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都知事選
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どこもそうだが、研究者の世界でも若手の就職難が深刻で、高学歴ワーキングプアという言葉も定着した。凡庸な中高年の学者がポストを占め続け、若いというだけで優秀であっても生活もおぼつかないという不満が広がっている。 他人に向かって自分の不遇を公言することは、私たちの世代にははしたない。しかし、若い人にはそんな常識は通用しないのも、無理はない。私なども既得権世代なので、偉そうなことは言えない。 しかし、いたずらに世代間対立を煽るだけでは能がない。政府も若年層の雇用対策を考えようとしているが、政策で解決できる部分は限定的であろう。ここは社会運動が必要である。 食い逃げ世代、逃げ切り世代といわれる団塊世代の人々に訴えたい。良い目ばかりを見たと若者に攻撃されるだけでは面白くないだろう。かつて世の中の変革を夢見た世代にとって、今こそ自分たちの力で世の中を覆う閉塞感を打破する時である。退職金の1%、いや0.
先日、アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」という映画を見た。第二次世界大戦勃発時にナチスドイツとスターリンのソ連に引き裂かれたポーランドの悲劇を描いた作品である。この映画を今の日本の政治状況に重ね合わせるのは、作者に対する冒涜かもしれない。しかし、二つの、邪悪とは言わないまでも、巨大な権力の狭間で翻弄されている日本の民主政治とワイダの描くポーランドが、私には二重写しに見えた。日本の民主政治は昨年の政権交代によってようやく本格的に動き出した。その矢先に、「どっちもどっち」という二つの権力の闘争に巻き込まれて、民主政治が立ちすくんでいる。 通常国会開幕直前に、石川知裕衆議院議員など小沢一郎幹事長の関係者が逮捕されたことで、政治論議は必然的に資金問題をめぐる小沢と検察の戦いに集中することとなった。政権交代による日本政治の変革、政策の転換に期待を託していた人々にとっては、これは困ったとしか言い
総選挙において国民が政権交代をはっきりと選択したことは、日本の民主政治にとってそれ自体で大きな意義を持つ、画期的な出来事です。選挙に現れた民意は、2005年の単なる裏返しではありません。貧困、不平等、社会保障の崩壊など、自公政権の悪政に対する厳しい評価が根底にあるのです。 問題は、巨大化した民主党が何を目指すかという点にあります。社民党の政治家や支持者の中には、民主党に対する根強い不信があります。もちろん、自民党右派と同じような発想を持つ、信用できない政治家がいることも事実です。しかし、民主党は可塑的な政党であり、社民党と近い理念を持つ政治家も結構存在します。この文章では、民主党にどう働きかけるかという点で、社民党に対して敢えて挑発的な問題提起をしたいと思います。 私は1990年代前半、イギリス労働党やドイツ社会民主党のような政党を日本で作り出すことを目指して、当時の社会党と付き合いました
国民自身の手によって政権交代が実現した。民主党が結成されてから十数年、この党が軸となる政権交代こそ日本の民主政治に不可欠だと主張してきた者としては、個人的にも感慨深い。 民主主義とはそもそも革命の制度化であり、昨日の少数派が今日の多数派になるというダイナミズムこそ、民主政治の本質である。政策選択以前に、国民の手によって権力の担い手を入れ替えることは、それ自体で民主政治にとって不可欠である。自民党が時には権力から離れる普通の政党になれば、メディアも国民ももっと自由にものが言えるようになり、社会の風通しはよくなるに違いない。 政策の全体的な方向付けについても、多様な観点からの議論が活発になり、国全体として環境変化に対する感受性や対応力が高まるはずである。 しかし、無邪気に喜んでいる場合ではない。この勝ち方を見ていると、これからの民主党政権について様々な不安が湧いてくる。 最大の疑問は、民主党の
