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災害への備え
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中島岳志VS芹沢一也対談 今話題のシノドス*1にこんな対談が、赤木さんに対する言及も多いので是非読んで欲しいのですが、個人的に気になったのが以下の一節。*2 芹沢 宮台さんもおっしゃるように、日本の場合右も左も動員主義なんですよね。国体か共同体か、その差しかない原理主義なんです。でも福沢は一貫してそうしたスタンスを批判した。状況で判断していくしかないと主張していた。「議論の本位」というやつです。そういう態度は日本には全然根付かなかったですよね。戦後、丸山経由でそれを受け継いだのは宮台さんだけかもしれない。 明治14年の政変が起こらずに、福沢の構想が入っていたらどうなっていたんでしょうね。井上馨は福沢に、議会を開いて政権を渡してもいいとまでいっていた。だけどその後は、伊藤がドイツの立憲君主制を持ち込んで明治憲法体制ができて、日露戦争で条約は改正されたのはいいけれども、日露戦争以降は自分探しの
むろん、その変化は左翼インテリだけの問題ではない。昨年の論壇のヒーロー、赤木智弘氏が、まさにそのような論者の典型だ。おまえの立場を明らかにせよ、そのうえで弱者の代弁をしたうえでもっともらしい物語を語れ。これが、いま「論客」に寄せられる期待のすべてであり、赤木氏はまさにその類型として登場した。 しかし、そうなってくると、ぼくみたいな「インテリ」の「大学人」(まあそうなんだろう)は、「政治」的なことを話そうとすれば、もはや「現場」の「弱者」の代弁をやるくらいしかなくなることになる。そして、そんな振る舞いは、むろん赤木氏にはかなわないし、あまりやる気もない。というわけで、居場所はなくなる。 おまけに言えば、そういうとき「弱者」ってなんなのか、それは大いに疑問だ。ぼくの考えでは、赤木氏の議論の根幹には、「左翼は弱者を救済するというが、本当の弱者は弱者として定義すらされていないという左翼的な定義を拡
「赤だけに、」というわけではありません。昨日、反戦と抵抗のフェスタに行ってきました。もちろんデモになんて参加しません。赤木さんと二人で引きまくりでしたよ(赤木さんはぼくと谷川さんしか知り合いがいなかった模様。ちなみに僕はいい意味で頭のおかしいマイミクが二人いました・・・)赤木さんが「僕はテレビのほうが面白い」といい雨宮さんが「私はデモのほうがおもしろい」と言ったのは対照的でした。 赤木さんの話を聴いてて特に目新しいことはなかったのですが*1、一つ重要な問題に気がついたのです。それは僕と赤木さんの「希望は戦争」という言葉の理解の違いです。僕や『日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)』を書いた井上寿一先生の理解では「希望は戦争」とは総力戦への対応としての富の再分配*2を想定していたのに対し、赤木さんは「焦土」を望んでいたんですね。みなが平等に苦しむ社会においてはそれなりに貧者が生きる場所が実現
赤木さんの論考に対するコメントが、仲正昌樹さんから届きましたので、以下に掲載いたします。 赤木くんの論考を読んで 仲正昌樹 赤木くんが『論座』で書いていたようなことを言いたくなる気持ちは、私なりに分かるような気がします。 私が、人より少し遅れて東大の院生になった九二年頃は、一般社会とは少しメカニズムが異なりますが、大学教員の労働市場にバブル崩壊が起こり始めていた時期です。大学院生になるのが、二、三年違うと、就職の有利不利で相当な差が出ることが明らかでした。 そういうご時勢だと、教員の労働市場の拡大期にちゃっかり就職してしまって、その後、あまりたいした仕事をしてないのに、ポストに居座ってエレベーター式に教授にまで昇進していく人たちに腹が立ってきます。 とくに、六〇年代後半から七〇年代にかけての大学入学定員急増の恩恵を受けた、(元)左翼の教員の存在には腹が立ちました。自分たち自身も、自分たちが
