サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
体力トレーニング
www.jarchive.org
このテキストは『Quick Japan』vol.76(2008年2月)に掲載されたものです。 例えば「鯖缶レコード」「16次元レコード」「-N」「ON-LI」「Bump Foot」「Maltine Records」「deathdoll」「Mizukage」「逆襲レコード」「Eightynine Production」などの名前から音を逐一想像できる人がいないのはまだ仕方ない。ウェブ上でMP3配信で活動するこれらゼロ年代以降に登場したネットレーベルが、これまで各種メディアでまともに紹介されたことがあるのかは知らないが、CDの販促としてのネット進出ではなく、自覚的にMP3を手段に選び取った彼らの存在は、今はまだ特殊に見えても、数年以内に至極当り前の存在になるだろう。 imoutoidの名前を知ったのは、去年九月にMaltine Recordsからリリースされたミニアルバム『adepressiv
2ch is a big fool man. Hahahahaha. 2009年5月30日で2ちゃんねるが10周年。なんだかすごいですね。記念に10年前の2ちゃんねるの最古のログを見てみましょう(※このログはもともと2ちゃんねるがohayou.com時代に公開していたものです)。10年前から通ってる人も、今年から通ってる人も、暇つぶしに~。 1999年5月30日~7月16日@メイン つくりたい掲示板のジャンル募集!(一番最初のスレッド。1999/05/30(日) 12:25) 1999年7月16日~7月24日@メイン 1999年6月22日のメイン掲示板の様子(リンクは切れてるのであしからず) もうちょっと興味のある人のために 1999年7月24日~8月11日@メイン(Internet Archive) あめぞう2チャンネル<勝手に(あめぞう掲示板にひろゆきが立てた告知スレッド。投稿日:99
閉じる予定だったが一つアップし忘れた記事があったのでこれをもって最後とする。 少し前に話題になった「小悪魔ageha」バックナンバー全コンプリート!!という記事を見てみると、その苦労に敬意を払いつつ、抜けがあるのがわかる。別に100人中99人にとってはどうでもいいと思うが一応アップしてみる。 『ヘア&メイク&ナッツ』(2005年10月10日発行/発売は9月上旬) 『小悪魔ageha』の前身が『小悪魔nuts』なのはそうなのだけど、その『小悪魔nuts』にも更に前身がある。それがこれ。編集長はもちろん中條寿子。複数冊出てる。キャンギャルとキャバ嬢だと前者多め。これと『小悪魔nuts』の2つの路線をしいて、後者に支持が集まったんだと思う。実はさらにルーツは辿れるのだが別の機会に。 『ジゴロスタイル』No.001(2004年1月1日発行/発売は2003年12月) ついでに『メンズ・ナックル』
先程『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』という本を三年ぶりに読んだら、なかなか面白かった。かなり内容を忘れていた。「そうだったのか!」と何回も膝を叩いていると陽気な黒人がリズムにあわせてフィンガースナップをしながら近づいてきた。隣にいた白人はサックスをかきならし、帰りがけの小学生達がリコーダーを吹き始める。大道芸人がヴァイオリンを弾きはじめ、ベンチに座る老夫婦は笑いながらハミング。草むらに隠れていた田代まさしもドゥワップコーラスを聞かせ、ワタシはプリングルスをパリパリ食べ始める。公園はいつのまにか一大セッション大会になっていた。言葉を、国境を越えて、私達は音楽で一つになっていた。 これをうとましく思ったのだろう、公園の入り口横でギターを弾いていた若者は、けだるそうに大声で歌いはじめた。私達にはそれは騒音にしか聞こえなかったが、これが十代特有の言葉にできない精神の香りな
three cheers for our side : Lonestar Flipper's Guitar : Brody THE BOULEVARDIERS ARE GONE : Futura Bold refer to, helen merrill - parole e musica (1960) we five - you were on my mind (1965) liverpool five - arrive (1966)
