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体力トレーニング
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諸事に負われてちゃんと問題を追いきれていないし、はてなスターに関して、というか、いわゆる「はてな村」からも遠ざかろうとしている所なので、よく分からないままお返事してみます。 http://d.hatena.ne.jp/takopons/20080117/1200506424 ホントにそれでいいんですか? 鼻毛の奥さん! いいんじゃないんですか?(笑) 私は嫌だけど。 自分で一度肯定してしまったものを後に疑問視してみるということはなかなかできません。 ふと疑問に思ってしまった事を解決するにはさらなる肯定材料をさがし、延々と自己弁護を続けていってしまうものです。 それに共感する人間がいたりするとさらに増長したり、社会的コンセンサスが得られたと勘違いしたりします。 私はそういう所が、村っぽいと思ってしまいます。 自分もやってしまうので、そうなってしまうのはある程度しかたがないか
音楽というのはそれそのものだけで心打つものではなくて、その時考えていた事や感じていた事、見ていたもの、その他、聞いている音という聴覚以外のものも大きく作用して、それらが合わさって心に作用するものだと思っています。 かなり偏見が含まれていますが、視覚と言う人間にとって一番好感度の感覚を使わない事によって、作品そのもの以外のものによって引き起こされる感情の割合が高くなるのは、作り手の意図以外の物を引き出せる効果もあって、全てを表現しつくそうとする文字よりも私の好みにあっています。 そして、それらは、聞いた当時に生じた感情をその他色々な感覚と共に記憶に刻まれていき、それこそ、大した事のないイージーリスニングだとしても、かけがいのない音楽となるものだと思います。 ですから、例えで出して悪いのですが、本業が声優の人の音楽や、ジャニーズの人たちの歌であろうと、その作品の質とは関係なく「よい!」と
誰しもあるとは思いますが、私にはどうも苦手な話題というのがあります。 例えば、スポーツの話は見るのもやるのも全然なので、全くついて行けません。 これぐらいならあまり困らないのですが、ひとつ結構困ってしまうものがあって、それは恋愛に関する話です。 好きですよねぇ、みんな。 いや、いいんです、そういう話がしたいのならしててもいいし、私に話したいのならどんどんしても構わないし、反応がちょっとおかしくて、たぶん期待通りの返事ができていないと思いますが、それはもう私に話したからには我慢してもらって、苦手だからといって「やめようよ」とか頑に自分の話を拒んだりはしないで、私のつたない経験を話してみたりしているんです。 それは別に無理しているとまではいかなくて、それよりもその会話を楽しくできるほうに価値があると思っていて、例えば、お酒が苦手でも乾杯の時ぐらいはコップにビールを注ぐみたいな、ちょっ
助言なんてのは - 深く考えないで捨てるように書く を読んでみて、助言する人とされる人の精神的立場に注目するのはとても面白く、気持ちよく納得できるものでした。 助言の内容が問題であるというよりも、その人間関係の方が重要で、ネットでの距離のある人間関係上で助言を行うのは、かなり神経と頭を使わないと、よかれと思った事が余計な軋轢を産んだりしてしまうんだろうなと感じました。 自分なりに整理してみると、助言によって軋轢が生じる場合は、 助言者は被助言者を精神的大人とみなしているにも関わらず、助言を行った。 助言者は被助言者を精神的子供とみなしているにも関わらず、助言を行わなかった。 助言者が被助言者を精神的子供とみなしているため助言を行ったが、被助言者は自分を精神的大人だと思っている場合。 助言者は被助言者を精神的大人とみなしているため助言を行わなかったが、被助言者は自分を精神的子供と思
ちょっと、最近、ナーバスになっていて、このままこのスタイルでブログを続けていることははたして私に何かプラスになるようなことに繋がるのかと考えていて、この「はてな村」的な自分の立場をどう変えていこうか、はたまた、ネットで発言する事自体、私に害を及ぼしているのではないかと悩んでいます。 私は自分の過去ログを一切読まないのですが、なんとなく思い返してみると、ブログを始めた頃は、もっと純粋で、ネット上の知的な対話を楽しみ、あわよくば自分もそこに参加してみたいという欲望と、難解な論点を理解しようとする向上心と、広いネット空間から興味をひかれる話題を探そうとする探究心と、自分の考えを論理的に分析しようとする意欲と、そして、いつかは自分も成長していくのではないかという期待があったと思います。 ここをはじめてどれぐらいたったのかよく思い出せないのですが、それなりの長さはやってきたはずで、その割には文章