赤木智弘さんを応援する理由3つのうちの2つめは、車社会について彼が言及した点である。 車社会での不安定貧困層の絶望について、赤木さんは「論座」1月号で述べていらっしゃる。 にもかかわらず、『論座』4月号での集団トラックバックには、そのことに直接指摘した論考はなかったのだ。 赤木智弘さんのお住まいの地域は、日本でももっともモータリゼーションの徹底した場所である。wikipediaでも両毛デルタ地帯のなかには、車のほかバスや電車などの別の交通手段がない地帯さえあると指摘している。参照:モータリゼーション ということは、たとえ遠くに職があっても、自分で車を所有し、運転しなければ職につけないということだ。 しかし、徒歩や自転車で通勤できるところには、コンビニやファミレス以外には勤められる場がない。 一度低賃金不安定職につくとどうなるか。アメリカで貧困層の仕事と生活を実際にやってみた記録を紙の本にし
『若者を見殺しにする国』を読了しました。 批判すべき箇所は少なくて、どちらかというと「補足が必要だな」と思いました。赤木さん自身がそうだから仕方ないとはいえ、やはり「就職氷河期世代」問題に傾斜しすぎな気がする。それ以降の世代、つまりボクやボクより若い世代はどうなんだっていう視点が皆無ですよね。 「それ以降の世代」の呼び方がないので・・・どうすりゃいいのか・・・んーと。仮にポスト氷河期世代としましょう。 ポスト氷河期世代からの視点だと、また変わってる来るんですよ。 年長のバブル世代は氷河期世代に言います。 「今の氷河期世代は楽だ、昔はもっと酷かった、問題解決のために俺達と連帯して政府批判しろ」と。 氷河期世代はポスト氷河期世代に言います。 「ポスト氷河期世代は景気回復したから楽だ、俺達の世代は酷かった。問題解決のために俺達と連帯して年長世代批判しろ」と。 どう考えても、同じ穴のムジナにしか見
当ブログでは、議論が多岐にわたり、収縮の様相を見せない。ただ、その中で仄かに見えるのは、若い左派に対立構造があるのではということだ。かなり大雑把な分け方をしているし、両者には重なり合う部分もあるが、便宜的に二分する。 平和・護憲を基軸とする「平和系左翼」と、安定雇用・氷河期世代救済を訴える「労働系左翼」だ。別に「左翼」を「サヨク」としてもよい。前者は攝津正氏に代表されるフリーター労組系の人々や、ピースボートなどのNPOに存在する。後者は赤木智弘氏や後藤和智氏などが挙げられる。前者には年長世代のバックアップがあり、後者には若者自身のインターネットを利用した地下水脈のようなネットワークがある。 氷河期世代は、主として労働という局面で苦しんでいる。ゆえにミクシィの労働系のコミュには若い層が集まり、また本田由紀氏などの論客には一定の支持が集まっている。10年ほど前から若年層の支持を集めている宮台真
約1ヶ月ぶりとなる、まとめリンク集です。 対象となる期間は9月21日から10月27日現在まで。 21日以前はその1をご覧下さい。 ※全て『若者を見殺しにする国』発売前のエントリです。 赤木さんは深夜のシマネコというホームページを立ち上げていますが、そこに描かれている首をつっている自身?のイラストが印象的です。実際戦争は永遠にないですが、それは今の彼の心の中を照らした比喩だと思います。 自己犠牲的な方だからこそ、この様な本の出版にこぎつけられたのだと思います。 自分達の年代を踏みしめて泣きながらでも生きていってほしい、そしてみんな同じ年代なので野の原一面に花が咲いている光景が目に浮かびます。 私くらいの年代(5←45歳→5)だと、当時は朝日新聞だけでなかったなあ、偏向してたのは、うん、そんな新聞やテレビ、メディアに巣食うアカ学者が、自分は高給を食みながら安全圏より放たれる言葉、「若者よ、政治
1.貧困と学歴の直結 kanameです。 最初に、立場相反可能性を指摘されないよう情報を開示しておきます。ボクは中卒です。「成績が悪いから」最終学歴は高校1年で中退となっております。即ち、自己責任によって低学歴になっています。 さて。 厚生労働省の調査によると、いわゆるネットカフェ難民の学歴は、中卒/高校中退が4割で高卒を含めると8割だそうです。このデータの信頼性を巡る議論はあるが、わざわざ高い数値を発表する理由もないし、湯浅誠氏(NPO自立生活サポートセンター・もやい事務局長)もそう言ってるし、だいたい妥当なセンなのであろう。当然、残りの2割は大卒以上となる。 関連: マル激トーク・オン・ディマンド 第339回(2007年09月27日)「貧困は自己責任でいいのか」ゲスト:湯浅誠氏 http://www.videonews.com/on-demand/331340/001160.php 貧
