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TGS2024
johnetsu.hatenablog.jp
各位 お世話になっております。 いきなりですが今月末日をもって株式会社を本当にたいしょく(退職)する運びとなりました(3年ぶり2回目) 【前回までのあらすじ】 株式会社を退職しました。 johnetsu.hatenablog.jp 株式会社を退職しませんでした。 johnetsu.hatenablog.jp しかし退職エントリも昔ほど流行ってない昨今を見るにつけ退職はセンセーショナルなイベントではなくなってるのかもしれないですね。各位、息を吐くように退職してるし。終身雇用の崩壊を肌で感じております。 事務的なことから先に申し上げますと(おっ社会人っぽい)退職日である3月末から1週間以内に独身寮からさっさと引越ししないとしばかれてしまうため、4月7日には東京を離れます。地元に戻るぞい。 思えば大学から足掛け8年、東京メトロシティに住まっていたわけで、その間に築いてきた多数のインターネットのこ
デモを見てきました。沿道で腕組みしながら眺めていたら、物腰の柔らかな青年からこんなビラをもらった。もしよければいっしょに掲げてください、とのこと。 「帰れ!」というのが奥ゆかしい デモ隊は演説者を乗せた車を中心にして車道を行進、『バカチョン帰れ!バカチョン帰れ!*1』などとスピーカーが壊れてるのか、人間が壊れてるのかわからない、罵詈雑言のリフレインが一番目立ってよく聞こえるという、いかにもこういうデモらしいデモ。この団体が行進する前後左右を警官の列ががっちりとガードしていた。 警官は100人以上いたかな、デモの規模の割にかなり多い印象だった。というのは俺がビラをもらったように「差別反対デモ」が並行して行進しているからで、デモ隊のアジテーションに対して沿道からは差別をやめろという趣旨の声がわあわあ飛ぶ。その勢力間で武力衝突が起きないよう、警官が出動しているらしい。とにかく騒々しいのと警官がう
短歌ってどこがいいのか理解できない。何を題材にすればいいかわからない。理由はわからないがとにかくキモい。そう思ってやまない短歌ビギナー各位は「題詠」という遊びからはじめてみるといいかもしれません。 題詠には世界のすべてが詰まっています。 題詠とはなんぞや? 読んで字のごとく、決められたお題を短歌の中に詠み込むのが題詠。 実例を見たほうが早いですから、さっそく紹介していきましょう。 お題は「つるはし」。集まった短歌は以下の4首。 お題:「つるはし」 (1) 柄にプロ野球する人やったじいさんの『8』てほったつるはしもってる (2) ツルハシ魔跋扈(はびこ)る街の夕暮にTVクルーが捜す順光 (3) 群れなして鳥と時代は過ぎ行けり鶴嘴島に初雪が降る (4) つるはしが錆びないように人いきれ街、、雨、、全部蒸発 引用元:稀風社配信第5回記録 以上の4首から1つ、もっとも優れていると思うものを選びます
一人焼肉ランチをしてきました。 結論から言うと、焼き肉が下手すぎて落ち込んだ。 ※写真を撮ったのですが、あまりに不味そうだったので画像をぐるなびからパクってきました 全体の流れですが、まずご飯、サラダ、わかめスープと同時に、カルビ、レバー、ぐにゃぐにゃしたモツの三点盛りの皿が目の前に運ばれる。これらを1枚ずつ、目の前の鉄板で焼くのだという。 さっそく熱した鉄板に肉を載せる。その間、写真を撮ったり、サラダを無意味にいじりまわしたり、隣席のカップルの会話に耳を澄ませたりして、一人焼肉の感慨にふけりつつ、漫然と肉を眺め、どれ、そろそろ肉を裏返そうかな、とひょいっとつまんでみると、案の定というかさっそく、肉が鉄板に引っ付いて取れなくなった。しまった。最初は鉄板に油が回ってないからひっつきやすいのだ。 慌てて肉を剥がそうと焼肉用のトングでいじりまわしていると、店員のおねえさんがささっと近寄ってきた。