ブログというものの定義が今、どういうふうになっているのかちょっとよく分からないのですが、私が日々書いているこのログは狭義ではブログとは言えないんじゃないかと思っています。 私がイメージする「本当のブログ」というのは、時事問題やある社会において起きている問題点などを自分の専門知識を使って論評していくという形だったり、書評をはじめとするレビューであったり、マスコミに代わる報道的なものだったり、言い換えると従来の新聞や週刊誌で行われているような事を記者と言う立場でないものも利用できるメディアのようなものを想像してしまいます。 日々、思った事をつらつらと書き連ねるのは「日記」だとは思うのですが、今、一般的に使われているブログというのは単にブログツールを使って書かれたもの全般を指しているので、一応、この場もブログと言ってしまっています。 なので、例えば眞鍋かをりや中川翔子がブログの女王と言われ
レッテル貼りをする事は、されると極端に嫌がる人もいるし、物事の本質が見えなくなったりするので、推奨される行為ではないという事になっているようです。 でも、実際に口に出す事はなくてもある程度のラベリングはやっている事と思いますし、SBMをはじめとするフォークソノミーとレッテル貼りの違いを分かっていないのですが、情報整理には有効なことだとも思うので、レッテル貼りを一概に否定できないなぁと思っています。 私の話になりますが、偏見ももちろん持っていますし、無根拠なラベリングも結構しているし、ただそういう事を口に出さないだけで、偏った人間だなぁと言う自覚はあります。 人間関係に対称性を持たせるならば、他人のレッテル貼りを許容しないといけなくなってくると思うのですが、そんな事関係なしに、私は自分にレッテルを貼られる事はむしろどんどんやってもらいたいと思っています。 ただし、そのレッテルを私にも見
ありもしない普通 - メモ を読んで思った事。 普通という言葉は便利なもので、ついつい使ってしまう言葉で、私もしょっちゅう使っています。 なんで便利かと言うと言葉が示すものの範囲が広いから、色んな場面で使えるからだと思います。 例えば、 A: 普通のコンピュータ。 B: 普通はそんな事しないよ。 C: ま、普通の人には理解できないだろうけどね。 D:普通にムカツクんですけどぉ。 E:普通に歩いていったよ。 この5つは同じ普通という言葉で、意味としてはどれも「一般的である、通常」と同じような感じですが、含まれる意図が違っているように感じます。 Aは「常軌を逸していない、平均的だ、良くも悪くもない」といった感じで中立的な感じ Bは「一般常識からいって妥当である」という感じで、肯定的ではあるが、場合によっては同調圧力にもなる Cは「凡庸である、優れた何かがない」という感じで否定
一連の理系女子取扱説明書を読んで - b# 経由で知った話題。 理系の女の子の取扱説明書 - 毛の生えたようなもの 理系女子取扱説明書 - Say::So? 理系女子の生態&二階級特進制などなど - KASOKEN satellite 文系、理系って分け方すると、私の通っていた大学は一応文系なのですが、文系といってイメージされるようなものからは程遠くて、いっつもこの話題になると、えと、私はどこに当てはまる?って感じなります。 まぁ、ぶっちゃけると、美大なんですよね。 で、美大の女ってのは全然珍しくないし、男女を問わず美大出身者ってかなり巷に溢れていると思うんですよ。 だけど、こういう場で考慮される事が無くて、いや、正直、理系女子よりは珍しくないんじゃないかと思っていても、なぜか話に出てこないんですよね。 いや、上記の話題は理系女子はこんな特徴がありますよ、って話だから、文系の
どうも最近、何を書いても自己正当化のためのへ理屈としか思えないものしか書けなくなっています。 いつものごとく、ローカルに文章がたまってきているのですが、最初のうちはこのひらめきを文章にすべし!と意気込んでいても、最後にはそのひらめきが正しいかどうかを厳密に考察していなくて、一見論理展開しているような感じには見えるのだけれど、自分の都合のいいように自分自身を誘導しているかのような文章になっているように感じてしまうのです。 素直にその自分で仕掛けた罠に引っ掛かって、さもそのひらめきが正しいものだと思ってしまえばいいのでしょうが、書き終えて冷静に読み返してみると、さすがの私でもこりゃへ理屈だよと思ってしまうようなものにしかなっていないのです。 自分の行動を分析してその意義を言語化する作業は、自分とまわりの社会との関わり方を理解するのに有効だとは思っています。 また、似たような考えだったけど
