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パリ五輪
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出港後、直ちに大和を中心にガッチリ輪形陣を組んだ艦隊は、午後7時半頃、原速12ノットをもって厳重な対潜哨戒を布きつつ、月光に輝く豊後水道を通過した。水道南方に至るや、早くも敵潜水艦を探知、20ノットに増速しつつ各艦一斉に爆雷を投射した。夜に入っても逆探はしばしば敵潜の所在を知らせた。7日黎明大隅海峡を通過したが、間もなく敵飛行艇が出現、以後無念にもわが艦隊は触接を受けることになった。ややあって艦隊右右翼にいた朝霜が、突然「われ機関故障」の旗旈信号をあげて落伍を始め、その艦影はたちまち遠ざかった。 正午すぎ電探は艦首方向よりやや左前方に敵の大編隊を発見、各艦一斉に戦闘配置についた。これこそ大和の出撃を知って迎えうつM・A・ミッチャー中将の機動部隊艦載機の一群であった。折しも霧の如き小雨が洋上にたちこめて、雲高1,000~1,500メートル。わが艦隊最後の滞空戦闘に天運われになく、見張は困難を
TOPへ 戦記目次 大和艦橋から見たレイテ海戦 都竹 卓郎 その1(97号掲載) 1 プロローグ 昔ある雑誌に書いたことがあり、今もやはりそう思っているのだが、戦争の話を精確に語り伝えることは非常に難しい。とくに話題が広い局面に関わり合っている場合は、検証すべき資料や記録が大幅に増え、それらをきちんとつなぎ合わせて、話の筋道をたどる「思考回路」に、とかく「配線ミス」を生じやすい。戦後は、戦時中いっさい不明だった相手方の状況が、なまじ種明かしされたことから、何もかもわかったかのような安易な気分が蔓延し、却って書き手の側の軽率な独断を助長して来たきらいがなくもない。 標記のレイテ海戦については、左近允がニュース92号で、いわゆる「栗田艦隊の反転」を取り上げ、数々の論評の中にこの手の「短絡思考」が少なからずあることを、具体的事例を挙げて指摘している。 この問題は、当時旗艦「大和」の通信士と
TOPへ 戦記目次 軍艦『酒匂』始末記 阿部 達 昭和20年10月、私は第15突撃隊 (駿河湾) の残務整理から解放されて復員、東京の兄の所に落ち着き、さて何をしょうかなどとボヤッとしていた処、11月5日付『酒匂分隊長に補す』 との電報を受取り、『アレ俺は未だ海軍の籍があるのか』とビックリ仰天し、(充員召集と知ったのは後のこと)舞鶴へと向った。卒業以来、初めての舞鶴に来てみると、工廠岸壁に武装解除で間が抜け、薄汚れて吃水の浮き上った酒匂が係留され、特別輸送艦への工事の最中であったが、あの懐かしいスマートで精悍(せいかん)な軽巡の面影は見られなかった。 酒旬との出会い 私は19年8月、損傷艦『北上』で南方から佐世保に入港するや、佐世保海軍工廠で建造中の第225号艦艤装員に発令された。その頃は、(機)49期の田村賢雄大尉が最先任者で、田村部隊と称していたが、やがて機関長予定の橋口少佐(
題名 投稿者 ニュース掲載号 同頁 頁数 昭和20年8月15日目次 編 集 部 昭和19年10月25日の戦死者 左近允尚敏 96 65 1 大和特攻 大和特攻余話 山根眞樹生 87 24 8 渾作戦 戦時体験・渾作戦 百瀬 茂 89 34 4 レイテ海戦 小沢艦隊 五十鈴乗組み 旭 輝雄 9 15 3 小沢囮艦隊 足立 之義 88 45 7 比島沖海戦 池田 武邦 9 13 23 レイテ海戦記 大岡要四郎 8 12 2 栗田艦隊の反転 左近允尚敏 92 27 19 重巡熊野の最後 左近允尚敏 90 21 38 第1遊撃部隊の戦闘 都竹 卓郎 9 10 2 野分の最後 都竹 卓郎 13 8 1 柳は緑、花は紅 比島沖海戦長門 吉本 信夫 機関記念誌 148 4 大和艦橋から見たレイテ海戦全部 都竹 卓郎 97~99 囮艦隊 桂 理平 99 25 44 その他艦艇 栄光の艦 雪風 中垣
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