建築家の川島甲士氏が2009年1月13日にお亡くなりになった。享年83。 川島甲士氏は1925(大正14)年生まれ。内田祥哉氏、故・篠原一男氏、故・増沢洵氏などと同年の生まれだ。 1949年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業後、清水建設設計部を経て逓信省(後・郵政省)営繕部設計課に勤務。この時代に担当した建築に、1956年の日本建築学会賞を受賞した羽田国際空港郵便局などがある。1954年からは明治大学工学部二部で設計製図の講師も務めている。 1957年に郵政省建築部設計課を退職し、芝浦工業大学建築科の助教授となる。同年には川島建築設計研究所を設立。以来、旺盛な設計活動を行う。 BCS賞を受賞した「西都原考古資料館」(1968)、ガラスの吹き抜けホールを中心に、風景と対峙した「宮崎県営国民宿舎・青島」(1970)。しかし、これらはすでに共に取り壊されてしまった。 代表作となった「津山文化セン