サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
TGS2024
www.mizu.gr.jp
「カイチュウ博士」として知られる藤田紘一郎さんは、世界中の水を巡り、微生物学の第一人者でもあります。今回お話しをうかがった「寄生虫と免疫」というテーマは、生物が共生することの意味をあらためて問い直してくれる内容でした。 人間総合科学大学教授・ 東京医科歯科大学名誉教授 藤田 紘一郎 ふじた こういちろう 1939年旧満州生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業、東京大学大学院博士課程修了。順天堂大学医学部助教授、金沢医科大学教授、長崎大学教授、東京医科歯科大学教授を経て現職。専門は寄生虫学・免疫学。 著書に『笑うカイチュウ』(講談社、1994)、『共生の意味論』(講談社、1997年)他多数。 うんちが流れる川でなつかしくなる 私は「カイチュウ博士」ということで有名になっていますが、もともとは整形外科の医者から始めました。学生の頃は柔道をやっていましたもので、まだ駆け出しの頃、ある教授から「熱帯病
水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は関東を中心に山梨県の郷土食として知られる「ほうとう」を取り上げます。小麦粉を水で練り込み、包丁で幅広に切った麺を、かぼちゃなどの野菜の味噌汁のなかに入れて一緒に煮込むほうとう。そのルーツは、思いのほか古いものでした。 うどんとは似て非なるもの 周囲を山に囲まれ、大小の河川が流れる山梨県。郷土食「ほうとう」は、うどんと同じく小麦粉を水で練るが似て非なるものだ。その特徴は、①生地を寝かさない、②麺が幅広で少し扁平(うどんは主に丸型)、③練るときにほとんど塩を使わず、湯に通さないでそのまま煮込む、④味付けは味噌が一般的など。また、ほうとうはかぼちゃを用いるため冬の料理のイメージが強いが、実は季節の野菜を用いて年中食される料理である。 甲斐国あるいは甲州と呼ばれた江戸時代、すでに果樹の産地として知られていたが、ほうとうもまた甲州名物として名
「花廓新宅細見図(はなくるわしんたくさいけんず)」廓雀堂主人 1855年(安政2)の安政大地震の2年後、復興した新吉原遊郭の案内図。中央下の「大門」から真っすぐ延びる「仲ノ町通り」の両脇には、客を遊女屋に紹介する「引手茶屋」が並ぶ。大門に近い大きな区画が「大見世」と呼ばれる老舗のエリア(東北大学附属図書館蔵) かつて色街や遊郭は、川や海、橋といった水辺に多く存在していた。こうした場所について民俗学の分野では数多(あまた)の研究がなされている。浅草の外れにあった江戸唯一の公認遊郭、新吉原も四方を堀で囲まれた場所だったが、浮世絵などで伝わるきらびやかなイメージとは裏腹に、遊女たちの実態はあまり知られていないのではないか。そこで幕末維新期の都市社会とジェンダーを研究する国立歴史民俗博物館教授の横山百合子さんに、新吉原遊郭の社会的位置づけや遊女たちの抗議運動など、知られざる実像を語っていただいた。
山あいの温泉旅館を訪れたとき、夕食に刺身が出てきて不思議に感じたことはありませんか? 今回の取材の発端は、機関誌『水の文化』50号に遡ります。ほうとうの取材で山梨県に伺うと、海がないのにマグロの刺身が今も多く食べられていて、その理由が「魚尻線(うおじりせん)にあたるから」と聞きました。海から離れた内陸部で海魚の食文化が残っていて、それには魚尻線が関与している――これはとても興味深い事実です。山梨県立博物館の学芸員、植月学さんを訪ねて、山梨県における海魚の食文化と魚尻線についてお聞きしました。 山梨県立博物館 学芸課 学芸員 植月 学(うえつき まなぶ)さん 1971年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。早稲田大学文学部助手、東京藝術大学助手等を経て現職。専門は動物考古学で、牛馬の歴史や縄文時代の環境・生業に特に関心をもっている。著作に『十二支になった動物たちの考古学
