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フェスから1ヶ月近くがたってしまいました。挨拶が遅れてしまいごめんなさい。 まずは感謝の言葉から。 「8・15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」に関わってくださったみなさん、見守ってくださったみなさん、出演、スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。おかげさまでフェス大成功に終わりました。大風呂敷を会場に敷き詰めることに始まり、いくつもの雷雨を乗り越えつつ、最後は各ステージで本当に素敵な大団円を迎えることが出来ました。 来場者数約13000人(のべ13000人と公表してますが実際ののべ人数は推計2万数千人でした)、DOMMUNE FUKUSHUMA!の観覧者数はのべで25万人、出演者は200人以上のオーケストラ参加者を含め300人以上(一部メディアにオーケストラ100人とでてますが間違いで実際は230名ほどです)。日本中、世界中で把握してるだけで90カ所のフェスが行わ
のこすところあと1日になりました。 泣いても笑っても15日朝9時からフェス、オープンします。 今日13日は2回目のオーケストラFUKUSHIMA!のリハーサル@清山(飯坂温泉)でした。 今日集まったのは80名。リハでの演奏はすでに充分ステージに耐えうる即興オーケストラになってます。明日14日の最後のリハでは200名近くが集合。このサウンドが四季の里でどう響くのか本当に楽しみです。 参加者は福島に限らず東北の他県や関東や関西からも。県内、県外半々ってところかな。 単に一緒に演奏するだけじゃなく、休憩時間にみながわいわいやってくれてるのが嬉しいのです。 もう今のわたしの正直な気持ちは、県外の人には 「四の五の言ってないで福島に来いよ、来てみて見ろよ」 なのです。 それは福島はこんなに元気だ、大丈夫だ、なんてことを演出したいのでもなく、 かといって福島がこんなに危険だなどど言いたいのでもなく、
ハラカミくんと初めて会ったのはいつだったのかな。6〜7年前くらいかな。場所は間違いなく京都の吉田屋料理店。僕らは呑み仲間で、そこには山本精一がいたり、高谷史郎がいたり、Sachiko Mがいたり、カヒミ・カリィや岡社長、竹村ノブカズがいたこともあったと思う。FMNの石𣘺さんやp-hourの田村さん、グルグル京都の高橋マキちゃんなんかも大抵いた。もちろん吉田屋の女将や、ご主人の小崎さんも。 僕らは互いのコンサートを見る機会、結構あったけど、呑みの席ではいつもほとんどバカ話を朝方までするだけで、一度も一緒に音楽をやることはなかったし、音楽の話もほとんどしなかったと思う。3月11日までは。 彼から突然電話が来たのは3月下旬、京都に来るときに会いたいって話だった。電話が来るのなんてほとんど初めてだったんじゃないかな。せっかくだから、オレの方からもKBS京都で収録してるJAMJAMラジオにゲストで
先日も書いた放射線の問題は、ひとりで悩んだり、ネットを見ていろんな意見を参考にしても、そのあまりのバライティ具合にラチが開かないというか、どう判断していいか分からない・・・というのが正直な気持ちでした。素人が判断するにはネット上にあまりにも情報が溢れすぎている。気をつけなければ自分に都合の良い情報や逆に極端にネガティブな情報だけを拾う事になりかねない。 風評被害を防ぐには、正しい知識と正しい情報の把握以外はない・・・というのはオレでもわかるわけだけど、いざ自分が判断しようとするときに、なにが正しい知識で正しい情報なのかが、本当にわかりにくい。ましてや政府の言っている事が本当に正しい情報なのかどうかに疑問を持ってしまったら、なにを信じていいのかわかならないし、逆にネットにあふれる自分に都合の良い意見だけを信じてしまえば下手をすれば科学の衣をまとった宗教を信じるような過ちを犯しかねない。やはり
放射線量の高い福島に人を集めてフェスをやることがいいのかどうか、悩まない訳がない。実際ものすごく悩んでいる。一人で悩んでいるだけでなく、いろいろな人に相談しつつ悩んでいる。 公表されてる数字で市内中心部が1.5マイクロシーベルト(μSv)前後、小学校の校庭では3μSvを超えてるところもある。会場予定地の市内西側に位置する四季の里周辺は0.3μSvではあるが、芝生の上ではそれ以上の数字を示す可能性が高いし、線量の高いホットスポットもあるかもしれない。この数字をどう解釈すべきかは、実際に計った数字をもとにプロジェクトFUKSUHIMA!の公式な見解をなるべく早めに出そうと思っているので、これから書く事は、あくまでも現時点での個人的な見解だと思って読んでほしい。 まず、情況が今より悪くならないという前提で、現時点でのわたしの見解は、 「福島でフェスを8月15日に開く。ただし来る人は、放射線量を確
