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パリ五輪
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チーム 2018.05.27 「ドラクエの転職してレベル1から」はテンション上がる、「現実のレベル1から」はなぜ絶望感しかないのか。 ゲームの転職ってテンション上がる ドラクエの転職やらFFのジョブチェンジやらはテンションが上がる。 そんな小さい頃の私は仕事なんて物を一切知らないのに、仕事を変えるなんて事にウキウキわくわくしていた。 「知らない方がいいこともある」というのは一面においては真理であるのだろう。 上っ面の良い部分だけを知っていて、それを材料に妄想を膨らませる事はやはり楽しいのである。 そんな感じでドラクエの転職システムを楽しんでいた。 魔法が使える戦士、盗賊のクレバーさと武闘家の近接戦闘能力、遊び人で賢者。 勇者がメインの物語なのに、その取り巻きの多種多様の変化とそれに伴う妄想が楽しかった。 現実の転職ってテンション上がる? さて現実。 現実の転職はどうだろうか? まぁ気になる
はじめに この記事を書いたきっかけは2017年5月6日に大阪・高槻市で73歳の妻が寝たきりの認知症をもつ夫(76歳)の介護に疲れ、食事を与えず、死なせてしまう事件をみたときでした。 わたしの利用者にも老老介護で夫が認知症をもち、妻が支えてる人を知っていたので、この事件を見て、非常に悲しかったです。 また、親が認知症を抱え、その子どもが支える人たちも多く、介護による負担は相当大きいです。 なので、今回は認知症の介護が少しでもラクになるようにわたしが認知症の人と関わるときに大切にしている7つのことを紹介したいと思います。 1.認知症は病気ではない。 まず、「認知症」は病気の名前ではありません。 認知症とは脳に疾患や老化などが起きて、脳の機能が低下し、日常生活をおくることが難しくなった状態をいいます。 たとえ、アルツハイマー、脳血管性、レビー小体型などで脳の働きが弱くなっても、普通に生活できれば
「兄弟いるの?」は私にとって禁断の質問 今回のイラストはあまり上手に描けなかったので載せるのがちょっと恥ずかしいですが・・・。 「兄弟いるの?」なんて「明日の天気は何かな?」と同じくらいどうでも軽い質問だと思います。普通の人にとっては。でも私にとってはそうじゃない。聞かれた瞬間に全身に戦慄が走り、凍り付いてしまうほどの質問です。 「兄がいる」と答えてそこで終わりなら良いのですが「何歳?何をしてるの?学生?職業は?」など詳しく突っ込まれると本当にしどろもどろになっていました。 ですから、私は絵のように聞かれた瞬間に話題を変えるようにしていました。「兄弟いるの?」「兄がいるよ。ところでさぁーーー」のように(笑)。 そんなことより私の事を知っている人が誰もいない高校生活は気楽だったなぁ。そっちの方が大事。 寄稿元:きょうだい児の愚痴吐きブログ
新潟女児殺害事件はようやく容疑者が捕まった。わずか100メートルしか離れていない近所の「普通」の会社員による猟奇的殺人事件。 もちろん、容疑者本人に問題があるのだが、地域として何か取り組むべきことがあるのだろうか。『名言力』(大山くまお著)という本に、ハッとする言葉が載っていた。紹介したい。 「人は人と関係を持つことによって、その存在を確かめ合うことができる。誰とも関わらず一人で生きようとしても、他人から認めてもらえない限り自分がいるって信じられなくなってしまうのです。自分の存在を信じられなくなってしまった人は、自分の存在意義を求めて暴発してしまうことがあります。その一例が無差別殺人でしょう。犯人は見ず知らずの人の命を奪うことによって、無理やりその人との関係性を作り上げてしまうのです。一方的に」 自分の存在感を実感したいがために人を殺す―。 人との関りが薄れていくと、それに反比例して、マイ