目の前の魚を捕らないことで、ハタハタの資源回復を果たした秋田県漁業協同組合。回復後も守り続けている厳しいルールは、世界でも例のない卓越したものです。 現・代表理事組合長の杉本八十治さんが、その苦渋の決断に結びついた、秋田県民のハタハタへの特別の思い入れを語ってくれました。 編集部 秋田県漁業協同組合代表理事組合長 杉本 八十治(すぎもと やそじ)さん 資源管理と漁獲を同時に成り立たせるのは、実に難しい。しかし、その難問に漁業者自らが向き合って、秋田名物のハタハタを枯渇から救ったのが秋田県漁業協同組合だ。 禁漁とは、「魚を捕るのを我慢する」という、漁師にとって一番辛い方法。この取り組みがなぜ実現できたのか、代表理事組合長の杉本八十治さんにうかがった。 禁漁に踏み切る この時期は背広を着て格好をつけてなくっちゃいけないんですが、今でも季節になると漁に出ているんですよ。19tの船。息子が先頭に立
かつて甲斐の国には、御幸祭が3つあったといわれている。おみゆきさんは「東御幸」。 上は、一之宮浅間(あさま)神社境内での様子。「ソッコーダイッと」という掛け声で練り歩く。現在では境内と近隣を練り歩いた後、神輿はトラックで竜王の信玄堤まで運ばれ、二之宮美和神社、三之宮玉諸神社の神輿と合流し、三社神社の鳥居をくぐる。 水を制するものは、国を制す。 戦国時代の勇武田信玄は、暴れ川を治め、新田開発することで富国を目指しました。 その仕組みは、実に雄大な規模です。 人心を掌握し、川除普請を実行した総合力に、治水の叡智を学びます。 独立行政法人土木研究所研究企画監博士(工学) 和田 一範 (わだ かずのり)さん 1955年川崎市生まれ。東京工業大学土木工学科卒業後、1978年建設省(当時)入省。建設省高知工事事務所長、宮城県河川課長、国土交通省甲府工事事務所長、国土交通省国土技術政策総合研究所流域管理
私たちは、つい目の前の現実をそのまま受け止めてしまいます。 ところが、「今のダムを中心にした治水の考え方は、高度経済成長時代にできたもの」と松浦茂樹さんは言います。 土木技術や河川工学の進歩があって、洪水後にできた自然堤防や湖沼を利用するやり方から、 人工的な水利事業を興すように変わり、治水家の「目利き」は、いったんは不要になっていきます。 しかし、新たな治水家意識こそ、これからの地域を考えるキーワードになるかもしれません。 東洋大学国際地域学部国際地域学科教授 松浦 茂樹 (まつうら しげき)さん 1948年生まれ。1971年東京大学工学部土木工学科卒業後、同大学院修士課程を経て1973年建設省(当時)入省。土木研究所都市河川研究室長、近畿地方建設局淀川ダム統合管理事務所長、河川局水都調査官などを経て1999年より現職。 主な著書に、『明治の国土開発史ー近代土木技術の礎』(鹿島出版会19
(写真1)ボノボの親子。真ん中が第一位の老齢メスのキク、背後に寄り添っているのが第一位のオスのノビタ 提供:古市 剛史さん 「ボノボ」という類人猿をご存じでしょうか。サル目(霊長目)ヒト科チンパンジー属に分類され、アフリカ中央部の赤道付近に広がるコンゴ盆地に住んでいます。チンパンジーとよく似た外見をしていますが、オスが好戦的なチンパンジーに比べて、性質はとても穏やかで争いの少ない社会をつくっています。実は、この両者を分けた要素の1つとして水(コンゴ川)があります。ボノボやチンパンジー、ゴリラ、ニホンザルなど野生霊長類の生態と行動を研究している古市剛史さんに、ボノボと水のかかわり、さらに平和的な生態とそれを可能にしている理由についてお聞きしました。 京都大学霊長類研究所教授 古市 剛史さん ふるいち たけし 1957年(昭和32)生まれ。京都大学大学院理学研究科修了。理学博士。下北半島と屋久
