サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大谷翔平
www.toibito.com
1. 国民国家とマスメディア――ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」という考えには結構な衝撃を受けました。自分が日本人であるとか、アメリカ人、中国人、フランス人であるといった国民認識は、日本なら日本という国民共同体に属しているという想像に過ぎない。疑う余地もないほど自明だと思っていたものが、実は実体のない想像力の産物だったのかと。そしてそ 2. メディアの「実力」を考える――次にマスコミュニケーション研究の歴史と言いますか、理論の変遷についてお聞きしたいと思います。先ほど1940~60年代のアメリカで、マスメディアの効果は限定的であるとする「限定効果理論」が支持されたというお話がありましたが、どういった理屈で限定的になるんですか。 3. 陰謀論はなぜ広まるのか――マスメディアの報道が特定の政治性を帯びていること、いわゆる「偏向報道」への批判はいまもよく見聞きします。なかったことをあ
現代社会におけるメディアの重要性は、どれほど強調してもし過ぎるということはありません。成員同士のリアルな結びつきによって構成されるムラ社会とは異なり、そこでは膨大な情報を媒介するメディアが人びとをつなぐ基盤となっているからです。こうした社会はいつどのようにして生まれたのでしょうか。そしてそれは、われわれの日々の認識や行動と、どのような影響関係にあるのでしょうか。慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の津田正太郎教授にお聞きしました。(全4回) 想像の共同体――ベネディクト・アンダーソンの「想像の共同体」という考えには結構な衝撃を受けました。自分が日本人であるとか、アメリカ人、中国人、フランス人であるといった国民認識は、日本なら日本という国民共同体に属しているという想像に過ぎない。疑う余地もないほど自明だと思っていたものが、実は実体のない想像力の産物だったのかと。そしてその想像力を賦
現代社会におけるメディアの重要性は、どれほど強調してもし過ぎるということはありません。成員同士のリアルな結びつきによって構成されるムラ社会とは異なり、そこでは膨大な情報を媒介するメディアが人びとをつなぐ基盤となっているからです。こうした社会はいつどのようにして生まれたのでしょうか。そしてそれは、われわれの日々の認識や行動と、どのような影響関係にあるのでしょうか。慶應義塾大学メディア・コミュニケーション研究所の津田正太郎教授にお聞きしました。(全4回) 中立報道とビジネスの論理――マスメディアの報道が特定の政治性を帯びていること、いわゆる「偏向報道」への批判はいまもよく見聞きします。なかったことをあったことにしたり、逆に不都合な事実を隠蔽したりするのは論外ですが、新聞社にしてもテレビ局にしても独立した組織である以上、それぞれの主義・主張があるのはむしろ当然だと個人的には思うのですが、マスメデ
1. 最初の一歩 二〇〇三年にだした『いかにしてわたしは哲学にのめりこんだのか』(春秋社)という私の最初の本は、タイトルと内容がちゃんと対応していませんでした。第〇講(導入部のようなところ)は、たしかに、私が哲学にひきずりこまれた様子を少し書いてはいましたが、それ以降はすべて、ウィトゲンシュタインについての学術論文でした。とても専門的 2. 「理性」という語 さて、カントのお話でした。『純粋理性批判』によくでてくる「理性」という語が、どうしてもごくりと飲みこめない(「腑に落ちない」とでもいえるかもしれません)という話でした。「理性」が、自分の言葉にならないのです。どうも、わたしは、他の人と比べて、言葉や概念に対して「人見知り」のところがあります。誰でも、すぐ使える言葉が使 3. 哲学とは何か? 「哲学」についての随筆を書いているわけですから、このあたりで、そもそも「哲学とは何か?」というこ
