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シアトル・マリナーズの鈴木一朗(以下イチロー)がアメリカ・メジャーリーグでの2年目のシーズンを終えた2)。後半打撃不振に陥り,昨シーズンの勢いは見られなかったとはいえ,今シーズンも賞賛すべき実績を数多く残した。昨年度同様,最多得票でオールスター出場を果たし,2年連続で200本安打を達成。リーグでの最終成績は,打率4位(647打数208安打.321)安打数2位(208),得点9位(111),盗塁4位(31),出塁率10位(.388),敬遠数1位(27)であった3)。 イチローは,2001年4月2日の開幕以来,メジャーリーグという檜舞台でコンスタントに好成績を収め,現在に至っている。今振り返ると,彼の成功は初めから約束されていたかのようにさえ見える。しかしながら,彼の栄光への道のりは決して平坦ではなかった。このことに,今改めて注意を促したい。確かに野茂英雄4)や佐々木主浩5)らが先発や火消し
たいていの国では、銀行券を発行する主要銀行は、国立銀行と私立銀行との奇妙な混合物として事実上その背後に国家信用(Nationalkredit)を有し、その銀行券は多かれ少なかれ法定の支払手段である。
そうしてみると,あるテクストに触れ,それを引用するということの意義について考えてみたくなる。引用は,文字通り,他者を拠り所とする行為であり,引用なしに,論文を書くことなど叶わない。セルトーは,『日常生活の創出 L'invention du quotidien』の中で次のように言っている。「そんなわけで引用は信じさせるための絶対的な武器になるだろう。というのも引用は,他者が信じていると想定されるものを当て込むからであり,したがって〈現実的なもの〉が確立される手段だからである。自分が有利になるように他者を引用するということはつまり,ある特殊な場で生み出される幻影(シミユラークル)を信じられるものにするということである13)」。セルトーは,このような信じるというメカニズムの〈追放的な〉(詩的な)機能を,マラルメの未刊のテクストによって示している。それは〈考えに共鳴する〉というテーマで書かれた詩の
ISPおよび匿名掲示板管理者の法的責任とは ―「プロバイダ責任制限法」の死角― ISP's and BBS Manager's Legal Liability 工 藤 浩* Hiroshi KUDO* 要約:インターネットが一般にも普及するにつれ,HPに公開された内容や掲示板に書き込まれた発言をめぐって,名誉毀損等による損害賠償請求等の民事訴訟が増えている。訴訟に際しての最大の問題は,被害者が加害者を特定できない場合があるので,加害者の代わりに,プロバイダや掲示板の管理者が訴えられるということである。そこで,被害者が加害者を特定して民事訴訟を起こすことを可能にするため,プロバイダ等の損害賠償責任に制限を加え,加害者たる発信者の個人情報を開示する手続きを定めた,通称「プロバイダ責任制限法」が施行された。しかし,この法律は,「通信の秘密」を規定した憲法に制限を加えるだけでなく,個人情報開示
ラディカル・リフレクシヴィティと エスノメソドロジー Radical Reflexivity and Ethnomethodology 皆川満寿美* Masumi MINAGAWA* 社会学者の「習性」とでも言えることに、<何かを通じてそれとは別の他のものを見ようとすること>というのがあると思う。例えば、「ブルセラショップに下着を売りに行く女子高校生たち」に「次代の社会システムの予兆」を見たり、「日本人の恥の文化」に、「日本においては、自律的な中間集団によって構成される多元的市民社会が成熟しないうちに、中央志向性の強い民俗社会がそのまま大衆社会化してきた」ことの証拠を見て取ったりする、という具合にである1) 。社会学者は、自らの関心に基づき、様々な研究対象を取り上げるが、そうした関心には、対象そのものへの関心のみならず、その対象を通じて見抜かれるものへの関心が、混在しているように思わ
古典語の過去助動詞の研究は、中世・近世にまで遡り、近代以降も古典語研究の柱の一つとして、それを中心に議論された文献だけでも三〇〇点に近く、それに触れた記述にいたっては数えることもできない。そのような中で、古典語の過去助動詞の研究の歴史が纏められたのは一度や二度ではない。容易に、小林(一九三五・六)、鈴木(泰)(一九八四・一二)、福島(一九八七・一〇)、加藤(一九九七・三)などを挙げることができる。そのうち、最も時期の早い小林(一九三五・六)は、近世以前の研究がどのように近代の研究に流れ込んできたかを論ずることが中心で、まだ近現代の所説が出揃う以前のものなので措いておきたい。それからほぼ半世紀後に現われ始める後の三つの研究史は、ある共通点を持っている。すなわち、いずれもそれぞれの研究者の拠って立つ理論の立場から、自説に至る必然性を研究史に辿る、正当性を主張する根拠とする、といった点で思いの外
ニーチェと古代ローマ世界との関わりを考えるとき、キリスト教の問題は逸することの出来ない大きなテーマである。ニーチェの近代批判の根底には激しいキリスト教批判とキリスト教道徳の批判がある。自らアンチクリスト、インモラリストを名乗ってなされたこの批判は、当初からいわゆる世の識者の憤激を招き、ニーチェの思想を危険視する根拠となった。一方こうした言葉の衝撃力の強さも魅力となって、彼の思想の全貌が除々に明らかになるにつれ、彼の思想に共鳴する人々、とりわけ若い人々の間でニーチェはカリスマ的権威を持ち、新しい予言者の到来とばかり熱狂的崇拝の対象ともなった。ほとんど同時代的にこの思想を移入した明治三十年代の日本においても事態は同じで、いわゆるニーチェ論争がおこっている。 ニーチェ没後すでに一世紀が過ぎたが、これほど解釈の変転の著しい思想家、しかも今なお問題視され続けている思想家も珍しいであろう。この原因は
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