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アメリカ大統領選
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わが国初のジェット旅客機、三菱MRJ(Mitsubishi Regional Jet)の開発がいよいよ始まった。この決定は去る3月28日、三菱重工から公表された。それに先だって、全日空は3月27日の取締役会で15機の発注と10機の仮発注を決議、これがMRJ開発の最終決断をうながした。 MRJの事業化が決まったことで、4月1日には三菱航空機株式会社が発足した。MRJの設計、開発、販売、顧客支援などに当たる。資本金は当面30億円とし、三菱重工の戸田信雄氏が社長に就任、社員は200人程度から出発する。そして来年中に1,000億円に増資、約3分2を三菱重工が出し、残りをトヨタ自動車、三菱商事、三井物産、住友商事、日本政策投資銀行などが出資する。さらに経済産業省が、資本金とは別に500億円程度を拠出する方針である。 つまりMRJは総額およそ1,500億円、ないしは2,000億円規模の開発プロジェクト
米大統領の専用ヘリコプターとして開発中のVH-71が立ち往生しているらしい。アグスタウェストランドEH101を改修するもので、ロッキード・マーチン社が主務担当社として国防省(ペンタゴン)と契約、アグスタ社が製造し、ベル・ヘリコプター社がアメリカ側で最終組み立てをおこなう計画である。 ところが昨年来、作業が遅れたり、コストが上がったり、最終仕様に変更が出るなどして、ホワイトハウスと国防省とメーカーの間で、それぞれに思惑が異なり決着がつかないでいるというのである。 この計画は2005年1月、US101として提案された本機とシコルスキーS-92を、米海軍が比較検討して採用を決めた。契約の内容は原型機3機を試作し、2機で飛行試験、1機で地上試験を行なう。次いで第1段階の実用機5機を製造し、さらに第2段階の18機を製造する。最終的には第1段階の5機も第2段階の機体と同じように改修して、総数23機の大
猪瀬直樹の『空気と戦争』(文春新書、2007年7月20日刊)を読んで、ちょっと驚いたのは、今の大学生たちが「少佐と中尉はどちらが偉いか」を知らないということである。それも著者が優秀な学生が集まるはずの東工大で講義をしていて、この質問に手を挙げた学生は数人だったらしい。 しかし、これが嗤えないのは、航兵衛自身も考えてみると自衛隊の階級呼称をよく知らないということである。「陸士長」というからよっぽど偉いのかと思うと、昔の上等兵のことだそうだ。じゃあ伍長や軍曹はどういうのか、そんなことはインターネットで調べればすぐ出てくるが、問題は将官クラスである。 昔の陸軍には大将、中将、少将の3階級があった。しかし、自衛隊には陸将と陸将補の2階級しかない。ところが外国向けには「陸将を大将にあたるGeneralと中将のLieutenant Generalに分け、陸将補は少将に相当するMajaor Genera
官僚たちが年金横領などで知能犯罪に精を出す一方、やるべきことを少しもやらずに放置しておいた結果が、昨年8月と今年8月に連続して起った奈良県の周産期医療にかかわる、いたましい死亡事件であった。 航兵衛も人なみに4人の孫がある。まだ幼児(おさなご)ばかりだが、その中の3番目は昨年7月、予定より2ヵ月ほど早く生まれた。母親のおなかが急に痛くなり、世田谷の比較的恵まれた(?)地域に住んでいるにもかかわらず、緊急治療に応じてくれる病院はなかなか見つからなかった。近所のかかりつけの医師が懸命に電話をしてくれて、5番目に申し入れた都心部の大きな病院で、やっと受け入れの承諾が得られた。その病院まで父親が自分の車で連れてゆき、入院の結果は1,600グラムの未熟児が誕生した。 保育器の中でうごめいている赤ん坊に初めて逢ったときは、サルの赤ん坊そっくりで、目玉ばかり大きく、手足は割り箸のように細くて、これからど