コミュニケーション 2018.05.17 大切な人ができる度に、その人を失う怖さで自分の身を消し去ってしまいたくなるけれど。 大切というリスク 大切な人に限った話でなくてもいい。 大切な物でもいいし、自分にとってもかけがえのない夢でもなんでもいい。 人生において重要な価値をもたらす何かを手に入れた時に、人は同時にそれを失う怖さを手に入れる。影のない空間を自然に作るという事はどうにも不可能に限りなく近い課題のようである。 だから、そんな恐怖に戦慄して、まがい物の幸福ばかり、失いにくい薄い快感ばかりを収集して安全を気取って生きていく人も存在するし、空想の概念を作り出して、死んだ人間や死んだ物や自分のこの世での努力は死というイベントの後でもその形状を失わない、という思い込みを胸に抱いて生きていく人も存在する。 空想も自分が本当だと思いこむことができれば、それはそれで一つの解決策なのだろう。まぁそ
コミュニケーション 2018.05.18 「キュアとケア」教師免許に「介護体験」は必須だけど、医師免許にも導入してみてはどうだろうか はじめに 教師になるためには実際に高齢者介護施設に行って介護体験するのが必須になっています。 「ノーマライゼーションはとっても大切!」教職に介護体験がなぜ必要なのか、考えてみた。 でも、教師よりも医師の方が高齢者と接する機会は多いのに、医師免許にはその「介護体験」がありません。 医師と介護職との連携が大切だといわれる今、絶対やった方がいいはず・・・ 今回は「医師免許にも介護体験を導入してみてはどうか」というテーマで考えていきます。 医師こそ介護の視点を学ぶべきではないだろうか まずは医師になるためにはどうすればいいのでしょうか。 そのルートを見ていきます。 <医師へのルート> 1、高校を卒業する ↓ 2、医科大学や医学部のある大学で6年間学ぶ ↓ 3、医師国
コミュニティ 2018.05.16 もはや笑える。今日もどこかで孤軍奮闘している人ならきっと共感できる「楽しい町内会」 人生は楽しまなきゃ。それが、最近の座右の銘だ。ゴールまで辛抱するのではなく、ワクワクする明日のために我慢するのでもなく、今この瞬間を楽しむ。 そうした瞬間瞬間を積み重ねることが、人生をハッピーにし、周りの人もハッピーにし、コミュニティもハッピーにする。だから、ロッカーの準備も楽しむのだーーー。ハハハ。 市の広報誌を班長が会館に取りに行く制度を導入することになり、広報誌を入れるロッカーを準備しなければならない。 ホームセンターでロッカーの下見をし、展示品を写真撮影。それを家のプリンターで印刷し、役員会で見てもらう。ロッカー設置場所である会館の玄関先を測定。会計係に仮払いを請求。ドイトに取り寄せを依頼。免許証を提示して軽トラックを借りる…。ああ、楽しっ。 思い返すと、先の役員
ケニア生活も長いもので、昨年、頭を悩まされたチャリティマラソンが2週間後にはやってくるそうです。 なぜ頭を悩まされたかというと、チャリティマラソンのように大幅に道を使うイベントが行われると朝から大渋滞。行きたいところに行け無くなってしまうのです。 というわけで、肌寒い雨季の中、ケニアで出会ったコミュニティについて少し書いてみます。 コミュニティを生み出す「場」の存在 コミュニティ自体は人と人とのつながりを意味するので、特定の場所が必ずしも必要ではありません。しかし、逆にある特定の「場」が人の集まり、つながりを強化し、助けるということは頻繁に起こります。 実は私の住んでいる地域はナイロビの中でも高地に位置し、Westlandsと呼ばれ気候がヨーロッパに近いため入植当時は白人の居住地だったといいます。 やはりその名残か、かつてのように白人が道を歩いている姿はほとんど見ませんが、今ではビジネスを
