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パリ五輪
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植民地台湾における朝鮮人接客業と「慰安婦」の動員 本文・注(3) 三 台湾経由で中国大陸に渡航した朝鮮人女性たち おわりに 注 論文目次へ 本文・注(1)へ 本文・注(2)へ 表1-1・1-2 表2 表3 表4 表5 表6 表7 表8 表9 表10 表11 表12-1・12-2 表13-1・13-2 表14 図1 三 台湾経由で中国大陸に渡航した朝鮮人女性たち 『台湾総督府統計書』には、一九一〇年以降「内地人台湾渡帰航者」「内地人外国渡帰航者」という統計表が掲載され(29)、一九一二年からは朝鮮人「渡帰航者」数もここに記載されはじめる。(そのため統計表の名称も、一九二三年より「内地人及朝鮮人台湾渡帰航者」「内地人及朝鮮人外国渡帰航者」と改められている。)このうち後者の「内地人(及朝鮮人)外国渡帰航者」とは、台湾と「外国」との間の往来を意味するので、前者の「内地
朝鮮近代史を学ぶ意味 『学会報』編集委員の神崎ゆかり先生から「学習の手引き」執筆を依頼されたのは、夏休みも終わりに近づいたころだったと思います。そのときは「どうせ順番にまわってくるものなのだから」と、あと先のことも考えずにお引き受けしたのですが、いざ書く段になると、どうしてもいい知恵が浮かんできません。そのうち他の仕事が忙しくなり、全く原稿に手をつけられずにいるうちに、締切日を大幅に過ぎてしまいました。結局こうして大した考えもまとまらないまま、ワープロと睨めっこするはめとなりました。 いろいろと言い訳は出来るのですが、私が「学習の手引き」なるものを書けないのは、要するに大阪産業大学の学生の皆さんに、どうしたら自分の考えていることをうまく伝えることができるのかが、まだよく分からないということだと思います。大学の一般教育とは、専門課程に進む前段階の学生さんに、幅広く学問の手ほどきをすることで、
序にかえて ――済州島四・三事件と私たち―― 「済州島四・三事件」とは何か 一九四八年四月三日。分断国家樹立の危機せまる朝鮮で、東アジア現代史最大の悲劇の一つが幕を上げた。 この日の未明、朝鮮の南端・済州島では、左派勢力に率いられた「武装自衛隊」が、警察支署や右翼青年団の宿舎などをいっせいに襲撃する武装蜂起が発生した。いわゆる「済州島四・三事件」の勃発である。 「済州島四・三事件」とは、一九四八年四月三日にはじまる済州島民衆の抗争と、これを理由に軍・警察・右翼青年団などが引き起こした一連の島民虐殺事件を指す。数万名にのぼる犠牲者を出したこの事件は、いったいどのような歴史的背景のもとに発生したのだろうか。 日本の植民地支配から解放された直後の朝鮮では、民衆による自主独立国家建設の動きが急速に拡散していた。日本敗戦の日=一九四五年八月一五日に、呂運亨を中心に組織された朝鮮建国準備委員会(略称・
復習クイズ その 1 年 月 日 学籍番号 氏名 1. 1876 年、日本は朝鮮と という条約を結び、開国を強要した。 2. 1880 年代以降、労働力不足であった九州各地の では朝鮮人労働者を雇用しは じめた。 3. このころ朝鮮人留学生が来日し、 などの学校で学びはじめた。 4. 日露戦争後の 1905 年に、日本は朝鮮の外交権を奪い とした。 5. このころ西日本地方の の工事などに朝鮮人が雇われるようになった。 6. の模擬国会事件 (1907 年) では、 朝鮮人留学生の抗議で大学側が謝罪した。 7. 1910 年に日本は朝鮮を し、植民地支配をはじめた。 8. 日本で最初に朝鮮人の女工を雇用しはじめたのは、 という会社であったと 言われる。 9. 年に在日朝鮮人は 1 万人を突破し、このころに在日朝鮮人社会が形成され たとする見解が一般的である。 10. 1922 年から今日ま