ホンダジェットについては2006年夏のオシコシ航空ショーまでの経緯を本誌2006年11月号でご報告した。ここでは、その後の動きを整理すると共に、三菱ジェットの話題をご紹介しよう。 ホンダジェットの開発と製造の準備が順調に進んでいる。2006年7月オシコシで事業化を発表したのち、8月には事業推進のための米国法人ホンダ・エアクラフト社を設立、同機の設計と開発にあたってきた藤野道格(みちまさ)氏が社長に就任した。 そして10月フロリダ州オーランドで開かれたビジネス航空ショー(NBAA)で1機365万ドル(約4.4億円)の価格を発表、同時に予約の受付けを始め、わずか3日間で100機以上の注文を獲得した。さらに同月、米連邦航空局(FAA)に型式証明の申請を提出した。取得目標は2010年である。 今年に入ってからは去る2月、ホンダジェットの事業本部と生産拠点が決まった。いくつかの候補地が上がり、それぞ
ボーイング自ら世界で最もみにくい飛行機と自嘲する超大型747貨物機「ドリームリフター」による787構造部品の輸送がはじまった。その最初は名古屋の中部国際空港から川崎重工製の787前部胴体と富士重工製のウィング・ボックスを積んで、1月12日シアトルのボーイング・フィールドへ到着したというもの。 これらの部品は先ずサウス・カロライナ州のチャールストンで胴体の中央部分と組み合わされ、それからボーイング社のエバレット工場へ搬入される。 それが直接チャールストンへ行かなかったのは、ボーイング・フィールドで重量物搭載の試験飛行をするためで、実はまだドリームリフトはFAAの最終的な型式証明を取得していなかったのである。というのも昨秋以来の試験飛行の結果、ウィングレットを外すことになったり、天候悪化で飛行できなかったり、証明の取得は2月になる予定。 なお、ドリームリフターは全部で3機の製造が進んでおり、2
ボーイング社が747-400貨物機を改造した特殊輸送機が完成、9月9日に台湾で初飛行した。 この改造型747の役割は、エアバス社が使っているベルーガ大型輸送機と同様、スウェーデンなどの国外で製造した787の大型構造部材をそのまま積みこんで、シアトルの最終組立て工場まで輸送してくるもの。 胴体全体が大きくふくれ上がっていて、外観は決して見ばえのよいものではない。今後合わせて3機がつくられ、日本やイタリアからも787の大型部材を空輸する。 この不格好な飛行機を見て、シアトルでは飛行機製造のかなりの部分が外国へ移り、地元の仕事が減ることの象徴であるとして、警戒感を強めている。たとえば787の主翼は日本の三菱重工で、胴体の主翼支持構造は富士重工、胴体中央部は川崎重工で製造される。ほかにもイタリア製が増えることから、世界で最もみにくい輸送機は地元作業の削減を宣言するものとなった。 しかしボーイングは
夢ふくらむ音速旅客機構想(2001.12.12) 自衛隊の保有機数(2001.12.7) JSFロッキード案を採用(2001.10.29) コンコルド定期運航再開へ(2001.10.22) ECヘリコプター総覧(2001.10.16) 新しい安全基準を創るシコルスキーS-92(2001.8.27) 機長からアナウンス(2001.8.1) 今年末の初飛行をめざすBA609(2001.7.5) リージョナル・ジェット最近の動向(2)(2001.6.29) リージョナル・ジェット最近の動向(1)(2001.6.28) ルフトハンザ航空の経営戦略(2001.6.26) ニューヨークのヘリポート存続の危機(2001.6.8) ボーイング、ボーイング、行ってしまうのか……(2001.5.21) 女性進出と報道サイト(2001.5.1) 迅速と公開
去る3月下旬、桂文珍師匠の『新落語的学問のすすめ』(潮出版社)を読んだ。出たばかりの本で、慶応大学での半年間の講義禄をまとめたものだが、まことに面白い。たとえば次のような具合である。 私が慶応へ行くということになりまして、新聞がいろいろ書いてくれたんですが、早稲田へ入学なさった広末涼子さんほどの扱いではなかった(笑)。 事務の方とお話をいたしましたときに「これだけの金額でお願いします」といわれました。私のいただいている通常1回分くらいのギャランティですが、半年でそれだけしか出せないということで、慶応も意外と貧乏なんだなと(笑)、……福沢諭吉先生の学校なのですから、1万円札を印刷するくらいは簡単なことだと思うのですがね。(笑) 私どものような落語家は、非常識を常識としてなりわいにしている部分があります。……ところが、どういうわけですか、発想のみならず、その行動すなわち体全体が危ない
