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交に関するshokou5のブックマーク (8)

  • 外延的定義・僥倖・外挿:その1 - 呂律 / a mode distinction

    tasanoさんにいただいた宿題の露払いも兼ねまして。 続きはこちら:id:contractio:20091219#p1、id:contractio:20091221#p1 スーパー大辞林3.0: 外延僥倖外挿 〔論〕 ある概念に対応する事物ないしその集合。例えば「動物」の外延は人間・犬・猿など。 〔西周(にしあまね) 「致知啓蒙」 (1874年)に英語 extension の訳語として載る〕 ←→ 内包 →概念 ( 名 ) スル 思いがけない幸運。 「−を当てにする」 「−にも難関を通過して /門漱石」 幸運を待つこと。 「万一を−するの外為す可きもの無し /佳人之奇遇散士」 ( 名 ) スル 〔extrapolation〕 既知の資料から未知のことを推測・予測すること。 参考文献: こんなときってなんていう?―おうちのなかで (あいさつ絵) 作者: たかてらかよ,さこももみ出版社/メ

    外延的定義・僥倖・外挿:その1 - 呂律 / a mode distinction
    shokou5
    shokou5 2009/12/21
  • コミュニケーションと相互理解をめぐるコミュニケーション

    tricken@暁月6.0済 @tricken 互いに指示する実体と,それを言語化した表現がしばしば一致しないというのは当然である.「Twitterはコミュニケーションしてないじゃないか」という指摘もあったが,実は対面会話の場でもまったく同じことが起こりうることについて自覚し批判的である人物というのはそれほど多くないだろう. 2009-12-14 17:37:04 tricken@暁月6.0済 @tricken Twitterは「相互理解が成立していない/にもかかわらず,思弁は(アーキテクチャのレベルで)事故を起こさない」から成立しているように見えるだけであり,コミュニケーションなるものを真面目に考えていくと,対面だろうとblogだろうとtwitterだろうと人は対話に失敗し続けている. 2009-12-14 17:38:23 tricken@暁月6.0済 @tricken このような見地

    コミュニケーションと相互理解をめぐるコミュニケーション
    shokou5
    shokou5 2009/12/16
    大変に興味深い議論."ある概念に対して「デフォルト値」が念頭に置かれる事,つまりある概念(…)が通俗的な,一定の表象として置かれることには,学術的には慎重であったほうがよいとは思っています" そう思います.
  • あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇

    非モテ 親父先生! この非モテ、一生のお願いがあって参りました。これが誓いの唐笠血判状です。 親父 いや、もともと一揆の首謀者が分からぬよう、どっちが上かわからんようになってるのが、唐笠血判状なんだが。非モテ非モテと、自分の名前で埋められてもなあ。まあいいや。おまえの気を信じよう。言ってみろ。 非モテ 結局、王道しかないと悟りました。俺にモテるための地味な努力を教えてください! 親父 分かってるのか?地味な努力は牛歩の歩みだ。たとえば、1ヶ月でHな女の子の住所氏名が集まる裏技と、地味な努力があったとする。おまえはどっちを選ぶんだ? 非モテ も、もちろん地味な努力であります!! 親父 なるほど。では、おまえの気に応えるように、おれも気でかかろう。しかし言うまでもないが、地味な努力はスモール・ステップだ。ひとつひとつの段階は実現可能なほどに小さいが、しかしそれ故にまるで進んでないかのよ

    あなたの地位と人脈は《スモールトーク》が決めている/ダンバー『ことばの起源』応用篇
    shokou5
    shokou5 2009/12/02
  • 怒ったエレカシ宮本に何と言えば良かったか?

    人気バンド・エレファントカシマシの宮浩次さんがラジオ番組の生放送中に「キレた」と話題になっている。DJの不用意な一言が個性派アーティストの逆鱗に触れてしまった格好だが、似たような会話の行き違いは、職場や営業先でもときどき起こる。思わぬところでゲストを不愉快にさせてしまったDJは、どう対処すれば良かったのか? 「失礼なやつだ、こいつは」 ハプニングは、TOKYO FMで2009年4月18日に放送された生放送番組「COUNTDOWN TFM」で起きた。エレファントカシマシの新作アルバム「昇れる太陽」について、DJの鈴木万由香さんが感想を述べたときのことだ。 「なんか今回のアルバムっていうのは聴くたびに印象が変わっていって、なんていうんでしょう、オードブルもサイドディッシュもないフルコース・・・メイン!メイン!メイン!メイン!みたいな。ちょっとぱっと聴いた感じで『うわっ!べにくい!』っていう