遠藤ミチロウさんと深夜のファミレスでミーティング。4月以降はこんなことが多い。 8月15日、僕らは何をやるのか、やってくのかの話し合い。 福島と東京を行き来する中で、思いついたのが「8.15世界同時多発イベントFUKUSHIMA!」というアイディア。 8月15日は福島だけじゃなく、全国で、いや世界中で同時多発的にFUKUSHIMA!なるイベントやれないかなと。 別に世界中でフェスをやるってことじゃなく、デモでもライブでもなんでもいいと思う。どう思います? 8月15日は、この先の未来は自分たちで選択していく・・・という気持ちを声に形にしていく日にできればいいんじゃないかな。考えはいろいろあるから、必ずしも一緒の声をあげなくてもいい。もちろん非暴力で。いや声じゃなくても音楽でもパフォーマンスでも無音でも。基本は、自由にアクションを起こす・・・でいいと思う。どうつながるか、つながらないかはこれか
プロジェクト FUKUSHIMA! 昨日のDOMMUNE FUKUSHIMA! の開局記念放送とともにスタートしました。 現在代表は和合亮一、遠藤ミチロウ、そしてわたくし大友良英がつとめますが、実は数十名の有志で運営しています。単に今だけのプロジェクトということではなく、恐らくはわたしの残りの人生をかけたプロジェクトになる予感と覚悟をしています。 震災後、とりわけ、原発の人災の深刻さを前にして以降、わたしの発言、行動、見えにくかったかもしれませんが、実はこれをスタートさせるために、それこそ寸暇を惜しんで動いてました。とにかく具体的なことを一刻もはやく発表できるかたちにして、みなさんの協力をあおぎたい一心でした。 福島の現状は報道されている部分ではつたわらないような深刻な事態だとわたしは思っています。それは直接目に見えるような被害だけではなく、長い将来にわたり目に見えないかたちで身体や精神を
もうここまで情報漏洩してしまった以上は仕方ありません。これ以上隠しても住民の皆さんに不安を与えるだけと判断、ここに情報を公開することとしま〜す。 ということで、5月8日(日)インターネットTV局「DOMMUNE FUKUSHIMA!」いよいよはじまりま〜〜〜〜す! 東京のインターネットTV DOMMUNEが郡山市のコミュニティFM KOCOラジと提携、福島発の様々な情報や音楽を世界にお届けします。といっても単なる情報発信ではありません。福島のリアルな姿をお届けします。 放送開始は午後7時、開局宣言とともに、まだここでは言えませんが、当日発表する超爆弾級極秘プロジェクトの発表もあります。福島が5月8日、動き出します。歴史的瞬間をお見逃しなく。 19:00〜トークプログラム 和合亮一、大友良英、宇川直宏、浅田美紀(南相馬市 消しゴムハンコアーティスト)、司会 小川直人(せんだいメディアテーク・
先日の芸大での講演「大友良英/文化の役目について:ー震災と福島の人災を受けてー」をテクスト化してアップしました。 http://p.tl/Kq-m 福島の現状をふまえた、わたしからの提案です。 ここにも出てきますがなんとDOMMUNE FUKUSHIMA! がはじまります。記念すべき第一回放送は5月8日19時より。 もちろん福島からの発信、これから福島ではじまるプロジェクトの全貌もこの日はじめて明かされます。七尾旅人、レイハラカミ、そしてわたしのライブもあります。 情報公開前ですが、フライング情報ということで。詳細は明日かあさって、あらためて発表します。
昨日の芸大でのわたしの講演「文化の役目について-震災と福島の人災を受けて-」ここで見れます。 http://bit.ly/jpHICl 脇道にそれず真面目な話だけをと強く思ってたのですが、あっというまに脱線、 やっぱ、人間簡単にはかわれませんねえ。 脳内で発生する不謹慎アイディアの波状攻撃をかわしつつのぎりぎりの講演だったと思いますが、 でも大切な事話してます。 注 5月2日で配信終了します。そのあとは、テクストにして文章アップする予定。 その後もアーカイブ見たい人は http://p.tl/uhQk を参照ください。
