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都知事選
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結婚差別についてお話する前に、私がなぜ部落問題、とくに結婚差別問題に関心を持ったのかということについて語っておこうと思います。その中で、結婚や結婚差別に関する予備知識もお伝えできればと思っています。 私は1973年に生まれました。オイルショックという言葉を聞いたことがあると思いますが、まさにそれが起こった年です。戦争に負けたところから日本が復興していって、さらに目覚ましい発展の時期ーー高度経済成長期という名前がついていますーーを迎えますが、それに急ブレーキがかかった年です。 この高度経済成長期の間には、1960年の東京オリンピックや1970年の大阪万博も開催されました(みなさんにとっては、2021年のオリンピック、2025年の万博のイメージのほうが強いと思いますが)。これらのイベントにあわせて、日本国内でいろいろなことが整備されていきました。 私の生まれた年までに、その発展が終わっていたわ
受講ボイコットまで受けていた夏目先生は、シェイクスピア講義で一躍人気者に。同時進行していた「文学とは何か?」という根本的な問いに取り組む「文学論」講義にも勢いがついてくる。だが、すべての文学を説明し尽くそうとする文学理論家夏目金之助の前に、やがて強力なライバルが出現するだろう。それは、すさまじい速筆で次々と話題作を生み出し、やがて夏目金之助を大学から立ち去らせてしまう小説家――もちろん夏目漱石である。二人がライバルであるとはどういうことだろうか。そして二人の理論と創作が演じるデッドヒートとは何のことだろうか。 今回は文学理論家夏目金之助と小説家夏目漱石の対決の伏線となる、シェイクスピア講義と「文学論」講義の交点に注目してみよう。 図1 漱石旧蔵書『マクベス』にはさまれていたメモのオモテ (東北大学附属図書館漱石文庫蔵) 図2 漱石旧蔵書『マクベス』にはさまれていたメモのウラ (東北大学附属
履歴書の変なところ 前回は、就職活動のとき、会社は差別をしてはいけないというルールの話をしました。「本人の能力をみる」ことが基本なので、部落出身だからという理由で不合格にしたり、男女で差をつけるのはダメですというものでした。 でも就活のルールは、まだまだ見直すべきところがいっぱいありそうです。例えば、男女で差をつけたらダメというルールがあるんだったら、性別を書く欄はいらないように思えます。昔から当たり前のようにあったから、「男・女」と書いてあったら深く考えずにマルをつけちゃうなあという人もいるでしょう(★1)。 「あって当たり前」と考えられていたために、改めて「ほんとにいるの? なぜいるの?」と理由を聞かれたら、なかなか答えが出てきません。このような問いに対して、「性別を知らずに採用して、新入社員が全員男だったり、全員女だったら困るから」といったように、「男女のバランスが悪くなるから」とい
科学の活動をめぐるさまざまなダイナミズム――生成や変容、あるいは固定――を社会科学の視点から明らかにするSTS(科学技術社会論)という研究領域がある。本連載では、新型コロナウィルス感染症の対策にも使われ議論を呼んだ「感染症数理モデル」をとりあげ、STSというレンズが何を映し出すのかを紹介する。 STSという研究領域 AI(人工知能)や、自動運転技術、あるいは、ゲノム編集食品、人工食肉、自然エネルギーなど、私たちの社会には日々新しいテクノロジーが生まれていく。これらの新しいテクノロジーは、私たちの普段の生活や働き方に変化をもたらすだけではなく、自然や生命に対するそもそものイメージや、価値観を揺さぶるものである。他方、人口減少問題や地域活性化など一見「社会」のみにかかわるような課題であっても、実はその動きに科学・テクノロジーにかかわる要素が含まれていることもある。たとえば、急激な人口減少と並行
漱石が帝大在職中に唯一発表した学術論文は、「マクベスの幽霊に就〔つい〕て」(『帝国文学』1904・1)だった。いったいあの漱石がどうしてオバケについて論じているのだろうか。このことを辿っていくと、漱石の文学理論のアイディアの源に行き当たる。 漱石の論文は、英語圏のシェイクスピア研究にもとづき、上演史上の論点を取り上げたものだ。一見、他人の説を紹介しただけにもみえるが、実はそうとも言い切れない。「文学論」講義と同時期に行なわれた『マクベス』講読講義に端を発するこの論文からは、漱石が演劇論を参照しながら文学理論を作り出そうとしていた試行錯誤の一端をうかがうことができる。 『マクベス』講義とそのテクスト 連載第3回では、漱石のシェイクスピア講義が人気を集めていったことを紹介した。その第1弾が『マクベス』講義(1903年9月29日-1904年2月16日)だ。とはいえ、やはり英文科学生の目はきびしか
百年、私の墓の傍〔そば〕に坐つて待つてゐて下さい。屹度〔きっと〕逢ひに来ますから――『夢十夜』にそう書いた漱石は没後百年となる2016年12月、アンドロイドになって甦〔よみがえ〕った。二松学舎大学が大阪大学、朝日新聞社の協力のもと、漱石アンドロイドを作成し大学等で講義を行なわせるというプロジェクトだ。科学と文学とが協働したプロジェクトが、漱石没後100年の2016年、生誕150周年の2017年と続いたアニバーサリー・イヤーを盛り上げたのは興味深い。漱石もまたイギリス留学中に化学者池田菊苗との交流を通して、「学問をやるならコスモポリタンのものに限り候(略)僕も何か科学がやり度〔たく〕なつた」(1901年9月12日、寺田寅彦宛書簡)と感慨を漏らし、科学的な文学研究の方法論を探求した人であったからだ。 しかし、肝心の漱石アンドロイドの授業というのは、『心』や『夢十夜』などの作品の朗読を行うものだ