idea : Helvetica Neue Light Design of Manga : VAG Rounded Black 漫画・アニメ・ライトノベルのグラフィック・デザインを取り上げた『アイデア』最新号が4月10日に発売。あまりの内容の膨大さに前後編となった。漫画に詳しいことを自称する人も、漫画のデザインについてはこれまで考えたことがほとんどなかったのではないだろうか。 漫画の単行本フォーマットの歴史をこれを機会に少し触れる。現在のように当たり前のように漫画の単行本が発売されるようになったのは、たかだか40年以内の歴史である。もし連載作品の初期を読みたければ、雑誌のバックナンバーを探すか、増刊の形で編集される「総集編」や「作品集」を待つのが普通だった。単行本になる前に別冊や増刊号で先にまとまる「ゴルゴ13」は、この頃の感覚を未だに持ち続けている作品だと言えそうだ。 また自社から単行
Art Director : MATSUMOTO, Gento 本文使用書体 : ゼンゴNL、新丸ゴL、タカハンド、ネオツデイR、ゴシックMB101 M、毎日新聞明朝L、カクミンR、小塚ゴシックR、小塚明朝R、etc... 日本のカルチャー誌『STUDIO VOICE』が2009年5月号からリニューアルした。MORISAWA PASSPORTをフルに活用した、攻撃的なエディトリアル・デザインである。何の再検討もせず「中ゴシックBBB+見出ゴMB31+ゴシックMB101」の組み合わせを選択し続ける、ここ10年の怠慢な日本の雑誌フォーマットは、これを機会に見直されるべきだろう。
ノスタルジー(郷愁、過去を懐かしむ気持ち)というものについて考えている。ノスタルジーはとにかく強力である。それゆえに普段は嫌われ者だ。「ノスタルジーじゃつまらない」というのはよく言われるが、これを単純に「ノスタルジー=つまらない」と受け止めてはいけない。ノスタルジーというものがあまりに強い求心力を持っているが故に、ノスタルジーの力に頼るだけではよくない、別の価値を付与する姿勢が創造だ、という意味である。味の素を使うと大抵のものは美味しくなるが、味の素に頼るだけではよくない、という料理人の心構えを想像して欲しい。 ノスタルジー批判の焦点は第一に過去の美化に求められる。本当は嫌なこともダメなものもあったのに、それに目を向けないで良かったこと美しいことだけを取り上げる姿勢は、実際の姿を描くものではないからだ。もちろん普段から記憶は安定に向かうものなので、「色々あったけど今となっては良い想い出」に
オタクがつい一般人(ここでは広く非オタクをいう)にも受けると思ってしまう作品の傾向を考えていた。『あずまんが大王』はギリギリ、『よつばと!』は結構大丈夫だと思っている、と思う。というか受けてる場面を実際見たことがあるので成功例なのだが(引いてる場面も見たことがある)、今回は実際に受けるか受けないかの個別の作品話ではなく、どうして「一般人にも受ける」と思ってしまうのかの話である。 説明するために、まず異世界度というパラメータを導入したい。異世界度とは、現実では起こりえない現象の数/レベルだと思ってほしい。例えば登場人物が魔法を使えたら+1。地球が荒廃してたら+1。巨大な悪に立ち向かったら+1。耳が長かったら+1。肌の露出が多すぎたら+1。と、ポイントが増えれば増えるほど、異世界に近付いている。で、世の中は多分「+1」の状態がギリギリのバランスにあると思われる。フィクションだから1つくらいは作
そういえば想い出波止場の入手困難なアルケミー時代の初期作品が一挙に再発されることはご存知の通りだが、東京ロッカーズの現場側からのドキュメントとして知られる地引雄一著『ストリート・キングダム』がDVD付で復刊することもご存知の通りだが、リザードの全音源をまとめたボックス・セットが来年出ることもご存知の通りだが、『CDジャーナル』12月号の中田ヤスタカ・インタビューに「あの80's的なダサさは狙ってやってるんで、自分の手クセというわけではないです」という興味深い発言が載っていたのはご存知だろうか。これはニューアルバムに収録されている曲についてだが、中田ヤスタカの楽曲から時折感じる80年代っぽさとは意識的だということなのか。ワタシの印象では80年代っぽい上辺のアレンジの意図とは別に、無意識に染込んでいる80年代っぽさが曲に浮き出ている(意識した80年代+無意識の80年代)と思っていたのだけども、