    怒ったエレカシ宮本に何と言えば良かったか?
    shokou5
    shokou5 2009/04/21
    エレカシで学ぶコミュニケーション術 笑. ♪コミュニケーションブレイクダンサー目と目だけで通じあえりゃあこんなこたぁないのに♪
  • 薄っぺらい言葉を吐く勇気 - U´Å`U

    こんな記事を読んだ。 ・「私を死刑に」「あなたが生き残った意味必ずある」 重いダウン症の長男(当時27)の将来を悲観した(同53)に頼まれ、2人を殺害した夫(57)に対する判決が4日、さいたま地裁であった。死刑を求めた夫に裁判所が出した答えは、懲役7年(求刑同10年)。若園敦雄裁判長は「長男がダウン症を持って生まれてきたことには必ず意味がある。あなたが生き残ったことにも意味がある」と諭した。 http://www.asahi.com/national/update/0204/TKY200902040312.html 別の記事によると、裁判長は「や長男に対する愛情から、自らも死を覚悟して犯行を実行しており、考慮するべき事情はある」などと述べ一定の配慮を示す一方で「被告はの心身が正常でないと理解していた。医師に受診させるなど、ほかにも取るべき手段があった」と指摘し、被告の事情には過度に考

    薄っぺらい言葉を吐く勇気 - U´Å`U
    shokou5
    shokou5 2009/04/01
    陳腐,とか薄っぺらい,ってのは言葉に対して張るべきレッテルではないのかもしれない.ロールプレイから離れられないなら,どんな言葉だって陳腐になるんじゃないかな.
  • 自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    自分にまつわる情報を極力出したくない人、と言い換えることもできるか。 ネットで長年活動していると、こういう人たちがいることに気づく。 実は実生活でもいるのだが、実生活ではあれこれ自分について語らなくてもコミュニケーションがとれるものなので、あまり意識しない。ネットだと、言葉をやりとりをしてなんぼ、なので、あれ? と気がつく。 古くからのネットの知人でも、ブログはおろか、クローズドのmixi日記でも、自分自身についてほとんど書かない人がいる。自分のべたものや、自分の行ったところ、ネタ的なものなどについては、時々簡単に書くが、それについて自分がどう感じたか、は書かない。それなら活動してないのかというと、そういうわけではなくて、他の人のブログや日記はけっこうまめに読んでいる。 他人とつながることを忌避しているわけではなく、自分自身の情報、特に心理的なことや感情的なことについて表に出すことを忌避

    自分を語りたがらない人々 - 深く考えないで捨てるように書く、また
    shokou5
    shokou5 2008/12/30
    コメント欄のやりとりが興味深い。「語らない」という行動が同じでも、裏にある理由はさまざま。
  • short hope

    あるところに、自らの意志によっては、一度も、誰かに、何事かを発したわけでもなんでもない一組の赤ちゃんと母親がいました。ある日、彼女たちのあずかり知らぬところで、彼女たちをめぐる言葉ばかりが増殖してしまいました。その言葉の群れは、傷つけた/傷つけられた、消す権利/復元する自由、ブログの継続/閉鎖などなど、あちこちで議論の火の手が上がり、何を発言したわけでもない赤ちゃんと母親の尊厳を置いてきぼりにして、燎原の火のごとく広まってしまいました。なんていうか、文学理論の世界に「テクストに外部は存在しない」というフレーズがあるけれど、たとえるならそんな感じで赤ちゃんと母親の存在は一顧だにされず、テクストの話ばかりが加速していきました。いつもテクストの外部を詮索しているくせに、こんなときばっかり「テクストに外部は存在しない」なんてことをいうのね。もし、自分のがブログで「うちの夫にはタマが一個しかありま

    shokou5
    shokou5 2007/11/13
  • ことば - 雑記帳

    ことばはどのように理解されるのか。北田暁大のハーバーマスとルーマンのコミュニケーション確立モデルの検証を参考にちょっと考えてみた。 ……言語行為論(あるいはハーバーマス)や社会学的なメッセージ伝達モデルが前提とするような、《意図(メッセージ)→理解》図式は根において転倒しているといわなくてはならない。精確なコミュニケーションの図式は、実に奇妙ではあるが、意図の所有者としての「送り手」を図式から削除し、世界の観察者としての受け手/聞き手のみが「意図的行為」の「理解」を提示しあう《理解→理解》図式とでも呼ぶべきものである。コミュニケーション当事者は、互換可能な立場として「話し手」「聞き手」に割り当てられるものではなく、基的には相手の意図的行為を観察=記述する観察者として捉えられなくてはならない。(責任と正義―リベラリズムの居場所 p21) ハーバーマスの《意図(メッセージ)→理解》図式の場

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