近代国家の存立に欠かせないものとして、第一に挙げられるのが憲法です。しかし明治憲法の起草者である伊藤博文は憲法と同時に天皇の物語、すなわち万世一系の「神話」に国家の存立根拠を求めました。結局はそれが仇となって神の国日本は砕け散り、戦後日本は憲法のみを権力の源泉とすることで再スタートを切ります。しかし、人間が物語る存在である以上、神話を消しさることは憲法にもできません。その中で、戦後日本はいかにして憲法秩序を実現してきたのでしょうか。国家と物語の関係を問います。 憲法学という学問は、国家の存立を前提とする学問です。一般的に憲法は統治機構という政府の仕組みの問題と、表現の自由や経済的な自由といった人権論という二つの領域に分かれます。このうち憲法学は特に前者の国家学と密接な関係にあります。およそ国家が存在するところに、憲法は存在します。そこでまずは、国家を成り立たせる上で、憲法がどのように関わっ
政治に参加する平等な権利を一人ひとりの市民に保障する民主主義。日本で暮らしていると当然のことのように思えますが、世界では、民主主義国家はむしろ少数派に属するそうです。この先、民主主義ははたして生き残れるのでしょうか。生き残るためには、何が必要なのでしょうか。民主主義の辿ってきた歴史から考えます。東京大学社会科学研究所 宇野重規教授へのインタビューです。 ――古代ギリシアで生まれて以来、「民主主義」は大半の期間で衆愚政治のようなニュアンスの悪口として使われてきたということでしたが、ポジティブな意味合いになったのはいつ頃からですか。 基本的には20世紀になってからだと思いますが、どんなに遡っても19世紀の前半でしょうね。きっかけの一つになったのはトクヴィル(1805-1859)の著した『アメリカのデモクラシー』(1835年発行)という本です。 先ほどお話した通り、アメリカでは建国以来、民主制よ
政治に参加する平等な権利を一人ひとりの市民に保障する民主主義。日本で暮らしていると当然のことのように思えますが、世界では、民主主義国家はむしろ少数派に属するそうです。この先、民主主義ははたして生き残れるのでしょうか。生き残るためには、何が必要なのでしょうか。民主主義の辿ってきた歴史から考えます。東京大学社会科学研究所 宇野重規教授へのインタビューです。 ――民主主義は古代ギリシアからはじまったとよく聞きますが、起源を考える上でポイントになるのはどういったところですか。 民主主義の起源をどこに見るかというのは、実は論争の的です。クリティカルな研究者ほど、古代ギリシアとは言いたくない。もっと多様であるという意見が近年特に多くなっています。 デモクラシーの語源は古代ギリシア語の「デモクラティア」なので、そういう意味では古代ギリシアで生まれたことに間違いはないのですが、この言葉を構成している「デー
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 縄文時代の遺跡からはイヌの骨が多数見つかっています。その中にはほぼ全身骨格を保ち、埋葬された個体に由来する資料も少なくありません。縄文時代人はなぜイヌを埋葬したのでしょうか。 1962年に愛媛県久万高原町(旧美川村)の上黒岩岩陰遺跡で発掘された2体の犬骨は、国内最古の埋葬犬資料としてつとに知られていましたが、不幸にして発掘後約半世紀に亘って所在が不明となっていました。私達は、2011年に慶應義塾大学三田キャンパスでこの犬骨を再発見、改めて精査したところ、2体とも生前に歯牙の一部を失っていたことがわかりました。こうした歯牙の生前喪失は、この2体がしばしば「猟犬」として利用されていたことを示唆してくれます。 愛媛県上黒岩岩陰出土1号犬・2号犬頭蓋骨の上面観・側面観・底面観 2号犬上・下顎骨の
ここに訳出したのは、キエフを拠点に調査研究をおこなっているアベル・ポレーゼ(タリン大学)のキエフ脱出記である(原文は2022年3月3日から5日まで3回に分けてGlobal Voicesに“Ukrainian Dispatches”という表題で掲載https://globalvoices.org/2022/03/03/ukrainian-dispatches-1-fleeing-kyiv-with-family-and-pets/された)。ポレーゼは、ウクライナにおける「裏の経済(shadow economy)」をめぐる調査プロジェクトを進めていた。2022年2月23日、彼は、キエフに住む元妻、ふたりの子ども、元妻の夫らと一緒に、車でルーマニア方面に向かった。ロシアによる全面侵攻の前日だった。困難な日々の中で、翻訳の依頼に応じてくれたポレーゼに感謝する。(石岡丈昇 記) 午前5時48分。なぜ