ということで文学フリマに出すというミニコミの話ですが! 書名:『Hang Reviewers High』 著者:ソメル デザイン:戸塚泰雄(nu) その他全部:ばるぼら サイズ:A5 x 72p 価格:500円 売り場:文学フリマ会場二階 B-33 となっています。「ピアノ・ファイア・パブリッシング」に委託です(イズミノさnありがとーございます)。デザインは手にとって「あれ?」と思うような不思議なものになっています(戸塚さnありがとーございます)。内容については、ワタシが本の前文で書いた文章をそのまま載せてみましょう。 この本は「Hang Reviewers High」(著者・ソメル)というブログの書籍化である。収録した原稿は誤字脱字の修正と英数字の表記統一以外、一切手を加えておらず、基本はウェブ上のテキストそのままである。この本には2007年までのログから抜粋したが、ブログは
BRAINZで第1回の授業受けた人向けの補足です。具体的に最近のデザインを見てみるといいです。最近のAV(DVD)はネットでパッケージが見られるから説明がしやすい。リンク先の販売サイトで画像をクリックすると拡大できます。18禁だよ。 ■DREAM TICKET 文字の詰め方がギッチギチのタイポグラフィの例。 『Eスクール水着×THE4時間』 『誘惑女教師』 『THE 巨乳ウェイトレス 2』 「ぎゃるすぺ」の文字がいい具合につまってますね。 『ぎゃるすぺ Gals Special!!』 ここまでくるとやりすぎ!罫線含め。 『弁護士 Glamorous』 文字組とはちょっと違うがポップな「BOING」シリーズのデザイン。 『BOING.84 Gcup 浜崎りお 01』 雑誌っぽい。 『EGOIST 村上里沙』 『WOMAN [日本の女性に惚れなおす]5』 ■WARP ENTE
岡崎京子『リバーズエッジ愛蔵版』を買ってきた。目的はただ一つ、巻末に追加された作品年表の確認だったが、特別目新しいものではなかった(失礼、ファンサイトのデータの流用で追加調査はほぼなかったという意味)。20を超える未収録作品についての言及はわずかだったので安心した。 なぜ安心かといえば今、岡崎京子の年表を作ってるからで、内容がかぶってたら作る意味ないなあと思い一時中断していたからだ。これでようやく再開できる。安易に大島弓子など少女マンガ史への接続を行う人々や、時代の予言主として崇めるだけの人々の発言権を奪っちゃるよフシシ。
フォントワークスの新書体情報2008-10-01を見たら、すごいのが出てましたね。何がって「筑紫A丸ゴシック-B」「筑紫B丸ゴシック-B」。 ↑これ、明らかに写研の「中丸ゴシック体(MR)」を意識してますよね。(以下、画像は『デイブレイク書体見本帳』より) ここ十数年の雑誌デザインのスタンダードになっている「中ゴシックBBB」の丸ゴシ版と思うとやや理解が早い。これの太いウェイトの「石井太丸ゴシック体(BR)」は写研の書体の中でも一、二を争う人気書体なのではと思います。クセがないことがクセになる。 んで、あとはモリサワの「見出丸ゴシックMBD31」と「見出丸ゴシックMBD101」さえデジタル化されれば、写植時代の丸ゴシック系はもういらんかな。(しかしある人がモリサワに問い合わせたら「じゅんがあるからいいじゃないですか?」と言われたそうなので期待はできない) 筑紫Bのほうはやや「丸明オールド」
先週話題になったGoogle 2001で、2001年1月時点のウェブを検索できるのはご存知の通り。こういうのが出たらずっと調べたかったのは「90年代から変わる時期に2000年代のことをなんと呼ぶか迷ってた」記憶の確認だった。というわけでGoogle 2001で「ゼロ年代」を検索すると、色々出てくる。上から順にピックアップでメモ。 90年代の次→「2000年代」という呼び方が圧倒的支持を集めているのが確認できる。ゼロ年代は9票なので悪くはないが。 間歇日記2000年1月10日→海外でゼロ年代を何と呼ぶか?の話題。zeroesとnaughtiesが候補だったようだが、実際どうなったかといえば2000s (Wikipedia)を見てもよくわからん。 オンライン書店ビーケーワン:ゼロ・ジェネレーション→1999年9月にこんな本が出てたのね。内容説明に「21世紀最初の10年、「ゼロ年代」を目前にした
