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blog.livedoor.jp/zackyamazaki
サブプライムローン(米国の信用力の低い個人向け住宅融資)問題が悪化して、マーケットは暴落し、金融機関の破綻が相次ぎ、世界経済は崩壊に向かう、という説が今年の流行でした。経済崩壊、大不況、大恐慌といった言葉が飛び交いました。 日本だけではありません。フェルドシュタイン、スティグリッツといった世界的な経済学者が、1929年以来の大不況が来る、いや戦後最悪の不況だ、といった悲観論を声高に唱えました。 そんな中、筆者は全くの少数派でした。今年の1月7日には「高成長に戻る世界経済と取り残される日本」をお届けしました。さらに、2月1日には「バーナンキ暴落は終わりに向かう」、3月28日には「世界経済悲観論に踊るなかれ」をお届けしました。 昨年来の株式市場の暴落を招いたのは、グリーンスパンの後任であるバーナンキFRB議長が、市場の暴落に対して迅速な金融緩和を実施しなかったからだ、と見ていました。
《金融や経営の分野でも活かせ》 1980年代後半から90年代初めの日本は、一人当たりGDP(国内総生産)で、世界上位に位置していました。ところが、2006年の順位は、18位にまで落ちてしまいました。日本人の力が落ちているのでしょうか。 全くそんなことはない、という明の部分と、確かに衰退している、という暗の部分の両方があります。当然ながら、明るい方向にこれから向かうべきです。 《職人の伝統が日本の工場を支えてきた》 今も昔も、日本で強い人材は職人です。戦国時代には、刀鍛冶の職人たちが、ポルトガル伝来の鉄砲を世界一の品質にまで高めたといいます。現代の自動車などの工業製品にも、もの作りの強い伝統が生きています。 日本の工場では、現場の判断と改善が尊ばれます。生産現場こそ、付加価値の源泉です。この強さは今も健在ですから、優秀な日本のもの作り企業は、グローバル化の荒波も乗り越えていきます。
8月が過ぎました。62年前の終戦の日は、死者を迎えるお盆の日でもありました。 悲惨な戦争でした。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ。」東條陸軍大臣が出した戦陣訓に従い、多くの国民が自らの命を絶ちました。敵軍が迫り赤ちゃんを抱えて崖から海に飛び込んだサイパンの若いお母さん。特攻命令を受け、敵艦に突っ込み死んでいった若者。ニューギニアやフィリピンやインパールで餓死寸前になったあげく、玉砕命令により突撃して死んだ兵隊たち。私の祖父の弟もその一人でした。アメリカの原爆や無差別爆撃では何十万人の老若男女が殺されました。 子供のころ、祖父に聞きました。「どうして勝てるはずのないアメリカと戦争をしたの。」祖父の答えは、納得のいくものではありませんでした。 孫子曰く「用兵の法は、少なければ則ち能くこれを逃れ、若からざれば則ち能くこれを避く。故に少敵の堅は大敵の擒(きん)なり
ブログ読者の皆様には長い間お世話になりました。 これでブログはお休みさせていただきたく存じます。 約1年前、福田政権が発足した時の「首相交代の歴史的必然−80年代の成功体験から抜けだせない日本は取り残される」を書きました。先日書いたことと趣旨はほぼ同じでした。東京一極集中という、80年代に成功した国土と経済のままで、地方からの経済改革を怠れば、政権は交代せざるを得ないと論じました。 そして、1年後に、同じ趣旨で、首相交代について論じることになってしまいました。 その間、世界はサブプライムローン(米国の信用力の低い個人向け住宅融資)問題と石油や一次産品の価格上昇によって、大きなダメージを受けています。一方、先進国の不況に対して新興国の経済成長は多少スピードダウンしたとはいえ止まりません。ところが、新興国の株式や不動産は、先進国以上に大きく下がり、いわば投資の振り出しに戻りました。
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