戒律で禁じられている酒をせっせと造る寺院、博打を行うことを見逃して「テラ銭」を得るお寺、美女に扮して芝居をする僧侶、仏像のものまねで笑いをとる芸能者、一切は空だと唱えながら寺院の焼き討ちに出かける僧兵…。「諸行無常」を強調して仏道修行に励むのとはちょっと違う、仏教の意外な一面をご紹介します。 弦楽器の曲弾き 楽器を曲芸のようなやり方で演奏することを、曲弾きと呼びます。曲弾きは、世界諸国で様々な例が見られますが、ギターを背中に回して弾くと言えば、ロック好きの人は、ジミヘンの愛称で知られるジミ・ヘンドリックス(1942-1970)を思い浮かべることでしょう。 ただ、ジミヘンはギターのそうした曲弾きの元祖ではありません。その先輩は、ブルース演奏にエレキギターを持ち込み、モダン・ブルースギターの父と呼ばれたT-ボーン・ウォーカー(1910-1975)です。歌もうまく、エンターテイナーでもあったウ
戒律で禁じられている酒をせっせと造る寺院、博打を行うことを見逃して「テラ銭」を得るお寺、美女に扮して芝居をする僧侶、仏像のものまねで笑いをとる芸能者、一切は空だと唱えながら寺院の焼き討ちに出かける僧兵…。「諸行無常」を強調して仏道修行に励むのとはちょっと違う、仏教の意外な一面をご紹介します。 写経と聞くと、国宝の平家納経が示すように、一字一字に注意を払って正確に、しかも見事な筆跡で書かれているものと思いがちです。確かに、経典は慎重に書写されるのが通例ですが、学習のために経典の要所を抜き書きしておく場合とか、さほど尊敬されていない学僧の大部の注釈などは、雑に間違いだらけで筆写されることも多いのです。 それどころか、重要な経典に関する有名な注釈を筆写したものでさえ、そうした例があります。たとえば、かの聖徳太子の『法華義疏(ほっけぎしょ)』などは、冒頭の第二行目のところで早くも誤写しています。し
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 2000年代のはじめ、日本社会では「ジェンダー・バックラッシュ」と呼ばれる現象が起こりました。大雑把に言うと、保守派の政治家たちが、かれらの重視する家制度や戸籍制度といった価値観に基づき、女性の人権を擁護するフェミニズムを攻撃する運動です。そのきっかけとなったのは、1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」(以下、「共同参画法」)でした。 この運動で「バックラッシュ派」が槍玉に挙げたのが「ジェンダー」という概念です。彼らの言い分をそのまま書くと「『共同参画法』をつくった者やそれに賛成する者はすべて共産主義者である――共同参画の「共参」とは「共産」のことである――。この共産主義者たちが使うジェンダーという言葉には、性差は存在しないという意味が含まれている。つまり『共同参画法』とは、社
「ネット右翼」もしくは「ネトウヨ」という言葉が広く用いられるようになったのは2000年代の半ば以降。いずれもネット上で保守的・右翼的な言動を繰り返す人びとを指す言葉ですが、前者はかつての「街宣右翼」や「任侠右翼」からの連想で攻撃的なイメージが、後者は「ネトネト」「ウヨウヨ」といった擬態語からの連想で醜悪かつどこか滑稽なイメージが強調され、その全容や実体がつかみにくい存在でした。彼らははたして何者なのでしょうか。また、その誕生にはどのような歴史的経緯があったのでしょうか。 ――右翼・左翼という概念はそもそも何に由来しているんですか。 もともとはフランス革命時の議会における席の配置ですね。急進的なジャコバン派などが左側に座り、保守的な王党派などが右側に座ったので、進歩的な勢力を左翼、保守的な勢力を右翼というようになったようです。 ――議会の右・左ということだったんですね。 そうです。フランス革
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 19世紀後半から20世紀初頭のドイツを生きた社会学者・経済学者マックス・ヴェーバー(1864-1920)。ヴェーバーといえばこの後紹介する資本主義の起源論の他にも、支配の三類型(伝統的支配、カリスマ的支配、合法的支配)や官僚制論などが有名ですが、かれがなぜこうした問題を取り上げたのかということについては、あまり知られていないように思います。社会学の基礎を築き、今なお新たな発見をもたらす多くの著作を残した「知の巨人」は、その人生において何を追い求めていたのでしょうか。 マックス・ヴェーバーの人生は、ドイツという国の存在を抜きにして語ることはできません。かれの思想の背後にはしばしば、いかにしてドイツを強大で名誉ある国にするかという問題意識がありました。ヴェーバーの生誕から遡ること4年、「鉄血