「評論」について思いだせる範囲で書くと、1981年1月に出た音楽ミニコミ『ミュニオン』掲載の「触発/ロック評論の腐敗」というインタビューで、高沢正樹氏がこう話していた。 ──評論の腐敗みたいなことに関して言えば、“こう感じた”ことに対する論理的解明をさほど望んではいないでむしろ“こう感じた”というフィーリングを信頼するファンとその上にノッかっちゃってる評論家の間の相関々係についてはどうお考えですか? 全くもって許しがたいですね。つまり音楽評論家というよりも音楽評判家なんであってさ。評判をお互いにどう共有していくか、ということでしかないんだよね。全然「評論」家じゃないんだから、評論をおとしめるから、まず評論家っていう肩書きをおろして欲しいっていうのはあるよね。評論は評論としてすごく重要なものだから。 「評判家」という表現が興味深い。この言葉から、共感を第一に置き、価値観を共有していない人間と
「最近の若者は車に対する関心が減っている」という話を聞くたびに、ワタシはスタンダードとは何かを考える。車を所有することが若者の間で流行していた時期を知っている人は、車というものはこれからの若者にとっても永久不変の存在になっていくのだ、ということを信じていたのだと思われる。つまり車は若者のスタンダードになったと思ったわけだ。 しかし実際はどうか。不況下なのに整備や駐車場といった維持費がコスト高だとか、社会システム上の問題もあるが、そういったこととは関係なしに、車への興味が初めからない若者が出てきている。車は社会インフラとしては欠かせないスタンダードなものに(今のところ)なっているが、若者文化のスタンダードには(今のところ)なれなかった、ということではないだろうか。 別に車に限った話ではない。CDもそうだ。90年代にはあんなに何百万枚も売れていたのに、てっきり21世紀にも音楽メディアのスタンダ
体調悪くて古い『宝島』をダラダラ読んでいたのだが、1990年5月9日号のCDレビュー欄にこんな文章があった。ソフト・バレー『ドキュメント』について。 今年初め、ちわきまゆみに誘われてライヴを見て以来、TMでもおたくポップスでもないデジタル・ビートをやる、数少ないバンドのひとつとして、このトリオには期待していたのだが、2作目はかなりそれに応えてくれてる。 TMでもおたくポップスでもないデジタル・ビート……。この文章から察するにデジタル・ビートでありつつ、TMほど大衆的ではなく、ソフト・バレーほどハウスやボディ・ミュージックではない、というデジタルな音楽があったのかなと推測できるが、1990年におたくポップスと言われていた音楽ってなんだろう。
な・ん・と! 安田理央さんが「TOKYO BIZARRE」の映像をYouTubeにアップしてる! 全人類必見だ! リンク先に解説があるのでそれを読めば済むのだが、ゴールドマンというAV監督が1989~1990年に撮った作品で、ワタシが2月に円盤でやった5時間イベントでも最初に流した。人間の物質化、マン=マシーンではなくマン=マテリアルをいかに表現するかを考えた場合、これほど大胆な方法と映像はないんじゃないかねと勝手に。というかもうこれは本当に、まだ見ぬサブカル少年少女の心をわしづかみだと思うんだけどなー。 『TOKYO BIZARRE BONDAGE RED』。1989年。映研というメーカーから出た最初のバージョン。パッケージは垢抜けないが、それがまた。ビデオテープの赤いシールに大きく「1」って書いてあるのって、マジカル・パワー・マコを思いだしますよね?あれより早いですよ。「RED」含め全