・モデルチェンジできなかった自民 山口 自民党新総裁に麻生さんが選ばれましたが、安倍さん福田さんと続けて一年足らずで政権を投げ出してしまうというのは尋常ならざる事態で、自民党の統治能力は危機的状況にあると評価せざるをえません。なぜこんなことになったのか? やはり小泉―竹中路線の遂行によって、自民党は本丸から壊されたのだと思います。 竹中さんが司令塔になって、郵政民営化に象徴される構造改革を断行した。当然それは支持基盤の再編成を伴うもので、何よりも政治家の頭の中を入れ替える作業が必要でした。その方向に党全体がモデルチェンジできていれば、それはそれで生きる道だったはずです。ところが、簡単には変われなかった。多くの自民党議員は「人気にあやかろう」という程度の認識だったのに、小泉さんが予想外に力を持って本気で規制緩和をやり出した結果、自らの地盤がどんどん掘り崩されていくわけです。そのことに対する危
七月二九日の参議院選挙では、自民党が予想外の大敗を喫した。注目された岡山選挙区も、民主党の新人、姫井由美子氏が片山虎之助氏を破るという大金星を上げる結果となった。大敗にもかかわらず、安倍晋三首相は退陣を拒否し、政権担当への意欲を示した。制度上、首相が続けたいといえば誰も止められない。首相の留任が、自民党、さらには日本の政党政治の再生につながるかどうか、より大きな責任が問われることとなるであろう。 自民党の大敗には、急性的原因と慢性的原因がある。閣僚の失言や政治と金をめぐる疑惑の噴出などが急性の原因である。これらは、内閣改造や党人事によってある程度対応することができる。世代交代を急がず、改憲志向のイデオロギーで内閣や与党を染めることを避け、見識と経験を持った政治家を登用することができれば、自民党のイメージも変わるであろう。 しかし、自民党の危機は慢性的な原因に由来している。イメージの転換だけ
日本政治学会2004年度研究会・2004年10月2日 共通論題A 日本の左翼??過去・現在・未来 「戦後政治における左翼の役割と限界」 山口二郎 北海道大学法学研究科 引用不可 戦後政治における左翼の役割と限界 はじめに???本報告の問題意識 本論に入る前に、本報告の問題意識について説明しておきたい。左翼という言葉は、多義的、論争的なものであり、まず本論における定義をしておく必要がある。ここでは、ノルベルト・ボッビオの定義にしたがって、政治権力を使って平等を実現することに積極的な政党・政治集団を左翼と呼び、これに反対するものを右翼と呼ぶことにする(Bobbio, 1996)。もちろん、左翼(右翼)の構成要素には、他にもいくつかの重要なものがある。しかし、現在の政党政治における対立構図を考える上では、あとで述べるように、このボッビオの定義が最も有意義であると考えられる。 そして、左
浅野史郎前宮城県知事が東京都知事選挙出馬の意向を固めた。これでようやく石原慎太郎を追い落とす機会が訪れたと安堵し、期待している人は、東京のみならず全国にいるに違いない。当然、私もその一人である。石原の数々の悪行は本誌の読者には今更説明するまでもない。石原のような人間失格の独裁者が都知事の座に君臨することは東京の恥のみならず、日本の恥である。これから一か月の間、石原を引きずりおろすために心ある市民はあらゆる行動を取るべきである。 たまたま二月の上旬に浅野氏とゆっくり話をする機会があった。宮城県政の総括をしたときに、浅野氏は選挙の戦い方から改革しなければ本当の政治・行政改革はできないと力説していた。選挙の際の金集め、票集めで既成の政党や大組織に借りを作れば、どうしてもその人々の言うことに影響を受けてしまい、自由に政策を実行することが難しくなる。したがって、いかなる組織にも借りを作らず選挙をする
沖縄県知事選挙は、自公の勝利に終わった。野党の協力が実現し、勝利できる体制を作ったはずだが、結果はついてこなかった。平和や戦後民主主義の危機を訴えるだけでは沖縄県民は反応しなかった。八年前の知事選挙では、「県政不況」というスローガンを叫んだ保守の側が、大田昌秀氏を倒した。その後の八年間、稲嶺県政のもとで決して不況が好況に転じたわけではない。にもかかわらず、県民は保守県政の継続を選んだ。 十月後半、高市早苗沖縄担当大臣が沖縄北部地域振興策については基地移転の進捗状況に応じて予算をつけると発言したり、久間章生防衛庁長官が沖縄県民はパトリオットミサイル配備に感謝すべきだと発言したりで、安倍政権の沖縄に対する蔑視の姿勢が明らかになった。一連の失言は、野党側への追い風となるかと思われた。しかし、本土の我々が考えるほどには沖縄県民は怒らなかった。沖縄県民の絶望はあまりにも深く、知事を変えたくらいで基地