栄養化学者の伏木亨さんは、だしを「病みつきになるおいしさ」という視点からとらえています。 おいしさは「生理的欲求」「食文化」「情報」「病みつき」という4つに分類できる、と伏木さんは言います。 だしは、油脂、糖分と並んで、「病みつき」になる食材で、脳の報酬系を刺激する、という興味深いお話をうかがいました。 京都大学大学院教授 伏木 亨 (ふしき とおる)さん 1953年京都府生まれ、滋賀県育ち。京都大学農学部卒業後、同大学院を経て、1994年から同大学農学研究科食品生物科学専攻教授。専門は食品、栄養化学。日本栄養・食糧学会理事、日本香辛料研究会会長。 主な著書に『人間は脳で食べている』(筑摩書房2005)、『コクと旨味の秘密』(新潮社2005)、『味覚と嗜好のサイエンス』(丸善2008)ほか。 私は、ある1つのものが食べものの中にあって、それがおいしさの素である、とは考えていません。各人に好
特集の冒頭として、保存食とはどのような経緯で生まれ、どんな種類があるのかを把握しておきたい。そこで食文化史にくわしい江原絢子さんに、主な保存食の種類と歴史、発展の経緯などをお聞きした。保存食は、飢饉への備えだけでなく、集落の祭礼などの行事食としての意味合いもあることがわかった。そもそも日本の風土は乾物をつくるのに適していない。だからさまざまな知恵と工夫が生まれたのだ。 東京家政学院大学名誉教授 江原 絢子(えはら あやこ)さん 1943年島根県生まれ。お茶の水女子大学家政学部卒業。東京家政学院大学教授を経て現職。専門分野は、食文化史、食教育史、調理学。著書・編著に『和食と食育』(アイ・ケイコーポレーション 2014)、『家庭料理の近代』(吉川弘文館 2012)、『近代料理書集成』(クレス出版 2013)、共著に『おいしい江戸ごはん』(コモンズ 2011)、『日本の食文化史年表』(吉川弘文館
私たちの身のまわりにはさまざまな「色」がある。色は人間にどのような影響を及ぼすのだろうか。心理学における「色の嗜好の研究」は伝統的な分野で、「日本人の色の好み」については古くから研究されていた。しかし、日本を他の国と比較したのは早稲田大学教授の齋藤美穂さんが初。その結果、日本人の色彩嗜好は世界的に見ても大変特徴的であることがわかったという。齋藤さんに、「藍をはじめとする色と日本人の嗜好」について伺った。 早稲田大学教授・博士(人間科学) 齋藤 美穂(さいとう みほ)さん 色彩嗜好および色白肌嗜好の国際比較研究で知られる。 色の名前からその国の文化が見える 私たちの身のまわりには、さまざまな色があふれています。今日でこそ化学染料によって多様な色をつくり出すことができますが、かつてはそれぞれの文化圏で、何を染色の原料とするかによって、生み出される色は異なっていました。 例えばクレオパトラは、旗
中国・紹興にある大禹陵。紹興は水路が網の目のように走る水郷都市で、春秋時代越国が会稽という名で都にした所。大禹陵は会稽山の広大な敷地にあるが、新しくつくられた建物や像が多く、本来の姿を想像するのは難しい。 日本にとって、中国は社会制度やもろもろの文化の手本であり、長らく、師と仰ぐ対象でした。しかし、中国文明の基層を理解するのはなかなか難しいことです。そこで、長い歴史を持ち、深くて広い中国文明の基層を分析し、理解することによって、禹の問題についても理解を深めたいと思います。 東京大学名誉教授 文学博士 蜂屋 邦夫(はちや くにお)さん 1938年東京生まれ。1963年東京大学教養学部教養学科アメリカ分科卒業、1968年同大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程満期退学、同年東京大学東洋文化研究所助手、1974年助教授、1975年より同大学院人文科学研究科(1995年に人文社会系研究科と改