『Quick Japan』でも『STUDIO VOICE』でも何でもいいのだが、昔からカルチャー雑誌には“典型的な読者”というのがいて、それはどういう読者かというと、「こんなの全然ダメだ」と文句を言いながら買う読者である。こういう層はほとんど想定の範囲内で、そう言いながら「おさえておく」ために買ってしまう心理を、雑誌側はうまくついていると思う。喜んで買う読者と一緒にされたくないとか、自分の好きなものを取り上げやがってとか、そこにあるのはひねくれた自意識の問題であるが、しかし買わなかったら知識がそのぶん欠けてしまうかもしれないので、買わざるを得ないのだ。 ネットだったら情報入手元など三日で忘れられるが、雑誌はお金を払うという儀式をしなくてはいけないので、(自意識の固まり人間としては)それなりに敗北感に近い記憶が残る。この「買ってしまった」自意識を紛らわすためにケチをつける。本当に無価値だと思
読んだ本について感想を書くことは滅多にしていないつもりなのだが、縁あって本を頂いたのでたまにはウェブにメモ書きを残してみる。だからといって本を読解するわけではない。 本書は大塚英志(1958年生)と東浩紀(1971年生)の対談集で、全部で四つの章に分かれている。順に「消費の変容(2001年4月)」「言論の変容(2002年6月)」「おたく/オタクは公的になれるか(2007年11月)」「秋葉原事件のあとで(2008年7月)」となり、第二章と第三章のあいだに五年以上の離れがあるのは、二人で編集していた雑誌『新現実』の方向性で意見が対立し、一時期距離を置いていたからだったと思う。 問題としている事物は一見、多岐にわたるが、根底にあるのはオビにあるように「近代VSポストモダン」の構図であり、具体的には一人でも多く「公民」(社会を構成する一員であることを自覚した人)を育てるべきであるとする大塚の考えと
ばるぼらさんにお金をあげたくて仕方ない人いませんか!大募集です!驚異的にお金がありません!年末に向けて原稿とか大バーゲン中!!!111 「本出したじゃん」とか言われるのだが、入る予定のお金を前借で本作るから、本出しても前借の返済でキレーサッパリに消えるのですよ。みんなどうやって儲けてるのだろうか……。古本とか古CD売るかなー。滅多に売らないのだが……。
ストリートビュー批判の「Google の中の人への手紙」の海外での反響 - アンカテ 上記を読んで何に驚いたって、「ヴァーチャル・リアリティ」とか「サイバースペース」の反対語が「Meatspace」(肉宇宙・肉世界)という言葉だということだ。全然知らんかった。日本人が「実社会/実生活」「リアル社会」「三次元」などと呼ぶヤツですね。日本で「ミーツスペース」と発音すると「Meets Space」みたいに理解されて「出会いのある場所ってことね」と誤解されそうなので広まらないとは思うが……。Wikipediaでも「real life」とはニュアンスが区別されてるけど。
マンガを読まない人向け。サークルカットで見る、C74のテキストサイトの参加動向も参照。今回は3日目だけでいいやー。解説なし。 ■3日目(日) 西ち 09a 『乙女トリガー』 http://randambutter.blog.shinobi.jp/ 西ち 19a 『ソシオクリティーク』 http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20080727 西つ 07b 『サブカル評論』 http://subhyon.g.hatena.ne.jp/ 西て 13b 『ゴルカム』 http://golcome.blog72.fc2.com/ 西な 04a 『オタクとデザイン』 http://www.balcolony.com/otakudesign/ 西な 04b 『オタクブックス』 http://www.evilforse.com/o_b/top01.html
先々週、「座談会 UGCの可能性を考える」を読んで、これはなるほど欧米とアジア諸国の宗教観の違いなのではないかと思った。以下は『たて組ヨコ組』11号(1986年冬号)に載っていた「「万物照応」する世界を見る」(杉浦康平)という記事の一説だが、こういう感覚を尊ぶ血は非常によく分かる。 興味深いことは、アジアの画工・僧たちは、絵に描き手の名を記したりしない。訪ね歩いて、やっとこの絵は誰それが描いたものらしいということが判る程度。どこにも光琳や運慶のように名を成す人がいないわけね。たとえピカソに匹敵するほどの力を放つ壁画を描きあげたとしても、むしろ自分の名前を消すことに生涯をかけるんです。なぜ名前を消すのかというと、まず絵を描く目的は、自分たちを超えたより大きな存在に向けて描かれ捧げられるものであるから。また、万人のためのものだから。自分ひとりの力が描きあげたものじゃないということを、熟知してい