最近、中学の性教育を東京都議が「不適切」と批判したというニュースを、大手メディアが取り上げた。ツイッターなどを見ると「これ、何を問題にしてるの?」「性教育はやった方がいいんじゃない?」などといった声が多い。 少し整理しよう。ことの発端と論争の要点についてまとめておきたい。 まず、都議が批判したのは、3月5日に東京都足立区のとある中学校で行われた授業についてだ。その授業では中学3年生に対して避妊・中絶・性交についての指導が行われた。 それがまずかった。 避妊・中絶・性交は指導案(文科省作成)で「中学生に教えるにはまだ早いよ」認定されている3点セットだったからだ。 要するに、指導案では「中学生の心と体の発達は個人差があるのだよ。慎重に扱いたまえよ」となってるのに対し「今時の若者はネットとかで18禁ネタに囲まれてんだぜ!正確な情報教えないと十代の望まない妊娠が増えてしまうんだぜ!」という2つの意
コミュニケーション 2018.05.13 相槌が欲しい。それがないから私は早口で脳みそこねくり回してベラベラと喋ってしまうのだと思う。 会話ってのはキャッチボールなんだよ、でキャッチボールってのは相手のミットに入った時の「パン!」って音が気持ちいいんだよ 人と人が会話するってことは、私の話を聞いてもらって、相手の話を聞く、ということだ。 つまりは、私が一方的に相手に話し続けているだけでは会話ということにはならない。 (中には自分の話したい事だけを永遠とも思える程に話して、相手の話はまるで聞かずに「打ち解け合えた!」なんて感じる人もいるけれど、それはまるで間違いである) 私が話して、相手が話す。私が聞いて、相手が聞く。それが会話。 だとするならば、いつ私が話し始めてよいのか、いつから相手の話しを聞くのか。その合図を両者が出さなくてはいけない。 わかりやすい話の終止符が存在すれば結構なことだが
コミュニケーション 2018.05.12 「ノーマライゼーションはとっても大切!」教職に介護体験がなぜ必要なのか、考えてみた。 はじめに 学校の教師になるためには必ず「介護体験」を受ける必要がありますが、なぜ受けるのか疑問に思ったことはありませんか。 教師が相手にするのはお年寄りではなく、ほとんどが子どもであるので、あまり意味はないと感じている人もいるはず・・・ しかし、高齢化する日本において、教師の介護体験は大きな意味を持っています。 今回は教師になぜ介護体験が必要なのか、その意義について考えていきます。 なぜ教職に「介護体験」が必要なのか。 教員になるためには社会福祉施設や特別支援学校で7日間の介護を体験して、証明書をもらわないといけません。 でも、なぜ「介護体験」をする必要があるのでしょうか。 それは、高齢者がもつハンディキャップを体感して、自分自身の体が満足に動くという「ありがたさ
ゴールデンウィークが終わってしまいました。 会社勤めの方々にとっては貴重な貴重な連休、それぞれの過ごし方で満喫されたかと思います。普段我慢していることを思いつきでできてしまう非日常感。やらなきゃいけないことを一時忘れ、やりたいことだけを存分にやれる幸せな時間・・。 ゴールデンウィークが終わってしまいました。 あの数日間と、戻ってきた日常とのギャップに打ちひしがれている方も多いと思います。 そしてこの時期、注意しなければならないことが1つ・・すでに皆様にも魔の手が及んでしまっているかもしれませんが・・そうです、五月病が猛威を振るいます。 大事に至る前になんとかしなくては! とはいえ、五月病への効果的な対策は人それぞれ違うかと思われます。仕事の中で没頭できるものを探すのか、オフをギチギチに充実させるのか、はたまた夏季休暇の予定を想像して日々をごまかしながら生きるのか・・。 様々かとはございます
