2005年、沼津市で歴史的に「重要」な古墳が見つかった。しかし、そこは道路の建設予定地。“道路”か“古墳”か…長らく論争が続いたが市は2023年7月、道路と古墳の両立を目指した工事の入札を公告した。 古墳時代最初期に築造された高尾山古墳 沼津市で見つかった高尾山古墳(2016年撮影) この記事の画像(11枚) 2005年、沼津市東熊堂で見つかった高尾山古墳(旧名:辻畑古墳)。全長62mの前方後方墳で、墳丘内の構造や出土した土器を調べたところ「西暦250年頃かその少し前」に築造されたと推定されている。 古墳時代は邪馬台国を治めた卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳(奈良県桜井市)から始まったとされ、その時期は西暦250年頃と言われている。このため高尾山古墳は箸墓古墳と同時期の古墳であると同時に、弘法山古墳(長野県松本市)や高部30号墳・32号墳(千葉県木更津市)と並んで古墳時代の最初期に東日本で築
紛失資料3点、収蔵庫で発見 浜松市博物館 浜松城絵図など 浜松市博物館で収蔵資料が紛失し、職員がその事実を隠していた問題を巡り、不明となっていた資料5点のうち3点が同博物館の収蔵庫で発見されていたことが19日、関係者への取材で分かった。取得価格200万円以上の重要物品に当たる「浜松城二の丸絵図」も含まれているという。 「浜松城二の丸絵図」(紛失発表時に浜松市から提供) 関係者によると、このほかに発見されたのは「遠州五千石御替地図」と「遠州浜名五千石図」。市が収蔵資料の管理徹底に向けて庫内の再整理を進めている中、所定の保管場所とは別の未整理資料の中から発見されたという。市は残る2点についても収蔵庫内に存在している可能性があるとみて、調査を進める。 市は2021年11月、同博物館の収蔵資料6点を紛失したと発表し、その後1点を発見した。「浜松城二の丸絵図」については遅くとも18年時点で紛失が判明
県教委はこのほど、災害時に被害を受けた文化財の修復に当たるボランティア「文化財等救済支援員」向けに、文化財の基礎知識や応急措置の方法などをまとめた手引を作成した。県教委への被害状況の報告に役立ててもらうのが狙い。手帳形式にして、携帯できるよう工夫した。 文化財の素材や文化財保護の仕組みなどの知識をはじめ、文化財の種類ごとの応急措置の方法をチェックシート形式で掲載した。文化財の部位を表す専門用語も図解で示し、被害報告時に意思疎通を図りやすくした。バインダーにとじ込む手帳形式で、災害時に手引を持って現場に出られるように配慮した。 県教委は2012年度、支援員の登録制度を全国で初めて創設した。3月末時点で、一般市民や学芸員ら127人が登録済み。手引は支援員に配るほか、13年度の支援員養成講座でも使用する。 文化財保護課の担当者は「文化財は専門用語が難しかったり、分類が複雑だったりするが、行
国の文化審議会が27日、伊豆の国市の寺院「願成就院(がんじょうじゅいん)」に伝わる仏師・運慶※印作の仏像5体(重要文化財)を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。 ◆住職「大きな喜び」 これを受け、同院の小崎祥道住職(76)は「多くの堂塔が兵火に見舞われ、灰燼(かいじん)に帰した中、800年以上にわたり守り伝えられてきた。国宝になるのは大きな喜び」と語った。正式に指定されれば、彫刻としては中部地方初の国宝となる。 また、同審議会は韮山代官所(伊豆の国市)の代官を務めた江川家に伝わる「江川家関係資料」と「江川家関係写真」、磐田市の明ヶ島古墳群から出土した土製品1064点を重要文化財に指定するよう求めた。指定後は、県内の国宝は13件、重要文化財は220件になる。 運慶作の仏像はいずれも木製で、阿弥陀(あみだ)如来座像、不動明王と脇侍の二童子からなる立像、毘沙門天立像の5体。 仏像内から見つか
