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日本語に関するshokou5のブックマーク (5)

  • 近代日本語に弔いを(8)−国家と仮名遣い− - 白鳥のめがね

    *1 歴史的仮名遣いがどのように成り立ち、普及したのかについて私が知っていることといえば次のを読んだくらいのことだ。 歴史的仮名遣い―その成立と特徴 (中公新書) 作者: 築島裕出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1986/07メディア: 新書購入: 1人 クリック: 10回この商品を含むブログ (11件) を見るまあでも、「歴史的仮名遣い」がいかなるものかについて一般読書人がわきまえておくべきことは、だいたいこので十分カバーされていると思う。このの内容を踏まえて、『日語が亡びるとき』をめぐる議論にもう一言付け加えておきたい。 なぜか水村美苗は、いわゆる歴史的仮名遣い(水村は「伝統的かなづかい」と表記している)を復活させるという論点について弱気なことを言っている*2。 私自身は深い日語の知識がないので、今の日の<書き言葉>が果たして「伝統的かなづかい」にそっくり改められるべ

    近代日本語に弔いを(8)−国家と仮名遣い− - 白鳥のめがね
  • @檸檬の家: 「障害」は本当に「障碍」「障礙」の当て字なのか?

    @檸檬の家 ブログ更新を停止しています  自己紹介   連絡先: 小川 創生 (motoyuki@bc4.so-net.ne.jp) このブログは個人的な「書きたいこと雑記帳」であり、現在または過去の所属の公式見解等を示すものではありません。 確実に言えることをひとまず結論として述べると、「障害」は、戦後の当用漢字制定以降に作られた当て字ではない。現時点のWikipediaに以下のように記されているとおりである。 「障害」、「障礙」はいずれも当用漢字制定前から同じ”さわり・妨げ”という意味の熟語として漢和辞典に掲載されており、「障害」という表記は「礙」を同音の「害」に単純に置き換えて戦後に造語されたものではない。ただし現在のような“身体の器官や能力に不十分な点があること”という特定の意味ができたのは後年である。なお、「碍」は「礙」の俗字であるため「障碍」を掲載しない漢和辞典もある。 (Wi

  • あのー、韓国でも 2003年に『韓国語が なくなるとしたら』って本が。 - hituziのブログじゃがー

    シ・ヂョンゴンほか 2003 『韓国語が なくなるとしたら―2023年、英語植民地 大韓民国を いく』ハンギョレ新聞社。 写真に うつっているのは 友人の やすえさんです。手に『韓国語が なくなるとしたら』というを もっています。韓国に いくたびに、たくさん を かってくるそうです。うわさによると、やすえさんは 屋の まわしもんだそうです。 ユン・ヂグァン 編 2007 『英語、わが心の植民主義』タンデ。 っていうを このまえ かわずに かえってきたことを ちょっぴり後悔しているそうです。 キム・ヨンミョン『わたしは告発する』ハンギョレ新聞社。 っても あるそうです。英語事大主義を 批判するですってね。 『もし、あなたなら』(輝国山人(てるくにさんじん)の韓国映画 もし,あなたなら 〜6つの視線) これは日でも みれる映画ですね。ふたつ 言語問題を あつかってますよね。 それ

    あのー、韓国でも 2003年に『韓国語が なくなるとしたら』って本が。 - hituziのブログじゃがー
  • 水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    水村美苗『日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で』を読む。 - 【海難記】 Wrecked on the Sea
  • 池上嘉彦 「日本語は<悪魔の言語>か?——個別言語の類型論の可能性」

    German Version 17世紀に布教のため日を訪れたジュスイット派の宣教師が日語の複雑さに困惑した挙句、これは布教を妨げるための悪魔の仕業であるとして<悪魔の言語>であると断じたという伝説が残っている。もちろん勝手な決めつけに過ぎないけれども、ヨーロッパの言語とは異質な言語に遭遇したときの戸惑いとしては十分に理解できる。逆に日の識者の中にも日語の「異質さ」を殊更に強調する向きが一部にあり、これがまた「<日はユニーク>という神話」として外からの批判の的になることも知られている通りである。 言語学の枠内でも言語間の異同という点についての議論は、<相対性>を強調する立場と<普遍性>を強調する立場の間で大きな動揺があった。しかし、もっとも新しい傾向としての<認知言語学>の流れの中では、人間の認知の営みによって規定される一定の枠内での動揺という形で<類型論>的に捉えるという方

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