先日、出張で首都ナイロビから高速バスで6時間以上の長旅に出かけて来ました。日本では割合、頻繁に高速バス、夜行バスを利用する自分にとっては別に大して長時間移動という感じでもないんですが、ケニアでは道路に設置されたバンプのせいでなかなか落ち着いて寝れません。 3分から5分間隔でバスが大きく揺れるので、常に意識と無意識の間を行ったり来たりという感じです。1泊2日の早すぎる打ち上げ花火のような旅行でしたが、いろんな新しい気づきがありました。 地方の生活と都市の生活 地方ではもはや日本では見られないような典型的な自給自足の生活圏が広がっていました。家の前では牛や鶏、ヤギなどが垣根の中を歩き回り。のどかな姿が印象的です。 機械を導入した大型の農業は、ぱっと見一切見られず、ほとんどが個人やあるいは地域コミュニティ、あるいは親族同士で助け合いの中で、耕され、植えられ、収穫される小口の農地のようです。 特に
チーム 2018.05.08 他人のミスを数えるような人になってはいけない。スタートラインが一緒だとやりがち! 何に意識を向けるかで成功は決まる自分の成功を数える人と他人の失敗を数える人。 どっちが人生を上手に生きていくだろうか?私は前者だと思う。 成功する人ってのは他人の事なんかどうでもよく、自分がどうあるべきか?自分は何をしたか?って事を重視して生きていくらしい。 非常に主人公らしいし、主人公は成功者になるのが常であるから、自分を主として考えるのも妥当だろう。 私は他人ではないから、他人の事はどうでもいいのである。 そういう意味で、「私のサイトのアクセスは何々だけど、アイツのサイトはもっとたくさんある!憎い!」とか、「私のサイトのアクセスはこれだけの期間続けているのだから、このくらいあるのが妥当!恥ずい!」とか、そういう「他人目線」で考える事が主な思考内容となってしまうとよくないと思う
コミュニケーション 2018.05.06 梅雨に入る前に傘をぶんぶん振っていないかを確認してほしい。映画「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」 雨上がりには2種類の人間に出会う。「傘をぶんぶん振って歩く人」と「傘の先端に注意を払う人」だ。観察してみるとほとんど世の中の人間はこの2つに分けられるのではないかという気すらしてくる。 個人的には傘をぶんぶんと振って歩いてもらっても構わない。まあその後ろを歩いていると多少の危なさはあるだろうけれど、するりと前に抜ければいい。 ただ世の中には「雨の日でも会える人」と「雨の日には会えなくなる人」がいるんだな、と最近そんなことを考えさせられた。だからなのか、TSUTAYAにフラフラ立ち寄ると「雨の日は会えない、晴れた日は君を想う」というタイトルの映画に引っ張られた。 ここからはネタばれになるが、この作品は始まるやいなや、妻が唐突に事故死する。いつもの朝
コミュニティ 2018.05.04 家事代行サービス「御用聞き」は、まさにソーシャルワークそのもの!学生ボランティアを募集中なので、ソーシャルワークを体験したい方はぜひ。 はじめに「パソコンやスマホを使う」 「瓶のふたを開ける」 「上の階に荷物を運ぶ」 「部屋の電球を付け替える」 など、普段、わたしたちが何気なく行っていることでも、高齢者にはできないことがたくさんあります。 このような小さな悩みは介護保険サービスの対象外とされ、わたしのデイサービスでも困っている高齢者を色々見てきました。 そんな些細な悩みをもつ高齢者をターゲットにした「御用聞き」という家事代行サービスが、東京を中心に広がっています。 100円家事代行の御用聞き「この『御用聞き』こそ、ソーシャルワークだ!」と感じたので、紹介していきます。 家事代行サービス「御用聞き」のここがスゴイ家事代行サービスはいろいろなところで行ってい
コミュニケーション 2018.04.30 失業率39.1%でも幸せそう!?違いから気付かされる「人間にとって本当に大切なこと」 ケニアは雨季に入りました。普段は全然降らない雨が毎日のように降ります。晴れ渡る空を見れないと、気分も鬱屈してくるというのは日本人だけでなく、全ての人類共通だと思ってきました。ただケニアでは雨をあんまりネガティブに考えない人もいるようです。 雨の日に外でランニングしたりして、むしろスッキリするんだそうな。世界は広いというか、そんな考え方もあるのか、と驚いてしまいます。今回は「日本の常識、世界の非常識」と言いますが、そんな文化の違いや差異を少し考察してみようと思います。 日本とケニアの青年ケニアでは人口の20.3%が15歳から24歳の青年が占めています。日本の同年齢の人口比10.1%と比較すると違いが顕著ですね。現地の青年たちと交流しながら、必ずでてくるのが職探しの話