飴屋法水さんのツイッターでの発言 「いま 首都圏から移動する人のことを 何とも思わない 居続ける人のことも何とも思わない 自分のことも何とも思われたくない 自分の事情や判断を 勝手に修飾されたくない 自分の友人知人にも両者がいる そのどちらとも 事態が落ち着いたら また気持ちよく仕事がしたいです」 ぐじぐじとまようときに、○○さんだったらどうするかな・・・って思うことがよくあります。今回はまよってるときに飴屋さんにメールして助言をもらい、おまけにその後は珍しく飴屋さんちにまで遊びに行きました。行ったけどそういうことは結局ほとんど話さず、ぶどうや苺を食べながら小さい娘さんと遊んで帰ってきただけでした。でもなんだかとっても安心した。飴屋さん、いいこと言うなあ。 今回の事態を踏まえ東京から疎開をしてる友人が何人(何組)かいます。 オレが東京に残るということを書いたもんだから、残ることがまるでいい
今はまだ状況がどうなるかわからないので、あくまでも流動的な状況の中で、東京に住んでる音楽家が考えてる個人的な考えということで読んでください。 JOJO広重さんのブログ「いつか、音楽が聞こえてくるから」へのわたしなりの具体的な行動を含む頼りないアンサーでもあります。 http://noise.livedoor.biz/archives/51369253.html 16日から2週間ほど予定されていた「We don't care about music」というフランス映画の発表記念して、この映画に出てる何人かの日本のミュージシャンが参加して行われる欧州ツアーに行くことを先ほどキャンセルしました。ほかのメンバーがどうするかはわかりませんが、それぞれが自分の考えで決めようということで、どういう決断であれそれぞれの考えを尊重しようと思ってます。 行こうかどうしようか、地震のあと今日までずっと悩みました
水戸芸術館の正月休みも終わり、「アンサンブルズ2010ー共振」展本日から再開です。最終日の1月16日に向けてもう11日間しか体験出来る日はありません!(1月11日[火])は休館日) 何の解説もなく聴いて体験してほしいという思いで、これまで本展に関してあまり言葉を発してきませんでしたが、おそらくは、このチャンスを逃すと、この先当分の間はこれだけの規模でアンサンブルズ展やれるチャンスは関東圏ではないかもという危惧、リアルにありますので、ブログを使って、少々つぶやかせてください。多少のネタバレも含みますが、わたしから鑑賞のヒントと、ラストに向けてあるいくつかのイベントの解説を少々。 水戸芸術館を最初にリサーチに行った時にまずは驚いたのは、異常ともいえるくらいの残響(リバーブ)音の長さでした。普通のコンサートホールではありあえないくらいの残響の長さと大きさ。なにかの音を出せばあっという間に音は飽和
twitter等でもうご存知の方も多いと思いますが、先週から患っていた急性難聴の症状、この数日の治療と完全静養の甲斐あってほぼ回復、24日から無理をしない程度に少しづつ仕事に復帰します。 コンサートをキャンセルしてしまった関係者各位のみなさま、楽しみにしていたみなさま、本当にご心配おかけしました。 以下、多少の経緯を。 少々思い上がった言い方になるかもですが、今年は与えられたいくつもの仕事をかなりのパワーでやりきってるぞ・・・という強い実感があった。 いくつかの映画やテレビのサントラ、カヒミさんのサポート等々、何回かの海外ツアー。そして何よりも大きかったのは、自身のリーダー作品としては久々になるONJT+の2枚と、1ヶ月水戸に滞在して作り上げた今現在もやってる水戸芸術館のアンサンブルズ展、そして先日の武満徹のトリビュート公演。これらの仕事は、自分でもこれまでやってきた自分の代表作と言っても
水戸滞在1ヶ月、総勢80名を超えるさまざまな人々とともに制作してきた水戸芸術館の「アンサンブルズ2010 共振」の展示、完成しました。これまでのどのアンサンブルズ展ともまったく異なるものが生まれてます。どんな展示かは、まずは来て、見て聴いてやってください。 今回の最大の特徴は、ほとんどの音は、その場でなんらかの方法で生成された音で構成されている点です。事前に録音された音源と言えるような音は一部を除きほぼ使われていません。300近い発音元から、まるで虫の音のように、あるいは、なにかの生態系のようにさまざまな音が生まれ、それらが非常に複雑な系の中で、共鳴したり共振しあいながら、制作した僕らにも予測のつかない音を奏でます。例によって、展示期間中一度として同じ瞬間はありません。 基本的には非常に静謐な展示です。可能なかぎり静かな環境で聴いてやってください。平日の昼間が狙い目です。通常の美術展と違っ