近況報告を2件ほど。 1つ目。バカゲーのレビューを寄稿しました。 バカゲー界の鬼才、復活… ―オンラインACTゲーム「プロフェッショナル警察」 このゲームは人生です。本当におすすめ。 ところで今回寄稿したもぐらゲームス発起人のNoah(のあP)さんとの出逢いというのが奇跡的で、食パンくわえて家を飛び出した俺がのあさんの車にぶつかって多額の慰謝料を請求したことから始まるのですが、そういう嘘はともかく、もともとツイッターで私(@johnetsu)を追っかけてくれていたらしく、アメリカ・アマゾンと回転ケイク氏のUstに俺がゲスト出演してた回もリアルタイムで視聴してくれたそうです。何年前だ。 のあさんはもともと「ゲームのちからで世界を変えよう会議」という意識のレベルがハイそうな団体を運営しておりまして、ゲーム業界各所で獅子奮迅の活躍をされておりまして、しかし実際、そんなガツガツした団体でもなし、も
Amazon http://goo.gl/W4S4b 爆笑した。ここ最近読んだ本の中でいちばんおもしろかった。 本書はB級AV男優、観念絵夢へのインタビューをまとめたもの。観念絵夢の名は文字通り、口を開けば観念的なことばかり話すM男だということに由来する。本書の魅力は、とにかく彼の口から出る支離滅裂な言い回し自体にある。ので、要約にはまったく意味がない。ちょっと長いが本文を引用する。以下はAV監督のカンパニー松尾が観念と対談している場面。Aは編集者。 松尾ー(観念絵夢の原稿を読みながら)『マゾヒズムは人間をより本源へと導き、生命や生物ということだけでなく、神ということに対しても、ずっとその側面をなぞっていく』……なにこれ、全然分かんねえや。 観念ーつまり、神の問題もマゾヒズムですべて解けるんですよ。 松尾ー嘘だろ、おい。 観念ーだって人間はマゾで、創造主が神だから……要するに、手のうちで遊
「人間とコンピューターの知能はどうちがうんだろう」みたいなツイートを見かけたので、考えたこと書きます。 人間とコンピューターはどう違うのか 一言で言えば「アナロジーを理解できるかどうか」だと思う。コンピューターはアナロジー(類推・比喩)を理解できるのかどうか。 そもそもアナロジーの語源は「ana(反・類)+log(ロゴス=言葉・論理)」で要するに論理でないもの、論理に似たもの、ということになる。「アナログ世界の概念を、デジタル世界の申し子ことコンピュータが理解できるのか」という疑問を軸に以下考えます。 たとえば「初音ミクが歌う」という命題。 言うまでもなく初音ミクが発する音は(藤田咲さんの声を元にしてはいるものの)人工的に調整された電子音であって、その機械音のつながりを「歌う」という動詞で表現するのは、機械の動作を人間の行為に読み替えたもの、一種のアナロジーである。 現象だけ見れば、カエル
正月は地元に帰った。 家にいてもすることがなく、昔通った小学校の通学路を歩いた。 昔通っていた小学校は「集団登校」なる制度を実施していて、近所の子どもたち10名ほどが男女別の通学班でかたまって登校した。朝の7時半に集合する場所は雑草が伸び放題の空地の前で、今も何に使われているのか知らない。色褪せて自立能力を失ったカラーコーンが鉄柱に刺さっていた。 通学班の同学年の男子三人はみんな悪ガキだったけれど、後に暴走族に加入し、深夜マフラー音を響かせた先輩たちほどではなかった。俺のほかは先輩たちの子分のような扱いで、俺はそうなれなかった。歩くのが遅かったから、後ろからランドセルを押されたり、後ろに置いていかれたりした。朝飯がおいしかった記憶が無い。 下校のときは自分の歩く速度で歩ける、というだけでほっとした。知り合いと顔を合わせないよう、少しタイミングをずらして帰った。 よく落ちているものを拾ってき
ask.fmの回答を書いてたらやたら長くなった。ので、こっちに上げます。 質問:「情熱の最初の炎を作るには?」 回答:「情熱の炎」は定義の問題でしかありません。考えるだけ無駄ですから、クソして寝たほうがいい。というのはうそで、大問題です。定義の問題だからこそ大問題であって、クソを我慢してでも考えた方がいい。 「情熱の炎」にあたるものを、かつて西洋世界の哲人たちは「コナトゥス」と呼びました。 Wikipedia-コナトゥス この項かなり面白いんですが、さしあたり重要なのは以下。 コナトゥス(羅:Conatus 原義は努力、衝動、傾向、性向、約束、懸命な努力)はかつて心の哲学や形而上学で使われた術語で、事物が生来持っている、存在し、自らを高めつづけようとする傾向を言う。ここで「事物」とは心的実体、物理的実体、あるいはその両者の混合物を指す。数千年にわたって、多くの異なる定義や論じ方が哲学者によ