最近ちょっと旗色が悪くなってきた小林です。大卒中卒論争が起こって、大卒の私はちょっと立場が悪いです。しばらくしたらカナメさんが何かしら書いてくださるはずです。 そんなわけで「氷河期世代の形成と赤木智弘」ですが、今回は私も経験した、経済情勢と雇用の話を書きたいと思います。 ================================================= もしも「失われた10年」がなければ、あるいはバブル崩壊がなければ、と氷河期世代としては思う。私が中学校に行っていた1990年代前半から不況だったが、大学を出るころには、さすがに景気は上向いていると思っていた。だが、2000年代前半になっても、景気は回復しなかった。 景気の動向と就職のよしあしは、密接に関係がある。また、不景気になると採用を手控えるが、それは中高年の雇用を守るためのものである。人件費を減らすためには、人員を減ら
シンプルでストレートな印象ですね。 赤木さんの気持ちを表している気もします。 目次は2007-09-24で公開中。
『若者を見殺しにする国』 目次 まえがき――赤木智弘とは、いったいどんな人間なのか 第一章 強大な敵としての俗流若者論 青少年の凶悪犯罪が増えているって? なぜ俗流若者論がささやかれるのか オタクの発生 執拗なオタクバッシング フィギュア萌え族 『ゲーム脳の恐怖』の恐怖 教育とはなにか 九五年レポートの不合理 結局、俗流若者論って、なんなのだろう? 第二章 私は主夫になりたい! 男女平等は当たり前のことでしょう なぜ、「主夫」がこんなにすくないのだろうか 「強者 or 弱者」 and 「男性 or 女性」 本当の抵抗勢力 個人の平等から、世帯の平等へ 本当に弱者を保護するために 第三章 「『丸山眞男』をひっぱたきたい」ができるまで 「ズレ」から「思想」へ 「ジャーナリスト養成コース」という居場所 本名で書くということ 自分で考える スクールバスの論理 子どもとリスク 平日の日中に出歩く「不
赤木さんの問題提起と大学院生の関係について話題になっていますね。 http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20070919/1190235541 http://d.hatena.ne.jp/chaturanga/20070922 一部のエリート院生を除けば、赤木問題と院生って親和性が高いと思います(将来真っ暗&搾取されまくり)。 それをあらわしているのが、以下のエントリーです。 大学院生である私は、経済的基盤の不安定さから言えば、赤木のようなフリーターと何ら変わりはない。 むしろ院生こそ承認を求める最たる動物かもしれない。けれども大学から奨学金を給付されて研究している私は、 彼らと同じ水準に下って思考しては、カネを貰う資格がないし、学者の端くれたる資格もない。 http://d.hatena.ne.jp/RYUSUKE/20070727 アカデミズムと赤木さんの関係は上
赤木智弘さんに関して書かれているエントリを揃えてみました。 (当方でサマリ化していますので、言及する際は原文をご確認下さい。) 要するに平和とは、既得権を守ることなのだ。椅子取りゲームで、あるとき笛が鳴ってみんなが椅子に座った瞬間、座った人々は二度とゲームをしなくなる。それを平和という名で正当化するのだ。民主主義や資本主義も、建て前としての平等(機会均等)は掲げるが、実際には資本をもたない者にとっては機会は決定的に不均等なのだから、この状況を壊すには椅子をひっくり返すしかない。 二・二六事件の青年将校の思いと赤木氏の思いが妙に重なるのだ。池田氏も「丸山の同時代の若者があの戦争に突っ込んでいったのも、必ずしも召集されていやいや行ったわけではなく、農村の貧しい少年が戦争で手柄を立てて「一発当てたい」という衝動からだった」と書かれているように二・二六事件が起きた1930年代は農村が疲弊した時代で