昨日のJAMJAMTV第2回「続 日本フリージャズ創成期/ゲスト 副島輝人」、視聴ありがとうございました。これまで表に出なかった、今後も公には出ないであろう話が多かったと思います。前回は麻薬、今回はセクトと暴力、それこそDOMMUNEのようなメディアじゃないと出てこない話だったかもしれません。あくまでも副島さんの立場からの視点という注釈つきで、しかしまぎれもない副島さんの実感としての本音であったと思います。 麻薬の時代はわたしは小学生だったので、さすがに知りませんが、セクトの時代の末期はわたし自身も多少ですが知っています。正しくはセクトの後にやってくるカルトの時代の入り口を身をもって経験したというところかもしれません。この辺のことは、いつか、自分自身の問題として、生きて頭がはっきりしている間にちゃんと書きたいと思っています。それは誰かを批判するとか、そういうことでは全然なくて、そういうもの
KBS京都のJAMJAMラジオにつづき、今度はネットUSTテレビのDOMMUNEで「大友良英のJAMJAM TV」が始まります。 第一回目は7月21日水曜日、19時から21時まで。評論家の副島輝人さんをゲストに迎え「日本フリージャズ創成期」というタイトルで、60年代から70年代にかけて始まった日本のフリージャズ、あるいはフリーミュージックの創成期の話を。 会場での観覧も受け付けます。予約はココ→ http://bit.ly/axXjiJ 限定50名ですが、なにぶん、本日発表、受付開始なんで、まだ大丈夫だと思います。 JAMJAM TV 第一回は、一番わたしが興味のある内容、わたしの人生を大きく変えるほどの強烈なインパクトを残してくれた日本の初期フリージャズです。 この異形の20世紀音楽は、どのようにして日本ではじまったのか? わたし自身が観客として日本のフリーに接しだしたのは70年代後半の
テニスコーツのこのビデオ、ほんと素晴らしいなあ! Tenniscoats - Baibaba Bimba | A Take Away Show from La Blogotheque on Vimeo. FMNサウンドファクトリーの石橋さんのサイトで、これみつけたんだけど、なんというか、個人的なことではあるけど、映画の仕事や、録音された音楽の仕事をしていて、いつもココロの奥で微妙に感じている違和感がすがすがしく吹っ飛んだ感じ。あ、この手触りは、実はNHKドラマの「その街のこども」でも感じていた共通のなにかだけど、今は、自分でもそれがなんなのかは、よくわからないや。 先日七尾旅人さんなんかが始めたミュージシャン自身の手による配信のシステムDIYSTARSも同じようななにかを感じてる。確実に何かが動き出してる。 今、同じ時代に彼らと生きてられるってのは、オレにとってはものすごい希望。 PITI
KBS京都で4月9日夜24時半からはじまる『大友良英のJAMJAMラジオ』、第1回の収録が29日にせまっております。 第一回目は昭和テレビ音楽のダークサイドなんて言ったら本人に怒られるかな。わたしが子供の頃の無意識の耳に直撃してきたアバンギャルド音楽、ジャイアントロボや、スパージェッター、プレイガールの音楽を作った山下毅雄の話をしながらの30分間です。 そして2回目はわたしが右も左もわからずに映画音楽をはじめたころの話、90年代中前半の中国香港映画の話をしつつ、いまだCDになってない秘蔵音源や廃盤の音源のみで構成する予定。 ということで、番組へのおたより、要望、質問、リクエスト、ほかなんでもいただけるとうれしいでーす。 あて先は jam@kbs.ne.jp 現時点では、放送業界というか著作権なんたらかんたらの関係で番組を全編ネットにアップできないようですが、でもさ、ここだけの話だけど、だれ
「グランプリに値する作品なし!」 今回、あえて、わたしは最優秀作品となるシネアスト大阪市長賞は選びませんでした。それは、それぞれの監督に将来を期待する・・・みたいな生易しいことを言いたいためではありません。もちろん期待はしますが、学校じゃないわけですしわたしは先生じゃありませんから、そんな優しいことは言いません。 なぜ今回グランプリを選ばなかったのか。それは、まず第一に税金を使っていながらこの程度の作品しか作れなかったみなさんへの不満をはっきりと伝えたかったからです。このことは、単に、個々の監督や作品の問題というだけではなく、CO2映画祭に対する厳しい意見も含みます。 助成金を受ける、助成金を受けとって作品をつくる。文化に行政の予算を使う。 もちろん悪いことではありません。映画に行政の予算を使うことも、否定はしません。 それらは、過去に様々な人たちがなんらかの努力をし勝ち取ってきた権利でも
