サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
ノーベル賞
www.tokyo-source.com
僕が小山泰介さんの写真を初めて見たのは数年前、 TSでもインタビューした在本彌生さんのトークショーで紹介された時だった。 その時に見せてもらった写真は一見、何を撮ったものかわからないが、よく見ると身の回りのフェンスや、ペンキの剥がれかけた壁など都市の断片だということに気づく。カラフルな写真の一枚一枚が、一音ずつ音を奏でるように音楽的で、触覚的な写真。好きな音楽ジャンルはきっとエレクトロニカに違いない……というのが僕の第一印象だった。 そして去年、発売されたばかりの最初の写真集『entropix』を青山ブックセンターで見つけて手にとった。以前に見せてもらった時の写真も数多く含まれていたが、僕の受けた印象は少し違っていた。 タイトルの影響(「エントロピー」とは簡単にいえば、無秩序さや乱雑さの度合いである)もあると思うが、僕の頭に浮かんできたのは、少し前に読んだ『生物と無生物の間』という本の言葉
やなぎ:さすがにもう年の功か(笑)、いろいろなものがレイヤーになっているので、はっきりこれというのは難しいんですが、まず、学生の時に「原風景を探す」っていうのを結構、一生懸命やってたんですね。バックパックで旅行に行ったり。そのころ、中沢新一さんの『チベットのモーツァルト』が流行っていてね、それでチベットに行ったのが、人生最初の海外旅行。上海まで船で行って、2カ月ぐらい行ったんです。 近藤:あっ、僕も同じルートで行きました。鑑真号で行ってチベットまで。 やなぎ:えっ、そうですか、何年ですか? 近藤:わりと最近で、99年頃です。 やなぎ:私が行ったのは、88年なんですね。直後に大きな動乱が起こって、お坊さんがたくさん亡くなったんですよ。鑑真号で上海から入って…上海なんて今とは全く別の街ですから。雲南、桂林、成都まで行って、チベット、ヒマラヤを越えてネパールというルートです。 中国は、今とは別世
子供の頃、あなたは宇宙に対してどんな想いを持っていただろう。どんな未来を予想していただろう。宇宙旅行をする、他の惑星に住む、そして宇宙人に遭う。映画にアニメにゲームに、様々な形で僕らは宇宙を目にしてきたが、生きている間にそれらは実現できるのだろうか…、いややっぱり無理なんだろうか……。 天文学者、小久保英一郎を知ったのは、2005年6月、アサヒアートスクエアで行われた冒険家・写真家の石川直樹とのトークショーだった。 現在の宇宙研究を総動員し制作されたCG映像『4次元デジタル宇宙プロジェクト』。その制作の中心メンバーである小久保は、地球から宇宙の果てまでという、目眩を覚えるようなスケールの旅のナビゲーターだった。 まずは国立天文台のある東京・三鷹の上空からスタートし、月の脇を通り、太陽系を抜ける。地球から遠ざかるにつれ、1つの銀河はまるで1つの星のような点となり、アンドロメダやM87星雲を横
tokyo-source.com 2024 著作権. 不許複製 プライバシーポリシー
僕は今回のインタビューを行う頃、ちょうどノーベル賞を受賞したグラミン銀行の創設者、ムハマド・ユヌスの自伝を読んでいた。貧困から抜け出せない国の人々に無担保で融資し、経済的に自立させる“マイクロクレジット”(小額無担保融資)という、ユヌスが作り上げた方法は世界中で実践され、さらに(これが一番重要なのだが)この事業は、きちんと利益を生み出している。 社会貢献を行う者はただ自己犠牲を強いられ、企業体はただ利益を求める。そんな通俗だけが真理なのか?しかしながら、企業精神と社会貢献を両立させる方法なんてあるのだろうか?――そんな問いにユヌスは自らの生き方とビジネスを通じて1つの解を出してくれた。 その本にインヴォルヴされていたせいか、僕はインタビュー中、シブヤ大学学長の左京泰明が語る言葉に頷かされていた。彼が考えていることは、すなわちそのまま僕が思い悩んでいたことだった。青臭い言い方を厭わなければ、