双風舎が赤木さんの本を出すことについて、「これは『論座』と同様に、サヨクのマッチポンプを利用してカネを儲けるつもりだ」というご意見があるようです。なかば紋切り型の定型文のようになっているこのご意見に対し、私の考えをお伝えしておこうと思います。 第一に、会社として生き残るためには、ものをつくって販売し、利益をあげなければいけません。よって、お金を儲けるつもりで本をつくるという点については、何ら反論はありません。いずれにしても、総会屋が余剰資金で社会正義っぽい月刊誌や情報誌をつくったり、宗教団体が布教のために本をつくるのとはことなり、一般の出版社はすべて、お金を儲けるつもりで本をつくっていることでしょう。 第二に、それを前提としたうえで、なぜ赤木さんの本を出すのかといえば、赤木さんの言葉が私の胸に響いたからです。雑誌の掲載論文として一時的に消費されてしまうのではなく、本として残しておくことに意
連日更新されるエントリと議論のハイレベルさに圧倒されているyamazakuraです。とりあえず難しいことを書くスキルも時間も無いので、まずは身の回りのことから話を進めて行こうと思います。戦争の話からは離れてしまいますが、年長フリーターのこれからの身の処し方について考えてみました。 ぼくが赤木論文に興味を示したのは、自分自身が長いフリーター歴に将来の不安を感じ、そこにうまくシンクロしたからです。それが春先のこと。 ところがこの夏、就職面接に通過してしまいました。あと数ヶ月間、大ポカもせず、順調に仕事を覚えていけば正社員です。就職をひとまずのゴールだとすれば、まだテープは切れてないけど、神宮の森を抜け去って国立競技場が見えてはきている。 ここでひとつ問題が。赤木さんは、森永卓郎さんが「フリーターを採用してくれる中小企業は必ずある」ということを述べていたと日記に書いて、森永さんのその意見を批判さ
赤木智弘氏の本は 『若者を見殺しにする社会』というタイトルだと言うことですが、本音のところでは、医療保険(まあ、マイケル・ムーアの映画『シッコ』を見るとアメリカよりだいぶマシだが、カナダ、フランス、イギリスと比べると落ちるなぁ)、年金の体たらくを見ていると、これからの人(若者たち)が年寄りに成る頃は、悲惨な『年寄りを見殺しにする社会』が到来するのかと、そして、今、現在進行系で「ジジィ・ババを見殺しにする時代」の足音が併走して聞こえます。 恐らく、ここに言う赤木さんの「若者」は「就職氷河期世代」とイメージしていますが、勿論、この世代でも、日経連が95年に出した「新時代の『日本的経営』」における仕分けでは、(A)や(B)の若者がいるのは当然で、本書の「若者」は(C)の「若者」を中心にフォーカスしているわけで、他方、かっていい思いをしたかもしれないが、ジジィ・ババ達は、今の時点、これから、排除の
管理人のkanameです! 当ブログとは、すこし(というか、だいぶ)ジャンルが異なりますが、インターネットラジオ(ポッドキャスト)を始めました。 タイトルとアドレスはこちらになります。 サブカルから始めよう http://cargocult.symphonic-net.com/ マル激のサブカル版とまでは行かないまでも、できるだけクオリティーを上げていけたら良いと思っています。 コンセプトや方向性はまだ練ってません。 非人文系(書籍からの引用垂れ流し)・非オタク系(ただの趣味)でありながら、一般生活者向けのサブカル論を目指したいところです。 まだ実験段階に過ぎないので構成や音声(というか音質)のレベルから乱れています。スミマセン。 出演者/ご意見なども募集中です。 「2008 平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動−ヤスクニ・戦争・貧困」に行ってきました。 教条主義的平和主義者かと思っ
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