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レイングッズ
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こういう本を、ずっと待っていた気がする。 13世紀の写本時代から今日の電子書籍まで連なる、長い、長い情報処理の歴史。本の索引に欠かせないページ番号の登場、アルファベットの配列はどのように考案されたか。時代と共に増えつづける知識と人びとはどのように付き合ってきたのか。分厚い本なのに、どんどんページをめくる手が進み、あっという間に読み終えてしまった。 「索引」を書物の中の語句や事項を捜しだすための手引にすぎないと、あるいは本書をそれについて書かれた専門書だと思っているのなら、きっと裏切られることになるだろう。索引をめぐる物語は想像よりもずっと壮大で、ドラマチックだ。索引は、ときに異端者を火刑から救い、またあるときは政争の武器になった。ルイス・キャロルの最後の小説「シルヴィーノとブルーノ」には索引がついていた時代がある。著者は膨大な索引の歴史をユーモアを交えて活写する。 シャーロック・ホームズは
三笘選手の活躍など、W杯後も大盛り上がりのサッカー界。ヨーロッパのシーズン中の開催という異例の大会となったカタールW杯を改めて振り返ると、どんな試合が多かったのか。チームの戦略や戦術にはどんなトレンドがあったのか。W杯全体の中で森保JAPANはどのように位置づけられるのでしょうか。"サッカー店長"こと龍岡歩さんに特濃記事を寄稿してもらいました! W杯から見える戦略・戦術の潮流2022年のカタールワールドカップは日本代表の躍進や、アルゼンチン対フランスの「決勝戦」としては近年稀に見る名勝負となったフィナーレの美しさもあり、多くの方に記憶される大会になったのではないか。そんな今大会を振り返る中で、その「戦術」と「戦略」、そしてサッカーという競技自体の「潮流」を読み解いてみたい。 ここで言う戦略とは各チームがどのように試合を運ぶかを指すものであり、言い換えればチームのスタイルだ。方向性、指針とい
第3章:パンク・ロックの「ルーツ」と「レシピ」とは?4:プロトパンクの「傑物」たちヴェルヴェット・アンダーグラウンド プロトパンクの「プロト(Proto-)」とは、「初期のもの」という意味だ。だから試作品や原型という意味の「プロトタイプ(Prototype)」同様、パンク・ロックとして世に認知される前の段階にあった「パンクの直接的なご先祖様」がプロトパンクとなる。この「プロト」の流れのなかで、「これぞ」と呼ぶべき大物を、いくつかご紹介したい。順番として、まずは「最も古い」アーティストというと――。 パンク・ロックの「直系のご先祖様」の出発点は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだということになっている。1964年にニューヨークで結成され、アンディ・ウォーホルに「発掘」された彼らは、言うなれば「闇の帝王」みたいな存在だ。エルヴィス、ビートルズ、そこからたとえばレッド・ツェッペリン、アメリカな
第1章:なぜなにパンク・ロック早わかり、10個のFAQ〈11〉Q10「パンクにはなぜ『敵』がいるのか?」悪いのはパンク側 平たく言うと、これはほとんど「パンク側のせい」だと言える。まず(1)自らの姿勢や態度のせいで「次から次へと敵を増やした」から。(2)そもそもが「許せない敵がいたゆえに」反発心を胸に立ち上がったのがパンクスだったゆえ、態度が悪くて当然だったから――このふたつについて、説明しよう。 前述したとおり、とくにロンドンで、テディ・ボーイズがパンクスを敵視していた。なかでもとくにセックス・ピストルズが、さらにはジョニー・ロットン(ライドン)が「とくに」目の敵にされて、幾度も襲撃された。テッズに代表される右派の不良とパンクスの対立は、60年代のロッカーズ対モッズの抗争よろしく、大衆紙ダネになる乱闘事件を何度も引き起こした。テッズに続いて、スキンヘッズもパンクスと対立した。 と、こん
『蓮と刀』は今こそ読まれるべき「 “おじさん”社会に敢然と立ち向い、開かれたコミュニケーションをめざした痛烈評論!」。 こんなふうに紹介される文庫本を、今回は紹介したい。 本連載に登場するということはつまり、絶版本なわけだけれども。上に挙げた紹介文、なんとも、今っぽくないだろうか? まず「“おじさん”社会」という言葉。最近よく聞く「ホモソーシャル」を指す言葉っぽい。ざっくり説明すると、女性を排除して男性たちだけで社会を構築し、男たちの群れのなかでの付き合いによって権力を得る構造、という意味だ。そして、開かれたコミュニケーションを目指すぞと言っている。分断を避け、できるだけコミュニケーションを開いてゆく……これはまさに今のところ令和のテーマではないか。ほら、今っぽくないですか。 しかし本書の初版が発売されたのは1982年。今から40年前、もうすこしで半世紀も前のことである。 絶版になるには仕
