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ドラクエ3
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ムネオ日記 2010年5月29日(土) 普天間飛行場移設問題に関し、政府が移設先として「辺野古」を明記し、政府方針を決めたことに対し、鳩山首相を一方的に批判しているが、そもそも「辺野古」を決めたのは自民党政権である。この点で自民党から批判されることは御免(ごめん)被(ごこうむ)りたい。 確かに鳩山首相は、選挙中も選挙後も「県外」と言っていた。あまりにも過度に沖縄に駐留米軍が偏重している現実を見る時、沖縄県民の心、思いを十分考え、「県外」と言うのは当然であり、そう発言したことは正しい。 沖縄を心配することなく、「県外」と言わなかった政治家に、鳩山首相を批判する資格はない。 努力に努力を重ねたが、今の段階では「県外」とならなかったのである。しかし、2014年までの普天間の移設は絶対にやらなくてはならない。 今回の決定は、それに向けてのスタートなのであり、県外への訓練移設も含め、これからも沖縄の
ムネオ日記 2010年5月24日(月) 昨日、鳩山首相が沖縄に行き、仲井真知事と会談した。普天間移設問題に関し、移設先を名護市辺野古周辺にすると正式に申し入れた。 仲井真知事は「大変遺憾で、極めて厳しい」と述べている。稲嶺進名護市長は「断固反対だ」と、受け入れ拒否の姿勢を明確にしている。 移設を受け入れるか受け入れないかと問われたら、私も「受け入れない」と言う。しかし、日本、極東の平和と安全を維持するにはどうしたらよいのかを、併せてトータルで考えるのが、責任ある政治ではないか。 鳩山首相が、選挙前から、そして選挙中も「県外、国外」と強調していたのは正しい認識である。その思いを持って、総理になってからも努力してきたが、米国の考え、国内の事情で、自民党政権時に合意した案になっただけである。 「県外、国外」と言ったのは、沖縄の負担を少しでもなくしたい、いや、沖縄の皆さんにだけ負担をさせるのは申し
ムネオ日記 2009年7月9日(木) 択捉島の今朝は強い風とそれに伴う高波で、艀(はしけ)が出せない。午前中内岡港で待機したが、10時半(日本時間12時半)、事務局と団長、副団長、顧問団で協議し、上陸を諦める決定をし、13時、内岡(なおか)港を出発。国後の古釜布に向かう。 一日だけの択捉島だったが、昨日は好天で、直近の択捉島の様子を見ることが出来て良かった。特に外交的でないラズミシキン・クリル地区長にはっきりモノを言う機会があったことに満足する。 内岡(なおか)はオホーツク海側に面し、天気に左右されやすいところだ。7日の国後、8日の択捉と、二日間の好天に感謝したい。 国後も択捉も港整備は予定どおり進んでいるという。択捉の空港も工事が続けられており、世界経済が低迷する中でも、ロシア政府による「クリール諸島社会経済発展計画」に今のところ変化は見られない。 商店に行っても、肉も野菜、果物、雑貨等
ムネオ日記 2010年12月6日(月) 鈴 木 宗 男 昨夜は鈴木家全員で家内の手作りの夕食。何とも言えぬ格別な味がした。 孫の元気な姿が神々しく見える。 いよいよ収監の日、家内は私の大好物をしっかり用意してくれる。 娘とたわいのない会話をしながら一緒に明治神宮に向かう。厳粛な気持で「真実が明らかにならなかった悔しさ無念さを正直に思いながら、国家の安泰と世界平和」を祈念する。見事な天気のもとで参拝し心洗われる思いである。 多くの人から「身体に気をつけて」と、電話・FAXが入る。かけがえのない素晴らしい凄い後援者にめぐまれ感謝の気持で一杯だ。 松山千春さんから「ムネオさん胸を張って堂々と行って下さい。足寄が故郷の我々はどこまでも一緒です。居ない間のことは心配しないで任せて下さい」と励ましを受ける。私にとって一番の「お告げ」であり、精神安定剤である。 松山千春さんはじめ北海道・全国の後援会、新