KAMIの描くラインはシンプルで特徴的だ。 いわゆるグラフィティと聞いて思い浮かべる、文字をモチーフにした「タギング」(個人や集団のニックネームを描いたもの)ではなく、具象的な絵柄というわけでもないが、一度見ると忘れない強さをもっている。「未来的なイメージで宇宙人でもわかる形」をイメージしていたと彼は言う。それは強烈に主張してくるというよりも、ストリートにちゃっかりと馴染みながら、通りがかりの僕らを楽しくさせてくれる。 70年代、公共空間での落書きから始まったと言われているグラフィティは、最近ではギャラリーや美術館でも展示が行われるようになってきているが(KAMIも2005年10月から水戸芸術館で開催予定のグラフィティのグループ展「X-COLOR: Graffiti in Japan」に参加)、元来それは壁画であり、ストリートに、そして一般の人々に開かれたパブリックアートだ。そこにはホワイ
坂口さんが2004年に刊行した『0円ハウス』は、日本の都市の路上生活者の多彩な家のあり方を撮り、一冊の本にまとめた写真集だ。個性豊かな家々が並ぶ中で一貫しているのは、「人が住むためにはどれだけの空間が必要なのか?」という坂口さんの問いかけ。それは、路上生活者の住まいをレポートすることを通して、表層的なデザインを追い求める建築界に一石を投じる試みだった。 最近では、隅田川沿いの0円ハウスに住む鈴木さんの生活を、「0円生活」と呼び、家から生活空間へ、生き方へとその研究対象を広げている。 単なる「エコ生活」ではない「0円生活」とは何か、そこに「0円ハウス」からつながるどんなテーマがあるのか――そんな興味から申し込んだインタビューだったが、実際にお会いした坂口さんは、想像以上にパワフルで、ハイテンションで、スケールの大きなテーマを抱えていた。「0円生活」は、坂口さんの考えている全体像の、ほんの一部
世界7大陸の最高峰制覇に挑む1人の若き登山家がいる。 栗城史多。26歳。20歳の時に登山を始め、1年足らずで北米最高峰のマッキンリー登頂を果たす。帰国後、南米のアコンカグア、アフリカのキリマンジャロなど各大陸の最高峰を次々と制覇。08年夏現在、残すはエベレストのみ。達成すれば「単独」としては世界初の快挙になるという今最も注目される若手アルピニストである。 彼の登山が、他の多くの登山家や冒険家たちと最も異なる点は「単独・無酸素」というやり方にある。通常、酸素の薄くなる高所登山では酸素ボンベを持ち、隊列を組んで挑むのだが、彼はあえてそれをしない。そこには彼の「自然とは征服するものではなく、受け入れてもらうもの」という考えが反映されている。 そんな考えの下、彼が取り組んでいるのが登山の過程を自らビデオカメラで撮影したり、無線を通して登頂中に声でブログを更新したりすることだ。登頂の記録だけが一人歩
空間デザイナー李明喜さんと出会ったのは、2007年のある忘年会の席だった。その会の主宰は以前TSでインタビューした猪蔵さんで、猪蔵さんに紹介されて僕は李明喜さんと挨拶したのだった。その後は、お互いの仕事の話から人文や科学、カルチャーやインターネット、スポーツまで多岐に渡って盛り上がり、その晩は2人でずっとしゃべっていた。 デザイナー李明喜さんの手がける店舗や建物は、どれもユニークで独創的であり、李さんのいわば「思想」が込められたデザインで空間が構築されている。2007年には銀行による「夢」をテーマにしたコミュニケーションスペース「d-labo by SURUGA BANK」を創る。「d-labo」は、ライブラリで本を読んだり、1冊の本から広がる本のネットワーク(ハイパーライブラリ)を探索したり、ウェブから投稿された夢アトラス上を旅したり、インタラクティブな夢年表に日付を入れたり、語り合いな