あなたが見ているその世界は、他人にはどう見えていると思いますか。「なにをばかなことを! 同じ世界にいるのだから、同じように見えているに決まっている」。多くの人は、きっとそう答えるでしょう。しかしなぜ、そういえるのでしょうか。私は私に見えているものしか見えません。であるならば、私が私である限り、他人の世界を知ることはできないようにも思えます。はたして私たちは、それぞれに現れている世界を共有することができるのでしょうか。哲学者の野矢茂樹先生にお聞きしました。 ――「独我論」というものを初めて知ったときに恐ろしい、というのとはすこし違うんですけど、いま立っている足元が揺らぐような、すごく奇妙な感じがしたんです。この世には自分しかいないかもしれない、他人は存在していないかもしれないなんて、絶対そんなはずがないのに、理屈上それを否定することはできない。それがなんて不条理なんだろうと思っていたのですが
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 セクシュアリティとは、性に関するさまざまな事柄を指す広範な意味合いを持つ言葉です。かつては「性欲」や「性現象」と訳されることがありました。また、社会的な性別や性役割を意味するジェンダーとの対比においては、性的指向つまりセクシュアルオリエンテーションとほぼ同義で使用されることもあります。つまり、ジェンダーは社会における性分業や女性差別に関わるものとして、いっぽうのセクシュアリティはセックス(性行為)に関わるものとして理解される傾向があるようです。 しかし、ジェンダーがもっとも意識されるのは、実は異性愛でのセックスの場面です。ベッドの上で男性は男性らしく、女性は女性らしくふるまう。男性は相手の女性が求めている男性らしさを演じ、女性も同じように、相手の男性が期待している女性らしさを演じます。も
私たちの身のまわりには音楽があふれています。テレビやラジオ、ネットの動画は言うまでもなく、電車を待つ駅のホーム、ひとやすみに入ったカフェ、いつものコンビニやスーパーの店内……。意識しなければ、そこで音楽が流れている(いた)ことにさえ気づかないことも珍しくありません。音楽はなぜ、これほど多くの場面で用いられるのでしょうか。人間にとって音楽はどのようなものであり、またそれは、時代や地域によってどう異なっているのでしょうか。音楽・文化評論家で、詩人でもある小沼純一先生にお聞きしました。 ――最初から雑な質問で申し訳ないのですが、まずは音楽がどのように生まれ、人間の歴史の中でどんな役割を果たしてきたのか、といったあたりから教えていただけますか。 その前にお伝えしておくと、このサイトでお話されている研究者はアカデミックな方が多いと思うんです。大学の教員はしていますが、私自身は大学で音楽を学んだことは
「どう生きるか」という問いは、人類の歴史上、幾度となく繰り返されてきたものでしょう。しかし今ほどこの問いが、切実になったことはないのではないでしょうか。暮らしの基盤たる共同体が解体し、宗教もかつての力を失った現代、多くの人びとが何の支えもないまま、競争と自己責任の日々を余儀なくされています。私たちはいったい何を間違えてしまったのでしょうか。そして、本当に生きるとはどういうことなのでしょうか。ゲノムを基本に生きものの歴史と関係を読み解く「生命誌」の創出者、中村桂子先生にお聞きしました。 ――この社会の問題というのはいくつもあると思うんですけど、そのうちの一つに、多くの人が、どのように生きるかを見失っているということがあるように思うんです。インターネットやらAIやらで世の中はたしかにどんどん便利になっているけど、本当にそれだけでいいのかなって思う人が――私自身も含めて――最近やっと増えてきたよ
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 A級戦犯は知っていても、BC級戦犯のことはよくわからないという方は、きっと多いことでしょう。田中宏巳著『BC級戦犯』(2002年、ちくま新書)によると、A級戦犯が国家を戦争に導いた軍部や政府の指導者であるのに対し、BC級戦犯は日本軍が占領した地域において捕虜や現地住民に対する残虐な行為を罪に問われた人びとです。命令した士官がB級、実行した下士官以下がC級とされたようですが、同書によるとこの区別に実効的な意味はあまりなかったようです。 BC級戦犯の裁判はアメリカ、イギリス、オーストラリア、オランダ、フランス、中国、フィリピンの連合国側7ヵ国の主宰により、主に中国大陸や東南アジアなど戦闘があった現地で開かれました(49法廷のうち、日本国内はアメリカが主宰した「横浜法廷」だけです)。戦後、連合