「世界には35億もの異性がいて。 日常の中で出会えるのは一握り。 そう考えると自分の世界は狭い…」 そんなフレーズからはじまる結婚相談所の長いキャッチコピーを見かける。 最近、結婚相談の界隈で働く人とご飯にいく機会があった。せっかくなので気になっていた事を尋ねてみる「成婚に漕ぎつくためには何が大事なんですか?」と。 すると「相手を受け入れられる事じゃないかな」とのこと。なるほど。「自分の世界は狭い」といいつつ、たとえ出会う機会がいくらあったとしても「受け入れる事」がまた難しいのだ。狭いのは自分の世界だけでなく、相手を受け入れられる心なんだろうなと、とても腹落ちした。自分が変わらないままで現状を変えられる人は確かに限られている。 受け入れられない憂鬱それにしても、そんな視点で相談にくる人たちと向き合い続けると、どんな気持ちになるのだろう。その狭さをどんなふうに見つめているのかが気になる。Ch
お泊りデイサービスでも看取る時代最近、高齢者介護施設で看取り介護サービスが広まる中、わたしの勤めるお泊りデイサービスでも看取りを行っています。 一年前に、末期の大腸がんを患う60歳の女性がわたしの施設に入所しました。知的障害をもっており、小学生低学年のような無邪気さがあって、とても明るい方でしたが、今年の7月に看取りました。その看取りで、 とても大変だったのは医者との連携でした。 週一回、医者が施設に来て、患者の様子をうかがい、わたしの職場スタッフと相談しながら今後のケアを決めていましたが、正直うまくかみ合っていなかったことがありました。そして、わたしもこの看取りで、医者の指示待ち人間になっていたとすごく後悔しました。 今回はそんなことを書いていきます。 医者の指示待ち人間になっていた自分医者は患者の苦しみ・痛みよりも、診察や検査をして、その苦しみの原因となっている「体の異常」を見つけよう
コミュニケーション 2018.04.03 敬愛する先生は「自分は誰かとつながりたい、人間に対する優しい感情を失いたくない」と書いた。小説「いねむり先生」 その人が 眠っているところを見かけたら どうか やさしくしてほしい その人は ボクらの大切な先生だから そんなエピローグで始まる伊集院静の長編小説「いねむり先生」。 ノンフィクションではないが、主人公は妻で女優の夏目雅子を白血病で亡くして失意に暮れていた頃の著者自身である。そんな心身ともに荒んでしまっていた主人公が出会った「先生」との交流をベースに書かれた自伝的な小説というスタイルをとっている。 「先生」の名前は色川武大。直木賞をはじめいくつかの文学賞を受賞した純文学の小説家であり、同時に阿佐田哲也のペンネームで大衆文学「麻雀放浪記」を書いて世に広く知られた雀士である。 そんな作家にしてギャンブルの神様と過ごした温かい日々が綴られている。
いつの間にか「寒中見舞い申し上げます」の時期である。気がつけば、すっかり年賀状を書く習慣がなくなってしまった。まずい事なのか、これが普通なのか。それでも律義に年賀状を送ってくださる方がいる。そして元旦は年賀状が届くのを楽しみにしている自分がいる。 それにしても送り主はどういう訳か、決まって普段から忙しくされている方たちなのだから恐縮してしまう。時間を捻出して、かなり早い段階からきちんと準備を進めているのだろう。 新年になるや否やSNSで賑やかに挨拶をし合うのも楽しいが、そんな中で、予定通りにスッーと届けられる年賀状はやはり優雅で美しく感じる。 それに対してメールで挨拶を返したりするから、輪をかけて申し訳ない気持ちになるのだが、自分の場合は届いたものを1か月くらい机の上に置いておくのが常なので、何度も手に取って読み直すこともあり、やはり年賀状にはデジタルにはない存在感があるなと思う。 その中