「社会生活を営む上では、コミュ力がもっとも重要である」 …という上記のテーゼは真か偽か。まあ、どちらとも言える。 論理的に言えば、この文章が示しているのは「私は『社会生活を営む上では、コミュ力がもっとも重要である』が真であるような論理的前提に立つことをここに宣言します」でしかない。あなたがそう思うんならそうなんでしょ、あなたの中では、という話で、どんな命題もここへ行きつく。 でこの命題を分解すると、以下のことを前提としている。 ・「社会生活」という概念が存在している。 ・「社会生活」は営めるものである。 ・主語が省略されている。いつどこの誰が社会生活を営むのか。 ・「コミュ力」という概念も存在する。 ・「もっとも重要である」という語は、コミュ力と並置される概念が複数存在することを前提としている(握力とか財力?)。 …これだけの文章でも省略された前提ってのは膨大で、全部指摘したら頭がおかしく
「メンヘラ」って概念は果たしてどうかと思っていて、「理性はあるけど教養はない不摂生なバカ」って言えばいいのにと思いますね。 世間一般に言うところの「メンヘラ」に足ていないのは「健康」と「教養」なんだけど、そんな身もフタもない事実に向き合いたくないから「メンタルヘルス」なんていう高尚な概念にすり替えやがる、ってだけで、たのむから石を投げないでほしいんですけど、そういう話をします。 【メンヘラはさっさと健康になれ】 まず健康。早寝早起き・腹八分目を心がけてください。暴飲暴食はNG。昼はちゃんと日を浴びること。自分の足で歩くこと。ODしないこと。以上。 以下は教養について話をします。 【教養とはなにか?】 教養とは「理性が依って立つ根拠」です。どういうことか。 「狂人は理性が狂っているのではない。理性以外全部が狂っているのだ」という箴言がありますが全くそのとおりで、ここではメンヘラを「狂人数歩手
やなせたかし氏の訃報を聞いて、そういやアンパンマンって今でも子どものヒーローなんだよな、とちょっと驚いた。 「漫画家やなせたかしさん 死去」NHKニュース http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131015/k10015283981000.html 「アンパンマンに込められた哲学が深い」なんて一時期ネットで話題になったけど、本当にそうか?と俺は思う。やなせたかしの詞は、正直に言ってすごく陳腐だ。 彼の場合、詩もそうだけど「幸せ」「愛」「希望」等々、抽象的な概念が胸焼けしそうなほど現れて、「これは子ども向けの歌なのか?」と首をひねってしまう。うまいかヘタかで言えばこの人の作詞は確実にヘタで、つい観念ばかりが先走ってしまう、頭でっかちな人だ。「アンパンマンは当初、貧困に苦しむ人々を救済するという内容で、未就学児にはとうてい理解不能であり、批評家や幼稚園の先生から酷
宮崎駿、引退ということで。 「この世は生きるに値するんだ」宮崎駿監督、引退会見全文 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1309/06/news133.html 「風立ちぬ」は巷の評、特に評論家のそれを読むと「『美しいものを表現したい!』という芸術家としての宮崎駿の業」あたりの結論が多いのかなと思います。それを前提にして「こんなもの監督のオナニーじゃねえか!」って怒ってる派と「いや、自分の信じた美を描くことこそ芸術家の使命なのだ」派に分かれてる印象なんだけど、これ、どっちも浅いと思いますね。たしかに一面の真実を指摘してはいるとは思う。思うけれど、どちらも一面でしかない。「宮崎駿はロリコン」くらい、一面でしかない解釈だと思う。 「美しいものを表現する」は宮崎駿が生涯に渡ってずっと追い続けてきたテーマであって、別に本作にはじまった話ではありません。 な