去る5月13日、エアバスA318がロンドン・シティ空港(LCY)への着陸に成功した。同空港は滑走路が1,199mと短いうえに、周辺の騒音問題もあって、5.5°の急勾配の進入をしなければならない。 通常、大型ジェット旅客機は3°の角度で着陸進入を行なう。それを5.5°にするのは速度が速すぎて危険が伴うとされていたが、A318はこの問題を克服し、この日の試験飛行では急角度進入、短距離停止、せまい駐機場での操作などをやってのけた。 LCYでの発着を可能にするため、エアバス社では2003年8月以来3年近く研究開発をつづけてきた。そして機体のごく一部を改修したものの、操縦翼面やエンジンには変更を加えず、主に操縦系統のソフトウェアの組み替えによって、これを実現した。 具体的な内容は、英「フライト・インターナショナル」誌(2006年5月23日号)によると、機体の改修といっても、コクピットのオーバーヘッド
<HEM-Net>医療クラスター構想(2008.9.30) <HEM-Net>ヘリコプター救急のいま(2008.9.29) <YAMANOSUN>痛みの原因(2008.9.28) <JSAS>栃木県ドクターヘリ導入に前向き(2008.9.27) <HEM-Net>患者と医療の懸け橋(2008.9.24) <YAMANOSUN>二十日ネズミ(2008.9.23) <HEM-Net>いち早く患者のもとへ(2008.9.22) <YAMANOSUN>写真(2008.9.21) <JSAS>北海道ドクターヘリ3機へ(2008.9.20) <JSAS>2009年度ドクターヘリ予算は24機分(2008.9.19) <YAMANOSUN>高価なところ(2008.9.17) ボーイング747と787(2008.9.16) <YAMANOSUN>祝杯(2008.9.14)
人類は果たして月に行ったのか。アポロ宇宙船は本当に月面着陸に成功したのだろうか。どうもあやしいところがある……。そんな疑念を書いた興味深い文書が山野さんから転送されてきた。差出し人はオーストラリアの人らしい。アポロ11号を初めとするアメリカの月着陸はでっち上げという陰謀説をとなえる本の紹介である。 空気のないはずの月面で、なぜ星条旗が風にはためいているのか――月面着陸の写真を見ていて小さな疑問をもったラルフ・リーンという技術者がNASAの発表した写真、映像フィルム、報告書類を精査し、人類はまだ月に行っていないという結論に達した。それが「NASA Mooned America」(NASAアメリカをたぶらかす)という本である。 アメリカがこのような陰謀をたくらんだきっかけは何か。言うまでもなく、当時のソ連に遅れを取るまいとするあせりであった。ケネディ大統領は人類を月に送りこむと宣言して、
そのとき何があったのか(5) (2004.9.11) そのとき何があったのか(4) (2004.9.10) そのとき何があったのか(3) (2004.9.7) そのとき何があったのか(2) (2004.9.1) そのとき何があったのか(1) (2004.8.30) 無責任・無関係・無計画(2002.10.25) ワールド・トレード・センターの生涯(2002.10.1) 9.11テロ一周忌(3)――1年間の変化(2002.9.11) 9.11テロ一周忌(2)――衝突の危惧(2002.9.10) 9.11テロ一周忌(1)――灯火管制下のアメリカ(2002.9.7) 9.11テロの謎――消えたボーイング旅客機(2002.9.3) アメリカの危機管理に致命的欠陥(2002.8.29) グラウンドゼロ(4)――「原点」を尋ねて(2002.8.27) グラウンドゼロ(3
ティルトローター機は大きな期待を集めて開発がはじまった。ここに取り上げるV-22オスプレイの開発契約が米政府とメーカーとの間で調印されたのは今からちょうど20年前、1985年のことである。 ところが2000年、いよいよ実用段階に入ろうというとき、訓練飛行中に2度の死亡事故が起きてしまった。そのため、一時は開発打切りかと思われる事態に追いこまれる。ペンタゴンや政治家の間で激しい論議が巻き起こり、もう一度基本に立ち戻って安全性の確認からやり直すことになった。 あれから5年。この間におこなわれた設計の見直しと改修作業で、V-22はどこまで安全になったのか。軍事上のきびしい任務に耐えられるのか。果たして生まれ替わることができるのか。その将来を賭けて、今ふたたび運用評価試験まで漕ぎ着けた。 筆者は去る2月初め、ボーイング社のフィラデルフィア工場でV-22の製造工程を見る機会があったが、そのもよ
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