首都圏東部を流れる荒川。雄大で自然豊かな下流部は、メガシティ東京の貴重なオープンスペースとなっていますが、ここが自然にできた川ではなく、「荒川放水路」という人工の川だったことをご存知でしょうか。 第10回里川文化塾では、水の脅威・恵みとともにあった荒川下流域の歴史を垣間見たうえで、船に乗って、この人工水路が流域の暮らしとどのように関わっているのかを学びました。 当日のルートを追体験できる「自分でも開催!里川文化塾」はこちら 荒川・岩淵水門周辺のまち歩き 実施概要 日時 2012年12月6日(木) 10:00〜17:00 会場 荒川知水資料館(通称:amoa) 参加者数 21名 講師 関東学院大学名誉教授 宮村 忠 みやむら ただし 1939年東京都江東区の隅田川の畔で生まれ育つ。専門は河川工学。ものつくり大学大学院特別客員教授。85年に『水害―治水と水防の知恵』(中公新書)を著し、行政任せ
国分寺崖線(がいせん)からの湧水を集め多摩川に注ぐ長さ20kmほどの野川は、水車が点在するほど水量豊かな川でした。しかし、高度成長期に生活雑排水が流入してドブ川となってしまいます。下水道整備が進み、また積極的な市民の活動によってかつての清流を取り戻しましたが、現在は都市化の影響で湧水が乏しくなり、流水が途切れてしまう状態がたびたび発生する新たな問題を抱えています。野川を歩きながら、「都市の発展」と「自然の保全」の両立について考えました。 実施概要 日時 2013年4月5日(金)9:30〜16:00 会場 JR中央線「武蔵小金井駅」改札口(集合)〜野川視察(歩行距離約10km)〜大沢橋下(解散) 参加者数 19名 講師 環境省環境カウンセラー 若林 高子 わかばやし たかこ 1936年旧満洲生まれ。東京大学文学部卒業。編集業のかたわら「野川を清流に」の活動に参加。環境省環境カウンセラー、土木
石毛 直道 いしげ なおみち 国立民族学博物館名誉教授 1937年千葉県生まれ。1963年京都大学文学部史学科卒業、1965年京都大学大学院文学研究科(考古学)修士課程中退。京都大学人文科学研究所助手、甲南大学文学部助教授、国立民族学博物館教授を経て、1998~2003年国立民族学博物館長。専攻は民族学。農学博士(東京農業大学、1986年)。 主な著書に『食生活を探検する』(文藝春秋 1969)、『世界の食事文化』(ドメス出版 1973)、『魚醤とナレズシの研究―モンスーン・アジアの食事文化』(共著/岩波書店 1990)、『石毛直道 食の文化を語る』(ドメス出版 2009)ほか 天から与えられる食材は、 風土や環境と切り離しては、 考えられません。 牧畜文化圏では乳を利用し、 稲作文化圏では淡水魚を利用する―。 しかも、季節によって収穫量が甚だしく 偏るそれらの素材を保存するために、 優れ
気ぜわしい、今の暮らしの中では、 橋は単なる通過点。 橋を渡るときに、ゆっくり川を見ることも 滅多にありません。 ところが川を船で行くと、 橋は渡るだけでなく、 くぐるものでもあった、 ということを思い出します。 船が橋をくぐるたびに、 橋の上の人と、船でくぐる人が 笑顔を交わし、手を振り合います。 思いがけない一期一会は、 橋がハレの場であることを 再認識させてくれます。 もちろん、線路や道路を渡る橋もあります。 越し難い何かをまたいで、 こちら側と向こう側をつなぐのが橋の役目。 比喩として 〈架け橋〉ともいうように、 何かをつなぐ、 大切な働きをしているのです。 橋のある所には、 人が引き寄せられ、賑わいが生まれ、 ドラマが繰り広げられます。 渡るという機能以外の そんな橋の魅力を探してみました。 土木技術者が読み解く橋の歴史の魅力 松村 博 帝都復興における橋とデザインの思想 中井