「若い人は、部落問題なんて知らないのでは?」というセリフをしばしば聞きます。「だから、そっとしておけば、そのうちなくなるよ」とセットになっていたりします。アンケートの自由回答でも定番の記述と言えるでしょう。 でも、若い人ほど部落問題を知らないと言えるのでしょうか? 私は必ずしもそうとは言えないと考えます。ある意味、若い人のほうが部落問題を知っているとさえ言えます。なぜなら、若い人たちはちゃんと学校の教科書で部落問題に出会っているからです。 たしかに「部落問題」という単語はあまり出てきませんし歴史的なことがメインですが、江戸時代の身分制度の話は歴史の授業で習ってるし、「水平社も知ってるよ!」というのが、いまの10代、20代の感覚です。歴史の授業をきっかけにして、現代の部落問題の話題につなげている先生方もおられるようです。 他にも、道徳の時間や総合学習で学んだという人もいます。意外な科目では「
「部落問題」。ええとなんだっけそれ? 部落ってどこにあるんだっけ? どこかで聞いたことある気はする。なんとなくよくぼやかされる話? 部落差別? けど、最近はそんな問題はもうなくなったって聞くし。 もちろんこの「問題」に知識があったり、身近に感じている人もいると思いますが、こんなふうな印象を感じている人は多いのではないでしょうか。 「部落問題」とは、<ごくごく簡単に言うと、江戸時代の身分制度の中で被差別身分とされた人々がいて、その身分制度は明治のはじめに廃止されたけれども、それから現在までおよそ150年の間、現代的なかたちに変わりながら続いている問題>のことです。では、すでにそんな昔に廃止されたはずの制度が、なぜ今の私たちの社会の中に、なぜかいつも少しぼやかされながら、さまざまなかたちの「問題」として残り続けているのでしょう。 本連載では、部落問題と家族社会学を専門に研究されている社会学者の
夏目さんの文学論や文学評論をよむたびに当時の聴講生を羨まずにはゐられない。 (1914年12月21日、井川恭宛 芥川龍之介書簡) 1914年、当時22歳の芥川龍之介は親友への書簡にそう記した。漱石の自宅へ毎週門下生が集う「木曜会」に、芥川が初めて参加する日の約1年前のことだ。東京帝国大学文科大学英文学科講師、夏目金之助(漱石)が行った講義にもとづく『文学論』(大倉書店、1907)と『文学評論』(春陽堂、1909)に、すでに相当親しんでいたことがわかる。漱石が去ったあとの英文学科に通っている芥川は、現教師陣への不満を漏らすとともに、漱石の講義に憧れた。 いったい、漱石の講義はどんなものだったのだろうか。その講義は、同時期に小説家としての夏目漱石が誕生することと、どのように関わっているのだろうか。私もまた『文学論』や『文学評論』を読み、漱石の講義を追体験してみたいと思った。それらの著作の元とな
「ここは、昔、差別されていた地域なんだよ」。車で近所を走っていると、突然、お父さんがそんなことを言いました。お父さんは続けました。「今はもうそんな差別はないからね。お前は差別をしたらいけないよ」。10代、20代の若い人から、しばしば、こんな体験を聞くことがあります。(ところで、ここは、必ずしも「お父さん」である必要はないので、お母さんでもおばあちゃんでも先生でもいいので、だれか身近な大人に読み替えてもらってけっこうです)。 これを読んで、何の話をしているのかわかった人もいると思います。「あ、部落問題ね」と。 いっぽう、「どこそれ?何それ?」「昔、差別されてたってどういうこと?」とピンとこない人もいるかもしれません。 部落問題とは、ごくごく簡単に言うと、江戸時代の身分制度のなかで被差別身分とされた人々がいて、その身分制度は明治のはじめに廃止されたけれども、それから現在までおよそ150年の間、
娘は母の愚痴ネイティヴ 温 それにしても、信田先生の「自分の言葉を持ったり使ったりしたら家族は成り立たない」、衝撃的な言葉でしたが、先生のお仕事の中から日々実感されることなのだと思います。 信田 ええ。父親は、企業に入ったら、まず自分の言葉は捨てるでしょう。母親もまた企業の中で捨てるし、家庭の中でも捨てますよね。もしくは捨てたように見えて実はすごい暴虐な言葉を持っているんです。たとえば、「あんたなんか生まなきゃよかった」とか。そういう言葉をたくさん持っている。そして中間がなく、また自分の考えではなく、パパがこう言ってたから、という言い方をしたりする。そしていざとなったら、あんたなんか絶対幸せになれないから、とトドメを刺すわけです。 温 家族の中で言葉が通じない状況というのは、私の場合は本当に具体的で、日本語が達者ではない母親との関係のことなんです。たとえば高校生の頃、友だちと閉店間際までマ
「国語」と「ママ語」 温 信田先生、今日はお忙しいところ、どうもありがとうございます。私は、先生のお仕事にずっと関心をもってきたのですが、実際にお目にかかるのは今日がはじめてなので、じつはかなり緊張しています。けれど今回、先生の『増補新版 ザ・ママの研究』(以下『ザ・ママの研究』)を拝読して、これはもうぜひいろいろとお話しさせていただきたいと願っておりました。勉強不足の点も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。 信田 ありがとうございます。私も、この本と同時期に刊行された温さんの『「国語」から旅立って』を読ませていただいて、立ち位置は異なりますが、私の問題意識と重なるところを感じています。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。 温 さっそくですが、私もずっと「ママ」を研究してきたようなところがあるんです。私の場合、三歳になる少し前に、父親の仕事の都合で台湾から日本に
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