ムネオ日記 2009年4月29日(水) 昨日、神奈川県相模原市で街頭演説、遊説をしていると、多くの人から「信念を持って発言している小沢一郎さんを守って下さい」「今、腹の据わった政治家がいません。小沢さんのぶれない姿勢が大事です」「鈴木さん、小沢さんを応援してあげて下さい」といった女性の声、メッセージが寄せられる。 小沢さんは女性の支持が少ないと言われるが、どうして、昨日は圧倒的な女性の小沢シンパコールであった。こうした一般人の正直で素直な想い、声を大事にしていきたい。 その小沢代表は昨日の記者会見で企業献金、団体献金の「即時全面禁止」を改めて示された。とてもわかりやすい、タイムリーな発言である。 企業・団体献金を法律の範囲内で受け取っていると言っても、金額の大きさ、透明性の観点から、多くの国民は納得していない。小沢代表の即時全面禁止発言の背景には、「法には触れていないが多額の献金を戴いてき
ムネオ日記 2009年3月8日(日) 今朝、TV報道番組は「小沢氏秘書逮捕」が中心である。西松側の話したことばかりメディアをにぎわしているが、西松側の話を知っているのは捜査、取り調べしている検察しか知り得ない。 5月から市民参加の裁判員制度が始まるが、余談を与える旧態依然の検察リークによる一方的印象を作られた情報が洪水のごとく溢れ出し、本当に市民の目線で裁判員制度の異議を言えるだろうか。主旨が違うのではないかと首をかしげざるをえない。 「巨悪」を捕まえると言うなら、過度な規制緩和で格差社会を作り国民にやる気を失わせた、弱肉強食の新自由主義の政治、構造改革を推進した小泉政治、それを支えた竹中平蔵氏が問題ではないのか。 「検察が正義の使者宜しく自分達のやっていることが正しいのだというのは思い上がりだ」といったFAX、電話が私の事務所に届く。 国民も冷静に分析していると思いながら、やはり国民から
ムネオ日記 2009年3月7日(土) 昨夜22時から日本BS放送「インサイドアウト」に生出演し、小沢代表の公設秘書逮捕について次の様に話をした。 「現段階で小沢代表は説明責任を果たしている。小沢代表は『秘書を信じている。違法性があったとは認識していない。献金は相手の善意であり、どこから出ているか受け取る側はわからない』と説明している。献金は政治団体からのもので、小沢代表側は法律に沿って処理している。本来政治家が世直しをすべきなのに、検察が『政権も支持率も低くだらしない。野党も頼りない。それならば我々が正義の使者として世直しをやろう』というのは、青年将校宜しく一人よがりである。 サッカーで言うなら検察はゴールキーパーだ。それがフォワードとしてフィールドに出てきている。フォワードは本来国会議員が国民の側に立って務めるべきものだ。議員を選ぶのは国民である。国民を無視したやり方はいけない。 国策捜
ムネオ日記 2009年3月5日(木) 西松建設絡みでの小沢代表の秘書逮捕の件が連日報道を賑わしている。 私の経験からしても、今出ている話は全て西松側の話であると考える。西松の前社長はじめ取り調べをしているのは検察である。情報を知り得る立場にあるのは誰か、一目瞭然(いちもくりょうぜん)である。 裏付けの取れないことをいいことに、一方的にリークし、話を作らせるのは、公平、公正ではない。私の時も「ムネオハウス」の偽計業務妨害で逮捕される、三井物産の北方支援、ディーゼル発電所建設の件で捕まる、果てはアフリカODAの利権でと、色々言われた。全て権力側のリークである。 私は、これらの件で現在事件になっていなければ、裁判もしていない。メディアは反権力とよく言うが、情報がなければ仕事が出来ないのである。知らず知らずのうちに権力側の手のひらに乗ってしまうことがある。 この点、是非とも真実のみをしっかりと国民