あなたはプレアデスの鎖を結ぶことができるのか オリオンの綱を解くことができるのか。 -ヨブ記- プレアデス星団の和名は「すばる」である。一つの星にではなく、おうし座のなかの星団に付けられた名前が「すばる」であり、一つに集まること「統ばる」に由来しているという。個人差はあるようだが肉眼でも夜空に5つから7つの星が集まって輝いているのを確認できるそうだ。 最近「関ジャニ∞」の渋谷すばるが脱退するというニュースを見ながら、常識がなくて情けない話だが、正直なところよく知らずに8人からなるグループなのかと思っていたので、記者会見の席に6人しか確認できなかったことが少し気になった。肉眼では8名確認できないあたり、それこそ「すばる」みたいだなとネットで調べてみる。 やはり結成時は以下の8名だった。 ・横山裕 ・渋谷すばる ・村上信五 ・丸山隆平 ・安田章大 ・錦戸亮 ・大倉忠義 ・内博貴 まず内博貴が1
ドラえもんは中国人にずいぶん愛されているようだ。映画「STAND BY ME ドラえもん」の中国での興行収入は100億円を超えたという。どうしてドラえもんはそれほどまでに中国の人たちに受け入れられるのか。 その理由の一つとして中国の一人っ子政策があると考えられる。この政策は1979年に施行され、ドラえもんは1991年に中国での放送が始まった。この一人っ子世代たちは、のび太くんと一緒に育ってきたわけである。ドラえもんは彼らにとって夢をみさせてくれるヒーローであり、寂しさに寄り添ってくれる兄弟でもあったのだろう。兄弟がいる家庭のほうが多い日本人よりも、より深く入り込める世界観がそこにあるのではないかと思う。 故事成語に「知音」というものがある。その意味するところは「真の理解者」であり、自身のアイデンティティに深く関り、あたかも心の底まで分かっていてくれるような、そんな掛け替えのない存在だ。ドラ
コミュニケーション 2018.04.20 選ぶ時間にこそ価値がある。 レザーブランド「GIVING LIFE」オーナーインタビュー 山手駅で下車して1分も歩かないうちにそのアトリエの印象的な青いドアがみえてくる。 鉢植えのブルーベリーが小さな白い花を付けていて、ドアのクリアガラスには「GIVING LIFE」の文字。 その字体からはいかにも実直な職人気質が感じられた。 アトリエに入ると手掛けている革製品の展示スペースがあり、その奥によく整理された道具箱のような作業場が広がっている。 明るい白壁に落ち着いた色の無垢のフローリング、ちょっとしたカフェのように耳ざわりのいい音楽が控えめに流れる。レザーブランド「GIVING LIFE」のオーナーはここでモノづくりをしている。 「GIVING LIFE」のコンセプトはGIFT。 たとえば誰かにプレゼントをするとき。その人のことを想いながら革や糸の色
3度目のケニア訪問も3週間目に突入しました。以前よりも時が経つのが早いようです。これまでの二回はどちらかというと現地のことに慣れるのが、主体でしたが、これからはドンドンと現地ローカルの中に入って行きたいと思っています。 ポレポレとパリパリ少しずつ現地ローカルの友人が増える中で気づいたことですが、現地では人々が生きる「アフリカンタイム」を「ポレポレ(ゆっくりゆっくり)」と言って、なかなか思うようにことが進みません。。 元々の予定が1時だったのに3時に変更になり、結局、3時に待ち合わせのはずが、5時まで待たされる…。というようなことが日常茶飯事。そもそも時間通りに生きるってどういうことなんだろう。そういう生き方が正しい…のか?と自分でもわからなくなります。 ちなみに、昔はコリアンタイムと揶揄された韓国も、留学の経験上、最近では「빨리 빨리(パリパリ:早く早く)」と時間を守る人が随分と増えている