【連載】農家はもっと減っていい:淘汰の時代の小さくて強い農業④㈱久松農園代表 久松達央久松 達央(Tatsuo HISAMATSU) 株式会社久松農園代表。1970年茨城県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後,帝人株式会社を経て,1998年に茨城県土浦市で脱サラ就農。年間100種類以上の野菜を有機栽培し,個人消費者や飲食店に直接販売している。補助金や大組織に頼らずに自立できる「小さくて強い農業」を模索している。他農場の経営サポートや自治体と連携した人材育成も行う。著書に『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)。 ネット空間の農業者たちの間では、「慣行農業は農薬をバンバン使う危険な農業だ」「偏った有機農業者が『農薬キケン』のフェイクニュースを撒き散らしている」といった論戦が今日もにぎやかに繰り広げられています。しかし、それは世の多くの人にとっては意味のない
【連載】農家はもっと減っていい:淘汰の時代の小さくて強い農業②㈱久松農園代表 久松達央 久松 達央(Tatsuo HISAMATSU) 株式会社久松農園代表。1970年茨城県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後,帝人株式会社を経て,1998年に茨城県土浦市で脱サラ就農。年間100種類以上の野菜を有機栽培し,個人消費者や飲食店に直接販売している。補助金や大組織に頼らずに自立できる「小さくて強い農業」を模索している。他農場の経営サポートや自治体と連携した人材育成も行う。著書に『キレイゴトぬきの農業論』(新潮新書)、『小さくて強い農業をつくる』(晶文社)。 「都会の価値基準は根本的におかしい。地方で、お金に頼らない豊かな生き方を模索したい」などとして、自給自足にあこがれる人がいつの時代にもいます。田舎で農的な暮らしをすることは、本当に「憎き資本主義システム」に依存しない生き方につながるのでしょうか
平山さんの最新刊です。 第2章 功を焦ってはならない Ⅳライトノベルの誘惑 功を焦り、下手を打ってしまったという点で、この『シュガーな俺』の発表はひとつの失敗を物語るケースといえるが、寸前で踏みとどまった経験も、僕にはある。それについても、この章で併せて明かしておこう。 時期的には『シュガーな俺』が出た翌年くらいのことなのだが、僕はある編集者から執筆の打診を受けていた。その人のことは、仮にY氏と呼んでおこう。実はY氏は、もともと僕の個人ブログにおける常連コメント投稿者の一人でもあり、リアルでの面識はないまま、コメント欄を通じての交流があった。その後、某出版大手のライトノベル編集部に職を得たY氏が、今度は一編集者として声をかけてきてくれて、そこで初めて顔を合わせる次第となったのだった。 そう、彼が提示してきたのは、ライトノベルを書いてみないかという申し出だった。 その時点で、ライトノベルと呼
成人教育の危機から「生涯学習」へ 前回は、ウィリアムズが上記のように成人教育を実践し、それについて書いていた時代とその直後(1950年代から60年代)に、そのような理想としての成人教育はすでに危機を迎えていたと述べた。 その危機にはさまざまな様相があるが、ここで重要な変化は、それが労働者階級のためのものではなくなり、分かりやすく言えば現代の「カルチャースクール」風の、中流階級の余暇の「教養」のようなものへと変化していったことである。 少々勇み足に言えば、おそらくこの辺り出てきた「教養(culture)」に、現代の私たちが考えるような意味での「教養」の始まりを見ることができるだろう。つまり、例えばビジネス書がある種の「教養」を求め、また教養本として消費されるような意味における教養である。これについては後の節で詳しく検討する。 それはともかく、1930年代にはWEA(労働者教育協会)受講者のう