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 フランスというと、花の都パリに代表されるように華やかでファッショナブルなイメージを抱く人も多いかもしれません。しかしフランスは世界でも有数の移民国家で、人口比で10%以上が移民一世(フランス以外で生まれた人)だといわれています。第二・第三世代(移民の子どもや孫としてフランスで生まれた人)や不法移民となると公的な統計値はほとんどなく、その数を把握することは困難ですが、おそらくかなりの数になるでしょう。移民問題と貧困は強く結びついており、2020年に公開された映画『レ・ミゼラブル(Les Misérables)』でもパリ郊外の移民社会と警察との対立が描かれ映画ファンの間で話題になりました。今回はフランスの移民社会とも関係のあるヒップホップカルチャー、ラップ・フランセについて紹介します。 まず
「持続可能な社会」ということがいわれるようになって、それなりの月日が経ちました。にもかかわらず、環境破壊、少子高齢化、人びとの孤立といった問題は、改善するどころか、一層深刻になっているように見えます。その背景にはなにがあるのでしょうか。「コミュニティ(共同体)」という視点を切り口として、日本社会の歩んできた歴史と特徴、これからのあるべき姿について、政策研究から哲学的考察まで幅広く活動する広井良典先生にお聞きしました。 ――今日は、持続可能な社会とコミュニティとの関係といったテーマでお話をお聞きしていければと思います。まずは人間にとってコミュニティとはそもそもどういうものなのか、といった辺りから教えていただけますか。 わかりました。私はもともと科学史・科学哲学という文系と理系の中間のような専攻でしたので、コミュニティというのも人間だけでなく――もちろん人間に固有の話もたくさんあるんですけど―
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 ケルト十字架 アイルランド ©Tsuruoka Mayumi 日本列島人はAかBかという二項対立的な思考ではなく、AとBの中間性を大切にしてきました。天秤を思い浮かべていただくと、お皿の部分ではなく、幹の部分。体幹のバランスに重きを置いてきたのです。感覚的で微妙なものに価値を見出してきたことは、たとえば次の和歌にも表れています。 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる これは『古今和歌集』に収められた藤原敏行の名歌です。秋の訪れが紅葉の色づきのように目に見える形では分からないけれど、風の音で感じられる。敏行はまさに<非在の在>を実感しています。 こうした感性にも通じる日本人の特質を、心理学者の河合隼雄先生は<中空構造>と呼びました。そしてそれは、欧米式の強制力には拠らな
「メディア」とは一体何を指す言葉なのでしょうか。インターネットが普及した現代、その意味はますます多様化し、一義的な定義が難しくなってきているように感じます。しかし歴史を振り返ると、「メディア」が時代の変革に大きな影響を及ぼしてきたことだけは、どうやら確かなようです。「メディア」の誕生と日本における発展、そしてそれがもたらしてきたものについて、歴史学者の土屋礼子先生にお聞きしました。 ――まずはメディアの定義といいますか、どういうものをメディアと呼ぶのかというところから教えていただきたいのですが、先生の編集された『日本メディア史年表』(吉川弘文館)を見ると1837年のモールスの電信機、いわゆるモールス信号の発明からはじまっていますね。 メディアのはじまりをどこにするかというのにはさまざまな議論があり、それこそ古代のアルタミラの洞窟壁画から始めるという考えもあります。しかし私は、メディアは近代
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 資本主義は現在、日本を含むほとんどの人類社会の基盤を成している経済システムです。これを言い換えると、現代社会の問題の多くは資本主義に起因するということになります。マスクの値段が高騰するのも、長時間労働の蔓延も、生活保護の受給者がバッシングを受けるのも、根本原因は資本主義にあると言えるでしょう。では、その資本主義とは、一体どのようなしくみなのでしょうか。主著『資本論』をはじめ、生涯を資本主義の分析と闘いに捧げたカール・マルクス(1818年―1883年)の理論に従って見ていきましょう。 資本主義社会において何よりも重要なのは市場です。といってもそれは、市場が資本主義社会に特有のものだということではありません。奴隷制や封建制などと言われるような、資本主義以前の前近代社会においても、商品やお金を