「社会人になると人間はつまらなくなる」という説について。 まあ他人事みたいに言ってますけど、他人事ではない。 サラリーマン生活はじめてからネタが思いつかなくなったのは俺に関して言えばかなり本当で「こんな現実はイヤだ!」からの「全部がでたらめだったらおもしろいのに…」へつながる現実逃避的な思考回路、っていうんですか。現実を深刻に受け止めすぎないための俺なりの処世術が、俺をしてネタツイートを書かしめたり、ネタツイートを書かしめたりしたんだけども、それが就職以前でした。就職以降、なにかが変わる。なにか。 これはわかる人にはわかるだろうし、わからない人は何十万字書いてもわからないかもしれないんだけど「意味」って怖いんですね。とりあえずなんでもネタにして現実を凌ぐというのは「意味に縛られるのが怖いから、意味を無意味に変えて笑ってしまう」ということで、そういう処世術が途端に通用しなくなる現場が社会、お
俺はメンヘラに冷たいし脳の良心を司る部位にまったく血が通ってないクソサイコパス野郎だから、インターネットに「死にたい」とか書き込む奴には絶対に同情なんかしない。バカだと思う。 人間は、自分が信じてることを言うんじゃない。 人間は、自分が言ったことを信じてしまう。 「死にたい」と言葉を発してはじめて、なるほど、俺は死にたいのだな…と納得する。そうして「俺は確かに死にたいはずだ」と、自分が死にたいと思うに値する、確実と思われる証拠を集めはじめてしまう。私はかくの如き状況下に置かれている。これはとてもつらい。ゆえに死にたくなるのも当然である。あなたもそう思うであろう。そういうふうに、実に論理的に考える。 そうして「死にたい」が自家中毒を起こして、ますます「死にたい」としか思えなくなる。バカだなと思うけど。 文章を書くとは、自分の体に毒を回すことでもある。書いた以上は、その書いた文字の表すとおりに
続きです。 前回:「黒髪ロングはなぜエロいのか? ―黒ロンでたどる日本文化史―」 http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/09/06/204003 【前回のおさらい】 平安時代から江戸時代まで黒ロンが流行ったけど、江戸からは日本髪になった。 ということで江戸の日本髪が「女性も活発に動きたい!」という男女平等の象徴であるならば、平安の黒髪ロングは「女性を二次元世界に閉じ込めたい!」という男根主義の象徴でしょう。*1 だからこそ「黒ロン好きはキモオタ」なんてイメージも出てくるのだろうし、そもそも本稿のあまりにもあまりな物言いでは、「黒ロン好き=キモい」と思われても仕方がない。それは僕が全面的に悪いのですが、しかし本当にそれだけなのか。本当にキモいのか。 いや、黒ロン好きはキモくない。キモくないです。キモくないかもしれない。 説明するぞ! ※本稿、話が膨
退職しませんでした。はっは。*1 顛末を書きます。 【ここまでのおさらい】 先週のエントリ「株式会社を退職しました」 http://johnetsu.hatenablog.jp/entry/2013/06/07/235046 ↓ お疲れ様です。本日午後より、営業本部長・人事部長と面談して退職の意を告げてきます。退職しないよう丸め込まれそうになったら「理屈じゃないけえ。やめたいんじゃ」と広島県民になったふりで押し切ろうと思います。— じょーねつ (@johnetsu) 2013, 6月 10 ↓ 意外にも上司の引き留めがかなり強かったけど、無事、大ボスにも退職の意を告げました。何度も丸め込まれそうになったものの「理屈はそうですけど…(5秒くらい間)…やめます」の一点張りで突破できました。最強のメソッドかもしれない。— じょーねつ (@johnetsu) 2013, 6月 10 ↓ びっくりし
各位 お疲れ様です。 国内営業部の情熱です。 7月中に無職となることになりました。やー。めでたい。あと1ヶ月続けてれば夏のボーナス出たんですけど、我慢できなくてやめた。何考えてるんでしょうね。「ボーナス目前にしてやめるって、おもしろいな…」とでも思ってたんでしょうね。でもちょっとおもしろいな。 ということで会社やめます。理由を話すと長くなるので、また機会があれば詳しく書きますが、端的にまとめると全部嫌になりました。 直属の上司には「限界です。やめます」ってきっぱり言ったんですけど、人事権を掌握する営業本部長(大ボス的なアレ)は出張中だったため来週、大ボスとバトルする流れになります。ボス、俺のそれ(退職)が気に食わないらしい。何言われても、退職願押し付けますけど。テメーのアンパンマンみてえな鼻っ面にな!*1 しかし直属の上司(中ボス的なアレ)には以前から「やめたいです」と一本80円の焼き鳥を