発足後一か月間の安倍政権の動きは、安倍首相のイデオロギー性に期待、あるいは反発する者の予想を裏切るものであった。就任早々中国、韓国を歴訪し、北朝鮮の核実験という共通の脅威の浮上もあって、小泉時代にわだかまっていた日中、日韓関係の軋轢は、ほとんど消え去ったように思える。また、歴史認識についても戦後五十周年の村山談話を継承するとの姿勢を明らかにして、この問題は政治争点ではなくなった。安倍首相が訪中に出発した当日、東アジアの国際関係に関する会議に出席し、歴史家の和田春樹氏に会った。和田氏が『世界』10月号に書いた「安部晋三氏への手紙」を首相は読んで「転向」したのでしょうと言うと、和田氏は苦笑しつつ、政権発足時に日本の戦争責任を認める姿勢を明確しておくことには意義があると述べていた。 しかし、この転向を額面どおり歓迎することはできない。外交面で穏健姿勢の陰で、国内においては政府権力と市民社会との関
安倍氏が総裁戦で圧勝する勢いだが、私には、なぜ安倍氏の人気が高いのか、いまだによくわからない。対北朝鮮政策では、ある種の存在感を示したとはいえ、何しろ官房長官以外に閣僚経験がなく、政治家として評価する材料がない。 小泉首相が可愛がって後継者にしようとしていること、ポスト小泉候補の中で一番若いこと、そして岸信介元首相の孫、安倍晋太郎元外相の息子という毛並みの良さ。そうしたことからくる、根拠の弱い、ふわっとした大衆人気のようなものがあって、それが自民党の中に反映され、安倍氏に乗っかるというなだれ現象が起きた。政治家自身が大衆化してしまったということなのだろう。 そして、なだれ現象の大きな要因となったのは、小選挙区制のもとで小泉首相が党内の中央集権化を進め、反主流派の居場所がなくなってしまったことだ。 加藤紘一・元幹事長の実家が放火された事件で自民党の反応が鈍かったのは、小泉、安倍両氏がなかなか
九月一日の夜、何とはなしにテレビのニュースを見ていると、安倍晋三が自民党総裁選挙に立候補を表明したことがトップで報じられていた。巷で「日本沈没」という映画が大ヒットしていることは、決して偶然ではない。リーダーに人を得なければ、日本は沈没の瀬戸際に立たされることになるだろう。また、国民のそうした不安は大きい。 「闘い」と「美」が安倍政治のキーワードだそうである。この二つの結びつきは、大変不吉である。絵描き上がりで、『わが闘争』という書物を著したヒトラーと共通しているからである。安倍をヒトラーになぞらえるのはいささか飛躍であろう。それにしても、平然と美意識を振りかざす政治家は、民主政治には不適格である。何を美しいと感じるかは、人それぞれである。権力者が自らの美意識を実現するために政治を行うというのは、違う美意識を持つ者にとっては迷惑千万である。しかも、美意識の追求にはブレーキがない。醜いものや
衆議院予算委員会で、野党議員が桜を見る会や前夜祭をめぐる従来の安倍晋三首相の説明の矛盾を追及している。2月17日の衆院予算委員会で、辻元清美議員は、ANAインターコンチネンタルホテル東京は過去7年間、政治家関連を含むあらゆる会合について見積書を発行し、宛名空欄の領収書は発行したことがないとの回答を元に、個々の参加者がホテルと契約し、宛名空欄の領収書をもらったという首相答弁の虚構を衝いた。首相は、ホテルの説明は一般論だという主張を繰り返し、「信じていただけないということになれば、そもそも予算委員会(の質疑)が成立しない」と述べた。予算委員会は事実に基づく討論の場ではなく、教祖による説教の場になったのか。 同時に、新型コロナウィルスの感染拡大が明らかになった。こんな危急の時に桜を見る会の追及などすべきではないという声もある。しかし、桜を見る会をめぐる疑惑を自ら払拭できない政府だからこそ、新型コ
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