すでに別の映画の仕事にはいってますが、でもまだ余韻が・・・。 で、そんな余韻の中、今日は、実は手術を。といっても大げさなものじゃなく、首の後ろに出来たアテローマ(良性の腫瘍みたいなもん)の切除。とはいえ、ちょっと大きめだったんで局部麻酔で30分ほど。手術中は痛みもかんじず音楽の話とかを先生としながらだったんですが、終わって、真っ赤に染まった大量の脱脂綿をみてはびびり、麻酔が切れて痛みだしてはびびり。あ〜〜もう、オレほんと弱虫(苦笑。 「その街のこども」おかげさまで非常に評判もよく、音楽をつくったわたしのところにも沢山の感想よせられています。 みなさんに返信したいところですが、ひとつひとつ答えられなくてすいません。 エンディングの曲を歌っているのは阿部芙蓉美さん。 今年公開予定の映画「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」(松田翔太主演、大森立嗣監督)の仕事ではじめてご一緒しました。彼女を見つけて
関西の震災の日。 当時オレは東京は東伏見の今にも崩れそうな四畳半のアパートに住んでいて、ちょうどこの日やってきたのは飴屋法水さんとそのスタッフ数名。飴屋さんと初めて会ったのはこの日だったと思う。 となりの部屋(当時は内橋和久の東京の宿になっていた)においてあった小さなソニーのテレビをみなで見ながら言葉もなかった・・・そんな記憶がある。 そのときの様子は、ビデオに収録され、当時飴屋さんがやっていた展示「パブリックザーメン」で流れていたから、今もどこかにこのビデオ残っているかもしれない。 この数年の神戸の音遊びの会の子供たちや親御さんたち、そして学生やミュージシャンたちとの交流の中で、いつのまにか、他人の土地だった神戸がとっても身近になり、そういえば実は、わたしの父は神戸生まれだったっけ・・・なんてことも思い出し。 そんな神戸が舞台になっている震災15周年のドラマの音楽をやらせてもらっている。
現在岐阜県の大垣にいます。 明日21日土曜日の昼間、一般募集のメンバー70〜80名ほどで、ここ大垣市の商店街のアーケード上やビルの屋上を使って、大垣フライングオーケストラという街中を使ったコンサートをやる予定ですが、ここに参加予定の地元高校の吹奏楽部がインフルエンザのため部活停止になり、管楽器奏者12名の参加が不可能になってしまいました。 管楽器と打楽器を中心に構成する予定だっただけに、前日になって12名もの欠員はさすががに痛い。 そこで、これを読んでいるみなさんに緊急のお願いです。 管楽器奏者の方、あるいは管楽器の演奏経験のある方、とりあえず音は出るという程度でもかまいません。 楽器を持って駆けつけてきて来てくれる方、ぜひぜひ助けていただけないでしょうか。 ジャンルや管楽器の種類、うまい下手は一切問いません。和楽器、西洋楽器、中国の楽器・・・どんなものでもかまいませんが、金管(トランペッ
phewとbikkeが新録のカセットをリリースした。これがあまりに素晴らしくて・・・・。超ヘビーローテーション。 「音楽は無力だからこそ美しい。それがどんなに過激な音でも武器みたいに人を殺せないからこそ美しい。パンクが駄目だったからこそ美しかったように。音楽がご立派である必要なんてない。」 これ、今から8年前、2001年7月号のスタジオ・ボイス 「レヴォリューション・ポップ〜音楽による政治解放宣言!」の特集のときの巻頭に書いた文章の抜粋。全文は↓ここで読めます。 http://www.japanimprov.com/yotomo/yotomoj/essays/studiovoice307.html イルコモンズさんのブログを読んで、久々にこの文章のこと思い出しました。 で、今回のESEMBLES展「休符だらけの音楽装置」はそのこととちゃんと繋がっているんだなって。 最近「教訓?」をカバーし