蛇口をひねれば水が飲める。用を足したら水洗できる――。ふだんその存在を気にもとめない上下水道ですが、地震などの災害が起きて使えなくなると、かけがえのないありがたさに改めて気づきます。第8回里川文化塾では、東日本大震災による液状化現象で大きな被害を受けた千葉県浦安市の上下水道をテーマに、ライフラインの水循環について考えました。 実施概要 日時 2012年9月15日(土) 10:30〜16:00 会場 高洲公民館 第3・第4会議室 参加者数 18名 講師 浦安市 都市環境部 下水道課 課長補佐 堀井 達久 ほりい たつひさ 大学を卒業したあと民間企業に入社。その後、浦安市役所に入所。堀井さんは土木課、道路管理課、都市計画課を経て2010年(平成22)4月(東日本大震災が発生した年度)、都市環境部 下水道課に配属。下水道課3年目であり、震災時は下水道の応急復旧や災害査定申請業務を行なった。現在も
中華世界において、いかに黄河の占める意味合いが大きいかを物語る言葉に治黄(ちこう)があります。治黄すなわち黄河の治水に奔走した潘季馴(はん きじゅん)と陳★(ちん こう)、■輔(きん ぽ)の治水術を紹介しています。 蜂屋邦夫さんの投げかけ1 明清の治黄問題 治黄(ちこう)という言葉は、黄河の治水を指す言葉です。こういう用語が、中国にはちゃんとあるんですね。黄河は、とにかく暴れ川で、河道が何度も変わっています。だいたいは、下流は北東のほうに流れるのが普通の道筋でしたが、東南のほうに流れて淮河(わいが)と合流してしまった時期もあります。 明代と清代は、だいたい黄河の下流は南に流れ淮河に合流するという道筋でした。1397年(明の洪武30)から1431年(宣徳6)には10回も氾濫を起こし、1565年(嘉靖44)には、とうとう堤防が決壊してしまいました。島谷先生がお話された明代は、黄河の歴史でいうと
大脇 良夫 おおわき よしお 全国禹王の碑探求家 足柄の歴史再発見クラブ顧問 1941 年生まれ。慶応大学経済学部卒業後、富士フイルム(株)入社、本社人事部長などを歴任。2003 年フリーになって郷土史研究に専心、2006 年〈足柄の歴史再発見クラブ〉を立ち上げ、初代会長を務める。(株)心理技術センター客員研究員、神奈川県日中友好協会会員。 歴史好きの大脇良夫少年は、 島根の高校時代に素晴らしい恩師との出会いがきっかけで 生涯の宝物・禹王と巡り会いました。 禹王碑建立には、 必要条件として「治水の要衝」、 十分条件として「治水家としての禹王を知る 思想家・土木家がいた」、 維持条件として「バックアップする組織の存在」が必要 と主張しています。 日本の禹王碑の背後に見え隠れする、 中国、台湾、朝鮮半島と日本各地の文化交流の実相。 大脇さんの〈禹王探求〉はまだまだ続きます。 〈西の文命〉京都加
TOP 機関誌『水の文化』 バックナンバー 56号 雲をつかむ 57号 江戸が意気づくイースト・トーキョー 58号 日々、拭く。 59号 釣りの美学 60号 水の守人 51号 水による心の回復力 52号 食物保存の水抜き加減 53号 ぼくらには妖怪が必要だ 54号 和船が運んだ文化 55号 その先の藍へ 46号 都市の農業 47号 つなぐ橋 48号 減災力 49号 変わりゆく養殖 50号 雨に寄り添う傘 41号 和紙の表情 42号 都市を養う水 43号 庄内の農力 44号 しびれる水族館 45号 雪の恵み 36号 愛知用水50年 37号 祭りの磁力 38号 記憶の重合 39号 小水力の底力 40号 大禹の治水 31号 脱 水まわり 32号 治水家の統 33号 だしの真髄 34号 森林の流域 35号 アクアツーリズム 26号 クールにホットな2107 27号 触発の波及 28号 小水力の包蔵