古い『ファミコン通信』は度重なる引越しによって全部捨てたりあげたりしてしまったのだが、この一冊だけ未だに手元に残している。その理由はドット絵講座が載ってるから……ではなく、いただきストリート2のマップが載ってるから……でもなく、葉月里緒菜のグラビアがかわいいから……でもなくて、「しあわせのかたち」の最終回が載ってるからである。 「しあわせのかたち」の最終回では、枠の編集部のコメント欄に「『しあわせ』休載!? いや春には復帰するので大丈夫大丈夫!!」と書いてあった。これを素直に信じたため、初夏になっても秋になっても待ち続けてしまった記憶がある。もしかして来年の春ということだったのか、とか。結局本誌での復活はなく(宴会企画はあった気がする)、『アスキーコミック』を経て『ビーム』で再開となる。 で、この号には「週刊ファミコン通信第6回マンガ大賞発表!!」という企画があり、ここに載っている新人マン
先週、「『ふら・ふろ』を買って前にブックオフでやったことを思いだす。」というエントリーで、“「アンビエント・コミック」(大した事件の起こらない空気のようなマンガ、ワタシ命名)”と書いたのだが、SLN:blog*に「アンビエント漫画のススメ」というエントリがあがってて、なんだみんな思いつく用語なのか!と驚き。というわけでワタシも少しだけ紹介しておこう。『らきすた』とか『苺ましまろ』とかは今回除く。 ダイヤモンド / 伊藤重夫 『Aha!』に連載されてたフルカラー・コミック。雑誌の休刊によって未完結のまま終了してしまい単行本未収録だが、リンク先の作者のサイトで雰囲気はわかると思われる。単行本は『踊るミシン』が好きなのだがアンビエントではない。 埋ま埋まちゃん。 / 返済セイスケ ファミ通漫画大賞から出て来て、その後「安井誠太朗」とペンネームを変えて活動していたのだけど、ここ数年音沙汰ない感
発売日は24日辺りと聞いていたのだが、なんかもう売られてるらしい。新しく本が出るのでお知らせ。『NYLON100% 80年代渋谷発ポップカルチャーの源流』(アスペクト)です。1978年から1986年まで渋谷にあったナイロン100%というお店についての本。そこの元・店長が監修、ワタシが著者。 今年の2月末に香山リカ『ポケットは80年代がいっぱい』という80年代回顧本が出て、これが香山リカにしか書けない部分が書かれてて自販機本好きとしてはわりと面白かったのだけども、そっちとは位相が異なる80年代というかな。あっちがアンダーグラウンドならこっちは本当にニューウェイヴ。出入りしてた人は音楽関連だと前期が8・1/2、ヒカシュー、P-MODEL、ハルメンズ、アナザー・ヴォイス、Phew、ゲルニカ、東京ブラボー、ワールド・スタンダード、後期が東京タワーズ、空手バカボン、もすけさん、アシッド・ミノルフォン
この記事は復刻です。コメント、トラックバックはできません。tumblrには転載しないで下さい。 少し前に見たものの、見た時は死ぬほど忙しかったのでスルーしていた記事をもう一度考える。 「10万人の宮崎勤」伝説はどこまで真実か ここに10万人の宮崎勤がいます 都市伝説 宮崎勤が逮捕された直後のコミケをレポートしたテレビ番組が「ここに10万人の宮崎勤がいます!」と言ったとされる話は本当なのかどうか。なるほど確かにちゃんと調べられたことは無さそうだなと思ったが、自分の仕事ではない気がするので、背表紙が手に届く資料を見てみるに留める。 『別冊宝島104 おたくの本』(1989年12月24日) ●米澤嘉博によるコミケ概論「コミケット世界最大のマンガの祭典」文中に以下。 コミケットを、一部のマニアによる秘密の会合のようなつもりで取材に来たマスコミは、秘密というにはあまりに巨大なその数に驚いて帰っていっ
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『「www.jarchive.org」』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く