ムネオ日記 2007年11月5日(月) 福田首相との党首会談を経ての昨日の小沢代表の辞意記者会見が、大きな波紋、衝撃を与えている。私から見れば、小沢流のわかりやすい判断だと思う。 最近言葉に責任を持たない、潔さのない政治家が多い。その中で、小沢さんは自民党幹事長の時も東京都知事選挙の責任をとって辞めた。あの時の状況も辞める必要はなかった。小沢さんには良しにつけ悪しきにつけ、決断の早さがある。今回も、国会の衆・参ねじれという形を考え、また、政策遂行という理念に立って福田首相との会談を行い、それなりに自衛隊の国際貢献のあり方等について福田首相から言質を取り付けた。それを党に持ち帰って相談をしたが、一顧だにされず、また、一部マスコミからこの党首会談は小沢さんが持ちかけたという一方的話が出たことを受け、小沢さんも大きな決断をしたのだろう。 読売新聞1面で赤座弘一政治部長は、小沢党首に対して「自ら真
ムネオ日記 2007年4月10日(火) 民主党の小沢代表が7日で民主党代表就任1年を迎え、各紙論じている。私は今回の選挙を振り返りながら、小沢代表の足腰の強い民主党をつくるための地方廻りは、必ず生きて来るものと思う。北海道知事選挙で初めて民主党さん、連合さんと一緒に選挙をしたが、組織の活かし方、それぞれの地区の国会議員、地方議員との連動等、うまく噛み合っていないことが見受けられた。せっかくの組織を活用しない、いや、使い切れないことはもったいないことである。 そういった面で、小沢代表が地方に目を向けて何回も行脚していることは、派手さはないが地道なやり方であり、必ず将来の結果につながるものと思う。風やムードで票が入るものではない。それなりの基盤の上に立って初めて、闘いは進むものである。参議院選挙で必ず成果が出ることを期待したい。 5日に参院福島県、沖縄県の補選が告示されており、この結果は知事選
ムネオ日記 2007年3月16日(金) 東京都知事選挙で立候補が予定される候補者の公約が出揃い、15日夜、公開討論会が行われた。石原さんと浅野さんの違いもはっきりし、また、黒川さんの変わった発想も面白い。普段は高飛車な石原さんが、さすが選挙を意識したのか、低姿勢なのが「おやっ」と感じる。浅野さんは個別の公約を「すぐやるもの」と「4年以内にやるもの」と各段階に分け、具体的に示している。日本の首都・東京のトップを選ぶ選挙をしっかり見つめていきたい。 プロ野球裏金問題で、早稲田大学は15日記者会見し、調査委員会の報告書を公表している。西武と清水勝仁選手の間で1000万円以上の金銭授受がされており、しかも問題が発覚してから口止め、隠蔽(いんぺい)工作をしたことも明らかになった。 有望選手を獲得する為に色々な手を打ってきたことは過去にも多くの例があり、話題、問題になってきた。その反省を踏まえて歴史を
ムネオ日記 2006年11月28日(火) 郵政造反組議員の自民党復党が、今朝のテレビや新聞で大きなニュースになっている。それぞれの立場や思いはあるだろうが、国民から見れば昨年の郵政民営化解散、総選挙は何だったのかという愚直な疑問が出てくるだろう。突然の選挙で約780億円もの税金を使い、刺客騒動を起こし、選挙に利用して勝った挙げ句に一年たつとこの流れである。いずれ国民がしっかりした審判を下してくれると思う。 本会議で亀井静香先生が「平沼さんは筋を通した。立派だ」と声をかけていた。その平沼さんに私は「自民党に戻るのは年明けですか」と訪ねると、「どうかな」とはっきりした返事はなかったが、いずれ自民党に戻る事は間違いない様だ。結論が見えているのに筋を通すというのも、公(おおやけ)よりも自分の為にという感じがしない訳でもないなと思いながら、政治は不思議なものだと改めて考えた次第だ。 安倍総理は復党を