小林 久 こばやし ひさし 茨城大学農学部地域環境科学科教授 農学博士 1955 年生まれ。1977 年新潟大学理学部地質鉱物学科卒業、1981 年静岡大学大学院農学研究科農芸化学専攻(修士)修了、1996 年東京農工大学大学院連合農学研究科生物生産学専攻(博士)修了。民間コンサルタント会社勤務、コンサルタント事務所主宰を経て、1997 年より茨城大学農学部助教授、2007 年より現職。2000 年より東京農工大学大学院連合農学研究科教授併任。全国小水力利用推進協議会理事。専門分野は、農村計画学、地域資源計画学。 主な著書に『有機性資源の利活用(改訂農村計画学)』(農業土木学会 2003)、『地域の力で自然エネルギー!』(岩波書店 2010)、『「水」の力、「土」の力』(生産性出版 2010)ほか 小水力発電の中でも100kW以下のマイクロ水力にこそ、 できることがある、と言う小林久さん。
お探しのページは、移動または削除された等の理由により表示することができません。 下記より目的のページをお探しください。 キーワードを入力し、「検索」を押してください。
機関誌「水の文化」:72号 「温泉との新たな付き合い方 ──ソロ温泉&温泉ワーケーションのススメ」 湯治から観光へ―温泉の楽しみ方は時代とともに変わっているが、今さらに新しい楽しみ方を提唱している人がいる。温泉ライターの高橋一喜さんに「ソロ温泉」と「温泉ワーケーション」についてお聞きした。 機関誌「水の文化」:50号 「水車によって広まった ほうとう」 水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は関東を中心に山梨県の郷土食として知られる「ほうとう」を取り上げます... 機関誌「水の文化」:51号 「感性を刺激する「滝時間」――心と体をリセットして...」 滝マニアとしてこれまでに400カ所以上の滝を巡り、滝の魅力を伝えるサイトの運営や、滝ツアーも主催する坂﨑絢子さん。滝マニアな...
機関誌『水の文化』は、1999年(平成11)1月創刊。 創刊以来「人と水」、「人と人」のかかわりの中で生み出された、 知恵や地域固有の習慣に光を当てた取材を続けています。 全ての機関誌はホームページにてご覧いただく事ができます。 また冊子(無償)をご希望の方は、こちらからお申込みください。 なお、機関誌の全ての記事は地域やテーマなどから検索できますので、ご興味に合わせて是非ご活用ください。 最新号 水の文化 77号 2024年7月 特集「みんな、泳いでる?」 今年も夏がやってきました。 皆さん、最近泳いでいますか? 「泳ぐ」という行為は、かつて人間が食料を得るために必要な術でした。戦国時代には武術の一つとなり、江戸時代には水域に応じた泳法が各地に生まれます。明治時代に海水浴が療養法として注目される一方、大正時代にクロールなど西洋式の近代泳法が取り入れられると、泳ぎはタイムを競うものへと変わ
機関誌「水の文化」:74号 「熱中症を理解して「水」の摂取で予防する」 昨今は気温が40℃を超える地域もある。私たちはどのように気をつけて日々過ごせばよいのだろうか。目加田優子さんに、熱中症の予防につながる水の摂取と望ましい食生活などを聞いた。 機関誌「水の文化」:52号 「保存性を高める水分調整――食べものにおける水の役...」 人体の60%が水分であるのと同じように、私たちが口にする肉や魚、野菜も水とは不可分な関係だ。ここでは「水分と食べもの」の関係について切り込みたい。 機関誌「水の文化」:74号 「「汗をかく」ことで夏に強い体を取り戻す」 運動中に水分を補給するとしたらどれくらいの温度の水を飲めばよいのか? 環境生理学(温熱環境)と運動生理学を研究し、横浜国立大学硬式野球部を16年間指導していた田中英登さんに聞いた。
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『ミツカン 水の文化センター・ミツカングループウェブサイト』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く