地方と不確実 なんだろう 、妙な感覚なんだけれど、ここ最近、自分に死が近づいてきたように感じることがある。といっても、ぼくが重い病気にかかっているとか、近い友人が大きな怪我をしたとか、そういう類の話ではない。なんとなく、以前よりも死を身近に感じるようになったというか、死というものは案外自分のそばにあるぞ、ということを実感するようになったのだ。もちろん、ぼく自身が年を取ったからという理由もあるだろうけれど、死との距離感が縮まった最大の理由は、たぶん「新聞を取るようになったこと」だ。 いったいどういうことだろう。すこし順を追って紹介してみる。ぼくはこの春から、仕事の関係で朝日新聞を取るようになった。福島県内に住んでいるので、正しくは福島県版の朝日新聞なのだが、その新聞の折り込みチラシのなかに、日々「お悔やみチラシ」というのが入ってくる。A4サイズの白い紙に、どこの誰が、いつ、何歳でなくなったの
嬉野珈琲店へようこそ。 マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。今回は、4人の“異常な親和性”の由来を探っていきます。 前回まではこちらから #1-1 #1-2 #1-3 #1-4 “徳川埋蔵金”は本当に出てくるのか? 嬉野です。さて、この連載も第5回を数えましたが、あいかわらず私は、「21年目のヨーロッパ21カ国完全制覇」の話を書きたいのです。どうにもね、考えてるとおもしろいから。 で、昨日ね、東京でYouTubeの収録がありまして。そこで3週間ぶりくらいで藤村くんに会ってね、久々に話したんですが、私、あの人には、この連載のこと、なんにも言ってなかったのに藤村くん読んでくれててね、「
嬉野珈琲店へようこそ。 マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。今回は「水曜どうでしょう」がいつのまにかおもしろくなる理由に迫っていきます。 前回まではこちらから #1-1 #1-2 #1-3 節分も終わりましたよ みなさんお元気ですか、嬉野です。 私は、去年のクリスマスの夜からこの場所をもらって「嬉野珈琲店」という名前で連載を始めたのです。まぁ珈琲を飲みながら、程よく覚醒した頭でそのときどきの徒然なる我が想いを書くつもりでいたのです。でも、そのときちょうど良いタイミングに水曜どうでしょうの最新作「21年目のヨーロッパ21カ国完全制覇」について思いを巡らせていた私は、「そうだ、まずは、そ
新型コロナウイルス感染症については、必ず1次情報として厚生労働省や首相官邸のウェブサイトなど公的機関で発表されている発生状況やQ&A、相談窓口の情報もご確認ください。またコロナワクチンに関する情報は首相官邸のウェブサイトをご確認ください。※非常時のため、すべての関連記事に本注意書きを一時的に出しています。 嬉野珈琲店へようこそ。 マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。前回に引き続き、本日も「水曜どうでしょう」でおなじみの人たちとのお話です。 前回まではこちらから #1-1 #1-2 新作の編集直前 緊急事態が宣言されてしまう さて、前回の続きです。 去年の春に、新型コロナウイルス感染症が
こんにちは。光文社新書の永林です。治部れんげさんの連載「ジェンダーで見るヒットドラマ」、前回&前々回の「愛の不時着」についての原稿は、とても多くの方にお読みいただいたようです(ありがとうございます!)。今後も毎週、世界中のドラマについての記事をアップしていきますので、どうぞご期待くださいませ。 3回目の今回、取り上げるのはカナダ制作のドラマ「アウトブレイク~感染拡大~」です。テーマは"新型コロナウイルス”の蔓延によるパンデミック。まるで現実世界を描いたかのようなこの作品、カナダでの初回放送は2020年1月7日です。リアル世界でウイルスが世界的に流行する直前なのです! 現実と酷似し過ぎているため、カナダでは「新型コロナウイルスの流行を予言した」と社会現象になりました。2021年1月15日現在、日本では11都府県が緊急事態宣言下にあります。このドラマでは、わたしたちがまさに今、感じている危機が
「はあ、今週も疲れたなあ…」。そんなとき、ちょっとだけ気分が上がる美味しいお酒とつまみについてのnote、読んでみませんか。 混迷極まる令和の飲酒シーンに、颯爽と登場した酒場ライター・パリッコが、「お酒にまつわる、自分だけの、つつましくも幸せな時間」について丹念に紡いだエッセイ、それが「つつまし酒」。 そろそろ飲みたくなる、毎週金曜日だいたい17時ごろ、更新です。 炊き込みご飯専用に買った炊飯器だったけど あのですね、実は僕、けっこう“やる”タイプの男なんですよ。何を“やる”って、「炊き込みご飯」の話なんですけどね。ご存知ですかね? 炊き込みご飯。通常、炊飯器などでお米を炊くところ、なんらかの具材やら、出汁、調味料なんかを一緒にお釜に入れて炊くごはんのことなんですよ。それをね、常日頃からけっこう“やる”タイプの男だという話なんです。 でね、一応家にはメインの炊飯器があるんですよ。ただそれは