ムネオ日記 2006年10月18日(水) 明日の日ソ共同宣言、いわゆる56年宣言から半世紀を迎えるにあたり、北海道新聞は7・8面に特集記事を組んでいる。「『領土』の解釈に溝 なお見えぬ着地点」という見出しで、日ソ共同宣言50年を振り返り、北方領土問題の現状を報じている。 識者の声として、前駐日ロシア大使のアレクサンドル・パノフ氏が「『2+2』には可能性」という見出しで次の様に述べている。全文を読んでいただきたい。 領土問題をめぐる日ロ間の交渉は現在、ないに等しい状況だ。森喜朗元首相とプーチン大統領は2001年3月に「イルクーツク声明」に署名したが、小泉政権になって(日ソ共同宣言に基づく)交渉基盤が壊れてしまった。 プーチン大統領は56年宣言(日ソ共同宣言)の領土条項に百パーセント賛成しており、いつでも交渉に臨もうとしている。ロシアの立場は(歯舞、色丹の)二島返還。プーチン大統領は自ら宣言文
ムネオ日記 2006年10月12日(木) 7時半から朝食会。11時半羽田発で帯広へ。13時半より私と一緒に中川一郎先生の秘書をし、その後私の秘書から北海道議会議員になった喜多龍一君の政経セミナーに出席し、挨拶。大勢の参加を得て盛大に行われ、喜多君も満足した事だろう。 喜多君の後援者は私とも重なるので、懐かしい顔も見られ、有難いとつくづく思う。2日前、9月5日に収録したフジテレビの「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」を見ましたと、よく声がかかる。「今夜も22時から、日本テレビ(北海道はSTV)の『ダウンタウンDX』に出ていますから」と伝え、「14日にはテレビ朝日で19時から『ドスペ!小倉智昭の特命調査隊血税バラまき真相スペシャル3』に出ています」と知らせる。私のホームページを見ている人も多い様で、「全部チェックしています」「見ています」と答えが返ってくる。後援者がいつも関心を持ち、心
ムネオ日記 2006年8月30日(水) 8時半羽田発で千歳へ。正午から読賣新聞北海道ビル竣工式に出席。大勢の人がお祝いに駆けつけており、「さすが読賣新聞」という感じであった。 13時半から「2006年北方領土返還要求北海道・東北国民大会」に出席。大会宣言、大会決議を採択したが、いつもの通りで新鮮味がない。56年宣言から半世紀の節目の年に、智恵のある現実的解決に向けた言い方はないのか。歯がゆい思いである。こうした大会も官僚主導で、元島民の声、願いが伝わってこない。 北方四島周辺海域における我が国漁船の銃撃・拿捕事件に対する特別決議をした。 一、ロシア政府に対する厳重な抗議及び事実関係の確認 一、拘束されている乗組員及び船体の解放 一、北方四島周辺海域における安全な操業の確保 以上3点の決議であったが、嶋津根室市議会議長の提案で、こちらの方が現実的であり、元島民の叫びが伝わってくる。 山中外務
ムネオ日記 2005年11月1日(火) 新聞・テレビは内閣改造、党役員人事を報じ、気の早いことに「ポスト小泉」を論じている。まだ小泉総理の任期は11ヶ月残っているのに、なんともせっかちな話題づくりである。 報道を見ながら、党三役から「ポスト小泉」の名が出てこないのに気がつく。幹事長といえば実質ナンバー2の存在感、位置づけがあった。この20年を振り返っても、中曽根総理-金丸幹事長、竹下総理-安部幹事長、海部総理-小沢幹事長、河野総裁-森幹事長、森総理-野中幹事長と党内だれしもが認める人、又、最大のライバルをおき、何か事あればいつでも代わって責任をとれる人がついていたものだが、小泉総理総裁になってからは最初の幹事長は誰だったかと講演会や会合で訪ねても答えが返ってこない。存在感が軽くなっていると多くの人が思っている。「改革が進んでいると声高に言うが、具体的にこの四年半なにが改革されたのか」と私の
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