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パリ五輪
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三好京三(第76回 昭和51年/1976年下半期受賞) あることないこと小説に書いて、あることないこと書き立てられて……。「直木賞作家」の鑑です。 三好京三。『子育てごっこ』(昭和51年/1976年11月・文藝春秋刊)で初候補、そのまま受賞。「聖職」でのデビューから18年。45歳。 今日のエントリーは長くなりそうです。心してかかります。 なにせ、直木賞を代表する作家であり、受賞作なのですよ。さまざまな観点において。すでに没後4年もたってしまいましたが、遅ればせながら取り上げさせてもらいます。直木賞オタク冥利に尽きます。 さまざまな観点、と言いました。三好京三さんと受賞作『子育てごっこ』。直木賞にまつわる数多くのテーマが、凝縮されて詰まっています。 純文学と大衆文学との区別。純文学への憧れ。東京と地方との温度差。権威欲。名誉欲。週刊誌を中心とした、あることないことのゴシップ。そこから生まれた
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 (←書影は昭和63年/1988年3月・マガジンハウス刊 椎名桜子・著『家族輪舞曲(ロンド)』) 1980年代にはいろんなものが流行りました。「タレントに小説書かせて、みんなで盛り上がっちゃおうぜ」なんてのも、そのひとつです。文学の衰退だあ、いや文学絶滅の危機だあ、などと、批判する連中を中心に大勢でキャッキャとはしゃぎ合いました。いま見ると、ほんと楽しそうです。 そのブームの、最終進化形とも、最高到達点とも称されるのが、昭和62年/1987年から昭和63年/1988年にかけての椎名桜子なのだ。……などとも言われる、アノ椎名さんが、今日の主役です。 そう、そう、いたよ
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 (←書影は昭和57年/1982年4月・世界文化社刊『タモリと賢女・美女・烈女』) タモリさんは、たいていの業界に何らかの縁がある全方位型タレントです。もちろん出版界、小説界にもさまざまなつながり、因縁、エピソードがあります。直木賞関連芸能人のひとりである、と強弁したって(たぶん)だいじょうぶです。 かつてタモリさんは、自分の嫌いなものをよくネタにしていましたが、そのなかのひとつに「小説(とくに純文学)」があります。とにかく深刻がって気取っている、そして高級がっている、と言っては、純文学作家をこき下ろして笑いをとっていました。 「阿刀田(引用者注:阿刀田高) タモリ
直木賞選考委員 渡辺淳一 ●在任期間:29年半 第91回(昭和59年/1984年上半期)~第149回(平成25年/2013年上半期)在任中 ●在任回数:59回 - うち出席回数:59回(出席率:100%) ●対象候補者数(延べ):359名 - うち選評言及候補者数(延べ):287名(言及率:80%) まもなく一年が終わります。今年もいろいろとハシャいだり馬鹿やったり、自由きままに書いてきましたが、最後の週ぐらいはおごそかに、厳粛に、平穏なこころで平成25年/2013年を締めくくりたいと思います。 ……って言いながら、今回、主役として渡辺淳一さんを選んでしまいました。無理です。おごそかにやりすごせるわけがありません。 別名、直木賞選考界のトラブルメーカー。はたまた、「実写版・大いなる助走」との異名を持ち、最近の辞書では「渡辺淳一」と引くとまず一項目に「早く直木賞委員を辞めてほしい人。」と書い
豊田健次(『別冊文藝春秋』編集長→『オール讀物』編集長) 文芸編集者として直木賞を最大限に活用するとともに、「文芸編集者のための直木賞」をつくり上げる。 豊田健次(とよだ・けんじ) 昭和11年/1936年生まれ(現在76歳)。 昭和34年/1959年(23歳)文藝春秋新社入社。『週刊文春』、出版部を経て『文學界』『別冊文藝春秋』編集部員(昭和41年/1966年~昭和43年/1968年、昭和46年/1971年に復帰)となる。 昭和51年/1976年(40歳)より『文學界』『別冊文藝春秋』編集長を務める。 昭和54年/1979年(43歳)より『オール讀物』編集長を務める。その後は文春文庫部長や出版局長、取締役出版総局長、日本文学振興会担当などを歴任。 平成11年/1999年(63歳)文藝春秋を退社。 この人選は、日本全国民、文句ないでしょう。「直木賞(裏)人物事典」のなかでも、他の追随を許さな