「自然を味方にして描くんですよ」 そういってOHGUSHIは無邪気に笑った。和紙や墨を使い、大胆なタッチで女性像を描くことを得意とするイラストレーター、OHGUSHIのスタイルは、おおらかでいて繊細。和紙にあらかじめ水で下書きをし、幅25cmの平筆に6段階のグラデーションをもたせ一気に描いていく。付け足すことも、減らすこともしない。全てのプロセスが一発勝負。私が初めて彼の絵に触れたのは04年秋、「EROTIC LIPS」SPUMAで行われた個展の際だ。B1サイズからポストカードサイズの唇のみが、数十点飾ってあった。女性の唇をこんなにも官能的に描いた作品があったとは・・・。 白い空間で絵の具の分子が水に溶け、押し出されるようにして広がっていく。唇が命をもって呼吸しているようなイメージで、パネルと筆と絵の具の粒子と水が一体化していく。自然の力を味方につけ、女性の魅力を極めて純度高く表現するOH
90年代後半、日本の写真界がHIROMIXや長島有里枝をはじめとする「ガーリーフォト」に席巻されていた頃、僕は木村友紀の写真作品を見て、明らかに異質な才能が現れたことを知った。 木村友紀は主に写真を使う美術作家である。写真だけでなく映像も使うし、それらを組み合わせたインスタレーションとして発表することも多い。また、ファッションデザイナーとコラボレーションで作品をつくったり、卓球とアートの接点を探る制作チームCOUMAを結成したり、実験映像音楽ユニットとしてライブを行ったりと、近年その活動範囲を加速度的に広げている。 「ガーリーフォト」の写真家が、身の回りの現実をスナップ写真によってひたすらイメージに置き換えるのに対し、木村友紀は写真や映像によって現実と切り離されたイメージそのものを問題にする。イメージがいかに曖昧で、操作可能で、受けとり方も自由なのか。彼女は現実に似たイメージとしての写真を
イライラしたり落ち込んだ時、よく仕事を抜け出し、近所のお寺で昼寝をした。寺院の屋根と、ぽかんと広がる青空を眺めていると、全ては無のような、全ては他人事であるような、そして、全ては行き着くところに辿り着くような、諦観と安らぎが胸に宿った。 お寺や仏像に接することにある種の「郷愁」を感じてしまう。今回のインタビューにもあるように、仏教というのは、多くの日本人の心象風景に「すでに」あるものだろう。 無線LAN配備の寺院内カフェテラスをオープンし、築地本願寺で開催したフリーライブで2千人を動員、ブログは書籍化されるなど、松本圭介は新しい僧侶の形を模索し発信し続け、注目を集めている。人生の喜びも悲しみも何千年も見つめ続けた釈迦の教えと仏。そこにいわゆる現代的な若者が身を投じ、仏教の伝え方を軽やかに再定義しようとしている。 宗教というものに興味を持ってはいても、腰が引けている、そんな自分たちの世代にと
まだ肌寒いものの、日差しには春の気配がある3月、タナダさんと新宿で会った。予想通りシャイで楽しい、予想以上に可憐で強い人だった。 「考え方が変わってなければ他のインタビューと同じことを言うと思いますよ(笑)」 そう言う彼女に、何とか言葉を繋いで“初めて”の話をしてもらおうとした。 デビュー作で新世紀初のPFFアワードグランプリを獲得、「驚異の新人」という報で映画界に迎えられた。「技術も金もない、25歳までしか撮るのを許されない、バカな映画」という本人の言葉にもあるが、若く、ほろ苦い自主映画である。「撮りたいものが現れるまでは撮らない」と、あえて映像から離れた3年間を経て撮った作品だった。 当時、この映画を観て、「生理の暴力神が泣いている」と思った。剥き出しで痛々しく、痛快で、何よりチャーミングだった。映画にとって一番大切なチャームだけがあって、他は何も揃ってない作品だった。 TOKYO S
「(DJって)江戸時代でいうと、粋な観客の位置にいると思ってるんですよね(笑)。そこに立ち返るとね、受け手的な身勝手さを持ち合わせていても怒られないというか、わりと多重人格的な音楽への関与を許される…」 そう語るムードマンの言葉が、同じ観客のひとりとして素直にわかる気がする。 それは、僕が時折感じる、クラブカルチャーを生で経験している世代と、そうでない世代の間の、音楽の聴き方そのものの違いに関係している。前者は、どちらかというと好みのミュージシャンやグループ(たとえばビートルズでもストーンズでもいい)を徹底して聴いていたり、ロック好きならロックだけというように、聴くジャンルも限られていることが多い。 それに対して後者は、以前よりずっと音楽のジャンルも細分化された中で(細分化されすぎて、逆に意味をなさなくもなっている)、過去現在、膨大なミュージシャンの曲から、音楽ジャンルを越えて自分に合いそ