嬉野珈琲店へようこそ。 マスターは大の珈琲好きである「水曜どうでしょう」カメラ担当ディレクターの嬉野雅道さん。店ではこだわりの珈琲を淹れながら、マスターが人生のあれこれについてじっくりと語ります。マスター独特の視点から語られる、胸に詰まった息がすっと抜けるお話――。本日は、「水曜どうでしょう」でおなじみの人たちとのお話です。 2年間も編集を放置していた「水曜どうでしょう」の新作さて、気がつけば今年も師走の風が吹き、はや12月、2020年は、まもなく終わろうとしていますね。大晦日になれば、あの大泉洋さんが、NHKの「第71回紅白歌合戦」に白組司会者として出演なさるというのが今年下期の大きな話題で、しかも今年は「紅白」史上、初の無観客での生中継、いったい当日、大泉さんは、いかなる首尾とあいなりますか、いずれにしても、未曾有の困難の始まった2020年の年の瀬に、大泉洋さんが日本国民に、つかの間、
光文社新書編集部の三宅です。 皆さんは「Z世代」という言葉をご存じでしょうか? 現在、10代前半から25歳くらいまでの世代のことで、だいたい1995年~ゼロ年代生まれを指します。 もともと欧米を中心に「ジェネレーションZ」と呼ばれ、分析の対象になっていたのですが、今回、日本におけるこの世代の特徴を詳らかにした書籍が刊行されました。原田曜平さんの『Z世代 若者はなぜインスタ・TikTokにハマるのか?』(光文社新書)がそれです。 これから数回にわたり本書の内容を抜粋・紹介していきます。 少子化が進む日本では、この世代の人口は多くありません。だからといって、マーケティングの対象としてこの世代を軽視することは、いろいろな意味で愚策だと原田さんは言います。Z世代を無視・軽視してはいけない理由を、量的・質的調査の両面から分析していきます。 まずは「はじめに」と目次の公開です。 はじめに──これからの
大好評発売中の岩田健太郎著『丁寧に考える新型コロナ』(光文社新書)。 巻末特別対談「西浦博先生に丁寧に聞く」から一部を公開いたします。 今、コロナのことだけを効率化しても、保健所は楽にはならない 岩田 この流行をきっかけに、エターナルに変わるべきものも出てくると思います。 要は、働き方改革ということになると思うのですが、たとえば保健所で言えば、これまで保健所で「こういうふうに働くんだ」とされていたところの、多くは無駄なわけです。 例を出しますと、今も、結核の審査の書類を保健所に出す必要があるのですが、その書類の期限が4カ月と決まっている。たとえばリファンピン(抗生物質)での治療は4カ月間治療をするのですが、初診のときに薬を出さなかったりすると、あと3日で治療が終わるというときに、初診から4カ月を過ぎているからもう一回書類を書いてくれと送ってくるんです。保健所から。 こういったことは本当に馬
三四郎的近代 今回も少々個人的な物語から説き起こしたい。第1回で述べたように、私は山口県の出身である。大学に入った時点で「上京」した。1993年のことであった。 中学生時代は勉強ができず落ちこぼれていた。謙遜ではなく、定期試験では後ろから数えた方が早いような状態だった。担任の先生に発破をかけられてなんとか県立高校に入学した(田舎では県立高校が進学校である)。 その後は、大学に入るために勉強をした。その際に、志望校については、家がそれほどに裕福というわけでもなく、三男ということもあったので、基本的には国公立大学を見すえるようになった。最初に考えたのは地元の国立大学の山口大学だった。勉強しているうちに、模試での成績が上がっていき、広島大学や神戸大学に手が届くようになってきた。細かなことは覚えていないが、さらに成績が上がっていって、なぜか阪大や京大は飛ばして東京に目が向いた。そこで東大を目指すか
人文学の源流を訪ねて 前回私は、日本学術会議問題という時事的問題から、人文学叩きの問題、そして「役に立つ」学問と教育をめぐる問題を論じた。本連載で一貫して論じてきたところではあるが、そこで明らかになったのは、人文学批判、そして人文学を「役に立たない」学問にカテゴライズして葬り去ろうとする動きの文脈には、新自由主義の緊縮財政があり、また緊縮財政を背景とした大学内部での「政治」(人文学を担う旧教養課程が「狩り場」となったことなど)が存在したことだった。 学問が「役に立つ/役に立たない」こと、そして人文学が役に立たない学問の代表として扱われていることには、確かに現代の新自由主義特有の論理があるだろう。しかし、「役に立つ/立たない」という問題設定と人文学の位置づけは、まったく新しいものとは言えない。ほぼ近代の人文学の始まりから存在してきたのではないだろうか。 今回は、一旦現在の日本から離れて、「文
