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2010年11月28日のブックマーク (7件)

  • 六本木ヒルズ・Roppngi Hills:特集018 毛利庭園

    −江戸時代の大名屋敷のなごりを今に伝える、池と緑で彩られた贅沢な庭園− 敷地の半分がオープンスペースである六木ヒルズで、とりわけ贅沢な空間、と言える「毛利庭園」。 面積4,300平方メートルという広大な敷地に、池を中心にし、滝、渓流、川のせせらぎや、桜、イチョウといった木々を配し、四季折々に変化する木々や植物の表情を感じることができる、回遊式の日庭園となっています。 都会の中にある贅沢なこの空間で、日の四季や歴史を感じながら、ゆっくりと散策してみてはいかがでしょうか。

  • 全史料協2010年大会の感想(上) ポスターセッションと資料保存ワークショップ: 源清流清 ―瀬畑源ブログ―

    自分の研究(象徴天皇制)と深入りしてしまった公文書管理問題について思いついたことを書いています。拙著『公文書をつかう―公文書管理制度と歴史研究』(青弓社)刊行しました。 全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)の2010年大会が11月24,25日に京都で行われました。 大会内容についてはこちらを↓ http://www.jsai.jp/taikai/kyoto/index.html 全史料協は、文書記録を中心とする記録史料を保存するアーカイブズや、それに携わる人たちなどで構成される団体。 日アーカイブズ業界における一番大きな団体組織と言ってよいと思う。 私はこれまで大会に参加したことはなかったが、友人に誘われたのと、自分自身も興味のあるテーマだったこともあり、参加をしてきた。 以下で感想を述べていきたいと思います。 なお、私は「非会員」という立場で参加していた数少ない人物だと思う

    全史料協2010年大会の感想(上) ポスターセッションと資料保存ワークショップ: 源清流清 ―瀬畑源ブログ―
  • 紙片が宝に変わる瞬間(とき)を目撃してきた~全史料協テーマ研究会参加記

    関西圏の図書館関係者(館種問わず)を中心にした、図書館史の勉強会(読書会)です。2010年3月発足。図書館史に関連する情報なども随時掲載(したい)。 事務局2号です。 平成22年11月24日(水)~25日(木)京都府民総合交流プラザで行われた「全国歴史資料保存利用機関連絡協議会」(全史料協)の二日目に参加してきました。 全史料協京都大会のページはこちら 今回の全史料協では、同志社大学企画部の井上真琴氏がテーマ研究会のなかで「目撃せよ!紙片が宝に変わる瞬間(とき)―図書館員のアーカイブ資料探検―」と題して同氏が同大学所蔵の竹林熊彦(および田中稲城)の史料整理をされた経験をもとに非常に興味深いお話をされており、また図書館史のなかでも非常に重要な内容だったため、ブログに参加記という形で内容を簡単にご紹介させていただきます。 -----------------------------------

  • asahi.com(朝日新聞社):4世紀の権力者の祭祀場か 奈良・秋津遺跡に大型建物群 - 文化

    大型建築物が建っていたとみられる区画に並ぶ柱穴跡=24日、奈良県御所市、竹花徹朗撮影    強固な板塀で囲まれていたとみられる区画跡が見つかった奈良県御所(ごせ)市の秋津(あきつ)遺跡(4世紀前半)で、さらに大規模な区画や多数の建物、集落跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が発表した。建物は方位をほぼそろえて配置されており、飛鳥時代(6世紀末〜8世紀初め)の宮殿以前の建物配置では極めて珍しいという。同研究所は「区画内は一般の住居域ではない特殊な場所で、権力者の祭祀(さいし)空間や館だった可能性がある」としている。  秋津遺跡では1月、両側に柱穴がある幅約20センチの溝で仕切られた区画跡が三つ見つかった。その後の発掘調査で、南側にも区画跡があり、これらの区画を囲むような形で南北約100メートル、東西約120メートルの範囲で、幅1〜4メートルの溝が掘られていたこともわかった。  区画内には掘っ立

  • 東京新聞:全国で発見は数例のみ  伊勢崎・三軒屋遺跡 「斜め柱穴」確認:群馬(TOKYO Web)

    国指定史跡を目指し調査が進んでいる三軒屋遺跡(伊勢崎市上植木町)の年度の調査結果を報告する現地説明会が27日、同遺跡であった。遺跡では今月、柱を斜めに置くために掘られた全国的にも珍しい「斜め柱穴」を含んだ遺構を確認。ほかに米などを保管した倉庫跡も見つかった。 (中山岳) 三軒屋遺跡一帯は奈良、平安時代に佐位郡と呼ばれた。遺跡は郡衙(ぐんが)という当時の役所の一部で、税として集めた米などを保管する施設「正倉」が複数あった。発掘調査は二〇〇二年度から始まり、〇五年夏には全国で初めて八角形の特殊な倉庫跡を確認。〇七年度からは伊勢崎市教育委員会が国の補助金を受け、遺跡の範囲を確定する調査を進めている。

    shig-i
    shig-i 2010/11/28
    佐井郡
  • ただ、恥ずかしい - 美徳の不幸 part 2

    昨日、北朝鮮韓国が軍事衝突した、というニュースはさすがに驚いたが、それよりもある意味驚いたのが、今日流れた「それを受けて、朝鮮学校への無償化は適用外へ」というニュース。 何、それ? あのー、朝鮮半島の軍事衝突とこれに、どんな関係があるのか説明してくれませんか、というのが素朴且つ率直な感想。怒りを通り越して、情けないばかり。自民党よりはましだろう、とある意味えこ(判官)贔屓してきた民主党政権だが、さすがに弁護の言葉も浮かばない。単なる「いじめ」だよ、これは。思うところは、このブログにほとんど書かれてあるので、贅言は控えるが、短期的にも自慰行為にすらならないし、長期的に見たら失点というも愚か、当に対外的にもダメさをアピールしているだけだ。いや、国内的にも、僕のような、少し「左」の民主党を消極的に支持してきた人にそっぽを向かせる結果となるだろう。 追記1:たまたまソウルに出張中の友人からメー

    ただ、恥ずかしい - 美徳の不幸 part 2
    shig-i
    shig-i 2010/11/28
    「朝鮮半島の軍事衝突とこれに、どんな関係があるのか説明してくれませんか、というのが素朴」
  • asahi.com(朝日新聞社):光明皇后発願の写経の原本、断簡発見 「正倉院宝物級」 - 関西文化・エンタメニュース

    光明皇后発願「出曜経巻第四」の原の一部だと分かった断簡=26日、大阪府豊中市の大阪大学総合学術博物館、矢木隆晴撮影  東大寺を造営した聖武天皇とともに、仏教興隆策を進めた光明皇后(701〜760)が写経させた「光明皇后発願(ほつがん)一切経(五月一日経)」の一部(断簡(だんかん))が見つかったと26日、大阪大学総合学術博物館(大阪府豊中市)が発表した。740(天平12)年5月1日の日付が記され、筆跡などから原と判明。同博物館は正倉院宝物級の文化財だとしている。  「五月一日経」は、光明皇后が父母の追善供養と聖武天皇の福寿を願い、奈良時代に国家事業として、約20年かけ写経させた7千巻近くにのぼる仏教経典。約1千巻が現存し、うち750巻は正倉院宝物として伝えられ、残る巻は各地に散在している。  発見された断簡は縦26.6センチ、横68.5センチ。「出曜経(しゅつようきょう)」と呼ばれる経文

    shig-i
    shig-i 2010/11/28
    「「光明皇后発願一切経(五月一日経)」の一部(断簡(だんかん))が見つかった」