文章術の話は後述。 現在の自分は、新入社員として1年間やってきたことの報告レポートを連休明けに提出せよ、と人事部から言われていて、まあ本来は先月末が提出期限だったので、いいかげん書かねばならない。のだけど、書く気、起きなッシングですね。 もう仕事を辞めたい旨はGW中に両親に告げて了承済み、まあ夏のボーナスまでは働いとけ、という話をまあそうだねと受け入れて、まあ夏までは頑張るか、という気になっていたのに、研修レポートの作成がやる気にならない程度で即退職を考えてしまう思考回路、ポンコツのそれだと思う。意味がないと思ったことは本当に手がつかない。昔からそれはそうで、いちいちやることに対して自分なりの理由付け、説明体系を作らないと、めんどくさかったり怖かったりで一歩も踏み出せない、それが俺のクソみたいなまじめさ・ダサさの根本だよなあ、とわかってるところで別にどうしようもない。 *** 話は飛ぶけど
句点を打つのってこわくないですか。 文章でもそうだし会話でもそうで・・・って理屈をこねようと思ったが今日はやめて、インテリぶったところがお前は鼻につくとディスられるのも毎度のことなので理屈オフで書きますよ、今日は。 ある程度長い文章を書くとき普通はピリオドを打ち一旦区切るべきところでわざとつらつらと文章を続ける、あるいは普通なら文章をなめらかに接続すべきところでバッサと打ち切る。ってことをするのが俺のたのしいライフワークなのだけど、これは何に似ているかというとEMINEMのフロウに似ているんじゃないかと思っている。おそらく最も知名度のある「Lose yourself(映画 8mileの主題歌。各自ググってください)」を例に引いてもわかるようにえっ、そこでブレスするの、とかそこでつないじゃうの、とか予想(無意識下の)を裏切って前へ前へ進んでいく、壁を1つ1つ乗り越えていく感覚が聞いていて非常
『オナホ男(作:@johnetsu)』無料配信、はじまりました。 http://www.netpoyo.jp/event/20120504_2 ということで『電子書籍はいかにして物語を語るか?』という思い上がったテーマを本当に語るのかどうかということはさておき、電子書籍における物語=フィクションの方法論について語ってみようと思います。『オナホ男』執筆時の体験を交えつつ、電子書籍の未来、そして俺の未来について語ります。 オナホ男、生まれる。 そもそもこの企画「電子書籍で雑誌出すからネットをテーマにした物語を書いてみろ」とねとぽよの編集長からムチャ振りされたのがきっかけで、俺は第一感で「あっ、ムチャだ」と思いました。「やりたくねえ」と思いました。 まあ俺が人生で1度も小説の執筆経験がないのが9割程度を占める理由なんですけど、それと同じくらいかそれ以上に、電子書籍、というかパソコンやiPhone
某月某日。出社。 オフィスに着くも、直属の上司が出張でおらず、特にすることもなくデスクに座りパソコンをいじりながらぼーっとする。「窓際族は自分の席に座ってりゃ給料がもらえるし、楽でいいではないか」と考える人は多いのだろうし、実際俺もずっとそう思ってたのだけど、これは違いますね。こんなにつらいことはない。 唐突だけど、人間の感情というのはもとをたどれば2種類しかない。「自分はここにいてもよい」と「自分はここにいてはいけない」。この2種類。それは動物とまったく同じで、動物は食べ物がない場所に居続けたら死ぬし、寒すぎたり暑すぎる場所に居続けたら死ぬし、四方八方から天敵が襲ってくる場所に居続けたら死ぬ。「ここに居続けたら死にますよ」というセンサーを手がかりに動物はいろいろなアクションを起こしているわけで、人間の反応だって、しょせんそこから派生するバリエーションに過ぎない。一見どんなに複雑っぽい感情
6月某日。メンヘラの某氏と救いについて話しているとき俺は先方に「結局、自分で自分を救うしかないんだ」と言いそうになって、そんなバカな、そんな酷いことがあるのか、と思い直して言うことをやめた。「結局、自分で自分を救うしかない」とは一見正論のようだけれど、それが正論として通用してしまう事態ははっきり言って異常であって、「自分で自分を救う」とはむしろ邪道、ほんの一握りの人間だけが選ぶべきだし、ほんの一握りの人間以外は選ぶべきでない邪道なんじゃないか。それはふつうの人が選べる道ではない、修行僧の道だ。というのは …いろいろ考えたけど書くのが面倒くさい。最近よく思うのだけど、文章というのは圧倒的に遅い。しゃべり言葉ですら遅いのに、書き言葉となるとこれは本当にイライラする。洒落にならないくらい遅い。「SMは言葉より早い」とはマゾバイブルの観念絵夢の言葉だが、何を言ってるかわからないけど正しいと思う。言