常盤新平(第96回 昭和61年/1986年下半期受賞) 苦しんで小説を書いたのに、直木賞をとったら何か裏があるんじゃないかと疑われる、ザ・「朴訥にして狡猾」。 常盤新平。『遠いアメリカ』(昭和61年/1986年8月・講談社刊)で初候補、そのまま受賞。同連作「遠いアメリカ」での小説家デビューから1年半。55歳。 常盤新平さんの人柄について語られたものを読んでいると、印象に残るこんな言葉が出てきます。 「朴訥にして狡猾」。 直木賞を受賞した『遠いアメリカ』でも、この表現が使われていましたね。 主人公の重吉に対して、恋人の椙枝が言うセリフ。 「あなたって、気が弱そうで、人がよさそうに見えて、そのくせ、案外、図々しくて、狡いところもあるの。つまり、朴訥で狡猾」(昭和61年/1986年8月・講談社刊 常盤新平・著『遠いアメリカ』所収「アル・カポネの父たち」より) 常盤さんが「朴訥で狡猾」と指摘された
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 第147回(平成24年/2012年上半期)の選考会が近づいてきました。決定する前の、このタイミングでしか味わえない、この時期ならではの風物詩、っていうものが直木賞界隈には存在します。 最も代表的な例は「予想」でしょう。うちのブログでも以前から、事あるごとに取り上げてきました。「予想」、それは直木賞の一部にして、いまやそれ単体のみでも十分に魅力を感じることのできる、別の事象といえるほどまでに成長、発展(?)してきています。 しかし、今日のエントリーが注目するのは「予想」ではありません。予想に比べればはるかに影が薄いんですが、しかし、今の時期にしか生まれ得ない、賞味期
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 榛葉英治。『赤い雪』(昭和33年/1958年2月・和同出版社刊)で初候補、そのまま受賞。「渦」でのデビューから9年半。45歳。 ところで、榛葉英治さんってご存じですか? ここ最近うちのブログでは、よく知られている受賞作家をかなり意識的に取り上げてきました。しかしそろそろ、我慢の限界です。ワタクシの一種の病気である「忘れられた作家に光を当てたいぜ」熱がおさえられません。そこで、今日はこの方。榛葉さんです。 榛葉さんが今、「誰それ?」な領域に追いやられているのは、無理もありません。生前から、彼のキャッチフレーズといえば「地味」だったからです。 たとえば約18年前の書評
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 書評ブログでもないくせに、ぴかぴかの新刊を取り上げるのは、自らの情熱のみを武器にしてただひたすらマニア道を突き進む北原尚彦さんに、心より敬意を表するため、でもあります。 『SF奇書天外』北原尚彦(平成19年/2007年8月・東京創元社刊) →著者の公式サイト 北原尚彦の書物的日常 終戦後の1940年代後半から90年代までに日本で出版された、奇異で奇妙で奇天烈で珍奇なSFの数々が、そのあらすじや、出版の背景や、作家のことなどを含めて、次から次へと紹介されています。そもそも早川書房『SFマガジン』に連載されていたものを、増補して東京創元社から発行したかたちになっていて
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 祝30周年。冬だか夏だか知らないけど、艱難辛苦をのりこえて、ついに三十路の域に。いやあ、めでたいなあ。人生これからが楽しいのだよ。 それで、日本SF大賞とくれば、直木賞とは水と油ですもん。こんなブログで書くより他に、いーっくらでも詳しい方はいます。……と言いますか、この賞を「文学賞」のくくりで語ろうだなんて、peleboよ、お前の頭も固いのう、と笑われちゃいそうです。 【日本SF大賞受賞作・候補作一覧】 んだんだ。この賞を文学賞と呼んじゃいけないのだ。 とかく文学賞は、地盤が固まるまでのあいだは、あっちこっちにアンテナを張り巡らせるもの。 って仮説は、ちょっと無理
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 文学賞とは、ひとつの「文壇ドタバタ劇」である。……という観点からすれば、直木賞なぞ甘い甘い。この夏目漱石賞のドタバタ・パワーに比べたら、とうてい足もとにも及びません。 もしも、文学賞の世界を愛する人たちを対象に、「大好きな文学賞」アンケートをとったなら。当然、漱石賞はトップ5には入るかもしれないわけです。 いや、じっさい、ワタクシごとき直木賞厨にとっても、また別の理由で、どうしても避けて通れない賞なんですよ。 直木賞史に名を残す一人の作家が、ここに深くからんでいるからです。 【夏目漱石賞受賞作・候補作一覧】 と、当たり前のようにハナシを続ける前に。「なになに? 夏