「小さなお店のディテール1個が気になって、行きたい国まで変えたんです」 中村貞裕はそうつぶやいた。 雑誌で紹介されていたホテル スタンダードの記事。 ユニークなフロントに、彼は心を奪われた。 ひと目見たくて、ロンドンに行く予定を、ロサンゼルスに変えた。 自分の足で行って、目で見て、肌で感じ取ったことが、独立を考えていた彼の背中をポンと押した。 '01年3月、中村貞裕は、東京・外苑前にカフェ「OFFICE」を立ち上げる。 当時は、一大カフェブーム。 「OFFICE」は、仕事場というコンセプトの新しさで、話題をさらった。 それから約1年後。 この話題は、遠くベルリンの街にも届く。 ベルリンを訪れた彼に、嬉しいひと言が待っていた。 「東京に、“オフィス”っていう面白いカフェがあるの、知ってる?」と。 カフェ、ホテル、ケータリング、そして多数のプロデュース…。 話題を提供し、人をある場所に向かわせ
本は、私たちのすごく身近にある存在だ。だからこそ、本との付き合い方が自分の中の固定概念としての「本」に固まってしまってはいないか。「ブックピックオーケストラ」の活動は、そんな自分の感覚をくすぐってくる。 ブックピックオーケストラ店長の内沼晋太郎がウェブから始めた活動は、「本と人との出会い」をテーマに徐々に街へと広がっている。中身の見えない本を売る、「文庫本葉書」や04年11月渋谷のパルコアートギャラリーで行われた「新世紀書店・仮店舗営業中」での「Her Best Friends」。谷中・千駄木の街を散策しながら本に出会える「一箱古本市」実行委員。本来タブーとされる本への書き込みをテーマにした「WRITE ON BOOKS」という展覧会。 彼は現状の隙間を狙う。人が考えそうで考えなかったことを。思いついたアイディアを形にするということをやり続け、それに周りが巻き込まれていく。活動のひとつひと
TS初のミュージシャンは彼しかいない――その確信とともに今回のインタビューをお届けしたい。アメリカにてデビュー。日本には逆輸入という形で人気に火がつき、1st、2ndアルバムを10数国でリリース。今や世界中のインディーポップファンから絶大な支持を受けるトクマルシューゴである。 TSを始めてから、僕は音楽に人生を揺すぶられてきた身としてミュージシャンにインタビューしたいとずっと思い続けてきた。そんな中、ふと手にしたが彼の1stアルバム『Night Piece』だった。初めて聴いた時のことは今でも忘れられない。1曲目の『Such A Color』。頼り気なさそうな弦楽器が鳴る中、夢か現か分からないような歌世界が広がっていく……。僕はアルバムをリピートで何度も何度も聴くうちに昼寝をしてしまった……。その時、見た夢は極彩色で、夢の中でもBGMとして『Such A Color』がかかっていた。 彼の
This webpage was generated by the domain owner using Sedo Domain Parking. Disclaimer: Sedo maintains no relationship with third party advertisers. Reference to any specific service or trade mark is not controlled by Sedo nor does it constitute or imply its association, endorsement or recommendation.
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『TOKYO SOURCE』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く