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 アフリカ大陸の北に位置し、文明発祥の地の一つとしても知られるエジプト。人口の大半をムスリム(イスラム教徒)が占めるこの国において、女性たちの多くは自らの髪や首を思い思いのヴェールで覆っています。それは「ムスリム女性」と聞いて誰もがイメージする姿そのものですが、20世紀の半ばにはこのような女性を見ることは多くありませんでした。その背景には何があったのでしょうか。そして、彼女たちはなぜ、再びヴェールをまとうようになったのでしょうか。 イスラームの聖典クルアーンでは、女性だけに対して「何らかの覆い布の使用」が命じられています(たとえば、24章31節、33章53節・59節など)。これに限らず、クルアーンやハディース(預言者ムハンマドの言行録)では、男性に対する神からの啓示と女性に対するそれとの間
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 街歩きのエリアとして高い人気を誇る東京の下町。人々は歴史の名残りや人情味あふれる気さくなふれあいを求めて下町観光を楽しんでいます。では、東京の下町はいかにしてこのように「商品化」され、人気を得てきたのでしょうか。 もともと下町は、土地の高低差からくる地理的な定義でした。武蔵野台地が低湿地帯の東に広がり、川が手のような形で張り出しているために「山の手」と呼ばれるようになったという説があります。山の手の指先に当る上野は、低湿地帯の下町と山の手の接点にあたるところで、江戸時代から下町には町人が住み、山の手には大名屋敷や武家地、寺社地ができるようになりました。 その後明治時代に入ると、官僚や軍人たちはどんどん西側に住むようになりました。山の手が西へと広がっていき、下町の定義には土地の高低に重なる
会員登録(無料)していただくと、記事から任意の箇所を抜粋したり、メモをつけて保存できるようになります。 モンゴル帝国はチンギス・ハン(1162年~1227年)によって建てられた世界帝国です。中国とモンゴル高原を中心に、西は東ヨーロッパ、トルコ、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島をその支配下におきました。歴史上、もっとも広大な地域を治めた国といっていいでしょう。 モンゴル帝国繁栄の要因の一つとして、銀による交易があると考えられます。モンゴル帝国の中枢となる元朝が成立する前の中国では主に銅銭が使われており、そこには発行された年の元号が鋳込まれていました。ヨーロッパの通貨には各国の王の肖像などが刻印されており、それによって価値が保証されていたのです。 これに対して銀はどうでしょうか。基本的には自国でしか使用できない各国の通貨とは異なり、銀であれば誰もがその価値を
「ムンバイの下水清掃人」(写真家Sudharak Olwe氏より寄贈。弱者層の生活を記録するOlwe氏の写真作品は国内外で高く評価されている) インドにおける「カースト」とは、結婚、職業、食事などに関して様ざまな規制をもつ排他的な人口集団のことです。そもそも「カースト(caste)」という語はインドにはありませんでした。かつてポルトガルの航海者がインドで目にした社会慣行にたいして与えた「カスタ(casta)」に由来します。その「カスタ」は、ラテン語で「カストゥス(castus)」の「混ざってはならないもの、純血」から派生し、「血筋、人種、種」を意味します。しばしば「カースト制度」と呼ばれますが、カーストは国が定めた制度ではなく、社会的な身分制です。長い年月をかけて根付いたものです。 カーストには、二つの概念が含まれています。「ヴァルナ(varna)」と「ジャーティ(jati)」です。ヴァル
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『トイビト 学問したいすべての人へ | トイビト』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く