誰にも訪れる可能性のある家族の介護。特に日本の超高齢化社会では、高齢の子どもがさらに高齢な親を介護する「老々介護」の問題も浮上し、もはや他人事では済ませられない状況になっています。かくいう私の家族も、数年前まで親戚総出で祖母の介護をしていた時期がありました。田舎ではそう簡単に介護付き老人ホームの空きもないらしく、空席を待ちながら家で順番にケアをしていたため、ことあるごとに仕事と介護の両立の困難さは家族から聞いていました。 認知症を“徘徊”と言わないで完全に介護になる前まで祖母はごく普通に生活していましたが、やがて物忘れが多くなったり、ごはんを食べたばかりなのに再び「お腹空いた」と言って食べるようになったりしたそうです。それが認知症のはじまりだったのですが、その後フラリと家からいなくなる「徘徊」が始まるようになった時は、さすがに家族も苦労したようです。 同じ家にいても四六時中見ている訳にもい
町会運営について「人が集まらないので、何もできない。なんか寝られなくなって、脳神経外科の世話になるまでになっちゃったよ~」と知人(仮称、田中くん)に悩みを打ち明けた。「あなたは町会長の器じゃない。器が小さいから、人が集まらないんだよ」と田中君。ガツンと罵声を浴びせられ、落ち込んだ。そして、さらに、とどめの一発が…。 田中くんは3つの会社を経営するビジネスマン。ちょっとやそっとでは人が動かないことを身をもって知っている。 「ビール瓶をもってテーブル席を回って、ビールを注いでる?」「くそ真面目な話ばかりしてない?」「そもそも、あなたには『この人には逆らえないな』という権威とかオーラがないのよ」 田中くんは、私に足りないことをズバズバ言う。 「世のリーダーは、まず社会的に成功していて、一般人はその権威に一目置く。近づきがたいリーダーがビール片手に自分のところにへりくだってくるから、応援してあげよ
来春の入園・入学も視野に入りつつある時期になりました。特にお子さんの言葉遣いに関しては、日頃から気にかけている保護者も多いようです。幼児教室を主宰している筆者も時々質問されるのが、「正しい言葉遣いは何歳から教えていけばいいか?」という問い。 「『パパ』や『ママ』といった呼び方は、お父さんやお母さんに直した方がいい?」「幼稚園で『バカ』や『うざい』と言った言葉を覚えてきてしまったけれど、どう諭せばいい?」等々、子どもが大きくなるにつれて言葉遣いの悩みもだんだん増えてくるものです。 そこで、今回は子どもがハッとするような言葉遣いをした時の対処方法についてお伝えします。 言葉遣いは何歳から?子どもが正しい言葉遣いを身につけるためには、ずばり0歳のうちから親が正しい言葉で語りかけていくことが有効です。 週に一度、幼児教室で正しい日本語で話しかけてもらえる教育的な働きかけももちろん効果的ですが、むし
コミュニケーション 2018.04.09 先入観にとらわれずに付き合おう!「早大の内部生と外部生って違う?」とよく聞かれるので真剣に答えます 4月になり、いよいよ新学期が始まりました。各大学で入学式が行われ、大学生活をスタートさせたばかりの新入生も多いのではないでしょうか?今回は、自分が在学している早稲田大学についてのトピックである「内部生・外部生ってどんな感じ?」というお話をします。 外部生の方が学力高いのは真実か?入学したばかりの時にありがちなのが、「内部生はエスカレーター式に早稲田に入ったから、勉強できないんでしょ?」という外部生からの蔑みの声です。内部生の方も先輩から話を聞いているのか「自分、内部進学だから勉強は全くダメで……」と外部生に対し、妙に低姿勢になる始末。それでは実際のところ、内部生は外部生より劣っているのかというと、もちろんそんなことはありません。外部生に負けないように
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