大好評発売中の岩田健太郎著『丁寧に考える新型コロナ』(光文社新書)。 ファイル2「検査について」から一部を公開いたします。 PCR検査とは?――定量的検査、定性的検査がある PCR検査とは、ポリメラーゼ連鎖反応(Polymerase Chain Reaction)の略で、ウイルスの遺伝子を見つける検査です。定量的な検査と、定性的な検査があります。 定量的な検査とは、ウイルスがたくさんいますよ、とか、少ししかいませんよ、という「量」を測る検査です。 典型的なのはエイズの原因であるHIVのPCRです。 どうして定量的なのかというと、HIVにおいては「ウイルスの量」が病気の重大さと深く関係しているので、ぼくらはウイルスの量を知りたいのです。 残念ながら、HIV感染は一度起きると、一生ウイルスを体から除去することはできません(稀有な例外はありますが、基本的にはできません)。 だから、感染が確定した
臨床の現場では、「アナログの概念を理解した上でデジタルに扱う」ことが必要である(西浦博×岩田健太郎対談) 好評発売中の岩田健太郎著『丁寧に考える新型コロナ』(光文社新書)。 巻末特別対談「『西浦博先生に丁寧に聞く』西浦博×岩田健太郎」から一部を公開いたします。 (※この対談は7月20日にZoomで行われたものを収録したものです。) 何が「接触」になるか―― 一般の人にとっての初めての経験 西浦 ここまで話してきましたように、クラスター対策にも経験と学びが必要だと実感しているところですが、「接触」の定義に関しても、専門家ではない普通の人たちが感覚として経験するのは、今回が初めてではないかと思います。 つまり、何が「接触」にあたるのか、ということですね。 今回、流行は何回か繰り返すことになりますから、その間に学んでいくことになるのかなと思っていますが。 たとえば、分かるように説明しますと、ぼく
日本学術会議「問題」と人文学 本稿を書きあぐねていた2020年10月1日に、総理大臣菅義偉が、日本学術会議の会員候補のうち6名を任命しなかったことが官房長官記者会見で明らかにされた。日本学術会議とは日本の国立アカデミーで、学術と科学研究の振興、学術の国際交流、学問的な知見による政策提言を行う機関である。210名の会員と2000名の連携会員で構成されている。会員は登録学術団体(学会)の推薦によっている。総理大臣による「任命」は実質的なものではなく「形式的任命」であることは、1983年の中曽根康弘首相の国会答弁で確認されていた。 任命されなかった6名が安全保障法関連や特定秘密保護法などについて政府の方針に批判的な発言をしてきた法学者、政治学者、歴史学者などだったこともあり、この任命拒否は学問の政治権力からの自由を侵害するものであるとして大きな問題となったことは周知の通りだ。また、6名が除外され
神戸大学医学部感染症内科教授の岩田健太郎氏の新刊『丁寧に考える新型コロナ』(光文社新書)。発売直後より大好評を博しています。 その第2章で、岩田氏は、PCR検査を含むいろいろな検査について、詳しく解説しています。その一部をここでご紹介しましょう。 偽陽性、偽陰性 ヒューマンエラー以外でも偽陽性は起きています。 ぼくらが個人的に経験したのは――個人情報保護のために患者の情報はデフォルメしますが――ある手術前の患者さんでした。手の感染症になっていたので、抗生物質で治療していました。熱もだんだん下がってきました。いつもの、よくある光景です。 ところがこの患者さんについて、「熱のある患者は、手術の前はコロナのPCRだ」と強硬に某所から主張されてしまいました。 主治医は、「熱の原因は手の感染症だろ。コロナが手に感染するか?」と実にまっとうな理由から異議を唱えましたが、「言うこと聞かなきゃ、オペはさせ