ここで〜〜〜す http://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewAlbum?id=305679274&s=143462 さきほど、制作の会社から電話があり、急遽某大手レコード会社が、「白洲次郎」のサントラCDを出す方向で動いてるそうです。急な話なので、発売自体は、決まったとしても、早くても4月ないし5月になるのではと思います。いづれにしろ現時点ではわたしも詳細を把握してないので、わかり次第、ここでお伝えします。内容については、今からわたしがあらためて編集する時間はないので、配信のものとほぼ重なると思います。ただし、配信では権利の関係で入れられなかった「からたちのはな」のわたしのギターソロを入れてもらう方向で検討してもらってます。この録音は自分でも気に入っております。 本当は今の時点でこれを書くのフライングぎみだと思いますが、「サン
実に嘆かわしい。早々ブログに書こうとおもったら、もうオレが言いたいことは、この2人が書いてますね。 http://onojima.txt-nifty.com/diary/2009/02/post-b3b9.html http://d.hatena.ne.jp/doubtwayoflife/20090218 さすが、怒れる中年 沼田順。いけいけ! オレはそういう沼田っちや小野島さんが大好き。 あ、余談だけどさ、この「はっぴいえんどトリビュートBOX」の微妙なデッサン具合がすきなんですよ。オリジナルと比べると、なんでだかとっても幸せになる。僭越ながら、オレもこんなかで名曲「風をあつめて」をカバーしてるんだけど、これも微妙にデッサンの狂ったカバー。オレここではじめてアコギのソロを録音したんだけどさ、微妙に狂ったカバーになってるのは狙ってやったんじゃなくて本気でやってそうなっただけ。でも自分ではと
ずっと日記を書いてなかったのは、サントラの仕事やライブが立込んで忙しかったのもあるけど、本当に半端ないくらいやることが沢山あって忙しいけど、でも、一番はパレスチナのニュースを見ていて暗澹たる気持ちになって、ブログを書く気がうせてしまったから。先日の高嶺さんとのイベントで全部歌で行こうと思ったのも、実はそういう理由もあったのだ。オレにとってはあの日高嶺さんや二階堂さんと歌った浅田美代子の「赤い風船」だって、NOVOTONOの「夢の半周」だって充分に反戦歌だ。オレが暗澹たる気持ちになったり、歌ったりしたところで、殺し合いも民族差別もなくならないのはわかってるけどさ。仕事でデモに行くことも出来なかったオレのせめてもの反戦歌。 でも、ここのとこ友人達と話していて、なんだか気分が晴れてきた。なにを話したってわけじゃないけど、まあ、ほとんどは世間話や、くだらない話だったりするけど、やっぱりオレにとって
なんといっても2008年、オレにとっては自転車とすいかとともに過ごした山口の夏につきます。もう思い出しただけで泣けてくる〜。みんな元気かなあ。あんな楽しいことがこの世にあるなんて、全然しらなんだわ。youtubuにも作品アップされてますので、見れなかった人は、これ見て悔しい思いをしてくださ〜い。 http://jp.youtube.com/watch?v=n4TclxEtQ20 http://jp.youtube.com/watch?v=C8AdMuuDMj4 http://jp.youtube.com/watch?v=Up2UavHEHww http://jp.youtube.com/watch?v=_n7H9fwLNN4 http://jp.youtube.com/watch?v=_Gl8_TmodzI この先もこういう展示作品やりたいな〜って思ってたんですが、そんなときに世界恐慌がは
今はウィーンの空港でこれ書いてます。 MIMIフェスでのFEN、あまりにも幸せな1時間の演奏だったんで、今は感無量。やっとニュートラルな関係で、それぞれの民族性とか、歴史とか、そんなめんどうくさい顔の見えない大きすぎる紋切り型の前提をごたごた言うことなく、単に個々人の付き合いの中で、例えば欧州のミュージシャンや東京のミュージシャンといつも一緒に演奏するように、日本の外のアジアのミュージシャン達と一緒に音楽をつくれる時代がやってきた。もうそれがうれしくて、うれしくて。演奏の終わり頃には、顔にはださなかったけど、マルセイユの夜空を視界にいれながら心の中で泣いていた。 今はあんま冷静にレポートできそうにないので、また熱いこと書いてと冷やかされそうだけど、遠慮せず書かせてもらう。 FEN(FarEast Network)・・・これご存知のように、日本に進駐してるアメリカ軍の、要するに占領軍のラジオ
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