山形浩生『たかがバロウズ本。』 ぶっちゃけ本。まずはそう言っておこう。何よりバロウズについて一切合財ぶっちゃける。バロウズ論ないしは文学評論についてもぶっちゃける。そうした希有なぶっちゃけが為されたあかつきに、何が起るのか。これまでぶっちゃけなどという技法につゆ縁がなく、あるいはぶっちゃけを巧妙に避けてきたのかもしれないポストモダン系評論が、にわかにつまらなくバカバカしく卑怯に見えてくるのだ。 「退屈。わけわかんねー。なにこれ。わかるところはグログロ」。バロウズの既存の評価として真っ先に取り上げるのがこれだ。バロウズを読み込んだ激しさは「世界でトップ20に入る」(めずらしく控えめな・・・いやむしろ実質的?)と豪語する山形だが、大勢の読者が抱くこうした評価を「90%まではきわめてフェアで正当」と認める。そこから話が始まる。逆説ではない。むしろこのぶっちゃけた感想を「世間的無理解の代表例みたい