タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

エッセイに関するshokou5のブックマーク (1)

  • アジア、暴力、喪失に関する記憶 (セックスなんてくそくらえ)

    自分というものがどこにもいないというように思い始めたのは、日のバブルが惨めな終末を迎えてさほどたっていなかった頃、東京に帰国して住み始めた1994年頃のことだった。個人的な感傷を語ることにさほど意味はないし、そういった飽きもせず繰り返される定型をなぞり、読者と悲しみを共有する退屈で見え透いた仕組みが文学であるということが可能であれば、匿名ブロガーである私は別の方法を選択しなければならないだろう。すなわち個人的な痛みを語ることはそれがどれほど人にとって切実な意味を持とうが無意味であり無価値であり、個人の出来事や感情を語りながらかつそこに留まらないという、知的で運動的なアプローチが必要なわけである。 さて話を戻す。子供時代を元イギリスの植民地で過ごした私は、日国民として当然与えられるはずの義務教育を満足に受ける機会を奪われ、当然のことだが日語を正しく話し、書く能力というものを大きく損ね

  • 1