ポストフォーディズムと主体性評価 私は偏差値批判、詰め込み教育批判が、現在の高大接続改革といわゆる「主体性評価」につながっていると述べた。そのつながりを、ここで述べたような公教育の縮減と教育の私事化/私営化(privatization)で説明することはもちろん可能ではある。だが、現在進められている「主体性評価」は、単なる教育版の「小さな政府」──単に公教育を縮減すること──には留まらない意味と意図をもっている。 まず、事情に疎い読者のために、現在進められる主体性評価とは何なのかを簡単に説明しておく。この主体性評価は、高大接続改革、そしてその中心にある入試改革のひとつの大きな柱である。(他の柱は、前回まで論じた「四技能」英語試験であるし、国語や数学の記述式問題である。)基礎となる理念は連載の第二回で批判的に検討した「学力の3要素」の三つ目、「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度」であろ
2019年3月。私は10年間勤めた一橋大学を退職し、4月からは専修大学に勤務し始めた。 2019年9月。私は霞ヶ関の文部科学省の前で叫んでいた。 それまでの大学入試センター試験に代わって、2021年に実施が予定されている大学入学共通テスト。その中でもとりわけ各種業者試験の導入が検討されていた英語試験に反対するデモに参加して、叫んでいたのである。 私は社会や政治について考えたり書いたりするのは好きだが、実のところ、デモに参加したりはたまたロビー活動をしたりといったことをフットワーク軽くやるタイプだとはいえない。よほどのこと──たとえば2011年の震災の後の反原発デモなど──があれば別なのだが。つまり、英語試験の業者外注化は、私にとって、「よほどのこと」だったのだ。 実際私は、デモの群衆にまぎれて叫ぶにとどまらず、乞われてメガホンを握って演説までした。以下、少々長くなるが、その際の原稿である。
「子供のいじめがなくならないのは、そもそも日本の大人社会が、いじめ体質だからだ――。」先日、「あとがき」と「目次」を先行公開した光文社新書の新刊『ぼくが見つけたいじめを克服する方法――日本の空気、体質を変える』が、本日発売となった。刊行に際し、著者である神戸大学の岩田健太郎教授に、話を聞いた。 なぜいま注目の感染症の専門家が、「いじめの本」なのか。岩田氏がこの本に込めた思い、そして今こそ読者に伝えたいこととは? 写真・野澤亘伸/聞き手・光文社新書編集部 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「世の中こんなもんだ」といじめを受け入れる日本の空気 ――いじめについて書こうと思った理由を教えてください。 岩田 はい。本にも書きましたが、ぼく自身、ずっといじめにあっていたというのが一つの理由です。それから身近にも、いじめにあって苦しんでいる人がいました。 これまでにも、「いじめの克服法」的な本はたく
こんにちは、光文社新書編集部です。 このたび、神戸大学の岩田健太郎教授の新刊『ぼくが見つけたいじめを克服する方法――日本の空気、体質を変える』を刊行することになりました。 新型コロナウイルス感染症の大流行で、日々、さまざまな情報が伝えられています。そんな中、多くの感染症の専門家のご発信とともに、岩田先生の精力的な分析・発言・主張にも注目が集まっています。 今回の書籍は、岩田先生が数年にわたって構想されていたものです。昨年末にはほぼ書き上げられており、年末に別の企画の相談でお目にかかった際に、受け取った原稿でした。 年が明けて、今回のコロナウイルスの流行が拡大し、みなさんもご存じのクルーズ船の告発がありました。その渦中に加筆していただいた部分もありますが、大半がそれより前に書かれたものです。 お読みになると、岩田先生の言動が、以前から一貫したお考えのもとになされていることが伝わるのではないか
岩波書店の永沼浩一さんが、「B面の岩波新書」で光文社新書編集部をお訪ねくださったのは2年前のこと。ちょうど『バッタを倒しにアフリカへ』が新書大賞をいただいたタイミングでした。ならば、「岩波新書の真のライバル」である私たち(笑)としては、『独ソ戦』が2020年度の栄誉に輝いた今この時こそ永沼さんをお訪ねしよう!ということで、「B面の岩波新書」へのオマージュ企画として打診させていただきました。永沼さんには、ご自身の部署異動の直後だったにもかかわらずご快諾いただき、心より感謝いたします! 聞き手/三宅貴久(光文社新書編集長) 構成/田頭 晃(光文社新書) ――まず『独ソ戦』が新書大賞で1位をとられたということで、本当におめでとうございます。 永沼さん(以下、敬称略) ありがとうございます。 ――けっこう早い段階で、これは新書大賞じゃないかと言われたりしませんでしたか? 永沼 言われましたし、三宅
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