつけたり、したみたい。 主人はとても用心深い。石橋を叩いて渡る、という言葉があるけれど、石橋を叩いてもきっと彼は渡らない。叩きすぎて壊れてしまったら安心してお家に帰るんじゃないかしら。(一方私は、向こう岸にいいものがあると分かったらきっと渡ると思うの。たとえ、橋がなかったとしても!) だから主人は、着替えをするときには伸ばした手をぶつけ、顔を洗っては洗面台に頭を強打し、向きを変えてはつま先をあてる私をみて、信じられない、という顔をします。 「痛い」 「そりゃ痛いよ」 最初のころどこかを痛くしたとき、なぐさめてくれたので、それからすぐ報告しにいって甘えることを覚えました。ぶつける他にも深爪をしたり目が赤くなったり、しょっちゅう痛いことになるけど、ちょっと手をあて
ときどき、カフェに行く。用事と用事のあいだなんかに。 だいたい、奥の席に座ります。お店のなかの様子がちゃんと見えるし、窓が見えている方が気持ちいいから。コーヒーよりも紅茶が好き。でもお店で飲むときは大抵コーヒーの方が美味しそうなことが多くて、カフェオレをよく頼みます。 子どものころは、紅茶かココアしか飲んだことがありませんでした。これは大人の飲み物だわ、苦いし。。そう思っていたけれど、コーヒーの美味しさを教えてくれたのは主人。一人でカフェに入るのも、本を持って一杯のコーヒーで長く時間を過ごすやり方も、これは恰好いいものだと真似したものです。知り合ってから10年くらいの間にほとんど毎日、一緒に行きました。 なのに!結婚したら、全然行かなくなってしまいました。まだ、片手で数えられる程しか行っていないの。京都でなんか、二人でまだ一回しか入ったことがないくらい!(しかもその時はお客さまの食器が足り
実は、出掛けていた三日間、ずーーっと気になって仕方ないことがありました。 それは、家を出るときにクーラーを切らなかったんじゃないか、ということです。 鍵をしめて、友人の車に乗せてもらい5分後くらいに気がついたのだけど、例のごとくぎりぎりのぎりぎりまでお家にいたくて予定を詰めこんだのでお部屋にもどる余裕なんてどこにもなく、あぁ!とずっと一人気にしていたのです。 これはつけっぱなしにちがいない。 ベランダはもうもうに暑く、お花はひからびているかもしれない。そしてお部屋は南極になっているに決まっている。 ちょっとして、主人に言いました。この大きな秘密をがまんできなかったのです。 「クーラーがついているの」 「ええ!?」 主人も友人もびっくりしたようす。 「消したかもしれないじゃない」となぐさめてくれましたが、そんなことはないのです。だって、消したおぼえがないんですもの。 どんなに楽しくても、どん
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