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京都と11cに関するshig-iのブックマーク (8)

  • 藤原道長ゆかりの法成寺跡から鮮やかな緑釉瓦、遺構の出土は初 思いはせる「光る君へ」の世界 

    平安時代に権勢を振るい、今年の大河ドラマ「光る君へ」に主人公の紫式部とともに登場する藤原道長が創建した寺院「法成寺(ほうじょうじ)」跡(京都市上京区)から、当時の井戸跡と鮮やかな色彩の緑釉(りょくゆう)瓦の破片が出土し、市考古資料館が16日発表した。法成寺の遺構が出土したのは初めて。 法成寺は道長が寛仁3(1019)年の出家後に建てた寺院で、鎌倉時代末期の14世紀前半に廃絶した。その後、度重なる鴨川の氾濫で寺跡は流され遺構も見つかることもなく、未解明の部分が多かった。 京都御苑東隣に建つ梨木神社境内でのマンション建設に伴い、民間調査団体「古代文化調査会」が寺跡の北西角の約500平方メートルを発掘調査。井戸跡(直径2・2メートル、深さ1・75メートル)と寺域の北限を示す東西溝が出土した。いずれも一緒に出土した土器などから道長時代の遺構と判明した。 法成寺の北西角から出土した井戸跡。寺の遺構と

    藤原道長ゆかりの法成寺跡から鮮やかな緑釉瓦、遺構の出土は初 思いはせる「光る君へ」の世界 
  • 創建当時の木材と判明=取り外した2点-京都・平等院鳳凰堂:時事ドットコム

  • 平安貴族邸宅の門や塀の跡が出土 京都市

    京都市中京区の平安京跡の調査地から、11世紀ごろの中級貴族の邸宅のものとみられる門と塀の跡が出土し、25日、京都市埋蔵文化財研究所が周辺住民を対象にした現地説明会で公開した。保存状態は極めて良好で、平安貴族の屋敷の構えを具体的にうかがわせる貴重な資料という。 調査地は平安京の左京四条四坊一町にあたる。社屋建設に伴い約300平方メートルを調査したところ、南北道の高倉小路の西側溝に沿って塀とみられる柱跡の列が出土した。その中からひとまわり大きい柱穴が2カ所出た。 門の跡とみられ、柱穴の直径はいずれも約60センチ、間隔は2・1メートル。礎石を据えることなく、直接に土を掘って柱が立てられたとみられ、門の規模も小ぶりなことから、正門の可能性は低いという。門と塀は11世紀後半まで存在していたらしい。 同研究所によると、出土した土器類、瓦などの遺物や門の規模などから、宮中への昇殿が許可される五位前後の貴

    平安貴族邸宅の門や塀の跡が出土 京都市
  • 「海龍王の家」と呼ばれて 平安京最大級の池跡見つかる : 京都新聞

  • 神護寺・不動明王11世紀作 江戸期以来修復で判明 : 京都 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

  • 平氏遺物群を特別展示 京都市考古資料館でスタート | 京都民報Web

    特別展示「平清盛―院政と京(みやこ)の変革」が1月28日から、京都市考古資料館(京都市上京区)で始まりました。6月24日まで。 今展示は、京都にあった平清盛や平氏一門に関する遺跡・遺物を紹介するとともに、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽の院政時代(11世紀後半から13世紀前半)において、平安京・京都で起った変革を、「平清盛と平氏の足跡」「流通の発達」「大規模な寺院・殿舎の造営」「院政期の生活と祈り」の4コーナーに分け、約400点(約150点が初公開)の考古資料をもとに解説します。 平清盛の関連では、平氏一門の邸宅群のあった西八条第(梅小路公園内)から出土した土器、清盛が後白河上皇のために造営した蓮華王院(三十三間堂)の創建時の瓦を初公開。西八条第の土器は、平家が都落ちする寿永2年(1183)に、自ら火を放った際に焼けた土の層から掘り出されたもので、都落ちの歴史的瞬間を今に伝えます。出土の際の写真

    平氏遺物群を特別展示 京都市考古資料館でスタート | 京都民報Web
    shig-i
    shig-i 2012/02/01
    「京都にあった平清盛や平氏一門に関する遺跡・遺物を紹介するとともに、」
  • お知らせ : 京都新聞

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    shig-i
    shig-i 2010/04/17
    「平安京内宅地と様相が異なり、藤原一族が別荘地として新たに都市設計した証拠」
  • 「摂関時代は寝殿造」初の裏付け 京都・宇治で藤原氏の別荘跡発見 - MSN産経ニュース

    京都府宇治市の宇治市街遺跡から、平安時代後期(11世紀中ごろ〜12世紀中ごろ)の回廊跡や池を伴う庭園跡の一部が見つかり、16日、市教委が発表した。藤原氏の別荘とみられ、摂関時代には「寝殿造(しんでんづくり)」だったことが初めて裏付けられた。別荘は巨大な池を挟んで平安京と対峙(たいじ)するように北向きだったことから、当時の上皇などとの権力闘争も背景にうかがわれるという。 見つかった回廊跡は、幅2・1メートル、長さ8・5メートル。直径30〜40センチの柱穴8つが2つずつ対になって南北に伸びていた。回廊跡の西側には小石敷きの池(深さ0・5メートル)を伴う庭園跡があり、池跡は南北10メートル、東西7メートル分を確認し、さらに広がるという。 平安京の貴族の邸宅は、寝殿から伸びる2つの回廊の間に、池を伴う庭園を配置する「寝殿造」。今回の回廊跡や庭園跡も同様の配置で、市教委はこの時代に宇治一帯に広大な領

    shig-i
    shig-i 2010/04/17
    摂関時代のなにが寝殿造だと裏付けられたのかわかりにくい
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