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 筒井康隆『大いなる助走』(昭和54年/1979年3月・文藝春秋刊) (←左書影は平成17年/2005年10月・文藝春秋/文春文庫[新装版]) 「小説に描かれた直木賞」をテーマに、1週1作ずつとりあげて約1年。このエントリーで、とりあえず、その締めとしたいと思います。 締めの作品としてふさわしい、と言って真っ先に思い浮かぶのが、やはりこの小説でしょう。と来ると、ほんと芸がないんですが、「文学賞をネタにした小説」界の金字塔、いや代名詞ですからね、ワタクシとしては何度とりあげたって足りないくらいです。 昭和54年/1979年以後、だれかが文壇もしくは文学賞をネタにした小
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 西村京太郎『女流作家』(平成12年/2000年5月・朝日新聞社刊)、『華の棺』(平成18年/2006年11月・朝日新聞社刊) (←左書影は上が『女流作家』平成14年/2002年8月・朝日新聞社/朝日文庫、下が『華の棺』平成21年/2009年4月・朝日新聞出版/朝日文庫) ゴシップふうのネタというのは、何が真相なのか、たいていわかりません。 たとえば、「こういうふうにエッセイに書かれていた」とか、「本人がインタビューにこう答えていた」とか、「文芸評論家の調査によると、何何であることがわかった」とかがあれば、ワタクシも信じちゃいます。でも、いかに真実っぽいことであって
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 岡照正『高1で芥川賞!』(平成20年/2008年2月・文芸社刊) Amazonで「芥川賞」を検索すると、どどっと一覧が表示されますが、そのなかになぜか、まったく芥川賞作品・作家と関係のない本が一冊だけ含まれていますよね。なんだ、これ? 検索社会を100%意識したマガイもん? と思ったあなた。……おそらく正解です。 あ、いや、ワタクシは著者の岡照正さんを全然知りませんし、それどころか、芥川賞作品にも大して興味がありません。なのでほんとうに「正解」かどうかは不明です。あくまで、以下は一読者の解釈ですので、念のため。 『高1で芥川賞!』のあらすじは、ここでは述べません。
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 =================================== 【歴史的重要度】… 5 【一般的無名度】… 1 【極私的推奨度】… 3 =================================== 第128回(平成14年/2002年・下半期)候補作 横山秀夫『半落ち』(平成14年/2002年9月・講談社刊) 第128回(平成14年/2002年・下半期)は、ほんとは直木賞史のなかでも、のちのち語り継がれるほどの特異な回であるはずでした。ワタクシ、直木賞オタクなものですから、正直いってそのテーマで一本エントリーを書き尽くしたかったのです。 でも、たぶ
日本で最も有名な大衆文芸賞「直木賞」の非公式サイト「直木賞のすべて」を、インターネットの片隅で細々と運営しつづけていますが、直木賞に関することだけでブログをやってみたらどんな感じになるか、ちょっと興味がわいたので、やってみます。 直木賞史上、最も有名な親子、というと誰でしょうか。 まあ、誰を有名と思うかは人それぞれです。最も有名なのかどうか、ワタクシもまったく自信はないんですが、やっぱり親子そろって直木賞を受賞したペアであれば、かなりの上位に挙がると思います。白石一郎さんと一文さんです。 一文さんから見た「親と子のハナシ」は、一文さんが受賞した第142回(平成21年/2009年・下半期)の頃に、たくさんメディアに流れました。それらをまとめてここで取り上げるのでも、全然いいんですけど、多く知られたことをなぞるだけじゃ、別に面白くありません。なので今週は、それとは別の白石親子のことを調べること
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