http://d.hatena.ne.jp/side444/20071022/1193050055 ブロガーに良識を求めるのは無理な注文なんだろうね - のしのし。 言いたい事はよく分かりますが、求めるのは良識じゃないんじゃないかなと思いました。 言っている内容ではなく、書込まれた文字から連想される場というか、空気というか、思考的なものではなく態度が問題であるなら「品」という方が私としてはしっくりきます。 例えるなら亀田親子を見ているような不快感。 もちろん、良識ある人間は品格もある傾向はありますが、良識あっても品がない人もいるだろうし、少なくとも表面上に見える品に関しては必ずしも良識の有無に直結してない気がします。 同じ何かを言うのにも言い方でずいぶん印象が変わるもので、穏やかで丁寧な言い方をされると、聞く方も落ち着いて聞けるんじゃないかと思います。 相手を不快にさせないような
はてな界隈 「はてな界隈」とか「はてな村」ってのは、「2ちゃんねらー」みたいなものだと思っています。 「2ちゃんねらー」は昔「絵文録ことのは」の松永さんが定義されていて、ここでもその定義に従おうと思います。 「2ちゃんねらー」と言ってもいろいろな人たちがいるのは当然である。たまたま検索結果で2ちゃんねるのページを閲覧した人も、毎日毎時間書き込んでいるvipperも、どちらも「2ちゃんねる利用者」であることには違いがない。 このページでは仮に「2ちゃんねるコミュニティに帰属意識がある人」と定義してみたい。つまり、2ちゃんねるが批判されると腹が立つ人である。 改変が得意な方は「2ちゃんねる」の部分を「はてな」に変えてみると、「はてな界隈」が何を差しているのかわかりやすいんじゃないかと思います。 だから、「はてな界隈ってどこだよ、いっしょくたにするんじゃない」ってのは、これまた古い話で申
匿名で記事を書く事の是非はおいといて、なんで匿名で書くのかなぁと考えると、「誰でもない人間として何かを発言したい」って事だと思っています。 社会的立場によって自由に発言する事が困難だったり、自分で設定した自分のキャラクタを守るためとか、はたまた、極論であることが分かっていて、恐らく批判が集中するだろうと予測されるが、そのネガティブな感情を受け止めたくない時とか、いいたい事いいたいけど責任は負いたくないよとか、そんな時に誰だか分からない「匿名の人」になって発言すれば、自分の人格は守られるという発想から書くもんじゃないかと思います。 だから、仮に、誹謗中傷によってそのエントリを攻撃されたとしても、その攻撃対象は書いた人ではなく「匿名の誰か」に向けられているもので、もともとそうやって自分の人格を守ろうとして匿名になっているのだから、その攻撃に対して気を病むというのは匿名で書く意味が全くないよ
引用の引用なので何か変な感じもしますが。。。 自己卑下する人は/自己肯定・他者否定の人は 自己卑下する人は、自己卑下することで相手に気に入られようとする。あるいは自己卑下することで、自分を高く評価してもらおうとする甘えがある。しかし実際の世の中では、この姿勢で足をすくわれることが多い。自己卑下する人は悪い人にとって与しやすい。自己卑下すれば、本人は自分が価値がないと認めていることとなる。 結果は、自己卑下した人の期待と逆になる。自分を高く評価してもらおうとしながら、結果はずるい人に利用されることになる。そのように人の足をすくうずるい人も、自己卑下する人も、心の中には不安と抑圧がある。人の足をすくう人は強い自己肯定・他者否定の構えがある。 私の自己評価は高くなく、自己卑下しがちな性格なので、私が自己卑下している状態の心理を考えてみます。 少なくとも私が自己嫌悪に陥って「自分はダメだぁ」
夏の間に会った人の中に、何年かぶりに会った人がいて、懐かしいねなどと話をした後、当然のごとく「今何やっているの?」という話になりました。 私は「真面目に会社員やっているよ」と言ったら大変驚かれたのですが、彼の近況を聞くと今はゲームとかアニメとかの、いわゆるオタク系の音楽で生活しているという話でした。 彼は何かちょっと恥じているようで、それらの音楽をやっている時の活動名を聞いても、どんな作品に曲を提供しているのか教えてくれませんでした。 もっとも、私はゲームは全くしないし、マンガもアニメもほとんど見ないので、そこらあたりの情報は全く疎く、聞いても分からないでしょうが、調べてみて「へぇ〜」と思ったりする事ぐらいはしたいというのもかないませんでした。 彼は照れ隠しか分かりませんが「仕事まわせるよ」という社交辞令を言ったのですが、まったく知識のないジャンルに挑戦するほどのモチベーションがな