「現在使用されている日本語の標準語はその成り立ちからしてまったくの人工言語であり、標準語を使用する限りその人工的な思考の枠組みから外へ出ることはできない」という趣旨の文章を以前読んだときは、へぇ確かにそう言われればそうかもな、程度に思っていたのだけど、実際に何とか本当のことを、自分が少しでも本当だと思えることを言葉でもって相手に伝えなければならない、という切迫した事態に直面して、己の頭に浮かんでくる言葉言葉のどうしようもない薄っぺらさに絶望する。どうあがいたって薄っぺらい。それが標準語なり何なりの所為かは俺にはわからないけど、ただ何かを書くというのはひたすらに不毛。不毛だ。不毛作だ。 できっとそれは俺だけじゃないのだ、言葉が薄っぺらくどこまでも不毛なのは。現実、というか、本当の何かと言ったらいいのか、そういう何かに言葉が届かない、引っ掻かない。言葉は言葉でしかなくて、発した傍からすべて上滑
気づけば1週間更新のない俺のブログ=ライフ・イズ・カルアミルク。ここんとこ更新をサボった理由はネタ切れ、ではなくて、普段から仕事をしている合間にもよそ事はいくらでも俺の頭を去来するので、ネタ切れ、というわけではなくて、こう、なんかブログを更新する気にならなかったのである。ん? 説明になってないぞ。すいません、なんか言葉が出てこなかった。 あの、よそ事を考えてですね、これはこうこう書いたらおもしろいよな、あっ、あれはああいうことかもしれないぞ、などと頭の中で構想をまとめるのだけど、まとまった瞬間、飽きる。もう書く意味ないなー、となってしまう。そうなってしまうあたり、俺が何かブログに書くってのは意味、メッセージを伝えたいとかいうことでなく、俺は先がどうなうかわからないまま何かを考えたり書いている時間がたのしく、そのたのしさがもし伝わればよい、ということで、だからネタのあるなしはきっと全く問題で
チャールズ・ブコウスキーの「死をポケットに入れて(http://goo.gl/1ktw8)」を読んでいる。彼が72歳のときの日記で、毎日競馬場に行ったり行かなかったりした日々を書いたものなのだけど、これがおもしろい。随所に登場する文章論もいい。たとえばこんなの。 新しい一行はそのどれもが始まりであって、その前に書かれたどの行ともまったく関係がない。毎回新たに始めるのだ。 ものを書く時は、すらすらと書かなければならない。稚拙でとりとめのない文章になってしまうかもしれないが、言葉がすらすらと流れ出ているのであれば、書く喜びから生まれる勢いがすべてを輝かせてくれる。慎重に書かれた文章は死んだ文章だ。 ロック。ロックじゃないですか。 ブコウスキー自身はロックは苦手でクラシックばかり聞いていたそうだけど、これはもうロックである。 いや、ロックじゃない。これはただの文章論であって、どこまで行ってもロッ
トランプ新大統領に「政治的すぎる」という理由で怒られたせいで半年間ブログを更新できませんでした。お久しぶりです。 @同志 さて来たる2016年11月23日(水)勤労感謝の日、正規の勤労に就いていない私も文学フリーマーケットに参戦します。「墓には何一つ言葉は刻まれていなかった」っつう2016年にあるまじき激シブの合同誌に、伊勢物語についての批評1本と『稀晴物語(アイルランドのポストモダン民話)』の4編分の邦訳を掲載しております。小職、いや小無職のほかには短歌や批評やよくわからん文章など錚々たる面々のおもしろコンテンツが寄せ鍋状態になる予定です。詳細はこちら。 kifusha.hatenablog.com 小職、いや小無職も文フリ当日は会場に姿をあらわす予定ですので見つけ次第射殺してください、ってクマか俺は。よろしくどうぞ。 それで今回、邦訳した物語のうち一編を掲載します。アイルランドに古くか
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