資料:3・1独立運動 注のページへ 講義ノートの目次へもどる トップページへもどる (1)独立宣言書(抄訳) われわれはここにわが朝鮮国が独立国であること、朝鮮人が自主の民であることを宣言する。これを世界万国に告げて人類平等の大義を明らかにし、子孫万代に告げて民族自存の正当な権利を永久に享有させようと思う。[中略]/今日われわれの任務はただ自己の建設があるのみで、決して他を破壊することではない。[中略]旧思想・旧勢力にとらわれた日本為政者の功名の犠牲となった不自然かつ不合理な錯誤状態を改善、匡正し、自然で合理的な正統の原点にかえそうと思う。初めから民族的要求にもとづいて出発していない両国併合の結果が、結局、姑息な威圧と差別的不平等と統計数字上の虚飾によって、利害相反する両民族間に永遠に友好協力できない憎しみの溝を深めているこれまでの事実からみて、勇猛果敢に過去の誤ちを正し、真の理解と同情に
韓国女性団体連合が昭和天皇の葬儀への弔問使節派遣に反対する声明書発表。「挺身隊問題」にも言及して日本に謝罪要求
植民地朝鮮における公娼制度の確立過程 ―1910年代のソウルを中心に― Web版はハングルを日本語に置き換えるなど、完全なものではありません。引用される場合は、公刊された論文をご利用下さい。 註で紹介した文献中斜体で表記したものは、原文タイトルでハングルを使用しています。 本文・注(1) はじめに I 「併合」までの買売春管理政策 1. 朝鮮人接客女性の「出現」 2. 朝鮮人接客業に対する管理のはじまり 註 本文・注(2) II 「併合」直後の動向 1. 過渡期の管理方針と遊廓の第1次再編 2. 「芸妓」「妓生」の組織化 註 本文・注(3) III 植民地公娼制度の確立 1. 新規則の制定 2. 遊廓の第2次再編 3. 接客婦の増加と女性売買構造の「日本化」 おわりに 註 (『二十世紀研究』第5号、2004年12月) まい・びぶりおぐらふぃへもどる
この講義ノートは、2002年度まで担当していた総合教育科目(いわゆる一般教養科目)用に作成したものです。 講義ノート中の茶色の字は、JISコードにない漢字で、Korean Writer(高電社)のKWフォントがインストールされていないと正しく表示されません。これらは随時、画像フォント、さらにはunicode表示に置き換え、KWフォントがなくても読めるようにしてきましたが、見落としがあるかも知れません。ご注意ください。 一般の方からのご批判、ご意見も歓迎しますが、学生向けの資料公開が目的ですので、ご質問などをいただいても、お答えできない場合があることをご了解下さい。 朝鮮近代史の講義ノート 《概要》 いま不幸にも朝鮮半島は国土が南北に分断されているが、その社会の固有の文化は長きにわたって、日本社会に大きな影響を及ぼしてきた。しかし20世紀前半の日本による植民地支配は、お互いの友好を妨げる根本
資料:日韓基本条約 講義ノートの目次へもどる トップページへもどる 日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約 日本国および大韓民国は、 両国民間の関係の歴史的背景と、善隣関係および主権の相互尊重の原則に基づく両国間の関係の正常化に対する相互の希望とを考慮し、 両国の相互の福祉および共通の利益の増進のためならびに国際の平和および安全の維持のために、両国が国際連合憲章の原則に適合して緊密に協力することが重要であることを認め、 一九五一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約の関係規定および一九四八年一二月一二日に国際連合総会で採択された決議第一九五号(III)を想起し、 この基本関係に関する条約を締結することに決定し、よって、その全権委員として次のとおり任命した。 日本国 日本国外務大臣 椎 名 悦三郎 高 杉 晋 一 大韓民国 大韓民国外務部長官 李
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