源頼朝が植えたという言い伝えから「頼朝杉」と呼ばれている、静岡県島田市にある樹齢800年ほどの杉の木が倒れ、木を所有している寺は幹が空洞化して重みに耐えられずに倒れたとみています。 静岡県島田市の智満寺の山にある、高さが36メートル、幹の周囲が9メートル余りの樹齢800年ほどの杉の木は、源頼朝が植えたという言い伝えから「頼朝杉」と呼ばれています。 智満寺によりますと、今月2日の朝、近くの住民が雷が落ちたような音を聞いて駆けつけたところ、「頼朝杉」が倒れていたのを見つけたということです。 「頼朝杉」は20年ほど前から幹の空洞化が進んでいたということで、寺は、重みに耐えられずに倒れたとみて、仏像を彫り出すなど今後の活用策を考えています。 「頼朝杉」を含む智満寺にある10本の杉は、「智満寺の十本杉」として、国の天然記念物に指定されていますが、これで残っているのは7本になったということです。 智満
沼津市教委市会に報告 保存か、道路建設のために取り壊すかで揺れる沼津市の高尾山古墳(沼津市東熊堂)について、発掘調査を行っていた市教育委員会の調査書がまとまり、10日、市議会に報告された。市教委は今後、出土品を公開するほか、7月22日に市民文化センターでシンポジウムを開き、成果を市民に報告。古墳のあり方について意見を募ることにしている。 同古墳は国内最古級とされ、築造年代が注目された。調査書では、出土した土器などから「230年説」と「250年説」に割れた専門家の意見を併記。「230年説」では、大和地方に先立って古墳が築造されたことを示し、「250年説」では従来の中央政権関与をうかがわせるものとなるという。 このため市教委は「どちらを取るかで日本史上における古墳の位置づけも変わってくる。決着には時間がかかりそう」とした。 また、長さ約62メートルという古墳の規模や武具中心の副葬品、貴重な顔料
復元住居を壊す、中学生送検=器物損壊容疑−静岡県警 復元住居を壊す、中学生送検=器物損壊容疑−静岡県警 特別史跡「登呂遺跡」のある登呂公園(静岡市駿河区)で復元住居を壊したとして、県警静岡南署は17日、器物損壊容疑で、同市の14歳の男子中学生3人を書類送検、器物損壊の非行事実で、同市の13歳の男子中学生を児童相談所に通告した。 送検容疑などによると、4人は1月7日午後11時半ごろ、登呂公園で復元住居の屋根に上り、屋根の材料に使っているアシを引き抜くなどして、復元住居を損壊した疑い。 同署によると、いずれも容疑を認め「(引き抜いた)アシでチャンバラをしようと思った」と供述している。近隣住民から「子供が復元住居を壊している」という110番があり、発覚した。(2010/05/17-13:28)
静岡県沼津市の国指定重要文化財「松城家(まつしろけ)住宅」で11日朝、「東土蔵(ひがしどぞう)」の海鼠(なまこ)壁がはがれ落ちたり、「石垣」が崩れ落ちたりしているのを管理人の男性が見つけた。 同市は地震の揺れが原因とみて、修復方法を文化庁と協議する。歴史ファンらに人気が高いとされる「主屋」など他の建築物には損傷がなく、一般公開は続ける。 東土蔵の海鼠壁は、幅約7・3メートルのうち、約7メートル部分が高さ約1・35メートルにわたり、装飾としっくいがはがれ、土壁がむき出しになった。松城家の敷地は石垣と塀で長さ約90メートルにわたって囲まれており、東側の幅約6メートルが高さ約1メートルの規模で崩れた。 松城家住宅は、江戸後期から回船業などを営んでいた同家の居宅で、明治初期に建てられた。伝統的な日本建築に洋風の意匠を取り入れた「擬洋風建築」が特徴で、2006年7月に重要文化財に指定された後、松城家
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