2007年07月19日 otsune netwatch なんだこれ。このエントリー自体が「圧力をかけるようなデリカシーがない事」じゃねぇか。最悪の記事だ。 おっしゃる事は、全てもっともです。 返す言葉もありません。 本当にひどいし、恥ずかしいし、最悪です。 自分の愚かさにいたたまれなくなります。 気分を害した方々、本当に申し訳ありません。 心から反省しています。 こんな言葉ぐらいで償われるものとは思っていません。 正直、自分でも、どうしたらいいのか、少なくともどうすれば自分を納得させる行動がとれるかも分かっていない状態です。 辞めた理由や批判的、揶揄するような事を移転前に書かなかったのは、自分でも人の目に触れるような場所に書く事ではないと思っていたからかもしれません。 陰口のような気持ちが芽生えてきたのも、悪意がある事を感じていたのかもしれません。 それでも、書いて公開し
http://d.hatena.ne.jp/hatenastar/20070718/1184729540 脱力した。。。。 どんな検討したのか興味ありますがもういいや。 これで、はてなスターを付けている人は、自分の意志であえて付けているのだから、 ・ほめてほめて!といっている人 これは全然オッケイ。たくさん褒めてあげましょう。 ・手軽に褒めてもらう事の危険性を理解してない人 う〜ん、まぁ、いいけど。。。。 という風に受け取ってしまいそうで。。。 変な偏見持たないようにしないとなぁ。。。。 サービス提供会社だと思うからおかしいんじゃないかと思うんであって、ギークの遊び場だと思えば、腹も立つまい。 あ、ついでなので、過去ログは移転できました。 サイドバーにリンクがあります。
誰も見ていないうちに、なぜ退会にまでしようと思ったかを、書き終えてしまおう。 理由は大きく分けて3つあって、ひとつは一個前のエントリに書いた「運営への不満」で、もうひとつは「はてなスターが嫌だった」というものです。 これは、簡単に最後の挨拶に書いたので、まぁ、「こんなことぐらいでやめるなんて」とか「何言ってんだ、これは楽しいじゃないか」とか「いつものことじゃない」という反応がくるだろうな(というか、そんなのばかりかと思っていました)とは思っていましたが、一番の理由は、これらに大きく関係はしていますがちょっと違うものでした。 それはとりあえず置いといて、はてなスターのなにが嫌だったのかを書いてしまいます。 私は、ネット上で起きる様々な揉め事に関して、なぜ起きるのかと考えたときに、大きな理由として、あるものに対して簡単に評価できるシステムがあると思っています。 ネットでは何かや誰かに対
はてなスターが嫌だ!と言った私のエントリにつけられたスターは、褒めているのでしょうか、悪意なのでしょうか、その区別はどうするのかなぁ。 いや、なんとなく思ったので。 もういいかなって気分になってきたのですが、最後の理由も書きおえてしまいます。 運営方法にしても、機能そのものにしても、ホント気にしなければいいだけの話でもあるとは思います。 使ってみれば楽しいかもしれないし、私の考えと矛盾しないやり方も可能かもしれません。 CSSで消せるみたいですし。 何か不満があった時に、それを解決しようとする事は楽しいものでもあります。 ところが、私自身の弱い部分でもあるのですが、解決する為に何か行動を起こしたからには、それなりの成果が欲しくなるのです。 ですから、何か不満が出た場合、それが解決できるかどうか考えるところから始めて、不可能に近かったり、時間と労力をかけてやる程の成果が出そうもな
ただの日記です。 先週末、何の予定もなかったので、存分に一人を満喫することにしました。 こういう日は本当に久しぶりで、常に何か誰かと一緒だったり、何か予定があったりで、気の向くまま何かをやるということができなくて、ちょっとストレスだったようです。 まずは、年末とてもバタバタしててできなかった、ワックスがけをしました。 まずは、古いワックスをガリガリと落とすのですが、これがたまらなく楽しい。 一心不乱で古いワックスを落としていくのは、別段すごいテクニックがいるわけでもないし、創意工夫が必要な訳でもないし、頭を使わないで、単純にやっていけば進むのは、近頃、色々考えてしまって疲れてしまっていた心が休まっていきます。 どうでもいい事を考え過ぎてしまうのは私の悪い癖なので、考えない!と決めたからには考えないようにしているつもりでいたのですが、それでも考えないように考えていたりしたようで、頭を
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